第五話 隠れ里の暮らし
フュリスは森の小屋で暮らす子供たちとの触れ合いから人の温かみを受け、彼らのために尽力しようとします。
※ 文の書き方が少し変わりました。
粗末な小屋での一夜を過ごし、フュリスは日が昇る前から外に出た。
険しい山々に囲まれた盆地なので、日の出は遅い。稜線の上で白み始めた空を見上げて両手を上げて、背筋を伸ばして深呼吸。
「アニタさん、おはようございます。
早いのね」
知り合いの名前で呼ばれて心臓が跳ね、一呼吸置いてから振り向くとメリナが背後に立っていた。
(気付かなかった)
命を直接感知するフュリスの背後を取ることは極めて難しいはずだが、今は森をうっすらと覆う瘴気が彼女の知覚を妨げている。
それを改めて実感して唾を飲み込むと、メリナがおっとりとした微笑みを見せた。
「驚かせてしまったかしら。
普段は私が一番なのだけど、貴女が起きて目が覚めたのよ」
「え、あ! お、起こしてしまって、ごめんなさい」
慌てながら頭を下げたフュリスに、くすくすと面白そうな笑い声が降ってきた。
「貴女のせいじゃないわ。
でも、子供たちが夕べ楽しく過ごせてぐっすり眠ってくれたのは、アニタさんのお陰ね」
顔を上げたフュリスの手が、ガサついた柔らかさに包まれた。
「あんな楽しそうにしている姿は、何年ぶりかしら。
お礼を言うわ」
両手でフュリスの手を包み込んで微笑むメリナ。
「いえ。あの……
私も、人と食事をするのは久しぶりで、とても美味しかったです」
温もりに戸惑いながら答える。
するとメリナはそっと手を離して小屋を、次いでささやかな畑へと視線を巡らせた。
「少し、お仕事をお願いしていいかしら。
私一人と子供たちだけでは、どうしてもできないことがあるの。
アニタさんが手を貸してくれると助かるわ」
「はい! 私にできることなら、何でもします」
「良かった。
それじゃあ、力仕事で悪いけれど」
フュリスの答えに顔を明るくするメリナ。
彼女は少し顔を伏せてから、小屋の軒下に置かれた不恰好な農器具を指差した。
*
ざぐっ
湿った森の土は柔らかいが、少し掘ると砂利が増えて木の鍬では歯が立たない。だけどここにある道具はこれだけ。フュリスは粗末な道具で、半ば土に埋められた水路の木の板に沿って、湿った土を掘り返していた。
(これは子供の力でできる仕事ではないわ。
メリナさんでも大変だと思う。
もしかして最初は、男の人がいたのかしら)
フュリスは手を動かしながら、道具を手渡されたときのメリナの様子を思い出す。
「こんな道具でごめんなさい。
だけど、水漏れしていると困るのよ」
メリナたちでは鉄の道具を作る手立てがなく、金属製の包丁や鉈、ナイフはあるが貴重品だ。
他の道具は全て、固い木材を使った粗末なもの。
だが申し訳なさそうに手渡すメリナの荒れた手と無数の傷を見て、フュリスに断る理由はなかった。
「任せてください。
聖女はこういうことも習いますから」
太鼓判を押して鍬を受け取り、フュリスはただいま水道の補修作業中なのだ。
エーデルリート神学校は聖者と聖女を養成する学び舎だ。そして聖者も聖女も、魔物と戦う兵士たちを支える立場にある。
だから、聖女はその名に反して、生存するための軍事的な知識も学ばされる。
(あまり得意じゃなかったけど、ハンプニー村でやってたことと大差はないわ。
それに私には力がある。
少し道具が不自由なくらい、ちょうどいいハンデよ)
故郷での農作業の経験もあり、フュリスにとって苦になる仕事ではなかった。
しかも始原の力は彼女に無尽蔵の体力と回復力を与えてくれる。彼女の小柄な体格なら数回で手足を痛めるはずの無茶な芸当もできて、逆に農器具を壊さないよう注意しなければならないほどだ。
(理由は聞けそうにないけど、こんな場所に住んでいて楽なはずがないわ。
少しでも役に立てるなら。
あの子たちのためになるなら)
昨夜の楽しい夕食が思い出され、メリナが用意した食事と子供たちの笑顔から受け取った温かさに報いたいという気持ちが強まる。
バーソロミューから瘴気核を片付ける使命を引き継いでから2年以上を一人と一匹で過ごしてきて、孤独には慣れたと思っていた。
だが、再び触れた人との関わりは振り払う事ができないほどに、心の奥深くまで染み入っていたのだ。
だが、フュリスには使命がある。世界を守るための使命だ。いずれはここを去らねばならない。
(私には力がある。
だから、なんでも良いから、あの子たちのためになることを、一つでも多く)
フュリスは子供たちの笑顔を思い浮かべながら、一心に鍬を振って土を掘り続けた。
*
ふみゃあ〜
「ねこさん、おてていたいの?」
ルークが干し草のベッドの上で退屈のあまりに欠伸をすると、草を縄にするため木片で擦っていた子供が声をかけてきた。
