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09.美味しい食事

◆ ◆ ◆で視点変更です。→アデル

 髪が長くてよかったと、初めて思った。

 ガウンは黒く、シルクのような手触りの薄手のもので、膝より下まであった。きっとアデルのものなのだろう、袖がかなり余る。それを着ても色々浮いてしまったが、長い髪を下ろして前に流せば、全て隠れる。

 ようやく浴室から出てきた私と目を合わせることなく、入れ違いでアデル浴室に入っていった。なんというか…色々恥ずかしい。

 床に転がったボタンを拾って、ため息を漏らしてしまった。


「ああ、すみません、入りませんでしたか」

「……」

 アデルが浴室に入っている間に、フォルカーさんが簡易ベッドを持って現れた。私が来ているのがガウンだと気付いて、そう声をかけてくる。

 すみません、と謝罪して、ボタンの取れたシャツを返す。裁縫道具があれば、直して返したかった。フォルカーさんは、シャツのボタンの取れた位置で察したようで、ああ、なるほど、と呟く。ほんの少しの間を開けて、私の方に視線を戻した。

「女性用の服を用意した方が良さそうですね。試着が必要そうでしょうか?私はその辺り、疎いもので」

「…」

 試着できるならそうしたい。入らない服もある。そう伝えると、ふむ、と彼は顎に手を当てて、考え込んだ。

「あまり街中を出歩くのも辛いでしょう、足のこともありますから。採寸して、体に合った服を用意してもらうのが楽でしょうね」

 少しの沈黙の後、彼はそう言ってくれた。とてもありがたい、ありがとうございます、と伝えると、彼は苦笑した。

「男所帯で、気が利かずすみません。下着などもまとめて持ってきてもらいましょう。明日手配しますので、少々お待ちください」

 こくり、と頷いて、再びお礼を伝える。彼は魔術で簡易ベッドを部屋の隅に組み立てながら、そういえば、と言葉を続ける。

「明日は私も少々忙しくて時間が取れないのですが、明後日以降は魔術の訓練をします。一度最大出力で魔術を扱ってみましょう。最大値がわかると、コントロールのしやすさが格段に上がります。また、理論についても教えていきますので、2ヶ月で前線に立てるくらいにはなりましょう」

 はい、と頷く。

「風を起こすことができれば、髪を乾かすのも早いですよ」

 彼はそう言って笑った。なるほど、後で試してみよう。


 ◇ ◇ ◇


 去り際、フォルカーさんが魔術理論についての本を貸してくれたので、椅子に座ってそれを読み耽っていた。髪はうまく乾かせなかったので勉強に励んでみようと思ったのだ。


 魔力とは即ち目に見えないエネルギーであり、それを扱うことで魔術というものが使えるとか。

 誰もが持ちうるエネルギーではあるが、扱うため回路のようなものを作らないといけないとか。

 世界を5つの元素でできていると捉え、その組み合わせで術を構成するとか。

 人間、何かしらの「特性」を持って生まれ、どれかの元素に特化しやすいとか。

 呪文というのは魔力を正確に扱うために必要で、大掛かりな術や難しい術を扱うには必要なんだとか。


 ふうん、と思いながら頭に入れていると、浴室の扉が開き、アデルが出てきた。シャツにズボンを着ただけだが、体格もいいし顔もいいので絵になる。

「何読んでんだ」

 彼は私の手元の本を覗き込んで、眉根を寄せた。

「魔術の本か」

 こくりと頷く。ふうん、と低く唸って、彼は向かいに腰を下ろした。

「……」

「……」

 気まずい。さっきのやりとりもあり、余計気まずい。

「…フォルカーが来たか」

 部屋に増えている簡易ベッドを見て、彼は呟く。元々あったベッドの近くに置かれているが、そこしかスペースもなかった。

「腹は減ってるか」

 こくりと頷く。実はずっと腹ぺこだった。

 アデルは「待ってろ」と言って、部屋から出ていく。意外と優しい奴だ。


 再び本に視線を戻していると、数分で彼は帰ってきた。扉をガツガツ叩かれる音と、開けろ、という声で、慌てて出入り口の扉を開けにいく。

 両手にお盆を持って現れた彼は部屋を突っ切り、テーブルの上にそれを置いた。湯気を出しているシチューのような白いスープ、温野菜のサラダ、良い香りの焼きたてのパン。泣きたくなるほど良い匂いだ。

 目を輝かせてそれを凝視していると、先にアデルが座る。向かいに座り、食べて良いかと視線で伺うと、彼は不思議そうに眉を上げた。

「律儀だな。いいから食えよ」

 嬉しくて、いただきます、と、まず良い匂いのパンを手に取る。温かい、周りはカリッとしていて、バターが香る。一口大に千切ると、中はふわふわ、しっとりしていた。口に入れて、あまりの美味しさに悶絶する。ずっとずっと固形の保存食か、ガチガチのパンか、しょっぱい干し肉か、味のあまりしないスープしか食べていなかったのだ。

