87.天才〈side:ハオラン〉
「……」
胸に僅かな痛みを感じながら目を開ける。
遮るもののない窓から注がれた陽光で目が覚めた。乾いた空気、澄み渡るような空、照りつける強い日差し、全てが気に入らない。
砂漠地帯などという生活し難い場所に、何故こんな都市を作ろうとしたのか皆目見当がつかない。確かに発展している国のようではあるが、外に一歩出ればその日差しに辟易する。
こんな場所で働かなくてはならないのかと思うと憂鬱だった。しかもそれは自身の選択ではなく。
——おはよう。
そう話しかけてきた眼前の女を見下ろし、ため息を漏らす。
鳥丸沙耶。アジア人だからという訳でもなく、ただただ童顔のその日本人の女は、こちらを気遣うように見つめていた。その覇気の無い気の抜けた顔も、そういう視線も不快だ。
「……」
挨拶を返す気にもならない。無言で歩くと、彼女は自分の後ろを小走りに追いかけてくる。
足が不自由だった筈だが、今はそれを感じさせない歩きをしている。あの拠点にいた頃は足を引き摺っていた。
彼女が脚を切られたのは、おそらく僕のせいだ。
召喚後意識を取り戻して直ぐ、逃走を図った。結局それは失敗に終わったが、あの事がなければ支部長も彼女の脚を切らなかっただろう。
「………」
苛々する。
治るような傷でも無いだろうし、彼女が今普通に歩いているのは魔術を使っているからだろう。別にそれでうまく歩けているなら僕が気にする理由はない。
「…ああ、おはようございます」
我々に仕事を言いつけるのが仕事らしい魔術師が、こちらに気付いてそう声をかけた。その言葉に沙耶はにこやかに会釈をする。
「本日から暫くは武具の手入れの手伝いをしていただきたいのですが、宜しいですか?」
隣の小柄な女はこくりと頷いた。彼女の頷きが我々2人の同意と取られているのも気に入らない。
この国に入ってからの2週間、常に行動は沙耶と一緒で、監視され続けていた。監視…しているのだろうが、彼女はあまりこちらに注意を向けていないし、正直な所よく分からない。一体何がしたいのか。
「少々量が多く、人手が必要でしてね。普段は兵士たちで行っているのですが、丁度貴方たちに任せたい仕事も無くなってきた所でしたので。これは良い機会だなと思いまして…」
魔術師はつらつらと喋りながら廊下を歩き出した。魔術師にしては口数が多い。
「1週間程度を目安に対応いただいても宜しいでしょうか?貴方がたおふたりならもっと早く終わってしまうかもしれませんが、ゆっくり対応していただけますと助かります。今の所は新参者に任せられる仕事が少ないもので」
「……」
退屈で仕方がない。こんなくだらない仕事、僕がやる必要なんてあるのか。
こんな鬱陶しい首輪が無ければこんな国出ているのに。
別にもう、沙耶に対する反抗心は無い。
彼女の支部長に対する怒りや憎悪が理解できない訳では無い。だが自分はあの人に恩がある。理解できない相容れない感情を持っていることは理解している——それだけの話だ。
目的地は城壁の外のようだ。広大な敷地内を歩いて移動するだけで、10分も時間を浪費した。沙耶は魔術師と何事か愉快そうに会話しているようだったが、こちらとしてはそれに興味も沸かず、ただ「空を移動すればもっと早く到着できようものを」と考えていた。効率が悪いことは嫌いだった。
魔術師は巨大な茶色い石煉瓦の建物を指で示し、こちらを振り返った。
「第6兵器倉庫です。ここは主に鎧や剣などを格納しています」
隣の沙耶は感嘆するような息を漏らした。これのどこに感動するんだ。
——大きいですね。こんな倉庫が他にもあるんですか。
「全部で10あります。元々は好戦的な国ですからね」
魔術師は小さく笑った。
「反発はありましたが、私個人としては戦は無い方が気が楽です。今後も演習は続けていきますし、戦力保持はしますが」
彼は僕の方に視線を向ける。
「どちらかといえば、研究の方が多くなるでしょうね。貴方にもそういったお仕事を任せることもあると思います」
「………」
無言で反応を返さずにいると、横に立つ女が僕のローブの裾を引っ張った。ちらりと視線を向けると怒った顔がこちらを見ている。
「…分かりました」
ため息混じりに返答すると、魔術師は苦笑した。
◇ ◇ ◇
「流石に多すぎる」
倉庫内に等間隔に並べられた大量の棚、その上の大量の武器、そして鎧。並べ切れないものは木箱の中に無造作に入れられている。1週間もこの作業をしないといけないのか?
