4-9 その緋色の瞳の男は
女の人?
いいえ違う。見上げるような黒衣の長身は男性のものだ。
けど、すごく綺麗な人だ。
漆黒の髪に銀色の髪が一筋混ざっていて、緋色の瞳がすごく印象的だ。
「聖騎士団の、詠唱者の方ですか?」
思わず聞いていた。この長衣の形は詠唱者のものだ。でも聖騎士団の場合、色は白だったような――。
「まあ、美しいだなんて! お上手ですわ!」
ルシエンヌ様は身を乘りだしてうっとりと男性を見上げる。
「聖騎士団の方ですの? 警備の方? それとも父のお客様かしら?」
「どちらかと言えば――客かな」
男性の妖艶な笑みにルシエンヌ様と取り巻きの方々の目がハートの形になってしまいそうになったときだった。
中庭で凄まじい悲鳴と同時に、いくつもの窓ガラスが割れるような音がした。
同時に幾重にももつれた糸のように、ごわついた雑音の塊が耳に飛びこんでくる。
『アルジサマノモノトリカエス』
『ユビワトリカエス』
『アルジサマノチカラカエセ』
背にぞわりと冷たいものが這い上がる。
学園の図書館前で聞いた、あの声と同じだ。
レッドキャップの声……!
「ルシエンヌ様! 皆さんも! 今すぐここを離れて!」
「はあっ?! 何言ってんのよあんた! このあたくしに命令するなんて無礼ですわよ!」
鼻息荒いルシエンヌ様はわたしの言うことを聞いてくれない。
「いけない!」
わたしは咄嗟にルシエンヌ様と取り巻きの方々をテーブルの内側へ押しこみテーブルクロスを闘牛士のように持ち上げた。
「伏せてください!」
ガシャーン!!!
大広間のガラス窓が大きく割れ、あちこちから悲鳴とどよめきが上がる。
「な、何?!」
「なんですの?!」
「どういうことですの?! なぜ急に窓が割れたのです?!」
ルシエンヌ様も取り巻きの方々も何が起こっているかわからない様子で床に伏せたまま狼狽している。
わたしは破片をサッとテーブルクロスで払って言った。
「マントルピースが移動地点になっているはずです! 走って!!」
「あ、あたくしに命令する気?! 気安く触らないでちょうだいっ貧乏令嬢がっ!!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!!!」
わたしの一喝にルシエンヌ様が怯んだ。ルシエンヌ様は真っ青な顔でぶるぶると震えてわたしを睨んでいる。
取り巻きの方々はさすがに状況を覚ったようで、
「わ、わかったわよビビアン・ローレンス」
「ここでだけはあんたの言うこと聞いてあげてよ」
しどろもどろになりながら「逃げましょうルシエンヌ様」とルシエンヌ様の両脇を抱えて走っていった。
わたしがホッとして振り返ると、あの綺麗な男性はまだそこに立っている。
「貴方も早く非難を……て、まずい!!」
彼の反応をわたしは最後まで見ていなかった。
視界の隅に入ってきたレッドキャップが逃げ惑う人々を襲おうとしているところへ全力で駆ける。
そして思いきりウエストのリボンを引く。
リボンが解けた感触と、ひやりとした衣装の感触は同時。
刹那、身軽な戦闘服にコスチュームチェンジしたわたしは腰に出現した愛剣を抜き、大理石の床を蹴った。
「させない!!」
人々に届きそうだった土気色の魔手をわたしは次々に斬り落とし、振り向きざま連続で突きを繰り出す。
魔物の咆哮と人々の絶叫が重なる中、黒砂と化したレッドキャップは宙へ霧散した。
「皆さん! マントルピースが移動地点です! 行ってください!」
人々は動揺した表情をしつつも目の前でレッドキャップを葬ったわたしの言うことを信じてくれたらしい。
「そ、そうか」
「い、行きましょう、早く」
雪崩れるように我先へとマントルピースを目指して人々は一斉に動き出す。よかった。わたしはレシーバーに触れる。
「エドワード? エドワード聞こえる?」
「……醜いね」
応えたのは地獄の底から響くような声。
「弱者は醜い。強者の影に隠れて享楽と安寧を貪っているくせに、その歪みを誰かに押しつけて解消しようとする。醜い、とても醜いね」
「貴方も早く逃げて!」
わたしは思わず叫ぶ。でも、彼はまるで何事もないかのようにわたしに穏やかな笑みを向け、優雅に話し続ける。
「ドレス姿もよかったが、戦う貴女も美しいね。私は美しいものが好きだ。貴女が弱き者に歪みを押し付けられているのは耐えがたい」
緋色の瞳が和んだ。綺麗な微笑みに、宝石のような瞳の赤さに、つい引きこまれそうになり――わたしは首を強く振った。
「な、何を言ってるんですか、早く逃げ――って言わんこっちゃない!《ボルテクス》!」
わたしは彼の背後に迫った赤い帽子の一団に風魔法を投げる。
「すごい! いつもより魔法の出力が速い!」
ガドゥの指輪の効果で魔力が高まっているからだ!
小さな竜巻のような閃光が魔物を一瞬にして遠ざける。
青い魔光を追っていた緋色の瞳がわたしを真っすぐに射貫いた。
「どうやら太古魔の最後の欠片は貴女に同化しているようだね」
「え……?」
「こうして人のために身を挺する貴女は本当に美しい。内面からにじみ出る輝きが外面に溶けて、光のように発散される、本物の美しい人。――なるほど、あの男が気に入るわけだね」
「貴方……どうして指輪のことを知っているの?!」
レッドキャップが彼を取り囲もうとしている。わたしは迫る赤い悪魔の一団に細剣を突きだそうとした。
しかし。
「えっ……」
レッドキャップは彼を襲わない。
赤い悪魔は一斉にわたしを囲み、刹那、彼が長い指をとん、とわたしの額に置かれた。
「――?!」
身体が動かない。細剣をふるおうとした腕はそのままの形で止まっている。
「今から何があっても私が君を守ってあげる。だから私と一緒においで」
「は、イ……?」
あれ? なんか変だ。
この人の甘い声に抗えない。
これは違う、これはわたしには甘すぎる。エドワードがくれる素っ気ない言葉とはちがう。
わたしには、甘すぎるのに。
「さあ行こう、私の贄姫。本当のパーティーが始まるよ」
自分の意思とは違うところで勝手に身体が動く。
「だ、ダれなの、あなタは……」
彼の大きな手に、自分が手を乗せるの。それはどこか遠い場所の風景のようで。
わたしの手をしっかりを握った彼の緋色の双眸が妖しく光った。
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は――アレクセイ・スミルノフ」
刹那、脳裏に閃いた。
聖ベルナルド塔の地下で見た『奇跡の封印』作戦報告書の最後の頁。
真っ暗になっていく意識に、その文言だけが鮮明な残像となって焼きつく。
『尚、アレクセイ・スミルノフは当作戦の後、行方がわからなくなっている。生死は不明』




