84.告白と答え
首輪の存在感を常に感じる。然程意識の中に入ってくるわけではないが、気配を探ると「そこにある」ことが伝わってきた。なるほどこんな感覚だったのか、と胸中でぼんやり考えていると、背後から肩を軽く叩かれた。
「大丈夫か」
大丈夫。ぼうっとした姿が心配させてしまったようだ。
荷台から出て、少しの間夜風に当たっていた。
所々に立てられた篝火のお陰で、周囲は程よく明るい。空は晴れ、星空が良く見えた。こうして空を眺めるのはいつぶりだろうか。
ああ、やっと全部終わった。
大きく息を吐き出すと、白い息が風に流れて消えた。
これからは、生きたいように生きる。師匠に言われたように、贖罪の方法も自分で決めたい。
もっと強くなって、大切なものを守れる魔術師になりたい。
「サヤ、体が冷えるぞ。天蓋の中に入れ」
アデルは心配そうに私に声をかけ、私を天蓋の中へと戻した。魔術師なんだから、大丈夫なのに——まだ過保護気味だな、と思ってつい笑みが溢れる。
「何だよ」
私が急に笑ったからか、アデルは怒ったような困ったような、変な顔をした。
天蓋の中は確かに暖かい。そういえば、私はどこで休めば良いのだろう。いつもなら荷馬車の荷台を天蓋代わりにしているが、今回はそれも無さそうだ。
そんなことを考えていると、アデルの手が私の頬に触れた。
「冷えてるじゃねえか」
これくらい、大したことはない。
それより、私はどこで眠ったらいいだろう。フォルカーさんと合流した方が良いだろうか。
「……」
アデルは答えなかった。疲れた顔で一度ため息を溢して、再び椅子に腰掛ける。腕を組んで私を見上げる顔は真剣だった。
「…お前に色々と言っておきたいことがある」
「…?」
何だろう。彼の真面目な表情に、少しばかり怖気付いてしまう。
「3ヶ月前、お前が俺の側を離れた時。意識があった」
「………」
あの時のことは今でも良く覚えている。アデルの命が尽きようとしているのが心底恐ろしくて、必死だった。
そうか、意識はあったのか。あんなに高熱で、辛かっただろうに。
「…その顔だと、最後に自分がしたことは覚えてねえんだな」
そう言われて、思考を巡らせる。
最後に、自分がしたこと。
それに思い至り、さっと血の気がひいた。
もう彼に会えるのが最後だと思ったから。
考えるより先に足が動いた。踵を返し、天蓋の外へ出ようとすると「待て」と腕を掴まれた。
「魔術は使うなよ。もう首輪はねえし、お前を抑えられねえんだから」
アデルに怪我をさせたいわけじゃない。ぐ、と立ち止まると、アデルは大きく息を吐いて背後から私の体を抱き寄せた。
「……?…?」
混乱の方が強くて固まる。抱き締める力はごく弱く、私の体を気遣っていることはわかる。わかるが、それ以外はわからない。アデルは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。
「…俺の態度は、そんなに分かりづらかったか」
「………?」
「俺が、好きでもねえ女と一緒に寝たがる男に見えてたか?」
「……」
いや、そんなことは、無いけども。慌てて首を振る。
「じゃあ、俺が言いたいことは分かるな?」
「………」
「好きだ、ずっと前から。言い逃げしやがって。俺がどんな思いでこれまで過ごしてきたか、後で思い知らせてやる」
アデルは怒っているのか、何なのか。驚きが強くて固まったまま動けないでいると、抱き締めていた腕が離れた。
「お前の答えは、3ヶ月前から変わらねえか?」
向き直ったアデルの表情は、真剣なまま変わらない。おっかなびっくり頷くと、アデルはむすっとした顔になり、息を吐いて目を逸らした。
「ならいい」
「……」
呆然としたまま数秒、アデルの言葉を反芻し、理解して——だんだんこの場にいるのが面映くなるというか恥ずかしくなるというか、なんとも形容しにくい感情に支配された。頬に熱が集まるのが自分でも分かる。嬉しい、はずなのだが。それよりも他の感情の方が強い。
…そして、ここからどうすればいいのだ。それじゃあ恋人としてよろしく、と握手でも交わせばいいのか。遥か昔に読んだ少女漫画の記憶をどうにか漁るが、流石に思い出せなかった。
