72.ガーディ
「うっ…」
うだるような暑さで目を覚ました。
既に、太陽が空で燦然と輝いている。
(暑い…随分と明るいし……今はお昼くらい、かなぁ…)
ロッカは、シパシパする目をようやくこじ開けて、のそりと起き上がった。
「助けてもらったようだ、礼を言う」
「ヌひぃっ!」
普段から独りぼっちのロッカは、起きがけに突然声をかけられて奇声を発してしまった。
ビックリしながら振り向くと、そこには昨日けがの治療をした男が座っていた。
「ぬ、ヌひぃ?」
男はロッカの奇声を聞いて目を丸くしている。
それを見たロッカは顔を赤くして恥ずかしそうにした。
「…驚かせたようだな。だが、君には本当に助けられた。ありがとう。」
ロッカはまだ自分の奇声のことでドギマギしていたが、ようやく普通の言葉を絞り出した。
「い、いえ…!もう、起き上がってもいいんですか?」
「ああ。まだ痛むところはあるが、軽くなら走ることもできそうだ」
男は矢が刺さっていた右肩と右足を擦りながら、少しだけふっと笑ったように見えた。
そして、回復薬の入っていた小瓶を懐から取り出した。
ロッカが寝ている間に拾っていたのだろう。
「この薬はどうやって手に入れたのだ?言っては何だが、このようなところで暮らしている君が持つには随分と効果の高い薬だと思うが…」
ロッカは少しだけ考えて経緯を話した。
「寝ているときに無理やり起こされて、顔を踏みつけにされながら強引に渡された薬です。顔を踏みつけられていたので、どんな人かは分かりません。声は男の人でしたけど…」
聞いていた男の顔が曇った。
「顔を踏みつけにされながら…?どんな状況なんだ、それは?」
「僕にもさっぱり…。死にそうになったら使えと、ただそれだけ言っていなくなったんです」
「……やっぱりよく分からんが、その男に会うことがあったら、薬の礼を言うとして、私の命の恩人である君の顔を踏みつけにした事は許せないからな。2.3発は殴りつけてやるとしよう」
「ひっ…」
さっき、男の顔が曇ったのは状況が呑み込めない事による困惑ではなく、ロッカを踏みつけにしたことによる怒りの表情だった。
今は、怒りと報復の笑みが混じった悪い顔をしている。
それが怖くて思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
「すまない、怖がらせてしまったかな」
男は表情を緩めて優しく声をかけた。
「この薬はとても高価なものだ。そんな薬をどうして見ず知らずの私なんかに使ってくれたのか、教えてくれないか?」
そう聞かれたロッカは悩んだ。
自分でもどうしてそんな行動をしたのか分かっていなかったからだ。
「よく、分からないです。これまでにも自分の目の前で死んでいく人もいましたが、その時は薬を使おうとは思いませんでしたし。ただ………。」
「ただ?」
「この人を死なせちゃいけないって、ただそれだけだった、ような……すみません」
ロッカがそう言うと、男は本当に穏やかな目をして頭を下げた。
「この度は、命を救っていただき、本当に感謝します。この御恩、決して忘れることはありません」
そして、昨日まではなかったはずの布の包みを後ろから取り出して広げて見せた。
「え…」
そこから顔を見せたのは、パンと串焼き、そして深い器に入ったスープだった。
「こんなもので命を救ってくれた恩を返せるとは思ってはいないが、良かったら食べてくれないか?」
久方ぶりに見る、人間らしい食事を前にロッカの思考は止まった。
残飯はまだ良い方で、死んだネズミや蛇、雑草や虫までを口にして生きながらえた。
水ですら体を痛めつけられることでようやく手に入れてきた。
そんなロッカにとって、目の前の食べ物は見たこともない御馳走にしか映らない。
「…た、食べても…?」
男はニッコリと優しく頷いた。
「足りなければ、また持ってくるよ。どうか遠慮しないでほしい」
その言葉を最後に、ロッカは会話を止めた。
無我夢中で目の前の食べ物を口に運んだ。
食べるたびに吐き気が込み上げてくるような物ではない。
生きるために仕方なく口にしなければならない、苦痛を感じるだけの食事。
今は違う。
舌が、脳が、体が、それをただただ喜んでいた。
「……う……うぅ……ふぐぅ……」
少し冷めかけたスープを口にした途端、涙があふれた。
目の前の食事に感謝するばかりだった。
優しくその様子を見つめていた男は、ロッカの食事を邪魔をしないように静かに声をかける。
「「私はガーディ。これから毎日食事を持ってくるよ。追われる身だからいつも一緒に居ることはできないが、約束は必ず守る。」
驚きで顔を上げたロッカに男は言う。
「君の名前を、教えてくれないか?」
ロッカは喉に詰まりそうになったパンをスープで流し込み、涙を拭いてしっかりと答えた。
「僕の名前は、ロッカです」
また、少し時間を頂きます。
牛歩よりも遅い亀歩の更新ですが、今後ともよろしくお願いいたします。