第13話 夫婦の危機
”死神侯爵の死んだように眠れるハーブティー”として売り出したハーブティーだが、アーロンの口コミによる宣伝も効果もあったのか、上々の売れ行きだった。ただ、購買層はエレインが予想していたような奇抜な事が好きそうな若者ではなかった。
「……まさか、激務に疲れた官僚の皆さんが買っているだなんて……大丈夫なんですか、この国は?」
嘆かわしい口調で、ハイラムは収支報告書を書斎で見ている。
「そこは私にも何とも。ですが、よく眠れるということで好評なんですよ。大量に買いたいって方も居て、取り扱ってるうちの商会に問い合わせが来てるそうです」
「まあ、世間の皆さんのお役に立てているなら喜ばしいことですが……」
「ただ、今の体制では大量に作るのは難しいんですよね」
エレインが残念そうに呟く。取り合えず売り上げが伸びているのは嬉しいことだったが、この屋敷の限られた人員では作る量も限界がある。
「それなら、領地で作ってもらうのはどうでしょうか?」
「領地で?」
「ええ。もともとハーブも領地で作っているものですし、収穫して乾燥、それから配合して、袋詰めまで一括で出来たら大分楽だと思います」
「なるほど。でも配合には微妙な調整が必要ですし……」
「配合については、私と同じくらいハーブに詳しい父も居ますし、それにハーブを作っている領民の方がうんと私より上手く配合出来ると思いますよ」
ハイラムの提案に、エレインが微笑む。
「それなら安心して、お任せ出来ますね。それに例えば他の味というか、ブレンドも出せるかもしれません。リフレッシュ出来るハーブティーや、消化不良を解消するハーブティー、美容に効くハーブティーとか」
「楽しそうですね、エレインさん」
書類をテーブルに置き、ハイラムが仮面の下で苦笑すると、エレインが羞恥に視線を彷徨わせた。
「先走ってしまってすみません。つい、目に見えて成果があると興奮してしまって……商人の娘の性ですね」
「あ、別に責めている訳ではないんです。生き生きしているな、と思っただけで」
「そうですね……やっぱり商品が売れるのって楽しいといいますか」
実家では商売に関わらせてもらえなかった分、ここでそれを実践出来るのは、エレインにとっては嬉しいことだった。
「自分で考えて、実行して、それが人々の手に渡って、誰かが喜んでくれるって思えば凄いことなんだなって、今更ながら思うんです」
だからこそ、もっと色々打ち出したい。アイデアを形にしたい、とエレインは渇望しているのだった。
「ハーブティーだけじゃなくて、エッセンシャルオイルとか香水の類いとか、ハーブを使った石鹸やバターなんかも良いかも。いえ、いっその事自分に合ったハーブをブレンドしてくれるお店を出すとか……立地を考えなくてはいけないけど」
ぶつぶつと呟きながら部屋を歩き回るエレインに、ハイラムはため息を吐きながら膝に乗ってきた黒猫のアローネを撫でた。
「一生懸命になって下さるのは嬉しいですが……ちょっと寂しいですね。ねえ、お前もそう思いませんか?」
覗き込んだ猫の目は透き通るように青く、ハイラムの仮面をじっと見つめている。何も言わないが構わずハイラムは話し掛けた。
「商売が面白いんでしょうね……でも、私のこともちょっとは構って欲しいんです。ついこの前まで、ハーブティーであんなに一緒に頑張ったのに。酷くないですか。もう用なしなんて」
アローネは青い目を半眼にて、まるで呆れたように欠伸をした。ハイラムの話に興味がないようだ。
「何か対策が必要ですね……二人で出来る何か……」
猫の頬をこねながらハイラムが考えていると、はっと顔を上げた。
「そう言えば、今日は新月でしたね。星がよく見えそうです」
ハイラムは魔術を勉強するにあたって、天文学や占星術も収めていた。
「二人で星を見るのはどうでしょう? ロマンチックでしょう。思えば私はこんな見た目なので、二人で外に出ることもありませんし」
そうしましょう、とハイラムは立ち上がり、猫のアローネを抱いて部屋を出た。エレインは自分の考えに没頭して気が付いていない。
「エレインさんには内緒のサプライズです」
意気揚々とハイラムは廊下を歩いて、今夜の準備の為に執事を探す。
