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終章 剣姫令嬢はゆっくり紅茶をたしなみたいのに座っているヒマもありません



 じりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじりじり。



 意識の遠いところで鳴っているそれに向かって、わたしは懸命に手を伸ばす。

 わかってる。起きなくちゃ。そんなにうるさくしなくてもわかってるって……



「……わかってるってば!!」

 ばしん、と耳に痛い音がする。ついでに手もじんじんと痛くて目が覚める。

「もう、なんで目覚まし時計セットしちゃったんだろ……」

 昨日の戦闘の余韻で、身体のいろんなところが軋んでいるっていうのに。


 呻きながら起き上がり、枕元の時計を見る。


「まだ8時じゃない……って8時?!」

 やばい遅刻だ!!


 慌ててベッドから出て顔を洗い、髪を結いながらキッチンで牛乳を鍋にかけ、制服に着替えようとしてふと窓の外を見ると、向かいのレンガ壁には無惨な穴が開いている。


「ほんとうにこのロンディニウムに魔物がいたのね」


 このアパート周辺もだいぶレッドキャップの被害があったようだけれど(その元凶が自分だと思うと心が痛むけれど)、幸いアパートは簡易ではあるが防御魔法シールドが張ってあるおかげで大した被害もなかった。


 セバスさんが意外にも中級魔法士で、侵入しようとしたレッドキャップを追い払ってくれたことも功を奏したらしい。さすがはセバスさん、頼りになる!


 クローゼットの中の制服を手に取ろうとして、ふと立ち止まる。


「あれ? 学園、来週からじゃない……?」


 思い出した。

 学園は聖都でのレッドキャップ騒動のせいで休校となり、授業再開は来週からだとフクロウ便で知らされていたことを。

「まだ寝てればよかったぁあああ」

 頭を抱えるけどもう完全に起きちゃってるし。もう一度ベッドへ潜りこもうという気にはならない。



「まあ、早く起きて損はないものね!」

 そうそう、『早起きは三文の得』っていつも母様も言っていたもの!



 温まった牛乳にハチミツをひと匙、スプーンを入れたままトーストと一緒にキッチンテーブルに運ぶ。

 一人だと、あまり食卓を使わない。特に朝は、こうしてキッチンテーブルでささっと食べるのが習慣。

 牛乳もトーストも、冷めないうちが美味しいものね。



「うん、美味しーい……」

 ハチミツがとろける牛乳にうっとりする。

 ここ数日間、クライン商会で食べた朝食は贅沢の極みだったけれど、こうして一人で食べる朝食も懐かしく美味しい。


「夢みたいな日々だったな」

 あらためて思う。

 クライン商会には、想像していた通りの上流貴族の生活があって。

 初めてドレスを着て、パーティーにも行った。


 瞬間、エドワードとのダンスやいろんなことを思い出して――顔がぼん、と熱くなる。


 あれも、わたしにとっては初めての経験で。

 ときめくってああいうことを言うんだろうか、って胸がきゅっと締め付けられた。


「で、でも! クライン商会もいいけど我が家も最高なんだから!」

 香ばしいトーストと甘い温かい牛乳を口に入れて思う。

 ここがわたしの居場所で、わたしの忙しくてちょっぴり嫌なこともあってでも愛おしい――日常。


 この数日間は、特別な宝物。

 クライン商会での出来事も、エドワードのことも、心にずっと仕舞っておく宝物だ。



 ふと左手薬指の指輪を見る。

「あのとき……解呪方法を試さなくてよかったよね」

 試していたらきっと、こんな風に思えなかったかもしれない。



 クライン商会に、エドワードに会いたいと思ってしまったかもしれない。



「そんなの、わたしじゃないみたいだもん」

 つらいことがあっても前を向いて。

 それが剣姫の異名に恥じない『わたし』だよね?



