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第二話 隠れ身の術

フュリスは森で見かけた子供たちが気にかかり、探し始めます。

 フュリスとルークは太陽がやや高くなり盆地の西側を照らすようになった頃に、山を降りて森に入った。夏の初めではあるが、高地の上に日差しが少なく、森は陰鬱な肌寒さに包まれている。

「あの子たち、どうしてこんな山奥にいたのかしら?

 一番近いのはデリベリック村でしょ。

 それが山3つくらい西のはずだから、人は住んでいないって思っていたのに」

 デリベリック村というのはこの地の西方にあるシルトベルン王国の僻地を開拓している新しい村だ。

 王国から見れば最南端の領地であるガルトルード伯爵領の一番東側にある未開地を切り開くための村で、さらに東は険しい山岳地帯が広がり人は住めないと思われていた。

 だからデリベリック村で暮らしたことがあるフュリスにとって、あの村よりもさらに東の山々の奥地に子供がいるなんて理解し難いことだった。

 みゃ~

「ルークは気にならないのね」

 右肩の上から聞こえた相棒の鳴き声にため息をつく。

 妖精猫(ケット・シー)と言ってもルークはやっぱり猫で、人間の事情なぞどこ吹く風と勝手気ままにしていることが多い。

 デリベリック村でも好き勝手をして周りに迷惑をかけないようにフュリスが苦労していた。

(懐かしいわ。もう、帰れないけれど)

 その思い出がよみがえり、フュリスはそっと相棒の頭を撫でる。

「ねぇ、あの子たちがどこに住んでいるのか、調べてみましょう」

 ふみゃああぁぁ

 心底面倒くさそうにルークが鳴いた。

 顎から首をフュリスの肩にぺたんと乗せて、少女の首元をたしたしっと猫パンチ。

「何が言いたいのよ」

 フュリスは相棒が初めて見せた態度に困惑して、足を止めた。

 首を傾げた少女にルークはさっと反対の肩に移り、うなじに噛みついてから飛び降りる。

「いたっ! ルーク!? 痛いじゃない。何するの?」

 血が出るほど強く噛まれ、フュリスは驚いて声を上げた。うなじの傷は瞬く間に治って消えたが、だからと言って相棒から受けた不意打ちのショックが消えるわけでもない。

「ルーク!」

 怒りを滲ませ声を上げたが、既にルークの姿はどこにもない。

「ルーク、どこに行ったの?

 もう、だったら私1人で調べるから。

 もういいわ!」

 自分の力を使えば探し出せないこともないが、フュリスはルークが逃げて姿を消したことに憤った。素直に謝ればいいのに何のつもりかと、探す気持ちも起きなかった。

「どうせお腹が空いたら戻ってくるんでしょ。

 その時にたっぷり叱ってあげるんだから。好きなだけ隠れてなさい」

 すっかり腹を立てたフュリスは1人、森の奥へと足を進めた。


 ルークは足早に立ち去るフュリスを、木の上に潜み額に紫の光を灯したまま見送った。

 やがて少女の気配が遠ざかると、短剣の形にまとまっていた光は編み物がほつれるように解けて額の宝石に吸い込まれていく。

(誰が戻るものか。

 まったく、瘴気核を片付ける使命も力の制約も忘れて子供の世話など、阿呆にもほどがある。

 しばらく1人で頭を冷やすがいい)

 フュリスが宿す始原の力は途方もなく強力なのだが、ある致命的な弱点を持つ。

 それは、人との関わりだ。

 始原の力は彼女を人間として受け入れている人間の数に反比例して威力を減じてしまう。

 だから、フュリスはルークと共に今の姿となって以来半年、人と関わることを完全に避けて人里離れた場所だけで活動してきた。

(“ばあそろみゅう”とやらに命を与えられた借りがなければ、さっさと見限っておるというのに。

 猫の貴族(ケット・シー)たるこの儂が何故に人の雌の付き添いなどをせねばならんのか。

 しかも、あの男は貸しを押し付けた挙句に『守り手が必要だ』などとほざいて死におった。これでは借りの返しようがないではないか。

 まったくもって腹立たしい)

 ルークは苛立ち紛れにしっぽを振って木の枝をぺちんと叩き、それからフュリスが去った方角から真左を向いた。

(せめて、身を隠すくらいは思いついてくれ。

 儂がついていてやるのだぞ。

 主人にふさわしい知恵を持ち合わせておらねば困る)

 木々の向こうに感じられる強大な力を横目に見やり、ルークは枝を蹴ってその場を去った。


「あー、もう。

 なんであの子たち見つからないのよ」

 フュリスは苛立ちを紛らわすように声を上げた。

 そして一度深呼吸して気持ちを落ち着けるように努め、それから再び、自らの命の底から現れる始原の力に心を向ける。

(この深い森の中で、私の力が生き物を見つけられないはずはないのに)

