2-3 ダージリンの憂鬱
ああ、とわたしは今朝のことを思い出す。
『ローレンス男爵様からの書簡がフクロウ速達便で届いたのですが、お部屋へ失礼してもよろしいでしょうか』
今朝、初老の眼鏡をかけた男性が部屋にやってきてそう告げた。
わたしは寝ぼけ眼ながらもその男性を部屋へ入れた。
というのは、その男性がぴかぴかのワゴンにホカホカのエッグマフィンとサラダ、クランストン社製の白磁のポットにたっぷりと熱々のダージリンを載せてきてくれたからだ。
一分の隙もないその男性はグレゴリーといい、エドワードの執事をしていると言った。
『うわあ、香り高い~』
ダージリンはコクのある最高級の夏茶葉だろう。鼻を抜ける香りがその品質の高さを物語っている。
一口含めば、透明感とコクの絶妙なバランスのお茶が心地よく喉を通り、身体に沁みていく。
外はカリッ、中はフワッ、のエッグマフィンもみずみずしくパリッとしたサラダも絶品だった。
いつもはトーストと急いで温めた牛乳に蜂蜜を入れるだけ。それに比べるとかなり豪華で優雅な朝食だ。
気持ちよく食べ終えて、あの香り高いお茶をもう一杯……とホクホクしたときだ。
『ビビアン! いるか!』
『ぐっ、ぐほっ?!』
せっかく口に含んだ琥珀色のお茶を、まだじっくり楽しまないままにわたしはあわてて飲みこんでしまった。
『ちょっ、ちょ待っ』
わたしはあわててカップを置いてベッドに逃げ込もうとした。
しかし、時すでに遅し。
パジャマ姿のまま固まったわたしと、グレンチェックのスーツをびしっと着こなしたエドワードは、ばっちり目が合ってしまった。
『――!』
エドワードの白皙の顔に一瞬で朱が差す。
『アホかおまえは!! 準備ができてないならそう言え!!』
『言う前に入って来たんじゃない!!』
わたしはあわててベッドにもぐりこむ。
ていうか、この白いレースがふんだんに付いた薄桃色のパジャマ、貴方のセレクトなんですけど! そんなに恥ずかしがられるとこっちまで調子狂うんですけど!
『エドワード様。お着替えが云々というより、レディの部屋へ早朝にお入りになるのは紳士としての礼儀に欠けるかと』
グレゴリーさんが困ったようにたしなめると、エドワードはきょとん、として言った。
『レディ? 誰のことだ』
嫌味でも小馬鹿にしているのでもなく、ほんっとうに素でそう言ったわよこの男は。
ええ確かにレディとは言えないかもしれませんよ。自分でも自信はありませんよ。
でもなんか腹立つ……!
『とにかくだな』
エドワードは咳払いをしてあさっての方を向いた。
『その書簡は俺が預かるからグレゴリーにすぐ返せ』
『え? なぜエドワードが預かるの? 父様からわたし宛てでしょ?』
『おまえと俺に、だ』
確かに。
よく見れば、宛名のところにわたしの名とエドワード・クライン様、とある。
『食べたらすぐに支度をして事務所に来い。いいな!』
何か言う間もなくドアがばたん、と閉められた。
『ビビアン様、食後のお茶を急かすようでたいへん恐縮なのですが……目を通していただいたら、すぐにお手紙をお預かりいたします』
『は、はい』
わたしは香ばしい湯気を上げるカップを諦めて、急いで手紙を検める。
『ううう……最高級のダージリンがぁ……』
ワゴンの上で冷めていく琥珀色の紅茶を恨めし気に見つつ、書簡を開く。
書簡には確かに父様の字で『エドワード・クライン卿へ 娘をよろしくお願いします。ビビアンへ クライン卿の指示に従うように』とだけ書かれていた。わたしが昨日の夜、フクロウ速達便で送った手紙の返信に間違いない。
『ていうか父様、もう少し迷いとかないの?!』
一人娘が男の所に滞在するのに、昨日の夜からの速達ってどういうこと?!
『たいへん申し訳ないのですが、なにぶんエドワード様は多忙な方でして……ビビアン様、お支度をお願いします』
グレゴリーさんはすごく申し訳なさそうに、手紙と朝食のワゴンを回収して出ていった。
『ああダージリン、さようなら……」
いいんですいいんです、グレゴリーさんは悪くないんです。
『あの冷酷魔王めーっ!』
熱々の最高級ダージリンは極上なお味だった。香り高く、完璧な琥珀色で、後味すっきりなのにコクがあって。
もう一杯飲みたかったのにー!!
「……で、回収した手紙、何に使うのかと思ったら未成年者拉致に使うつもりだったんですね」
わたしがダージリンの恨みをこめて言うと、エドワードは心底嫌そうな顔をした。
「念のための備えだっただけだ。が、いきなり使うハメになった。この学園は緊急時、生徒を保護者か婚約者、婚姻者にしか引き渡さないそうだからな」
緊急時??
「何かあったんですか?」
「特別区の外にレッドキャップが徘徊して人や商店を襲っている」
「えっ」
「おまえのアパートメント周辺が特に被害が大きい」
「ええっ」
「レッドキャップたちはおまえの匂いで住居を特定したようだ」
野生の魔物は異常に鼻が利くのね……じゃなくて!
「なぜそんなことに?!」
「決まってるだろうっ、奴らはその指輪を捜してるんだ!」
う、とわたしは左手を握りしめる。水晶のような指輪は目立たずともわたしの左手薬指にぴったりと馴染んでいた。
「特別区の外はパニック状態。ここの生徒も少なくない数が学園まで辿り着けてないはず」
「確かに……うちのクラスも半分が登校してなかったわ」
「早いところ指輪を外す方法を探らなければまた死傷者が出る」
真っすぐに前を見て進む端麗な横顔にちょっぴりどきりとしながら。
「エドワードって、けっこう良い人なんですね」
市民の被害を心配するなんて、さすが元聖騎士!
ってわたしが思ってやったのに、エドワードは冷えた声で言い放った。
「死傷者が出れば俺の報酬は減る。それだけは避けたい。それからとっとと指輪を回収してアホな学生と縁を切りたい」
「なっ、アホって!! またアホって言いましたね?!」
しかしエドワードはわたしの叫びを無視し、長い足でさっさと特別区のメインストリートを歩いていく。わたしは必死に小走りでついていく。
そしてエドワードがわたしを連れてきたのは――。