 薬指をかざしてみる。朝陽を七色に弾く指輪は相変わらず控えめに存在を主張していて、何か悪さするわけでもなく、わたしの手に静かに収まっている。


「想い人とキスする、って以外に解呪方法がないか改めて探さなくちゃね……聖騎士になるための勉強プラス新たな課題!うーん、忙しくなりそう!」


 だからくよくよしているヒマはない。

 そう思ってもなぜかあのエメラルドグリーンの瞳がよぎって胸が苦しくなるのはどうして?


 あーっ、もうっ、わたしったらいつまでくよくよしているの!

 魔王のごとき美貌を抹消するように頭をぶんぶん振る。


「そ、そうだ! この後、聖都図書館にでも行ってみようかな? でも『魔法全書』の古語版って図書館にも置いてあるのかしら? 聖ベルナルド塔の資料保管庫にあるようなシロモノだもの、一般には出回ってないんじゃあ……。あ、帰りに、ついでにクランプワッフル寄ろうかな。このところゆっくり紅茶を堪能してなかったものねえ、うんうん」


 独り言を暴走させていると、こつこつ、という物音に気が付いた。


 見れば、リビングの大きな窓の外にフクロウがいる。

 真っ白で大きなフクロウが大きな羽を羽ばたかせて窓ガラスをつついていた。

 

「スノウ?!」

 父様のフクロウだ。


 昨日の夜、わたしが急いで父様に飛ばしたフクロウ便の返事を持ってきたのだろう。


 父様には今回の騒動の顛末と、指輪が解呪できてないことと、でも無事だから心配しないでほしいこと、クライン商会に滞在した数日間の贅沢な環境と待遇へ然るべき代金を支払うことをお願いしていた。


 

 昨日、グレゴリーさんが作ってくれた素晴らしい軽食を食べたあと、わたしは引き留めてくれるグレゴリーさんを振り切って自宅へ戻ってきた。


 そのときに『こちらでお世話になったお金はちゃんとお支払いしますから!』と宣言してきたし、礼儀を重んじる父様の性格も考えて、夜に急いでフクロウを飛ばしていたのだった。


「それにしても、ずいぶん早かったわね」

 労うように止まり木を勧めると、スノウは嬉しそうに羽を休め、水を飲む。ずいぶん急いで飛んできたみたい。

 その真っ白でふわふわの羽を撫でてやり、頑丈な足に付いた筒の中から手紙を取り出した。


 間違いなく父様の字で書かれた手紙に目を通していたわたしは、危うくマグカップを落とすところだった。


「……うそでしょ?!」


 急いで身支度を整えて、わたしは家を飛び出した。






――ということで、勢いで来てしまったけれど。


「どうしよう……」

 ガラス扉の前でわたしは立ちすくんでしまった。


「そ、そもそもアポイントメントも無しに来てよかったのかしら……クライン商会って聖騎士団からも依頼が来るようなちゃんとした商会だし、商売も手広くやってるみたいだし……」


 急に敷居が高くなったように感じるクライン商会のビルの前で、わたしは石みたいに動けなくなった。


『学生だろ』とエドワードに言われたことを苦く思い出す。

 エドワードとの間にある境界線はいくらでも見つけられるのに、どうしてわたしはエドワードに会いに来てしまったんだろう。


 でも確認しなくては。

 でもやっぱり。


 やっぱり帰るべきでは、と灰色のビルに背を向けたとき、後ろから聞き覚えのある静かな声に呼び止められた。


「ビビアン様、お待ちしておりました」


 振り返ると、穏やかな笑顔のグレゴリーさんがガラス扉を慇懃に開いて立っていた。


「さあ、中へどうぞ。エドワード様がお待ちです」

「エドワードが?」


 わたしを待っている?

 どうして?



