第9話 ハーブティーはいかが?
「エレインさん、今日も考えてるんですか?」
エレインが自室で侯爵家の財政を立て直す方法を考えているところに、夫のハイラムがハーブティーを持ってきた。
「少し休んだらどうです?」
使用人は増えたが、ハーブティーは未だにハイラム自身でブレンドして淹れていた。ポットからカップにハーブティーを注ぎ、湯気の立つカップをエレインの目の前のテーブルに置くと、それにつられてエレインがハーブティーに視線を向ける。
「今日は、カモミールにエルダーフラワーと、レモンバーベナを少々。ほんのりとした甘みと爽やかな飲み口ですよ。少しリラックスして欲しくて。うちの事を考えてくれるのは嬉しいですが」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
眉間の皺を緩めて、エレインがハーブティーに口を付ける。青りんごに似た柔らかい風味からレモンのようなさっぱりとした後味に。煮詰まっていた頭と凝り固まった体が解れるようだ。
「うん。今日も美味しいです」
「良かった」
笑顔になったエレインに、ハイラムはほっとした声を出した。
「新しく入った人達も大分馴染んでるみたいですね」
考えるのを一時中断して、エレインはハイラムと雑談を始める。近頃は、ハーブティーを飲みながら二人で話すことが習慣になっていた。
「ええ。頼もしい限りです」
口の悪いノーラだが、敬老精神はありよく働くので先輩メイド達からは可愛がられている。
「そう言えば、ノーラって以前働いていた屋敷で、主人を殴ってクビになったそうです」
エレインがふとノーラが話てくれたことを思い出して、可笑しそうに目を細める。
「えっ?」
「何でも、主人が嫌がる同僚にしつこく迫ったのを庇ったそうです。それで当然紹介状も無いまま放り出された、と」
「何というか、まぁ、恐れ知らずですね……」
驚いたような呆れたような、ハイラムのその両方が混じったように言葉を吐く。
「ゴードンも調理場で重宝されているみたいです」
「漁師をしていただけあって、魚を捌くのもお手の物ですからね。筋が良いとシェフが褒めていました」
寡黙なゴードンは元漁師で、足の怪我が元で漁に出られなくなったので働き口を探していたのだ。今もよく見れば僅かに左足を引き摺っている。死神の格好をしたハイラムを前に何も言えなかったのは、どう反応して良いのか分からなかっただけらしい。
「ああ、それにオットーもよく働いてくれます」
「はい。お陰で雑草だらけだったお庭にも菜園が作れるくらいに綺麗になりましたもの」
元々田舎で農作業をしていたオットーは出稼ぎの為に都会に出て来た。農家だけあって、雑草や土のことには詳しく瞬く間に雑草を刈り、庭の一部を家庭菜園にするべく畝を作って、植物を植えていた。
「庭でハーブや野菜が育てられれば経費削減になりますからね、そうでしょう?エレインさん」
「はい」
ハイラムのおどけたように言うので、エレインも笑って頷く。だが、二人だけの和やかな時間は突如破られた。乱暴に扉を叩き、誰かが入って来た。
「よう。遊びに来たぜ」
いつもの気軽な様子でアーロンが二人に声を掛ける。しかし、彼の左頬にはくっきり誰かに叩かれた跡が残されていた。
「その頬どうしたんですか、アーロンさん?」
「どうせ、何処かの歌手か女優にでも手を出したのでしょう」
心配するエレインとは対照的に冷めた様子のハイラムはアーロンを一瞥し、ハーブティーを飲む。
「違うって。そこで新しいメイドにデートでもどうって声を掛けたらビンタされたんだよ」
「何やってるんですか、貴方は。うちの使用人に手を出そうなんて」
「そっちかよ。メイドの教育は良いのか」
アーロンはハイラムの隣に座り、じっと彼を睨んだ。
「ええ。うちの使用人に無礼を働くような者にはビンタの一つやったって構いませんよ」
「客人だぞ、俺は」
「招いてもいないのに、勝手に入って来るのは客人じゃありませんよ」
「前々から思ってたけどお前、俺に冷たくないか」
「ふふっ……お二人とも相変わらずですね。カップを用意しますから、アーロンさんもハーブティーをどうぞ」
エレインが二人のやり取りを見て笑ったあと、ベルを鳴らしメイドを呼んだ。ハイラムが何と言おうと、従弟のアーロンとの会話を内心は楽しんでいるのは間違いない。
「貴方の所為で妻に笑われたではありませんか」
「俺の所為かよ」
アーロンがこれ見よがしにため息を吐く。
「で、今日誰から逃げて来たんですか?」
「俺がいつも逃げてるみたいに言うなよな。様子を見に来てやってんだよ」
「ご覧の通り順調ですから、心配要りません」
