1-6 魔王の名はエドワード・クライン
「指輪を渡せ」
「まだ言ってるし!!」
「何度でも言う。渡せ」
魔王はじりじり距離を詰めてくる。
「っていうか! どうしてわたしの家がわかったの?! あっ、尾行してきたのね?! つまりはストーキング、立派な犯罪だわ!!」
「おまえのごとき女学生の家をつきとめるなど造作もない。マーリン魔法学園においてあの時間残っているのは迎えの車がない伯爵家以下の子女、そして日暮れの夕飯時にワッフル屋に立ち寄るということは一人暮らし、一人暮らしの貴族のアパートメントは特別地区の周辺に集中している。そして女子学生一人でも安全に暮らせるアパートメントは絞られる」
「……っていうかやっぱり尾行してたんじゃない」
「尾行じゃない。推理の参考になる程度に見張っていただけだ。おまえのような学生を尾行するほどヒマ人じゃない」
流暢な推理と主張を述べて魔王は鼻で笑う。
くそーっ、ムカツクけど顔がいいからなんか言い返せない!
美形に見惚れてるとかじゃなくて! なんていうか神聖なものにはタテつけないっていうか!
この人の顔の良さはそういう類いの美しさだ。
だからわたしは溜息を吐きつつこう言った。
「あなたが誰かも、指輪がどんな魔道具かもわからないのに渡せるわけないでしょう? あの指輪は明日、ちゃんと先生に渡すわ。あの指輪が欲しいなら学園に行って交渉することね」
「明日では間に合わない!」
「は?」
「聖騎士団は公表してないが聖都の中にはすでにレッドキャップが多く入りこんでいる」
「……貴方、わたしより年上に見えるけどもしかしてアルビオンのすっごい辺境地出身? それとも他国の人? 知らないなら教えてあげるけど、聖都ロンディニウムの周辺には魔物避けの魔法陣が巡らせてあるの。聖都周辺に棲む魔物は聖都に近付けないのよ。覚えておいてね」
ドヤ顔で言ってやったのに。
凹むのかと思いきや、魔王は凄味のある笑みを返してきた。
「そりゃ親切にどうも。じゃあ、なんでおまえの学園にレッドキャップが出たんだろうな?」
「え?! そ、それは」
それは確かに図書館で襲われたときにも最初に思ったことだ。なぜ? なぜ聖都に魔物がいるの?
「知らないなら教えてやるが聖都を守護する魔法陣はすでに破られている」
「なっ……いい加減なこと言わないで!」
わたしは思わず叫んだ。
「魔法陣は聖騎士団の魔法部門と大神官が紡いだものよ? 破られるはずなんて――」
「そのまさかが起こっているからおまえの学園に魔物が出たんだろうな」
「で、でも! 学園の先生たちは何も言ってなかったわ。聖騎士団からも何の発表もないし!」
「聖騎士団は事実を隠している。パニックを防ぐためにな。おそらく内部は大騒ぎだ。昨夜ついに巡回騎士に死者出た」
「う、嘘……」
「レッドキャップどもの目的は、自分たちの頭領ガドゥを蘇らせること。バラバラに封印されたガドゥのカケラを集め、ガドゥに捧げること」
「なんですって?!」
太古魔ガドゥ。
それは同じく太古魔のドラゴンやキメラなどと列せられる超特級魔物。
多くのレッドキャップやゴブリンなどの下級魔物を生み出した悪の元凶だ。しかし。
「ガドゥは聖騎士団の精鋭部隊によって封印されたはずだわ!」
「その封印を解いた奴がいる。そして聖都の守護魔法陣を破ったのもおそらくそいつだろう」
その言葉にわたしの中で何かがガラガラと崩れ落ちる音がする。
無敵の魔法陣。
絶対の信頼を寄せる聖騎士団。
封印されたと思っていた太古魔。
わたしの日常の礎にあったはずのものが、魔王の無慈悲な言葉によって粉砕されていく。
同時に、あのとき聞こえたレッドキャップの『声』が脳裏に蘇る。
あの『声』が聞き間違いじゃないのだとしたら。
「つまり聖都はチェックメイト目前なんだよ。わかるか」
「そんな……」
「わかったら指輪を渡せ。たぶんおまえの持っている指輪はガドゥの一部だった物。それがチェックメイトを回避するカギで――」
言葉が止まったと思った瞬間、翡翠色の双眸が鋭くなり銃がわたしに向けられていた。
「伏せろ!」
刹那、轟音が空間を切り裂いたのとわたしが姿勢を低くしたのはほぼ同時。次々と発する轟音に、背後で赤い帽子の魔物が次々に断末魔の咆哮を上げる。
「言わんこっちゃない!」
魔王は舌打ちしてわたしの手をつかむと走り出した。
「は、放して!」
「おまえが指輪を渡せば放してやる!」
レンガ塀とレンガ塀の間の路地を走りに走る。もうどこをどう走っているのかわからない。
ビルの多いロンディニウムの路地は迷路だとよく言われるけど、実際に路地の中を走り回ってみれば本当に迷路みたいだ。それなのに走っても走っても背後からレッドキャップが追ってくる。魔王はそれを凄まじい銃捌きで片っ端から撃っていくが追手は止まない。
「ど、どうしよう、すごい数……」
「言っただろう! 聖都周辺の魔法陣は機能してない! ガドゥの魔力でレッドキャップは際限なく集まるんだよ!」
「「「ぐわわごぅがががが!!」」」
突然鳴き声が降ってくる。見れば真横からレンガ塀を伝って数体のレッドキャップが超高速で駆け降りてきた!!