 と思ったけれど口には出せず、グレゴリーさんの執事服の背中についていく。

 鈍い金色のエレベーターに乗り、蛇腹扉をくぐってフロアに立つ。

 三つの扉のうち、『クライン商会』と看板の掛かる部屋をグレゴリーさんがノックした。


「エドワード様。ビビアン様をお連れしました」

「入れ」



 昨日ぶりなのに妙に懐かしくてくすぐったいようにそわそわしてしまう。

 自分で自分に戸惑いつつ、わたしは『クライン商会』の扉を再びくぐった。







「おはよう」

 エドワードが言った。

「お、おはようございます」

 わたしも返す。自分の声じゃないみたいだ。


 ライトグレーのスーツにシミ一つない真っ白なワイシャツ。

 エドワードはいつもと変わらず魔王のような冷たい美貌で、何事もなかったかのように大きなマホガニーの執務卓に座っているけれど。


「あの、怪我、大丈夫なんですか?」

 心配でつい聞いてしまった。


 魔炎に燃えた左足や背中や肩の傷はかなりなダメージだったはずだ。

 けれどエドワードは涼しい顔のままわずかに顎を引いただけで。


「問題無い。あれくらいの怪我、治癒魔法ですぐに治すのは魔法士として当然だ」


 あ、いつもの魔王だ。

 遠い目になりかけたとき、エドワードが視線を逸らしてボソッと言った。


「まあ、直後の応急処置がよかったこともあるが」

「あ……」


 それって、わたしが治癒魔法ヒールかけたことを褒めてくれてます?!

 少し頬が赤いエドワードはふい、と視線を逸らした。


「ニヤニヤするな! それくらい助手としてできて当然だろう」

 冷然とした言葉に(やっぱり魔王め)と溜息をついたとき、

「いくら学生でもあれくらいはできなくては、アルバイトとして心もとないからな」


………………ん?


「あの、今なんて言いました?」

「だから! アルバイトなんだから応急処置で治癒魔法などは当たり前だと言ったんだ。あれは戦闘だったが、商用だと災害に遭うことも想定される。治癒魔法だけでなくもう少し防御魔法シールドの技術も磨いてもらいたい」

「……どういうことですか???」


 不穏な話の流れに首を傾げてみれば、エドワードがわたしに一通の手紙を差し出した。


「御父上からだ。おまえのところにも同じ内容のものを送ったと聞いたが……それでここへ来たんじゃないのか?」


 心底不思議そうな顔のエドワードをよそに、わたしは手紙を勢いよく受け取る。

「確かに父様の字だわ……」

 もうっ、父様ったらわたしへの手紙より断然文字数が多い!!

 もどかしくも字を追っていく。


 父様は『今回の聖都の騒動に聖騎士として心痛を覚えると同時に、娘への対応に深く感謝する』と切々と語っていた。


 そして、『指輪の解呪がされてない娘はクライン卿の保護下にあるのが安全』『ついては娘をこのまましばらくクライン商会に置いてはもらえまいか、図々しいお願いで恐縮だが』と丁寧に綴られていた。


「ほんとうに図々しいの極みだよ父様!!」


 思わず手紙に向かって叫ぶと、エドワードが軽く咳払いする。


「俺は了解した旨を、先ほどフクロウで送らせてもらったが」

「は?!」


 わたしは驚愕に手が震える。


「あり、ありえません!! だって貴方は」

「俺が、なんだ?」


 不思議そうに首を傾げたエドワードが憎たらしくもまぶしい。

 わたしは思わず視線を逸らした。


「貴方は、リアンクール公爵家の御子息で……王族に連なる方なのでしょう?」


 言いたくなかった。

 言葉にしたら、ますますエドワードとの境界線が広がっていく気がして。

 けれどわたしの思考をよそに、エドワードは「なんだ、そんなことか」と気の抜ける言葉を返してきた。


「そ、そんなことって……大事なことでしょう?!」

 アルビオン聖女王国において貴族社会の序列は厳しい。男爵家令嬢のわたしとエドワードとは同じ貴族でもぜんぜん世界が違う。


 けれどエドワードはしらっと言った。


「俺が家名を背負っている立場ならクラインと名乗らないし、商人をやるはずないと思わないか?」

「あ……」

「つまりそういうことだ。おまえが気にするようなことじゃない。それより」


 エドワードはもう一通、白い便箋を差し出した。


「実は御父上とは何度かやり取りをしてな」

「父様と?」

「昨夜、おまえが御父上へフクロウを飛ばした後、すぐに御父上が先ほどの手紙を送ってくれて、そこから互いのフクロウを使ってまたやり取りをした」

「この短時間に?!」


 どうりでスノウが疲れた様子だったんだわ。


「で、お互いに合意に至った。御父上は快諾してくださったよ。ぜひともよろしく頼むとな」


 形の良い口の端が上がる。

 嫌な予感がするのは……気のせい?