「骨折なんてしてきやがって、さっさと治せ馬鹿が」
「………」
アデルはそんなことをぶつぶつ言っているし、想像していたような空気にはならない。
「……」
ずっと前って、いつから。
「あ?別にいいだろ、そんなこと」
いや、良くないだろう。知りたい。
「じゃあお前は。いつからだ」
「……」
「お前が言わねえなら俺も言わねえ」
ずるい、卑怯だ。
「取り敢えず」
アデルは無理矢理話を切り替えた。
「今日のところはここで俺と休め。まだ色々聞いておきたいことがあんだよ」
「……」
だけど、それは。人の目があるし。
「あ?気にする必要はねえだろ。俺は気にしねえ。それでもお前が気になるなら魔術でも何でも使って誤魔化せ」
まあ、言われてみればそうか。
天蓋の中には、木箱の上に敷布団と毛布をかけて作られた簡易ベッドがある。アデルはそこに私を引っ張っていき、座るよう促した。
私の隣に腰を下ろした彼は、ちらりと私の方を見下ろす。
「若干違和感があるんだが。お前、左耳があんまり聞こえてねえのか?」
「………」
バレると思っていなかった。しかもこんなに早く。
「反応が鈍い時があった。決まって左の物音に対してだ」
「……」
「…やっぱり、そうか。何があったんだ」
これは、私の失態だ。
当時のことは思い出したくもない、嫌な記憶でもある。アデルは私の話を険しい顔で聞いて、低く唸った。
「……本当に悪かった。お前をちゃんと守れてれば」
これは私のせいだったし、【蝙蝠】に連れて行かれることも避けようがなかった。だから気にしないで欲しい。首を振ってアデルの手を掴む。
「…だが」
気にしないで。それよりも、コンラート君に酷いことをしてしまった。どうか、彼のことをよろしく頼む。
「ああ、帰還したらそのまま入院させる。まあ俺がどうこうしなくても、シュナイダーが動くだろうが」
アデルは小さく苦笑する。
「随分、心配してたからな」
先程の彼の様子を思い出して、本当に申し訳ないことをしてしまったと俯く。
「そう落ち込むな、あいつも理解はしてる」
アデルはそう言って私の頬を撫でる。…こうして、彼の手の感触を頬で感じるのが、とても好きだったことを思い出した。
「……」
ごく自然に体が動いた。アデルの体に腕を回して、ぎゅうと抱きしめる。何だかもう、色々我慢しなくて良いんだと思ったら——もうそろそろ、好きにしようと思った。
「…っ、おい」
頭の上から動揺したような声がする。
こういうことで、アデルも動揺することはあるのか。ふふ、と笑って彼の胸に顔を埋める。時々心の中で「ゴリラめ」と罵倒してきたが、彼の胸は分厚く、温かく、筋肉質で弾力があって、なかなかに心地良い。
「お前、骨折してんだろうが」
処置済みだし、アデルみたいなゴリラに抱き締められるのが危ないというだけで、私が抱き締める分には支障はない。
「…俺はやりたくてもできねえんだぞ」
さっきみたいに、軽い力でなら大丈夫なのに。
「今は加減できる気がしねえんだよ」
顔は見えないが、荒々しい舌打ちが聞こえてきた。
「全治1ヶ月っつったか。もっと早く治らねえのかよ、魔術師だろ」
魔術師でも、治癒速度を上げることはできないのだが。
アデルは私の体の横で拳を握ったまま大きくため息を吐いて、私の頭に頬を乗せた。
「…早く、家に帰りてえな。俺も疲れた」
「……?」
こうしていてやっと気が付いたが、彼のシャツの下には包帯が巻かれていた。どこか怪我をしているのか。
「ああ…大したことねえよ、背中に何本か矢が刺さっただけだ」
慌てて抱き締めていた腕から力を抜くと、「本当に大したことねえからそのままでいい」と言われる。
「…なあ。できればでいいんだが」
力を抜くべきかどうか迷っていると、アデルが歯切れの悪い感じで口を開いた。
「抱き締められねえ代わりに、キスはしてもいいか」
「………!」
抱き締めていた腕を離して、そのまま後ろに仰け反ってしまった。それを追いかけるようにアデルの方は身を乗り出して、私の横に腕をつく。
「…サヤ」
優しく、微かに甘さを含んだ声に慌てる。今までこんな声出したことなかっただろう!