 フュリスが弱く広く放った力に、周囲の木々の命が呼応する。一つ一つは小さな命だが人よりも獣よりも始原の力に溢れていて、それぞれから生じた幾千幾万という力のさざなみが重なり合いながら広がって、鼠一匹に至るまであらゆる命を浮き彫りにしていく。

「いないわ」

 フュリスは自分を中心として大きな街一つを余裕で覆うほどの範囲を探り、生き物の気配を目耳で捉えたかのように感じ取った。

 多すぎて一つ一つ見分けるには困難なほどだが、心を向ければその生命の姿形から息遣いまでわかる。

 この盆地の森の1/4に当たる範囲の生命を1分も経たないうちに把握した。

 だが、その中に人間はいない。

「これで3回目。残るのは北西の方だけね。

 よりによって最後が当たりだなんて、運が悪いわ。

 それに、瘴気核もこの辺にあるはずなのに、場所がわからないし……?」

 そこでフュリスは、バーソロミューが遺したネームドキャスト仕様の魔術を思い出す。

「もしかして、誰かが隠しているの?」

 その魔術は“隠れ身の術(マスモーフ)”と言って、自分の姿や気配を他者から隠すものだ。

 そこから、フュリスは何者かが瘴気核を魔術、もしくはそれに類する力で隠している可能性に気付いた。

 子どもたちが見つからないのも、そのためかもしれない。

(そうだとしたら、その相手は危険かもしれないわ。

 それに、今の私が子供たちに知られるのも……

 ルークのせいで忘れてただけよ。もう!)

 ついでに自らの力の弱点も思い出し、ルークに責任をなすりつけた。だが、すぐにその判断の誤りが致命的だったと、肝とまとめて頭も冷えた。

 先ほど噛まれた左の首筋に手を当てる。そちら側には、フュリスの容姿の中でも強く印象に残る、連なった柊のアザがある。

「私が馬鹿だったわ。

 もし子供たちにこのまま会ってしまって、“縁”ができてしまったら、子供たちが私を親しく思っている限り、始原の力を削がれてしまうんだから」

 それを回復させようとすれば、手段は2つ。

 子供たちから敵だと見做されるか、子供たちがこの世からいなくなるか。

 ぶんぶんぶん! とフュリスは大きく頭を振る。

 濃茶と銀と黒の髪が激しく揺れた。

「私も、姿を隠さなきゃ」

 フュリスは両手を開いて肩の高さに掲げる。

 黒く禍々しい瘴気と白く輝く清浄な法力が、左手と右手のそれぞれに渦を巻いた。

特定他者変身魔術ポリモルフ・アザー・ワン

 フュリスが心の中で意味を、音声で魔術名を唱えると、潜在意識化まで刻まれた条件反射が呼び出される。

 フュリス瘴気と法力を操作して数秒のうちに、彼女を囲む3枚の複雑な魔法陣を描き上げた。

 白と黒の線で描かれた魔法陣のそれぞれの中心から球が生じて大きくなり、フュリスを覆って一つになる。

 球体の表面には白い光と黒い闇がシャボン玉の模様のように動いて流れ、やがて薄れて消えた。

 球体の中から現れたフュリスは、

姿写しの鏡(タイニー・ミラー)

 魔術で宙に浮かぶ幻の鏡を呼び出した。

 そこに映し出されたのは、街中でならどこにでもいるような、それでいて多少は印象に残る程度に整った容姿の少女。

 濃茶の髪と顔の作りにフュリスの容姿の面影がある。

 しかし細い鼻筋や弱気そうな眉などの違いは大きく、全体的な印象は本来の彼女に程遠い。

 ありきたりな服と外套と丈夫そうなブーツは、旅人だと言えば簡単に通じるだろう。

「これで良し……いたた……」

 頭の芯にずっしりと重く鈍い痛みを感じて、フュリスは眉を寄せた。始原の力が働いて一瞬のうちに痛みを拭い去る。

「これでも本来の変身の魔術よりは簡単だって言うんだから、バーソロミュー様はとんでもないわ」

 ネームドキャストは条件反射によって素早く魔法陣を描く。しかし、フュリスは元々魔術の知識があったわけではなく、バーソロミューという稀代の大魔術師から知識と経験を魔術によって受け継いだだけだ。

 だから、刻み込まれた条件反射によって無理やり働かされる脳には大きな負担がかかる。

 始原の力が回復させてくれるから良いものの、そうでなければすぐに何も考えられないくらいに疲労してしまうだろう。

「でも、簡単に使えるのはありがたいわね。いちいち変身する姿を考えずに済むし。

 次は、隠れ身の術(マスモーフ)

