7.ロイと両親
元・宇堂正太郎がロイに転生してから今日でちょうど1年たった。
大きな病気などもなく、自分としては無難な1年でだったと思う。
産まれて間もないうちは発達が十分ではなかったため、
言葉を聞き取ることもままならなかったが、
それができるようになったロイはビックリしていた。
(言葉が分かる!)
記憶が残ったことによる副次作用なのか何なのかよく分からなかったが、
明らかに日本語ではないのに何の違和感もなく両親の会話を理解できた。
会話の内容を理解できても、
喉や口が未発達の状態では「あー」とか「うー」くらいしか
言葉を発することなどできはしなかったのだが、
それは逆に良かったのかもしれない。
もし万が一言葉を発することができていたら、
つまずいたときに「あぶね!」なんて叫んでいたかもしれない。
そんなことになれば気味悪がられて捨てられたかもしれない。
「ああっ!ロイの初めての言葉がパパでもママでもなく、【あぶね!】だなんてッッ!!」
と母親の楽しみを一つ奪う事にもなったことだろう。
ちなみに、まだ俺は言葉を何も喋ってはいない。
とにかく、俺は順調に成長している。
そんな俺は今、懸命に走っていた。
「ロイー!こっちおいで~!」
「あーいっ!」
早いうちからズリバイと這い這いを寝落ちするまで頑張っていたため、
テトテトと走り回れるくらいに運動機能が発達していた。
おぼつかない足取りで走ってくる自分の息子を笑顔で見守る母親は、
まるで聖母のように優しげで美しい。
端から見ればロイもとても楽しそうである。
がしかし、実は内心は穏やかではない。
(な、何回やらせる気だ…ッ!?)
母親のミアに呼ばれて走り寄るのはこれで30回目。
既にヘトヘトなのだが、満身創痍の疲れた体に鞭打って、
一心不乱に母親の元へ走り寄る。
俺がこれだけ頑張るのには理由がある。
(このママさん怖いんだよ!)
そう、俺は母親が恐ろしい。
家族は父ガナイと母のミアだけ。
2人はどうやら貧しい開拓村に移り住んできたらしく、
ほかに家族はいない。
開拓村という事で生活は苦しく、
ガナイとミアも一日一食しか食べられないという日も珍しくはない。
そんな村にあっては娯楽や楽しみがあるわけもなく、
育児に一生懸命なミアに相手してもらえないガナイが他の女に手を出してしまったらしいのだ。
ロイの前世である日本よりも性倫理が厳しくない世界とはいえ、
やはり褒められた行為ではないのは共通している。
浮気をしたガナイに対するミアはそれはもう冷徹な魔女のようであった。
殴る蹴るの暴行…などという生ぬるいものではない。
訥々と語るその口調は時が止まるほどに冷ややかで、
言葉でジワジワと真綿で首を絞めるかのように追い詰めながら、
最後にはズブリズブリと心の臓を抉るのだ。
隣で聞いているだけの立場であっても、
身体に湿疹ができるほどの、げに恐ろしき尋問。
永遠とも思える地獄の時間を体験したガナイは、
小石がぶつかっただけでも息絶えてしまうほどに瀕死の状態になった。
虫の息になったガナイをしばらく見下ろしていたミアは、
くわっ!と物凄い勢いで振り返って俺の顔を見て言う。
―ねえ ロイは裏切らないわよね?
(うおおい!0歳の実の息子に向ける目じゃねえだろう!)
まだ首が座って間もなかったが、鬼のような顔をしたミアの顔を見た俺は
首の骨が折れるのでは?というほどガクンガクンと頷くことしかできなかった。
それからというもの、
ミアのご機嫌取りを全身全霊をかけてやるようになる。
―般若の面はもう見たくない。
その一心で気を失うまでミアの相手をする。
そして、ミアにこんな顔をさせたガナイについては、
当然、節操無しのクソ親父として白い目で見るようになったのだった。
まあ、そんな地獄を経験しつつも夫婦関係はどうにか元に戻り、
今の家族関係は良好だ。
普段は優しくてきれいなミアの事は大好きだし、
ガナイにしても過去の汚点を除けば陽気で逞しい頼れる父親としてやっぱり好きだった。
そんな二人に俺はサプライズを用意している。
1歳記念のプレゼントを子供から親にするのは中々オツなものだろう。
ミアの目を見てニッコリ笑って、こう言うのだ。
「…マ、マ。」
その夜、ロイの家には喜びの声が絶えることがなかった。