41:城中の汚泥
部屋に満ちる濃密な魔力。二人は身じろぎ一つとれずに固まっていた。肩に垂れる艶のある黒髪、薄闇に映える青白い肌。上がった口角からのぞく真っ白な犬歯。尋常ではない雰囲気を感じ、二人は取り待ち構える男が蘇芳から伝え聞いた化け物の首魁に相違ないと瞬時に理解した。
数秒、間を開けてギルがその場にいる兵士全員へ撤退を命じる。逃走が許されるとは思っていないが、むざむざ殺されるのを黙ってみているわけにもいかない。自分とブルースで時間を稼ぎ援軍を要請できる可能性にかけハンドシグナルを出した。
「クサントスッ!」
ブルースの叫びにクサントスが嘶いて答える。その場にある瓦礫を飛び越えて男めがけ駆け出す。そしてそれを見たギルは、すかさず強化の魔術をブルースたちにかける。及び腰になっていた自分を恥じ、枷を外すように魔力を増加させる丸薬を噛んだ。
「その命ッ!貰い受けるッ!!!」
「ふはっ!そう来るか!この命、そこまで安くはないぞ」
「下らん戯言を!ブルース、射程から奴を逃さないでくださいッ!俺が何とか仕留めて見せる!」
「己らに払えるかどうか、試してやろうかえ?」
男……以前に八と呼ばれた怪物が指を鳴らす。とたん、彼の足元からどろりとした泥のようななにかが湧き出てくる。粘性をもったそれは徐々に広がっていきクサントスが駆ける足場を奪う。
先ず機動力を奪い、そのうえで自分が得意とする中距離戦へと持ち込む算段だと察したギルは足場の泥を凍らせるべく持っていたスクロールを発動させた。
「ほう、そのような形でこの汚泥を留めるか。よろしい、及第点をやろう」
「何様だ貴様ァァッ!」
横に槍を薙ぐ。凍らせた泥で回避は取れないはずと判断したブルースが馬から降りて槍を折る勢いで斬りかかった。
「得物に槍を選んだのは悪手だったな。せめて薙刀であれば、この一撃でこの腕を斬り落とせたであろうに」
迫りくる槍の柄をがしりと掴む八。握りこぶしに血管が浮き出て柄を破砕した。鉄で出来たそれを握りつぶされて、驚愕を隠せないブルースは八の反撃に対し受け身をとれず直接食らう。
あごに八の裏拳がクリーンヒットし、数メートル吹き飛ぶ。
身の丈180はくだらないであろう巨躯から繰り出される拳を急所に食らったブルースはうめき声をあげて倒れこんだ。
「ブルゥースッ!」
「あたり……まえ……だぁッ!」
常人であれば、脳が揺れてまともに立つことすらままならない状態でブルースは駆ける。元より死ぬ気ではあったが、この終わり様はいただけない。ここで、今死ぬことは誰あろう自分が許さなかった。もつれる足を必死に動かし懐刀で男の喉笛を突き刺した。
「かはっ」
「ギル!俺ごとで構わんッ!やれぇ!」
「ッ。了――解!!」
長袖の下に潜ませたスクロールを二枚破り捨てたギル。先ほどの足止めではない必殺の一撃を込めた魔法陣を全力で行使した。とてつもない魔力の奔流、八にも負けず劣らずの魔力量まで無理やり底上げし、自分が打てる最高火力の技をぶつけようと手をかざした。喉元をかき切られて生きている生物はいないが、そんな常識が通用しないことはこの場にいる二人が誰よりも理解しているが故の行動だった。
爆炎がその場に巻き起こり、竜巻のように八とブルースを包み込む。魔力で出来たそれはギルによって操られその場にとどまりドンドンと火力を増していく。
「骨は拾います……!」
真っ赤な炎が煌煌と光る。ギルは自身が出せる最大火力にスクロールの補助を足して限界を超えた火力を実現させていた。数十秒間爆炎が部屋中に広がりすべてを焼いていく。
元々蘇芳が使っていたであろう執務室に残る書類やギルドの影響力を誇示するかのような煌びやかな旗、悉くを焼き尽くし天井すら貫いて部屋と呼べないまでに燃やし尽くされた後、その火力を徐々に弱めていく。
そして、火炎が収まったと同時にふたつの影が現れる。
「何故……!生きているッ!」
「それはお互い様であろうに……」
所々焦げた顔で頭上にある八の顔を睨むブルース。
ギルは間違いなく全力を出した。ブルースに対し躊躇したわけでもなく、余力を残したわけでもない。出せる全てを出し、そのうえで奴には敵わなかった。それを理解してしまった彼は戦意を失い膝をついた。
「おや。相棒はもう飽きた様子だ、己はどうだ?まだやるか?」
顔に付いた煤を払い、喉に刀が刺さったままの状態で不気味に笑う八。傷口からはどす黒い血ではない何かが流れ出ていた。
「愚問っ!」
「その意気や好し、どうれ虚ろなりに力を入れてやろうぞ」
「虚ろ……?」
判断を鈍らせる毒のような情報を、わざとらしく強調して言い放つ八。彼の思惑通りギルの脳内に靄のように疑問が覆う。
直情型のブルースは血走った眼で変わらず八の急所を狙う。
【――奴を殺す以外の事を考えるな、俺は、俺の出来る事を十全に果たせ。刃を交わした今ならわかる。油断し慢心している今ならば、届く――。】
両足に力を入れて、予め用意しておいた二本目の短刀を強く握る。
しかし。
「猪突猛進――、呆気ない終わりでしたなァ。少年よ」
爆炎で氷が解けて、汚泥が部屋中を覆っていた。




