第12話 二人のハーブティー
ハーブティーの紙袋のパッケージには小さな黒猫がちょこんと座っている絵を採用することにした。他にも猫の顔のドアップや、寝転んでいるところの絵などの候補があったが、最終的にはシンプルな方が良いのではないか、という結論に至った。
「うん。可愛いですね」
出来上がった紙袋を見てエレインが微笑む。その膝元には黒猫のアローネが乗っている。
「問題は内容ですね。外袋が出来ても、何も入ってなければ意味がありあません」
エレインの部屋でハーブティーを飲みながら、ハイラムが懸念を述べた。それを受けてエレインが愛猫を撫でながら答える。
「やっぱり、飲んでリラックス出来る物が良いと思うんですよね。死神にあやかって、よく眠れるって感じの」
「まあ、睡眠薬で無理矢理眠るよりは健康的かもしれませんが……」
死神にあやかる、という部分がハイラムには引っ掛かる。ただ、エレインは彼を取り巻く数々の噂が逆に有利に働くと思っているようだ。
「以前にも言いましたが、ハーブには昂った気持ちや神経を穏やかにしたり、落ち着けたりする作用があるだけです」
「ええ。分かってます。ですが、商売の観点から言えば、パッケージや宣伝文句が作るイメージって結構大事なんです。勿論、それに見合った質の物を出せなければ意味がありません。作るからには良い物を作りたいんです」
「……配合を考えてみましょう」
エレインの揺らがぬ決意を汲み取って、ハイラムが立ち上がる。
「他に何か気にするところはありますか?」
「そうですね……出来れば飲み口の柔らかい物にして頂ければ、と。良薬は口に苦し、も良いですけど、日常的に飲んでもらうなら、美味しいに越したことはありませんから」
「分かりました。少々時間を下さい」
もうここまで来たら、ハイラムとて後には引けない。
やるからには成功させないと、侯爵家の財政は上向かないのだから。
「私もお手伝いします」
「……おそらく、沢山ハーブティーを飲んでもらうことになりますよ」
ハイラムが黒く落ち窪んだ仮面の目の下で笑う。実際に仮面が笑うことはないが、エレインにはほのかに笑っているように見えた。
こうして二人で肝心の売り出すハーブティーを決めるべく動き出す。まずは何のハーブを使うか、だ。子猫をメイドのノーラに預け、ハイラムとエレインはハーブの置いてある食物貯蔵庫に入った。ハーブを目の前にして、あれこれと二人で話し出す。
「リラックス系ならカモミールやペパーミントがよく使われますが……」
そう言ってハイラムはそれぞれのハーブが入ったガラス瓶を手に取った。
「カモミールは比較的に飲み易いですが、ペパーミントは量を間違えると清涼感が強くなり過ぎてしまうし、リラックスというよりはリフレッシュで使うイメージですね」
「うーん。では、とりあえずカモミールを基軸に考えてみますか? その二つに合うように他のハーブも配合してみては?」
「そうですね。飲み易いハーブを更に加えるならエルダーフラワーやリンデン、ネトルなんかと合わせると良いかもしれません」
「寝る前に飲むなら、甘みよりはさらっとした飲み口にしたいですね」
「それならレモンバームもありですね。その名の通り、ほんのり柑橘系の香りがしますから」
二人であれやこれや話しをしながら、ハーブの入ったガラス瓶の蓋を開け、調合し、カップに注ぎ、味と香りを確かめる。リコリス、セージ、エキナセア、フェンネル、ダンディライオンルート、ジュニパーベリー……様々なハーブを混ぜて飲んで、を繰り返した。
「うーん。カレンデュラは苦みが目立ってしまいますね」
「ローズヒップも酸味が強過ぎる気がします……」
様々な配合のハーブティーを飲みながら、ハイラムとエレインは意見を出し合う。ハイラムは紙にハーブの名を加えては消し、配合を詰めていく。
「パッションフラワーなら甘みと苦みのバランスも良いですし、鎮静効果も期待出来ますから、加えても良いと思いますね」
「リンデンも不眠に効くみたいですし、こちらもありですね」
書斎にある本草書の類いを読みながら、二人は議論と実践を重ね、ついにこれは、という配合に辿り着く。調合を始めてから、一ヶ月程経っていた。