手作業で赤くなった手を向けられたルークは耳をぺしゃりと伏せてそっぽをむいて、干し草の中に顔を沈める。
(相手にして遊び相手にされてはかなわん)
連れて来られたときの子供たちの反応を思い出して身震いし、右の前足をぺろりと舐めた。
舐めた足は骨を折る大怪我をしていたが、痛みは昨日に比べて治まっている。
フュリスが昨夜と今朝に、怪我の様子を診るふりをして回復させてくれたのだ。
(力を隠す程度は思いついたようだが、瘴気核を探すのもままならんだろうに。
どうするつもりなのやら)
骨折程度やろうと思えば一瞬で治せるはずだが、フュリスはそうしなかった。
一度で直せば不審に思われるからと、魔術がかかった自分の手を目隠しに使い、少しずつ癒すようにしたのだ。
その力が本来の彼女より遥かに弱いことから、ルークにはこの家の住人たちとの縁を得て始原の力が著しく制限されていることも理解できていた。
(この有様ではどうにもできぬ。
一人でどれほどできるやら、お手並み拝見といこう)
ルークは痛みとむず痒さが気になり毛繕い。
直後に髭がピリピリするような異様な気配が感じられ、反射的に耳が立った。
「ねこさん?」
耳に従って頭を向けると気配は消え、唐突な動きに幼児が声をかけてくる。だがルークはその声に構うことなく、消えた気配を探るようにじっと入り口の向こうを見続けた。
扉が開いた。
「アニタさんのお陰で、水漏れが止まって良かったわ」
「暗くなる前に、お風呂に水を汲んでおきます」
「本当? 助かるわ。お湯に浸かれるのは何ヶ月ぶりかしら」
入ってきたのはメリナという人間の女。その後を変化したフュリスがついてくる。
(今の気配は……いや、気配の消え方は、此奴もしや)
「ねこさん?」
メリナを見据えるルークの視線は、割り込んできた幼な子に遮られた。
*
ルークが一番小さな女の子に頭を撫でられ、恨みがましく細めた左右異色の眼でフュリスを睨む。
それはほんの一瞬で、すぐに顔を逸らしたルークは撫でる手を尻尾で叩いて不満を示しつつ、干し草のベッドに頭を埋めた。
「ポーラ、あまり構いすぎると怪我が痛くなるから、かわいそうよ」
「え? ねこさん、痛かった?」
メリナに注意されたポーラが首を傾げる。
もちろんルークは答えない。代わりに尻尾でぽすんと干し草を叩いた。
「ごめんね」
ポーラがしょんぼりと謝りながら、恐る恐る猫の頭に手を伸ばしてそおっと撫でる。
ばさっ
さっきよりも強い尾の音。
ポーラは手を引っ込め口を曲げてメリナを見上げ、それからまんまるで明るい茶色の目から堪えきれないように涙が溢れた。
「ね、ねこさん、おこっちゃった?」
そしてぽろぽろと涙を流しながら、声を抑えて訴える。
そんな幼い少女を、メリナは膝をついて優しく抱き寄せて耳元で囁く。
「ポーラは頭を撫でてもらうのが大好きだものね。
でも、猫さんは人に構われるのが好きじゃないのよ。
怪我をしているなら尚更だわ。
だから、今はそっとしておいてあげましょうね」
「うん。
ごめんなさい」
謝りながらも名残惜しそうにルークを窺うポーラの頭を、メリナがそっと撫でた。愛おしそうに抱き抱えたまま数回撫でてから、そっと離れる。
「きっとこの子も許してくれるわ。
だってこの子、こんな森の中で生きてきたのにとても賢いもの。
だけど、謝ったのに嫌がることしたら、もう許してくれないかもね」
「やだっ!」
メリナの冗談めかした一言に、ポーラすかさず反応した。
「それじゃあ、猫さんはそっとしておくこと。
約束よ、ポーラ」
「はいっ、せんせー!」
「わかってくれて嬉しいわ。
それじゃあ、ご飯の用意を手伝ってくれる?」
「うん!」
明るい声で返事をするポーラ。
そんな幼い子を連れて、メリナは外へと向かった。
そして扉を開けてから振り向き、フュリスに声をかけてくる。
「アニタさんも、手伝ってもらえるかしら?」
「はい。大丈夫です」
フュリスはルークの怪我も気になったが、先程の様子から問題はないと判断した。そして返事をするとチラリとルークを睨みつけ、それからメリナたちを追って小屋を出た。
*
子供たちとメリナの手伝いをして料理を終えると、辺りは暗くなっていた。
慣れない竈門で戸惑いはしたが、賑やかに料理をこなす子供たちとの手伝いは全く苦ではなく、楽しいとさえ感じる。
子供の頃からアザを理由に周りから避けられ神学校では孤立していたフュリスにとって、それはかけがえのない時間に思えた。
夕食はやはり質素なものだったが、昨夜よりもずっとずっと美味しかった。
もし面白いと感じたり続きが楽しみと思ったりしていただけましたら、お手数でも評価などいただければ幸いです。
たぶん、知命を超えたおじいさんが2分くらい小躍りして喜びます。




