第三話 探し物がありません
フュリスは何者かが瘴気核を隠していることを察し、手段を変えて試みます。
そんな彼女を見つけたのは、子どもを連れた女性。
女性はフュリスの力を見て、考えを改めます。
陰鬱な森は初夏の日差しを受けてなお肌寒く、フュリスは細く白い線となって差し込む陽光を見上げた。
「やっぱり、隠されているみたい」
森の中の数カ所で探ったが、人間らしい命の形は感じられない。しかも改めて注意してみれば、森全体にうっすらと瘴気が漂っていて靄のようにフュリスの感知を鈍らせている。
普通なら瘴気には濃淡の違いがあるはずだが、それが全く感じられない。
「この森全体に魔導の隠蔽がかけられている。
そう考えるのが妥当だわ。
一体誰が? ううん、何者がやっているのかしら」
魔導の使い手は獣のように本能で生きる魔獣が大半だが、人間から変じたり知性を持って生まれる魔族、人間であっても魔導に手を染めた魔女などがある。
フュリスはかつて魔族の四天王と魔王を倒してきたが、この森から感じる魔導の気配は、彼らとは異なるもののように感じられた。
「使い手を見つけて止めさせない限り、瘴気核は見つけられそうにないわね。
まだ先があるんだから、急がなきゃ」
フュリスは、世界に散在する瘴気核の数を思い出して呟いた。
瘴気核は臨界を超えると崩壊し、解放された瘴気は爆発的に広がり黒い砂嵐のようにあらゆるものを巻き込んでいく。
他の核に至ればそれらも急激に高まった瘴気の圧力で崩壊するため、1つの核の崩壊は連鎖的にこの世界を覆い尽くす。
瘴気に呑まれた生き物の運命は2つしかない。瘴気により変質して魔物となるか、死ぬかだ。
フュリスは、バーソロミューからこの大災害を防ぐ使命を自ら引き受けた。
彼女が持つ始原の力は、様々な力を切り払う性質を持つ。
この性質により彼女は瘴気を瘴気ではなくなるまで切り刻んで消し去ることができ、実際にこの半年の間にいくつもの瘴気核を「片付けて」きた。
だが臨界が迫る核の数は多く距離もあって、フュリスが人知を超えた速さで移動できると言っても一つあたりに使える時間はほんの数日だ。
「こういうときは、早く動いた方が良さそうだわ」
だから、フュリスは時間の無駄を省くため、自らの力を解放した。
彼女の命を通して具現した始原の力は深緑の光となって溢れ出し、実体を得て柊の葉の群れと化した。
兎のように跳躍し、猿のように枝を伝い、生命の根源たる始原の力から野生の獣たちの能力を身に宿して梢の先まで達する。
両腕に葉の群れを纏わせると大鷲の如く羽ばたいて、空へと舞い上がった。
「もし空を飛べない人が隠しているなら、上から見つかるはずよ。
自分が気付けないものは隠せないわ」
森を一望できるほどの高みで、フュリスは鷹のように森を探る。
その眼だけでなく視線にも始原の力が伴っていて、枝葉に隠された生き物の気配を透かし見た。
「化け物だわ」
柔らかな深いブロンドの女性は、森の枝葉のその上を見上げて呆然と呟いた。
「メリナせんせー、どうしたの?」
服の裾を引かれて我を取り戻した。
彼女はこの里で一番幼い女児の手を優しく握ると、穏やかな微笑みを向ける。
その微笑みで、目の当たりにした敵への恐れを押し隠す。
「天気が心配だから、お空の機嫌を見ていたのよ。
お日様が照っている間に、畑のお仕事をしましょうね」
「うん。私、今日はサラザンの種を撒くの!」
「ポーラは働き者ね。助かるわ」
「がんばるね!」
「それじゃあ、村でシャルリーのお手伝いをしてちょうだい。
あの子も同じ仕事をするって言ってたわ」
「え……シャル姉様は、すぐ怒るからヤダ」
「昨日のことを聞いたから、ちょっとしたことで叱らないようにって注意しておいたわ。
だから大丈夫よ」
「そうなの? だったら一緒にやる。
せんせー、ありがとう!」
「がんばってね。
でも、怪我はしないように気をつけて」
「はい! 行ってきまーす!」
村へと駆け戻る少女を見送り、メリナは再び青灰色の眼を空へと向けた。
双眸が澱んだ赤に底光りする。
「どんな法力の持ち主でもやり過ごせばいいと思っていたけれど、明らかに私たちを探している。
それに、あの化け物じみた力が相手では、隠しているだけでは足りないわ。
瘴気を宿して、あの女を仕留めないと。
私がどうなろうとも、この里を暴く者は許さない」
枝葉の向こうを舞うフュリスを睨みながら、メリナは憎しみの声を漏らした。
がさっ
気配を感じた兎は逃げようとしたが、もう遅い。
音もなく幹を蹴り、額から白い光の短剣を伸ばしたルークが襲いかかる。
きゅ
短い悲鳴と共に首を断ち切られ、哀れな兎は地面に落ちた。
(さて、飯にするかね)
若いころと違ってルークには獲物で遊ぶ習性はない。
いや、無いわけではないが今までやり尽くし、飽きた。
天性の狩人であるルークにとって兎程度の獲物は狩れて当然であり、それで遊んだところで得られるものも碌にない。
それを理解して身体を動かす手間の無駄だと感じ方が変わったのは、さて、春をいくつ遡った頃だろうか。
(まずは血抜きをせんとな。
あの枝が良さそうだ)
獲物の後ろ足を咥えて跳躍。額に灯した緑の光に呼び覚まされた風が、子猫より多少大きい程度のルークの身体と兎を手頃な枝の上まで運ぶ。
器用に何本かの枝を使って獲物を吊るし、頭が無い首を下にする。
(お次は腹を開けて臓腑を……
いやいや、ワシが食うのにそんな手間をかける必要はなかろうに。
すっかり人間どもの食い方に慣れてしまった)
複雑な気分で一つ下の枝に下り、額に白い光を束ねた。
鉄の短剣よりも鋭い力の刃で兎の腹を切り開き、青い光を灯らせると内臓を水流で流し落とす。
フュリスとの旅で獲物を捌くことに慣れてしまい、腹の中のあれこれが飯に混じることが耐え難かったのだ。
(どれ、こんなものでよかろう)
腹の中を洗い終え、哀れな兎の足を咥えて放り投げた。
すでに食べられる内臓を投げ落としてあった下草の上に、それらの元の持ち主がどさっと落下する。
「あれ? 何か落ちてきたよ」
予想外の声に、ルークはビクリと身を固めた。反射的に隠れようとしたが、不意打ちを喰らったルークより子供たちの方が早かった。
「「「ねこだー!」」」
ふみゃああっ?!