 フュリスが新たな魔法陣を描く。

 彼女の姿が薄れて消えた。姿だけでなく、呼吸や衣擦れの音も、彼女に当たって向きを変えたはずの気流の乱れすらも消えた。

「これで良し。

 それじゃあ、気をつけながら行きましょう」

 誰にも聞き取れない声で呟き、フュリスは北西へ向けて歩き出す。踏まれたはずの落ち葉や土には足跡どころか、なんの変化もなかった。


 険しい山々に囲まれた盆地の森。

 その北西に一段と高くそびえる山に刻まれた深い谷は、途中から山の頂の方と隣の山との境へと二股に分かれていた。

 その分かれ目から頂へと少し進んだところ。深く切り立った崖とせり出した木々の枝のために暗く陰鬱な谷底を、頭から足元まで濃い緑色の外套を纏った人物が歩いている。

 なだらかで細い肩や体を傾けたときに布地越しに現れる身体の線も、外套の裾から見える革のサンダルの作りも、女性のものだ。

 ちょうど川の流れが緩やかになった深い淵の崖には木の根や蔓草に覆われた窪みがひときわ暗く、その暗がりの奥には台形に洞窟の口が開いていた。

 川岸の飛び石を注意深く渡って歩いてきた女性は、透き通っていながらも底の見えぬ淵の、洞窟と反対側の岸辺に立った。

 女性が右足を前に出し細やかな紋様が彫り込まれたサンダルの爪先が、水面に触れる。同時に黒く淀んだ瘴気が渦巻いて踏み出した足を支えた。

 彼女は水上を歩いて淵を渡ると全身に瘴気を纏わせる。そのおぞましい気配に慄くように木の根や蔓草が退いて洞窟への道を開けた。

 奥で地下水が湧いているのだろうか。洞窟からは水が小川となって流れ出ている。

「異常は無いわね」

 女性は柔らかな声で安堵の呟きを漏らすと、洞窟の奥へと向かった。

 洞窟の中には光を放つ苔が生えていて完全な闇ではなかったが、人の目が見える明るさには程遠い。しかし女性は、見えているように足早に歩いて進む。

 曲がりくねった洞窟は奥深く枝分かれしており、女性は流れる水を遡って迷うことなく歩き続け、やがて広い空間へと達した。

 3階建ての建物が丸々入るほど高い球状の空間は壁面に繁茂したヒカリゴケのためにうっすらと明るく、一面に広がる泉の細やかな波は青白く煌めいている。

 そして、泉の中央に浮かぶ禍々しい塊。

 泉の底に半分以上埋もれた、大雑把に言えば卵型をした塊は、表面は爛れた火傷の跡のように凸凹していて、周囲の僅かな光を渦巻く黒い瘴気で飲み込んでいる。

「ここも異常は無いわ。どうやら、心配のし過ぎだったみたいね」

 女性は泉の上を歩いて塊に近付くと、右手を出して瘴気に触れた。

 塊が震え、さらに濃く瘴気を噴き出す。

 その瘴気が女性の手に絡みつくように蠢いて彼女の腕をのぼり、肩から胸元を通って全身へと這っていく。

「はあぁ」

 女性は身体を小さく震わせ、のぼせたような息を吐いた。

 やがて瘴気が彼女の身体に浸み込むように消え、女性は周囲に視線を巡らせる。

「あの子たちが見た女が何者かわからないけど、化け物じみていることだけは間違いがないわ。

 ここも念入りに隠しておいた方がいいわね」

 女性の身体から瘴気が滲みだす。

 それは見る間に洞窟の中へと広がっていって外まで達し、入り口に垂れ下がる木の根や蔓草を複雑に絡み合った蜘蛛の巣のように覆った。

「これ以上は瘴気そのものが目立ってしまうかもしれないわ。

 でも、今までより3倍の隠蔽を重ねたから、どんな法術だって見抜けないはず。

 あとはもう一度瘴気を補充して、早く里に戻って隠蔽をかけないと」

 独り呟き、女性は再度塊に手を伸ばす。

「そして、女が奴らの手先だったら、先に見つけて殺してしまわないと。

 私が、あの子たちを守るのよ。

 主様に託された、あの子たちを」

 息を荒くしながら瘴気を身体に蓄える女性が被った外套の奥で、その双眸が、血のように赤く爛々と輝いていた。

もし面白いと感じたり続きが楽しみと思ったりしていただけましたら、お手数でも評価などいただければ幸いです。

たぶん、知命を超えたおじいさんが2分くらい小躍りして喜びます。

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