 受け取ったもう一通の手紙をおそるおそる開くと、そこには最上級の丁寧な言葉でこんな内容が書いてあった。


『魔法士としても、聖騎士を目指すにあたっても、クライン卿のところで修行できるのは願ってもないことです。家賃等の必要経費をビビアンのアルバイト代ですべて相殺していただくのは何とも申し訳ないですが……クライン卿のお言葉に甘えて、そのようにさせていただきます。クライン商会の助手として存分にコキ使ってください』



「父様?! コキ使ってくださいって娘を売ったってこと?!」

「人聞きの悪いことを言うな。ローレンス男爵に失礼だろう」


 本気で眉をしかめているあたり、父様とエドワードの間で親密な協定が結ばれたであろうことは想像に難くない。



「ローレンス男爵も娘を一人で聖都に残してくることに御不安がおありのようだし、クライン商会も人手が足りないしな。つまりウィンウィンの関係ということだ」

「なっ、なにがウィンウィンですかっ!!」


 叫びつつ、どこかでちょっとうれしいようなくすぐったい気持ちがある。

 そんな気持ちを抑えて睨めば、エドワードはにっこりと極上の笑みを浮かべた。


「ということで、しっかり働いてくれよ。なにせ必要経費は《《すべて》》おまえのアルバイト代から差し引く。つまり、働かなくてはマイナスになることも有り得るというわけだ」

「は?! マイナスって……なんですかそれは!!」


 しかし魔王は答えず、憎らしいくらい綺麗な笑みを浮かべたまま軽快にベルを鳴らした。


 ほどなく扉がノックされ、

「はーい、お呼びかしら……ってビビアンじゃない!」

 エマさんが走ってきてわたしを抱きしめた。


「エマさぁあああん!!」


 この状況にあって心強い味方来た! とわたしもエマさんをひしと抱きしめる。


「無事だと聞いていたけど、顔をよく見せてちょうだい! ああよかった、本当に無事で」

「エマさんが用意してくれたコスチュームのおかげです!」

「ふふ、よかった。で? エドワード、さっきの話はどうなったの?」

「成立だ。至急、新人教育に入ってくれ」

「ほんと?! よかったわあ」

「あの……エマさん?」


 エマさんは腕の中にいるわたしにウィンクした。


「今日からビビアンもクライン商会の仲間ね。いろいろと覚えてもらうことがあるから、まずはお家に帰って必要な物を取ってきてちょうだい」

「いやっあのっ、わたし……ここで住み込みで働くの決定なんですか??」

「ええもちろん」「しっかり働いてくれよ、剣姫令嬢」


 エマさんとエドワードに言われ、わたしはどうにも反撃できない。


 これってブライト長官の予言が当たったってこと?!


「さあ、ビビアン様。お荷物を取りに行かれるのなら、ご自宅までお車をお出します。御一緒にエントランスまで参りましょう」


 グレゴリーさんが扉の外で慇懃にお辞儀をする。


 にこやかな二人と不穏な魔王の笑みを浮かべるエドワードに向かって、わたしは思わず叫んだ。



「わたし《《まだ》》ここに住むんですか?!」

――わたしが優雅に紅茶をたしなめる日は、はたしてくるのだろうか。



〈おわり〉





*   *   *   *   *



読者様へ


ここまで読んでくださった皆さまに心からの感謝を!

本当にありがとうございますm(__)m

クライン商会のお話、この先も続きも書きたいと思っておりますので、引き続きごひいきいただけるとうれしいです!

よろしくお願いします(≧▽≦)


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