「きゃあああウソぉ?!」
「叫んでないで走れ!」
「走ってるわよっ」
懸命に走ってるんだってば! わたしけっこう足には自信があるんだから!!
「ていうかあんたが速すぎるのよ!!」
目の前を走る背中に叫ぶ。
もはや魔王の手は放されていたけれどわたしはこのデッドヒートから離脱できなくなっていた。
今わたしには武器がない。魔法を発動する間もなくレッドキャップは襲ってくる。美形魔王が早業で撃ちまくる聖弾に頼るしかなかった。
レッドキャップは路地から、屋根から、次々に湧いてくる。
その標的にこの速さで走りながら銃を連射する姿は、まさに鬼神。
何者なのか、この男は。
そんな思考がよぎった一瞬の隙にレッドキャップがわたしの脇に迫った。が、その凶刃が振り下ろされる前に聖弾が命中、黒砂と化す。
「ぼやぼやするなっ、次の角を曲がったら建物に入る! 遅れるなよ!」
「エラそうにっ……」
角を曲がった。美形魔王がぶつかるように飛びこんだのは見過ごしそうなほど小さな古いビルのガラス扉。
わたしも続いて飛びこんだ刹那、魔王が投げた小さな何かとすれ違った。
「ぐぎぎぎぎぃいい!!」
エントランスのガラス戸に折り重なるように土気色の魔物が押し寄せ、奇声を発している。追ってきたすべてのレッドキャップが山のように折り重なり、エントランスのガラス戸がみしり、と音を立てた――刹那。
「!」
閃光にわたしは思わず顔を伏せた。
地面を揺るがす振動、耳障りな咆哮が止むと、しん、と急激な静けさが訪れた。
おそるおそる顔を上げる。
エントランスのガラス戸はあれだけの衝撃にも関わらず、どういう仕組みなのかビクともしていなかった。
そのガラス戸の向こうに折り重なる赤い帽子の異形が、次々と黒砂になって消えていく。
銀色の火の粉のようなものが、まるで雪のようにキラキラと舞っていた。
「手榴聖弾……」
聖弾を手榴弾の形にしたもの。ピンを抜くのに相当な魔力が必要なので、特別な訓練を受けていなければ使えない聖武器の一つ。
聖騎士の標準装備だ。
父様も母様も制服に携帯していた。
「貴方、まさか聖騎士団の騎士なの……?」
「……元、だ。そんなことよりそこをどけ。重い」
下から睨む翡翠の双眸はゾッとするくらい綺麗で恐ろしくて、呟く声は冷え切っていて。
そう、わたしは魔王の上に馬乗りになっていた。
かなりの衝撃で地面に転がったのにまったく痛くなかったのは魔王が抱き止めてくれたから。
「お、重いとはなによ失礼な!!」
火を噴きそうなほどの恥ずかしさでわたしは飛び起きる。同時に美形魔王も立ち上がってスーツの裾をはらった。
「どうやら湧いた分は殲滅したな。しばらくは時間が稼げる。――来い」
魔王は踵を返してさっさと歩きだす。奥にはエレベーターの蛇腹扉が見えた。
「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!」
「事務所だ」
振り返った顔は超絶不機嫌まるわかり。顔の造形が良いから凄惨な空気すら漂う。背筋に悪寒が走った。
「俺はエドワード・クライン。このビルは俺の事務所兼住居だ。以上。質問をするな。黙ってついてこい」