 次は温野菜に手をつける。ぱっと見はほうれん草のような緑の葉、と白と紫の根菜、ベーコンの組み合わせ。ほうれん草はわさび菜のような、ちょっとピリッとした味で、塩味だけでも美味しい。ベーコンかと思ったが、これは鶏肉だったようだ。燻製肉なのか、木の香りがする。

 シチューは、思い描くものよりサラッとしていてとろみはなく、だが味は濃い。コンソメというより、塩胡椒が強いような。食べたことのない味だ。先程の温野菜の上に乗っていたのと同じ肉が使われているのだろうか、一口大に切られた鶏肉からは燻製の香りもする。ゴロゴロと具沢山で、根菜の中にはじゃがいものようなものも見つけられた。

 美味しい、首輪などなければがっついて食べていただろう。幸せを噛み締めながら、少しずつ口に入れていく。


 私が半分食べるよりも先に、アデルはもう食事を終え、コップの水を飲んでいた。彼はぼうっとした視線を宙に向けて、何か考え事をしているようだ。

「お前、歳は」

 それは判然としないのだ。首を傾げると「だいたいでもわからねえのか」と問われて、だいたいなら、と頷く。話せず返事のしようもないので、結果食事に集中できるのは良い。

「20か?」

 首を振る。多分もうちょっと上。

「19か」

 は?と胡乱な視線を向けると、彼は片眉を少し持ち上げた。

「何だ、上か」

 頷くと、21、22、23、と順々に数字を上げられる。23、というあたりで頷きを返した。髪の長さからして、3年は経っているだろう。もしかしたらもっとか。

「23くらいか?見えねえな」

 西洋人からすると東洋人は年齢不詳に見えるとか幼く見えるとか言う。ふん、と鼻で返して、スプーンでスープを掬う。箸文化だけどスプーンはあるようだ。

「何故それくらいだと思う。根拠はあんのか」

 髪の長さで判断した。そう伝える。

「いつから【蝙蝠】にいる」

 19の時から。

「それは憶えてんのに、出身は覚えてねえのか?」

「……」

 痛いところを突かれた。パンを千切る手が止まる。

「俺に嘘はつくな」

「……」

 困った。何といえば良いのだろう。説明が難しい。それに、今は食事を終わらせたい。食事中だから後にしてくれと言うと、彼は呆れたように鼻を鳴らして、口を閉じた。手持ち無沙汰なのか、ポケットから取り出した煙草に火をつける。茶色い紙で巻かれた、細い煙草だ。私のよく知る煙草の匂いではなく、不思議とハーブのような良い香りがする。

 長い足を組んで、また彼は宙に視線を向けて動かなくなった。


 食事を終えると、彼は下へ食器を下げに行った。寮なら、食堂でもあるのかもしれない。戻ってきた彼の手には、今度は温かいお茶があった。マグカップに注がれたそれは黒っぽく、ぱっと見は薄いコーヒーだ。

 テーブルにそれを置いて、彼はまた私の向かいに腰を下ろす。

「それで。お前、どこの生まれだ」

「……」

 説明が難しい、と伝えると、相手の機嫌が悪くなったのを肌で感じた。だって本当に難しいんだ、嘘はついていない。どう説明したらわかるだろう。

 文字盤を更に指でなぞって、「こことは違うところ」とまず伝えてみると、彼は眉間に皺を寄せた。

「意味がわからん。この国じゃねえってことか」

「…」

 そう言う意味じゃないのだ。「ここの世界じゃない」と伝えると、更に彼は険しい顔になる。

「言ってる意味がわからねえ」

 そう言われても、私も嘘をついている訳ではない。彼は私の目をじっと見下ろして、小さく息を吐いた。本日3本目の煙草の煙が、宙を漂う。

「フォルカーを交えた方が話が早いか。俺には理解できねえ話だ」

「……」

 こくりと頷く。だが、常識から離れた話だとしたら、フォルカーさんにも理解できないことかもしれない。


「まあ、話は置いておいて、最低でも3年は【蝙蝠】にいたってことか。攫われたってところか?」

 おそらくそう。頷く。

「何で攫われた。心当たりは」

 首を振る。本当にそれは分からない。たまたまだったのだろうと思う。例えばあの時——落としたスマホを探しに行った時、誰かに頼んでいたら、その人が代わりに私と同じ状況になっていたかもしれない。