——仕事が無いよりは良い。
沙耶はそう言って倉庫の中を歩き始めた。全容の把握から始めようと言うことか。
歩かなくても、魔術で大体把握できるだろうに。無駄ばかりだ。
面倒なので彼女に任せて、入り口近くの壁にもたれて立ち、目を閉じた。そうして目を閉じると脳裏を過るのは、僕を肯定する言葉をかけてくる男と、僕を否定する言葉をかけてくる男。
「……」
じわりと胸に込み上げる不快感。
「お?何だぁ、お前」
それが自分に向けられた言葉だとは思っていなかった。そのままの姿勢でじっとしていると、肩を何かに掴まれた。痛みを感じるほどの強い力だった。
「……何」
咄嗟にその手を振り払う。視線を向けると、背の高い筋肉質な男がそこにいた。その風貌から、どうやら兵士のようだと推測する。
「魔術師が何でここにいるんだ?」
「……」
答える必要性を感じなかった。
「おい、答えろよ」
また肩を掴まれた。何なんだ。苛立ちのまま魔術を使おうとした瞬間、首に一瞬、僅かな痛みが走った。
「……っ!」
こちらに駆けてきた沙耶が、男の手を掴んだ。
——すみません、彼の言葉が足りず。アレシュさんからの指示で、倉庫内の武具の手入れの手伝いに来たのです。
ほんの僅か、沙耶の空気が違うことに気がつく。
意図的にしているのかは知らないが、彼女はこうして空気を変える瞬間があった。周囲をひりつかせるような冷たい空気を纏うのだ。
かつて沙耶の心の中を覗いた時、違和感を感じた。
沙耶は感情の殺し方を知っている。だが、感情を捨てているわけでは無い。必要に応じて一時的に殺すことができる。
心で抵抗しながらも、心を保ちながら人が殺せる女だ。
かつて【蝙蝠】での任務にあたる中で身についたものだろうが、まるで二重人格の人間を見ているようだった。
時折その冷たい空気が僕の方に向けられることもあったが、普段の彼女はそれを感じさせないほど無害そうなところもタチが悪い。純粋に気味が悪かった。
沙耶は、僕よりも魔力量が多い。
扱いが下手で無駄が多く、1回1回の魔術に魔力を使い過ぎているだけだ。
それもあり、彼女がこういう空気を放つと、意識していなくとも警戒はしてしまう。
沙耶が文字を宙に書いたことに一瞬面食らったような表情をしたが、男は取り繕うように口を開いた。
「ああ、…そうだったのか。それならちゃんと言ってくれればよかったのに」
男はそう言って頭の後ろを掻いた。僕の視線に気付いたのか、困ったように笑う。
「悪かったなぁ、嫌な思いさせて」
人の良さそうな笑みだった。こういう人間は好きになれない。笑みの裏で何を考えているかわからない。
…今の首の痛みは、沙耶が僕に軽微な「罰」を与えたのか。一瞬驚いて魔術が使えなかった。首、というのはなかなかに嫌なものだ、人体の急所でもあるから本能的な恐怖で思考が止まる。
「俺も今日からここの武具の手入れをするんだ。こないだちょっと…まあ、色々あって、その罰で。手入れの仕方、知らないだろ?教えるよ」
——ちょうどそれで困っていたんです、助かります。ありがとうございます。
沙耶はそう言ってにこやかに微笑んだ。もう先程のような冷たい空気はない。その笑みに男は気の抜けた顔で笑みを返す。
「じゃあまずは剣と槍の手入れ方法からだ。俺も助かるなぁ、こんな量ひとりで出来るかよ、って思ってたから」
沙耶はその言葉にくつくつと音の無い笑いをこぼした。
「ええっと、名前を聞いても?暫くは仕事仲間だろ?」
——私はサヤ、こちらはハオランです。どうぞよろしくお願いします。
彼女は勝手に僕の名前を紹介して、膝を折って礼を取った。そして僕のローブの裾を引っ張り、目で何かを訴えてくる。
「……どうも」
また罰を与えられたら溜まったものでは無い。沙耶は満足そうな頷きを返し、男の方へ視線を戻した。
「サヤ、ハオランね。俺はフーゴ、今日からよろしく」
男はそう言って笑う。容貌は20代半ば位だろうか、潑剌とした好青年という感じは自分との相性の悪さを感じる。この国に多い浅黒い褐色の肌に黒髪、垂れた黒目。少しだけ間延びしたような話し方が特徴的だった。