ルークは心底驚いた。
だって彼は猫の貴族で天性の狩人だ。
人間の子供がこんな近くまで来ていることに、気付かないはずがない。
(いかん、逃げねば!)
ずるっと足を滑らせた。
みゃっ?
逆さまになったルークは後ろ足が枝に引っかかりくるんと回り、下にあった枝に頭がごつんとぶつかった。
目の前に火花が散って、辺りが暗くキンキンと音を立てながら遠ざかる。
(なにゆえ人間のガキが……)
意識を失ったルークは下にあった茂みにボスっと落ちた。
「猫、大丈夫?」
「どうだろう。
うわ、痛そうだ」
一番体の大きなブロンドの髪の男の子が、茂みからルークを抱えて姿を現す。
両手で抱えられたルークの右の前足は、落ちた拍子に折れておかしな方に曲がっていた。
「痛そう。
ねえ、かわいそうだよ。
先生なら治してくれるんじゃない?」
3人の中で一番背が高い黒髪の少女が、怪我を見て目を潤ませた。
「そうだけど、これ、本当に猫かな?
毛の色も変だし、頭に何かついてるし」
濃い茶色の小柄な少年は、ルークの額や毛並みを怪しんで観察している。
「猫は猫だよ。怪我をしているのはかわいそう。
助けてあげようよ」
女の子が訴える。
2対1でも、男の子たちは勝てなかった。
そりゃあ、幼馴染の女の子が涙ぐんでいたら勝てる男の子なんていやしない。
「それじゃあ、里に帰ろう。
先生に見せないとね」
ルークを抱えた子が決めると女の子はパッと笑顔になって、それから3人は兎を拾うと、森の奥へと消えていった。
森を囲む山々に太陽が隠れ、陰鬱な空気に肌寒さが増した。
フュリスはその森に刻まれた一条の破壊の痕跡に舞い降りて、荷物を下ろして魔術を唱える。
「妖精の隠れ家」
周囲に白と黒の魔法陣が描かれ消えると、フュリスを中心に透き通った灰色の天蓋が作られてから消えた。
バーソロミューが用意していた、他者からの関心を遠退け安全地帯を作り出す魔術だ。
それでも入り込んできたものがいた場合にフュリスに知らせる働きもある。
「これで良し。
まずはご飯ね」
フュリスは背嚢を開けて食べ物と鍋を取り出し、手頃な石で台を作ると魔術の火を灯してから料理を始める。
干し肉とパンを鍋に落とし、一人呟く。
「瘴気核も子供も見つからないし、ルークも帰ってこないし。
もう、探し物が増えちゃったじゃない」
不満を漏らして背嚢から、追加の干し肉を掴んで鍋に投げ込む。
「早く帰ってこないと、ルークの分まで食べちゃうからね」
フュリスは胃の辺りのムカムカを押し込みながら、フォークで鍋をかき混ぜる。
その手がぴたりと止まった。
「今夜中に帰ってこなかったら、もっとしっかりと探さないとならないわ」
万が一にも魔導の使い手とルークが出会っていたら、そして、相棒の身に何かあったら。
不吉な予想が湧き出してきて、強く頭を振る。
「きっと大丈夫よ。すぐに見つかるわ」
フュリスはスープで柔らかくなったパンにフォークを突き刺し口へと運び、何度か噛みしめてから飲み込んだ。
「美味しくないわ……もう、ルークのせいよ」
小さな声で呟いてから食前の祈りを忘れていたことを思い出したフュリスは、フォークを鍋に戻すと姿勢を整え、両手を組んでから、いつもよりも長く祈りを捧げた。
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たぶん、知命を超えたおじいさんが2分くらい小躍りして喜びます。