 テーブルに置かれたマグカップを左手で持ち、軽く持ち上げる。同時にふるふると手が震えて、そういえばそうだったと右手に持ち替えた。

「保有量が多いんだろう。それで狙われたってことはねえのか」

 多分それはない。首を振って、温かいお茶を一口飲み込んだ。濃い麦茶のような味がする。苦味が強いが、元々コーヒーは好きなので、美味しく感じられた。

「その左手はどうした。うまく動かねえのか」

 頷いて、開通術を無理矢理使われたのだと伝える。

「…魔術が使えねえのに攫われたってことか?」

 そうだ。頷く。アデルは小さくため息をついて、足を組み直した。

「文字盤だけだと話すのも一苦労だな。お前、文字は書けねえのか」

 どうだろう、と首を傾げると、彼は少し離席して、紙とペンを持ってきた。

「書いてみろ」

 何を書けば。考えて、こんにちは、と書いて見せてみる。一応書けてるんじゃないかと自信満々にアデルを見上げたが、彼は変な顔をしていた。

「何だそれは。何を書いてんだ?」

 ええっ、そんなに下手か。アデルは笑いを堪えるような顔をしている。機嫌が悪そうな顔しか見たことがなかったから、笑えるんだ、と失礼なことを考えてしまった。

「文字は読めてんだろ?文字の形覚えてねえのか?」

「…」

 覚えてない。むっと顰めっ面を作ると、アデルは笑った。

「は、お前面白えな。それでも魔術師か」

 覚えてないんだからしょうがないじゃないか!お前、読める漢字なら一発で書けるのか、おおん?薔薇って書いてみろや!と、めちゃくちゃ言ってやりたいが声が出ないからしょうがない。おそらくどんどん不貞腐れた顔になっていく私を見て、アデルはゲラゲラ笑っている。

「魔術理論の前に文字を覚えろよ。そしたら文字盤で一文字一文字指差しながら話さなくて済むだろうが」

 それは確かにそうだ。でもアデルに笑いながら言われると少々腹立たしい。ふんっと顔を背けると、更に彼は笑った。額を押さえて、顔を俯けてくつくつ笑う彼のシャツを掴んでこちらを向かせ、文字盤で「勉強するから笑うな」と主張する。

「はは、早く覚えろよ。ミミズでも這ってんのかって字だぞ」

 本当にこの男、ムカつく!


 ◆ ◆ ◆


 23くらいの歳だと言うが、本当か、と疑いを向けてしまいそうな程時々あどけない表情をする女は、今は簡易ベッドですやすや寝ている。

 俺に笑われたのが悔しかったのか、直前まで文字を書き写す練習をしていた。煙草を片手にその様子を見ていたが、神妙な顔で文字を書いていく姿が妙に笑えた。子供のようだ。


 記憶が無いままの方が、彼女にとっては良いのでは無いかとふと思う。勿論拾ってきた以上、魔術で結果を出してもらわなければ意味がない。だが、【蝙蝠】について質問を重ねると、無意識だろうが、首を掻くことがある。そこには既に引っ掻き傷があり、悪癖なのだろうと察しがついた。

 声を失ったのも【蝙蝠】によるものだという。それに足の腱を切って逃げられないようにするなど、あまりに非人道的な行いだ。食事の時にガウンの隙間から見えた右腕には、鞭の跡も確認できた。


 自身もベッドに入り、横になる。顔を横に向けると、簡易ベッドで眠る女の後頭部が目に入った。なだらかなカーブを描く体のシルエット。居心地が悪い。禁欲生活も長かったのだ、女と同室など勘弁してほしい。フォルカーはよく気が回る男だが、何故かそういう部分への気遣いができない。というか、おそらく欲がないから理解ができんのだ、あいつは。しかしこれしか手が無かったのも事実だ。

 毛布の中、体を丸めて眠っていた彼女が寝返りを打ち、こちらを向く。その拍子にガウンが少しはだけた。勘弁してくれ。

 思わずすぐにベッドから降り、彼女の毛布を肩まで引っ張り上げる。顕になった柔らかそうな白い大きな胸の谷間と、思わず視線が持っていかれる胸元の黒子に、ぐう、と唸り声が出てしまう。本当に、勘弁してくれ。

 馬の背に乗せた時も思ったが、身長の割にかなり大きい。密着すると柔らかい感触でその大きさが分かる。ローブで体型が隠れる上、杖をつくため前屈みになるせいで誤魔化しが効いていたが、これから先本格的に、絶対に、この基地内でローブ無しで歩かせてはいけない。禁欲生活で気が狂った男どもに捕まり、輪姦されて捨てられる可能性だってありうる。というのに、なんというか、この女はのほほんとした感じで、危機感も感じられない。それが更に腹立たしい。


 大きくため息をついて、彼女とは反対側を向いて横になる。本日何度目か分からない「勘弁してくれ」の独白をして、全てを遮るために目を閉じた。

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