そして夜、夕食を取った後にハイラムがエレインを誘う。
「エレインさん、少しお時間よろしいですか?」
「はい? なんでしょう?」
エレインが不思議そうに目を瞬かせた。ハイラムはエレインの手を握り、食堂から連れ出す。
「え? あの……」
戸惑いながらエレインがついて行く。ハイラムから手を握られたことも、やや強引に手を惹かれることも初めてだった。じんわりと手から伝わる暖かさにどきどきする。ハイラムに連れられ、エレインは玄関まで来た。
扉の前では執事が待っており、二人にケープを掛けてくれた。
「えっと、外に出るんですか? こんな夜中に……」
訳も分からず、エレインはハイラムと玄関を出た。外はもう真っ暗で、月の無い夜ということもあり視界には暗闇が広がるばかり。
「エレインさん、あちらを」
ハイラムが手で示す方向には庭がある。雑草が生え放題だった庭は、庭師のオットーとハイラムの努力により往年の姿を取り戻しつつあった。花壇と菜園は整えられ、石畳も姿を見せている。その石畳に等間隔に蝋燭が灯っている。エレインが視線でそれを追うと、その先には白い丸テーブルと椅子が2脚置いてあった。ロマンチックな光景だが、エレインはまだハイラムの意図が分からなず、頭の中に疑問符がいっぱい浮かんでいる。
ハイラムに誘われて石畳を歩くと、まるで死へと連れていかれるような気分になる。ハイラムは死神ではないと分かっているが、蝋燭の並んだ石畳を奇妙に口と顔が歪んだ仮面を付けた彼に先導されると、そんな不安がふとエレインに過ぎった。
「あ、あの、侯爵……」
エレインが戦々恐々でハイラムに尋ねる。
「実は今日、流星群が見える日なんですよ」
「流星群?」
「はい。ここで二人で眺めませんか?」
ハイラムが椅子の背を引いて、エレインに座るよう促す。エレインはやや緊張しながら席についた。対面の席にハイラムが座る。
「すみません、エレインさん。どうしても一緒に見たくて強引に連れて来てしまいました」
「私流星群なんて初めて見ます」
庭で流星群を見るなんて、すごくロマンチックだわ。
夜空を見上げれば、今日は月もなく、空気も澄んで星の煌めきがよく見えた。夏の終わりなので、多少冷えるがケープを纏っていれば平気なくらいだ。
「でもどうして、その、誘って下さったんですか?」
内心どきどきしながら、エレインがハイラムに尋ねる。
「えーと、そうですね……その、夫婦としてデートらしいこともしてみたいな、と……」
仮面の下でごにょごにょとハイラムが呟いた。照れているのだろうか。
「デ、デートですか……」
エレインも何だか気恥ずかしくて、視線が彷徨った末再び夜空を見上げた。しばらく無言で二人はただ星を眺める時間が続いた。
「あ、流れ星!」
空に通った一筋の光を見つけエレインが思わず叫んだ。それを皮切りに次々に光線が星空を横切って行く。
「すごい! こんなに流れ星が……」
興奮してエレインが席を立った。
「今回は百年に一度の大流星群の日なのです。」
「そんな貴重な夜だったんですね……」
感動で瞳を潤ませて、エレインが微笑む。
「最近エレインさんは根を詰めていらっしゃるようでしたから、少しでも気晴らしになれば、と」
「侯爵ありがとうございます……そう言えば、流れ星に願掛けすると叶うんでしたよね?」
「ええ。そうです」
それなら、何か願ってみようかしら?
エレインは空をみあげたまま手を組んだ。勿論、本気で流れ星が叶えてくれるとは思っていないが。物は試し、である。心の中で願い事を言ってみる。
「何を願ったんですか? エレインさん」
妻の様子を見守っていたハイラムが仮面の下で微笑む。
「この商売が上手くいきますようにって」
「……エレインさんは商売の事ばかり考えているのですね。今、この瞬間さえも」
ハイラムの言葉に少々険が混じった。声のトーンの微妙な違いにエレインがえっと彼の方を見る。
「えっと……」
「体が冷えてしまいますね。そろそろ戻りましょう」
言葉を遮るように立ち上がり、ハイラムは足早に歩いて行ってしまう。
「こ、侯爵……?」
一人残されたエレインは困惑の表情を浮かべて立ち尽くした。ただ、流星だけが虚しく夜空を彩る。
私、何か不味いこと言っちゃったかしら……?