48:蜃気楼に惑わされ
誤算だった。勿論アイツから一瞬たりとも目を放してはいない。だが奴は、一瞬の間すら開けずに俺の眼前に迫っていた。そしてそのまま流れるような動きで東藤の意識を落とし、俺に笑いかけてくる。
ドクドクと心臓が早鐘を打ち、汗が額から垂れていく。ミズチが俺に向かって拳を繰り出す数秒の間の事なのに、とてつもなく長い時間のように錯覚する。駄目だ、このままでは俺まで気絶させられる。いくら蘇芳さんとて粗大ごみ2つ脇に抱えてこの筋肉質の男に太刀打ちできない、想定していたものとは違う切り札をここで今すぐ切らなければ致命傷になる!
「良い判断よ、流石は選ばれし者ね」
一息の間に、俺の持っていたスクロールが奴に奪われる。奴は俺を殴ると見せかけて窮地に陥った俺が切るであろう切り札を封じるつもりだったのか?!野郎、筋肉バカっぽい見た目をしているのに意外にキレやがるっ!
「でもダメね。基礎がてんでなってないわ」
「そら当然、俺ァ一般人だッ!」
苦し紛れの一撃、結界を纏わせた渾身の右ストレートを奴の鳩尾に食らわせたが、まるで鉄板でも殴ったかのようにびくともしやしねえ。予想以上だ、彼我の距離は、とんでもなく開いていた。
「アキラ君!逃げろッ!此処は僕たちが応戦するッ!」
しかして完全に無駄というわけでもなかったらしく、フルアーマーの兵隊さんが俺とミズチの間に割って入ってきてれた。声からしてキシュアと笑いあっていた彼だ、たすかったかもしれない。
「隊長や総大将見てぇにはいかないが、僕だって長物は得意なんだよッ!いつまでもお前たちの隙にさせるものかッ」
叫ぶと同時にその手には俺の身の丈程の槍が握られていた。
何かのスクロールか自前の魔法で呼び出したのか、素晴らしい魔法があるのだな応用の幅がとんでもなく広い。
「獲った!」
ぐさり、と鋭い白金色の穂先が浅黒い肌を穿つ。流れ出る血は柄を伝って兵隊さんのアーマーを汚した。しかし、俺を含めこの場にいる全員が奴を殺せたとは思っていない。
故に兵隊さんは柄を握る拳により力を込めて、キシュアは捕獲している怪物とミズチが接触しないように陣を組み、蘇芳さんは短距離転移を使って俺の傍まで寄ってきてくれた。
「ふふ。これは予想以上ねえ。姫には悪いけど、これは負け……ねえ」
「姫?お前のとこの首魁はこの毬藻にくるまれてるやつとちゃう言うんですか!?」
「何時か分かること、けれどそれは今ではない。アタシはソレについて語る口を持たない、あぁ、やはりこんな出会いでも別れは辛いものね」
ミズチがそう呟いた。今に始まった話ではないが、本当に何を言っているのかてんで分からない。そもそも会話をしようとしていないのだろう、こっちに意図を伝えようとする気が微塵すら感じ取れない。
「喋る気ィないんやったら、喋りたくなるようにしますし、もしホンマに口をもってへんのでしたらそれを持っている人を紹介してもらいます。つまり、逃がすわけないでしょ、お前を」
蘇芳さんが指を鳴らし、魔法陣を発動させる。
「宿木の霊脈」
初めて、蘇芳さんの口から技の名前を聞いた気がする。大男を拘束するときに使っていた魔法と同じものだ。違うのはスクロールではなく、蘇芳さん自身が発動させたという所。他の魔法は技名など口にしていなかったが、この技だけ特別なのだろうか。
「んまっ、なぁあにこれえ、乙女の柔肌にこんな無骨な蔦……いやこれは根っこかしら?」
柔肌と正反対に位置しているような剛健そうな肌に、太い蔦が張り巡らされていく。大男との対面時にも思ったがこの発動時間の短さ、とんでもないな、体感数秒でもうミズチを拘束しつつある。
「初手は搦め手に限るでしょう、ジワジワとアナタの生命力を奪ってすくすく育ってくれる可愛い苗木です。どのような花が咲くでしょうね」
「蘇芳さんどうする、俺、逃げれるけど」
奴に奪われたスクロールの代わりの紙の準備が整い、逃走経路が出来た訳だがこのまま攻勢にでるという選択肢もある。今勝手に行動していけない、蘇芳さんやキシュアの指示に従った方が堅いぜ。
「賢明だアキラ。俺の傍から離れるな、どんなことがあろうと守ってやる!」
「隊長ぉ~!僕たちも守って下さいよぉ~!」
「勿論だ、代わりにお前たちは俺を守ってくれ!この怪物にも気をやっているのでかなり神経が削れられる!」
バラバラに散ってしまっていた陣形を正しい形に組みなおし、臨戦態勢をとる兵隊さん達。現時点での最高戦力の息が整い、対する相手は蔦で雁字搦め。
「こりゃあ勝ちィ決まったんじゃぁないっスか?」
「油断せんことです。ボクシングチャンプが余裕ぶっこいて、素人相手に顎を打たれてダウン取られるようなことにはしたくない」
「ふふ、さっきも言った様にこの決戦はあなた達の勝ちよ。戦利品は言うまでもないわね」
「戦利品だけじゃあないです、アンタらからちゃあんと素材剥ぎ取って装備品でも作ってやりますわ。碧玉とか鱗はとれるでしょうかねえ」
「いやん、そこまではあげられないわ。そして、宴もたけなわ。今宵はここまでね。蜃と出会ったとでも思ってちょうだいナ」
濃密な白煙がミズチを中心にして立ち込めて、奴の体を覆い隠す。すかさず蘇芳さんは目視で相手を見るのをあきらめて、魔法陣を眼前に展開し、恰も眼鏡のようにして相手が逃げていないか観察している。
「んなっ、まさか!ありえへん!僕の術が同時に、一瞬の時間差もなく!?」
煙が晴れると、この場にいた怪物共の死体諸共消え去っていて、あたかも最初から何もなかったかのように静かな森に俺たちは取り残されていた。