手入れ方法自体は然程難しくは無い。
剣の柄を外し、持ち手を分解し、内部と剣身を拭き、棚に戻す。切れ味が落ちていれば纏めて鍛冶屋に持っていく。槍も殆ど同様だ。
沙耶は男の説明を聞きながら、難しい顔で頷いていた。不器用だし、こういうことは苦手そうだが。
用意された布巾を使い、言われた通りに手入れを進める。
「…ん?ああ、武器は決まってないんだよ」
「元々、ゴンドラ軍としての考え方の一つとして、自分の武器に固執するな、ってのがあるんだよねぇ。落ちてる武器でも何でも使って敵を倒せ、ってね。人を斬れば切れ味は落ちるし、実際そうすることは多いよ」
「そうそう。だから皆、同じ武器が扱えるように訓練するんだよ」
聞こえてくるのは男の声だけだ。沙耶が何か質問をしたらしい。無駄なことしかしない。
無視して淡々と作業していると、背後に人の気配を感じた。
「…何」
振り返ると、沙耶は小さく口を開けて、困ったように笑う。声が出ない彼女はまるで無声映画のキャストのようだ。
——なんていうか、やっぱり凄いなと思って。私とは才能が違う。
「………」
『ああ…やはり貴方は天才ですね!習得が速いので私も教えていてとても楽しい。凡人とは才能が違いますね』
支部長の言葉をふと思い出した。
凡人、無才。
『お前は本当に何をやっても駄目だな。兄を見習え』
才能豊かな非凡な兄と比べられ、常にそう言われ続けた自分にとってその言葉は余りに——。
「…当たり前だろう」
沙耶にそう返して、仕事に戻る。
「僕は天才なんだ」
心に澱のように積み重なるその感情は、どう表現して良いものか分からなかった。
◇ ◇ ◇
昼食を受け取りに行くと言って沙耶が不在になると、男は落ち着かない様子でこちらに近付いてきた。何だ、と身構えると、男は僕の方に顔を近付け、小声で話しかける。
「ねぇ、君たちってどういう関係?」
面倒そうな質問が投げかけられた。眉間に皺が寄るのが分かる。
「……どう、とは」
「恋人?」
「違う」
「あ、顔立ちがちょっと似てるよねぇ。もしかして兄妹?家族?」
「…違う」
欧米人からすれば、東洋人の顔は似通って見えるというが。
「じゃあ俺、彼女のこと狙って良い?」
「……は?」
心底どうでも良い質問が投げられた。
「あ、駄目?もしかしてハオランも狙ってる?」
「………」
良い加減にしろ、と魔術を使いたくなるのを堪える。
「…興味が無い」
ため息混じりに返すと、男は表情を明るくした。
「…どこが良いんだ」
心底興味が無いのだが、一体何に惹かれたのかよく分からず、気付けばそう問うていた。
「初めて見た時から良いな〜って思ってたんだけど。小柄で可愛いなぁって。でも俺は気付いた!ローブの上からでも俺の目は誤魔化せない、サヤは胸がでかい…!」
「……」
おそらく僕の視線には軽蔑が混ざったと思うのだが、男はヘラヘラと気の抜けた顔で笑う。
「な、協力してよ」
「……嫌だ」
「サヤのこと気になってんの?」
「全く、一切、砂粒ひとつ分も興味無い」
彼女が僕に何をしたと思っているのだ。
彼女は僕の尊敬する師匠から記憶を奪い。
僕の居場所だった拠点に火を放ち。
僕の首に【従属の首輪】をかけた女だぞ。
更に言えば、彼女の想い人は僕の胸を切り裂き、彼女の師匠は僕に壊せない防護障壁を作って僕を捕らえた。
…あの時、あの瞬間。アデル・グラハム大隊長。瞬間咄嗟に背後に飛んで避けていなかったら、あの刃は確実に僕の心臓に届いていただろう。今でもあの瞬間を夢に見る。
決意の強い鋭い青の眼差し。無駄の無い、美しいとすら思えるほどの太刀筋。こちらに踏み出された一歩の重さ。
…最悪だ。
「じゃあ良いだろ、な?」
首を振って邪推されるくらいなら、適当に頷いていた方がマシだ。
「よし!じゃあよろしく頼む!」
背中を強く叩かれた。痛いし、本当に面倒だし、心底こんな国出て行きたいと改めて思った。