「庭に家庭菜園始めたのが?」
皮肉気にアーロンは片眉を上げて、横目にハイラムを見る。
「良いではありませんか。エレインさんとも出費が抑えられて良いと話していたところです。それに植物は私も好きです」
「植物はお前を怖がらないもんな。あ、そうだ、この前のお化け屋敷面接、結構あちこちで話題になってたぞ。逃げた連中が広めたんだろうな。俺も色々聞かれたから、精々おどろおどろしく答えておいたぜ」
「どうして貴方はそう、余計なことを……」
愉快そうに話すアーロンを仮面の下でハイラムは眉を顰める。
「大体、人の屋敷をお化け屋敷とは何ですか。ただちょっと古くて手入れが行き届いていないだけです。不気味な出し物と一緒にしないで下さい」
「そうか? 聞いてた連中結構面白がってたぞ」
「それは貴方の周りがおかしいだけです」
「アーロンさん、どうぞ」
「おう。ありがとう」
エレインが新しいカップにハーブティーを注ぐと、ぐいっと彼はハーブティーを飲み干してカップを置いた。
「まったく、こんな人にはハーブティーは勿体ないですよ。エレインさん」
「まあまあ」
不機嫌そうなハイラムにエレインが苦笑する。
「そうだぜ。これでも結構楽しみにしてるんだぞ、お前んとこのハーブティー」
「どうでしょうかね……」
「でも確かに美味しいですよね、ハーブティー」
エレインがカップに目を落とすと、はちみつ色にほんのり色付くお茶に自らの顔が映る。
そう、勿体のよね。質の良いハーブが取れるし。侯爵の知識とブレンドの技量は他の追随を許さないと思うし。
再びエレインはリード侯爵家の財政について考え始めた。
「死神侯爵の淹れたお茶とは思えないよな」
「どういう意味ですか、それは」
茶化すアーロンに怒るハイラムのやり取りを聞きながら、そうなのよ、と心の中でエレインは相槌を打つ。
これが、もし他の領地で取れた物なら誰でも喜んで買い付けると思うのよ。呪われた侯爵の地だから避けられるだけで。何とか隠して売れる方法を考えるべき? でもそれじゃ結局足元を見られるだけだわ。
エレインの脳裏に父の手紙の文言が浮かぶ。
”そもそも既に呪いの仮面を被らされている時点で、貴族としては規格外なので、他の貴族と同じような領地の運営では上手くいかないだろう。何をやってもとやかく言われるのだし、それを逆手に取って大胆な方法を取った方が良い”
それなら、いっそそれを逆手に取る? さっきアーロンさんも言ってたじゃない。結構話題になってるって。それって面白がってる人がそれなりに居るということよね……つまり勝負を掛けるのは今。
「それよ! それしかないわ!」
急に立ち上がったエレインに男二人は驚いたように見上げた。
「おいおい、どうしたんだよ。嫁までおかしくなったのか?」
「ちょっ、私の妻に失礼なこと言わないで下さい」
無礼な事を平気で言う従弟をハイラムが窘めた。だが、急に叫んだエレインを不思議に思っているのはハイラムも同じだった。
「侯爵、売りましょう!ハーブティーを」
「えっ?」
唐突なエレインの言葉にハイラムの声音に戸惑いが滲む。
「もういっその事、侯爵家のお茶として大々的に売り出しましょう。話題になってる今が始め時です!」
「はぁ……」
ハイラムは首を傾げる。そういう仕草をすると不気味な仮面もどことなくユーモラスに見えた。気色ばんだエレインは腰を折ってハイラムに顔を寄せる。
「良いですか、侯爵。今日日暇を持て余した有閑貴族的な若者はまあまあ居るんです。そういうアーロンさんみたいな人は何か珍しい物とか変な物をとか、とにかく刺激的な物を求めてるんです」
「何とも嘆かわしい若者達ですが、それが?」
「新しい物好き、珍しい物好きな人達って一定層居て、良い商品ならそこからじわじわ売れて行くんです」
「なるほど」
「つまり、まずはターゲットを絞って、そういう珍しい物が好きな人々に売り出すんですよ。あえて呪われてみたい、みたいなことを考えている頓珍漢と言うか退廃的な感じなことが好きな、アーロンさんみたいな人達に」
「オイオイ、俺はどういう扱いなんだ」
「金と時間を無駄にする貴族のドラ息子ですね、悲しいことに」
不満気なアーロンを一刀両断するハイラムに、エレインもにっこりする。
「まぁ、アーロンさんと何とかは使いようです、侯爵。どうせなら、思いっきり宣伝してもらいましょう」
「そうですね。いつも避難所代わりにされているんですから、たまには役に立ってもらいましょう」
「はぁ~~、ったく人使いの荒い夫婦だな」
アーロンのわざとらしい盛大なため息にハイラムとエレインは顔を見合わせて、笑った。