第11話 やってみよう!
後日、エレインはハイラムに誘われ、エッセンシャルオイルを作ってみることにした。何やら見慣れない器具が並ぶ部屋に通され、まるで錬金術の実験室のような様子に、エレインは少々足を踏み入れるのに躊躇した。ハイラムが振り返る。
「どうしました、エレインさん?」
「いえ、何だか入っても大丈夫なんでしょうか?」
「ええ。勿論、大丈夫ですよ」
「失礼します」
エレインはそっと足を踏み入れた。部屋の真ん中にあるテーブルには、金属の三脚の下に小型のランプ、その三脚の上には透明なガラスの丸いフラスコや細長い透明なガラスの筒やガラスの細い管などが並んでいる。壁沿いに棚が設置され、ビーカーや三角のフラスコ、乳鉢などの実験器具が置いてある棚もあれば、他にも植物が入ったガラス瓶が並ぶ棚もあった。他にも何かの液体や粉末の入ったガラス瓶もあった。
「ここで作るんですよ」
「なるほど……」
エレインは圧倒されながら部屋を見回す。彼女には何をどう使うのかまったく分からない。
「どの香りが良いか、選んでみますか?」
「良いんですか?」
「どうぞ」
ハーブの並ぶ棚の前に立って、エレインは興味津々でガラス瓶を一つ一つ開けて、その香りを確かめる。
「うーん。どれが良いかしら……」
侯爵と同じラベンダーもありよね。良い香りだし、何だか高貴な感じがするし。でも、同じじゃ侯爵が気分を害されるかしら?
あれこれと考えた結果、エレインが選んだものは、アイリスだった。花にも似た上品な香りと石鹸のような清廉な香りが気に入ったのだ。
「それではアイリスで作ってみましょう」
「はい!」
ハイラムの提案にエレインは勢い良く頷く。二人は部屋の真ん中の、実験器具が並ぶテーブルに移動した。
「侯爵はまるで錬金術師みたいですね」
珍しい道具や材料を眺めてエレインが感心する。
「多少の心得は。まあ、それも呪いを解く為の副産物ですが」
「本当に色々試されてるんですね」
エレインの言葉にハイラムは苦笑した。勿論不気味な仮面の下で。エレインには見えなかったが、最近何となく雰囲気でハイラムの仮面の下の表情が分かるようになっていた。
「早速やってみましょう。まずは秤で量を調整します」
天秤の片側に重りを載せ、もう片方にハーブを載せて量は測る。量を正確に測ったら、それをガラスの容器に入れて三脚の上に置く。細い管の付いた蓋をした。
「沸騰した水の蒸気をこの細い管を通して、隣の特殊な丸いフラスコに移します。その際、この細い管は、冷却装置として働き、蒸気は冷やされフラスコには香水の成分が溶けだした水が出来ます。精油はこの水に浮かんだ少々の油分です。その精油部分のみを集めたのがエッセンシャルオイルです」
「何だか複雑そうですね……」
「いえ、火にかけるだけですから、簡単ですよ。ただ、それなりにハーブの量が必要になりますが」
ハイラムが小型のランプに火を着ける。
「そう言えば、こうして抽出を待っていると、父とのことを思い出します」
「お父様のこと、ですか?」
「ええ。昔、父と一緒に錬金術も試しました。ハーブも一緒に調べましたし」
懐かしそうにハイラムが仮面の下で少し笑う。甘い香りが少し漂ってきた。
「そうなんですね。お父様は今は領地に下がっておられるのでしょう? ……やはり寂しいですか?」
気遣うようにエレインがハイラムを見つめる。
「手紙のやり取りはしていますから、そこまでは。それに隠居したのは3年前ですから。そんなに前ではないんですよ」
ハーブの入った水の蒸気が細い管を通って冷やされ、再び液体になり隣のフラスコに貯まっていく。一度蒸気にすることで不純物を取り除いていて、より純度の高いエッセンシャルオイルになる。
「私の話ばかりでしたね。エレインさんはお父上との思い出は何かありますか?」
逆に問われて、エレインはうーんと腕を組んだ。
「そうですね……父はがめつい商人ですけど、教育には熱心でしたね」