「カモミールをベースにリンデンとパッションフラワーを加えて、レモングラスでさっぱりとまとめましょう」
ハイラムはそう言って、調合したハーブで淹れたお茶をカップに注ぐ。エレインがゆっくりとそのカップを持って、口元へ近付ける。ほんのりと優しい香りに、口を付けるとふわりとマスカットに似た甘い風味が口内に広がる。そして、最後は微かなレモンの味で爽やかに飲み終わる。
「うん。とっても美味しいです。それに何だか、ほっと一息吐けるような、そんな気分になれます」
エレインがハーブティーの入ったカップを眺めながら、満足気に微笑んだ。
「これならきっと、皆さんに喜ばれると思います」
「良かった」
ハイラムが胸に手を当て安堵の息を吐く。幾らハーブに詳しいハイラムでも流石に、これはなかなか骨が折れた。
「すみません、侯爵。私の思い付きに付き合わせてしまって……」
「いいえ。私も楽しかったです」
「お疲れでしょう? 今度は私がハーブティーを淹れて差し上げます」
恐怖に慄く仮面の下の疲れた顔を想像し、エレインが立ち上がる。勿論、ハイラムの素顔を見たことはないが、最近では仮面の下でどんな表情をしているのか分かるようになっていた。エレインは膝に乗っていたアローネをハイラムに渡し、ハイラムが調合したハーブをポットに淹れて、湯を注ぐ。少し待って、エレインはカップにハーブティーを注いで、ハイラムの前に出した。
「侯爵ほど上手くは淹れられませんが、どうぞ」
「ふふ、ありがとうございます」
ハイラムが少し笑って、カップを口許へ持っていく。いつもながら黒く歪んだ口の隙間から器用にハーブティーを飲んだ。
「エレインさんの淹れてくれたハーブティー、美味しいですよ」
「そ、そうですか。嬉しいです」
エレインが顔を赤くして、照れを隠すようにカップに口を付けて誤魔化す。最近、仮面してる侯爵も悪くないな、と思い始めていた。見慣れてしまえば、おどろおどろしい仮面も怖くはない。
何なら、ちょっと格好良いかも。なんて。
ハーブティーを飲みながら、ちらりとハイラムの仮面を盗み見る。
仮面は確かにおっかないが、ハイラムの優しい心根はこのハーブティーのようにそっとエレインの心に染みわたっている。
こんな穏やかな時間がずっと続いたら良い……勿論、この商売が上手くいかないと、そうも言ってられなくなるけど。侯爵家の為にも頑張らなくちゃ!
エレインは気合を入れ直し、カップを置いて立ち上がった。
「エレインさん?」
「ここからですよ、侯爵! 見てて下さい! 絶対上手くいかせますから!」
「は、はぁ……」
ぐっと拳を握り、エレインの瞳がまるで炎が宿ったように燃えているのを見て、ハイラムは少々気圧された。
パッケージと中身が決まれば、話は早い。エレインは早速、兄に連絡を取り、商品化に着手する。とは言え、紙袋にハーブを詰めるのは手作業なので、そこは屋敷の使用人達が総出でする羽目になった。特に無口なゴードンは単調な作業も淡々と真面目にこなしてくれるので、他の使用人達は大いに助かった。
「これで数は揃えられましたけど、本当に売れるんでしょうか?」
「大丈夫ですよ。絶対上手く行きますって」
袋に詰めたハーブティーを、屋敷に取りに来たエレインの兄に渡した際、ハイラムが心配そうに呟いた。それを受けてエレインが自信満々に頷き、隣に立つ夫を見上げる。
「だって、侯爵が太鼓判を押したハーブティーですよ。美味しいですもん。大丈夫です」
にっこりと妻が笑うので、ハイラムもつられて何となく大丈夫かも、と思えてきた。
「それに、アーロンさんもきっと口コミを広めてくれますよ。何たって広報担当なんですから」
「それが一番心配ですよ……」
ハイラムがため息を吐いた。従弟のアーロンは社交的な性格で顔が広いが、適当なところがあり、どこまで言動が信用されているのか、ハイラムには不明瞭であった。
何はともあれ、売れるのを願うしかない。
お読みいただき、ありがとうございます!
いいねやブックマーク、良かったらお願いします。