74.あれから一か月
ロッカが傷だらけの男、ガーディの治療をしてから一か月が経った。
相変わらず、ロッカはゴミ山の麓を生活の拠点にしてはいたが、その一か月の間、ガーディは約束通り毎日食べ物を持ってきてくれた。
「あ、ガーディさん」
今夜も、ガーディは食事を持ってロッカの元来てくれた。
臭くて汚らしい最底辺の人間が住むこの場所に、穏やかな顔でいつも来てくれるのだ。
ただ、ロッカとしては食べ物よりも何よりも、自分のために誰かが時間を割いてくれるという事がこの上なく嬉しかった。
「いつもより遅くなってしまったな。今日も何も無かったか?」
ガーディはどこまでも優しい。
食事を持ってきてくれるだけではなく、時間を作って必ずロッカと会話をしていく。
知らない街で二年間も独りぼっちだったロッカにとって、ガーディとの穏やかな会話は初めての安らぎであった。
最初は命を助けてもらった時の恩を感じてくれているだけかと思ったが、そうやって会話をしている内に元々がとても心穏やかな人なのだとロッカは気づいた。
「何も無かったか……ですか……。えっと、ですね。」
「何かあったのか!?」
ロッカが曖昧な返事をすると、ガーディは身を乗り出して聞いてきた。
「い、いや。その………何も無かったのが不思議というか……」
「ふむ?」
「いつも、井戸の水を飲みに行くと何人かに絡まれてようやく水をもらっているんですが、今日は何もされずに水をもらえたんです。だから、何も無かったんですけど、何があったんだろうと……」
「ああ、その事か」
ガーディは本当にホッとしたように乗り出した体を戻して座りなおした。
「…もしかして、ガーディさんが?」
「水がほしいなら断りを入れろ、とか言ってくるくだらない連中の事ならシメておいた。これからは安心して過ごすといい」
「えっ……」
ガーディはロッカの元に通うようになってから、彼の身体が痣だらけな事に気づいた。
殴打されていない場所が無いほど体中至る所が紫色に晴れ上がり、痛々しいものだった。
ガーディは原因を突き止めるべく、気づいたその日から一日中ロッカに張り付いて様子を伺った。
井戸に向かうロッカにニヤニヤと粘りつくような笑みを浮かべながら、5人の男が近づいて行く。
ロッカが殴られているのを遠くから見ていたガーディは、水を飲むことさえもままならないこの街の現状に唇を噛んだ。
そして、まずは井戸の周辺に蔓延る害虫を駆除することに決めたのだった。
ある夜、ガーディは新しく流れ着いた浮浪者のように井戸に近づいた。
案の定、何人かの男に囲まれて理不尽な要求をされたが、そのようなチンピラ以下の男たち程度、ガーディにとって赤子に等しい存在である。
返り討ち―――いや、10倍返しくらいで痛めつけてやった。
『もし今度水を飲みに来た誰かを殴りつけてみろ。二度と一人で生きていけない体になると思え』
そう言い残して、ガーディはフッとその場から消えた。
井戸の周りで転がっていた男たちは、恐怖のあまり井戸の周りから姿を消した。
それが昨日の事である。
「あの井戸は誰のものでもない、皆のものだ。これからは遠慮せずに使うといい」
「あ、はい……ありがとうございます」
これからは井戸が気兼ねなく使えるようになったというのに、ロッカはあまり嬉しそうにしなかった。
ガーディはその様子が気になった。
「…何か、不満か?」
「い、いえ!そんなことは…!皆にとってすごく嬉しい事です!でも…」
「でも、なんだッ?」
ガーディの圧が凄い…。
異様な食いつきに後ずさりながら、ロッカはようやく口を開いた。
「ううッ…ち、近い、です!そ、その、大怪我していたガーディさんが、あまり無茶されなければいいな、と…」
「―ッ」
ガーディは言葉を失った。
ロッカ自身は毎日辛く苦しい日々を送っている。
にも拘わらず、この子は他人のケガの事を第一に考えているのだ。
大人でも簡単にできる事ではない。
「………」
「ガーディさん?」
黙り込んでしまったガーディを覗き込むようにして声をかけると、ハッとしてできる限りの柔らかな笑顔を浮かべた。
(む、無理してるな。ガーディさん…)
微妙に気色悪かったが、がんばって気にしないことにした。
「すまなかったな。少し考え事をしてたんだ。ところでロッカ?」
「な、なんでしょう?」
「君は、ときどきゴミの山で探し物をしているようなのだが、失くしたものでもあるのか?」
「そ、それは…」
「言いたくなかったら言わなくてもいい。ただ、困っている事があれば助けになりたいんだ」
「………」
ロッカは少しだけ悩んだ。
ゴミを漁っている卑しい自分を見られていたのだと恥ずかしくなったからだ。
チラッとガーディを見た。
そこには自分への蔑みなど一欠けらもない、真っすぐなガーディの優しい目だけがあった。
それを見たロッカはもっと恥ずかしくなった。
この人も自分を軽蔑する、ガーディをそんな人間かもしれないと一瞬でも思ってしまった自分が物凄く嫌になった。
ガーディの曇りの無い目を見てロッカは決心した。
「捨てられたゴミに呼ばれているような……そんな気がするんです」