この国でもまだ女性の教育に対して積極的な人は多くない。
「知識は身を助けるって、知識はあって困るものではないから、と。まあ、それでも商売の知識というよりは目利きというか、教養の部分ですけど。良いものを見抜くには知識と本物を見ておく経験が必要だ、と常々言っていました。
だから、絵画とか美術品も有名な作家の物を集めたり、食べる物や着る物も高級で高品質な物を惜しげなく与えてくれた。勿論、無駄遣いは許さなかったけど。
「先見の明がおありですね」
「どうでしょう?」
エレインが照れを隠すように肩を竦めてみせた。家族を褒められると少し気恥ずかしい。
「よろしければ、うちの書斎の本も好きに読んで下さい」
「良いんですか?」
「はい。ですが、蔵書の多くは呪いに関する本ですが……」
目を輝かせるエレインに対し、ハイラムは少し申し訳なさそうだ。ハイラムが呪われて以来、その呪いを解こうと古今東西の魔術や呪術に関する本を集めていた。
「どんなものか興味あります。今まで見たことありませんから」
「そんなに面白いものではありませんよ……古い言葉で難解に書かれた物も多いですし。解読するのが大変でした」
「まあ……」
「お陰で、古文書の解読においてはこの国でも5本の指に入るくらいにはなりました。ときどき、学者の方から翻訳を頼まれることがあって、良い小遣い稼ぎになりますよ」
「……お小遣い稼ぎ、ですか、侯爵が……」
ハイラムの隠された特技とそれを小遣い稼ぎに利用していると聞いて、エレインが唖然とする。
「少しでも領地の負担にならないように、と思いまして……」
な、涙ぐましい……! 侯爵自ら働いて稼いでるなんて。前代未聞だ。しかも、仕方なく始めた古代文字解読で、いつの間にかその道の大家になってるとか。何というか、本当に規格外の方だわ。
「あ、そろそろ終わりますよ。油分を掬ってそれを瓶に詰めます。今回はあまり量がないので、ほんの少しですが」
そう言って、ハイラムがランプの火を止めた。
「でも、とっても良い香りです。今日はこれを付けてみますね」
エレインは油分を小さなスプーンで拾い、瓶へそっと注ぐ。ほんのりとエッセンシャルオイルの香りが部屋に広がる。これで完成だ。
「でも、ほんの一掬い。大量に作るには、それなりの量が必要なんですね。それに手間も掛かっていますし……」
小瓶に入ったエッセンシャルオイルを、感銘を受けたように見つめてエレインが呟く。
「ええ。なので、量産するのはなかなか大変だと思います」
「私の考えてることが分かりました?」
「何となく」
おどけたように笑うエレインにハイラムが頷く。
「では、やっぱりまずはハーブティーの方が良いですよね?」
「たくさん作るなら、そうですね」
「そうなるとやっぱり、味と後はパッケージですね」
考え込むようにエレインは腕を組んで、顎に手を当てた。
「パッケージ?」
「そうです。良いものが自然と売れる、というのは理想ですけど、現実はそんなに簡単じゃありません。人々が手に取ってみたい、と思うアピール力がいるんです」
「なるほど」
「ちょっと怖いけど、思わず手に取ってみたくなるもの……うーん」
やっぱり死神? でも、それじゃちょっと不気味過ぎるわ。不吉だけど、怖すぎない。いっそもっとポップで可愛い感じにしてみる? ポップな死神って大分矛盾してる気がするけど……不吉だけど、ポップで可愛い感じ……そう言えば、この前の面接でも不気味な物を色々と並べてたわね。おどろおどろしい人形、鎌を持った死神、古い館、水晶玉、それと……。
ぼんやりとエレインの脳内にその時の映像が広がって、はっと何か思い出す。
「そうだわ! アローネ!」
「アローネがどうしました?」
ハイラムが窓を開けて、籠った空気を入れ替えながら尋ねる。
「黒猫を、アローネを、パッケージにしましょう!」
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