「………っ」
駄目だ、今はダメ!
「何でだよ」
展開が速すぎる!性急すぎやしないか。
「はあ?こういうことに速いも遅いもねえよ」
前に1回やったくせに。2回目くらい私の要望を聞いて欲しい。
「……?」
「……」
あ。
「俺が?お前に?いつ」
「……」
「おい、目を逸らすな、答えろ」
アデルの目が真剣になる。
「……もしかしてあの時か?ファウストの砦を落とした時の」
「……」
「お前がおかしかった原因はそれか。…そうか。改めて謝罪する。悪かった」
「……」
「…だが、誤解が無いよう言っておきたいんだが。俺は酔っていたとしても、好いてねえ奴にそんなことはしねえよ」
「…?」
「…分かるだろ」
アデルの顔が近い。あ、と思った時には、唇が触れていた。目の前の長い金のまつ毛を見つめて数秒、唇はすぐに離れ、熱い吐息が触れ合う。
「……っ」
呆然としてアデルの顔を見上げる。澄んだ青空のような綺麗な蒼がこちらを真っ直ぐ見下ろして、「それから」と言葉を続ける。
「俺は俺のやりたいようにやるし、お前もそれでいい。嫌なら魔術でも何でも使って拒否しろ。いいな」
「………」
乱暴な物言いだが、しかし私は、彼が本当は優しいことを知っている。本当に私が嫌がることを、アデルはしないから。
頷いて、またアデルの体に抱き付く。ぐう、と頭の上から唸り声が聞こえてきたが、聞こえないふりをすることにした。
本当に、大好き。ずっとこうしていたいくらい。
「……」
どくどくと心臓の音が聞こえる。普段の彼からすれば少々速い速度だ。…癖で心拍数を数えてしまった。
私も早く帰りたい。私の家はあそこだから。
「…そうか」
アデルの手が頬を撫でた。
帰ったら、またこれまでのように働いて。
夜は家に帰って、アデルと食事をして、話をして。
たまには外に遊びに行って。
そんな日常が恋しくて、大切だったから。
「ああ。そうだな」
穏やかで優しい声は落ち着く。こうして身を寄せ合っていると、自分の体の中から聞こえてくるようだ。
「ここから帰還すんのは、何もなければ2日後だ。それまでは適当に休んでろ。いいか、絶対仕事はするなよ」
「……」
「不服そうな顔すんじゃねえ」
「…っ!」
ばちん、とデコピンが飛んできた。いっったい、穴が空くかと思った!抱きついていた腕を離し、額を押さえて睨むと、ふん、と鼻で笑われる。
「……」
…だがひとつ、決めていることがあるのだ。
みんなとは一緒に帰らない。
「ああ?」
凄く柄の悪い返事が返ってきた。アデルは時々輩みたいな返事をするので怖い。
一度ゴンドラへ戻り、お礼を言わなければならない。ハオランを引き渡すのも私がやらないといけないだろうし。
「……」
今度はアデルが不服そうな顔をして腕を組んだ。
「…まあ、それが筋ではあるが」
必ず、すぐに戻るから。魔力量には自信があるのだ、全力で空を移動すれば数時間で戻れる。それこそきっと、やろうと思えば飛行機よりもずっと速く。
小指を差し出し、アデルの顔を見上げる。さあ、アデルも手を出すのだ。
「…?」
こちらにこの習慣は無いらしい。まあ、当たり前か。
声が出ないから、あの歌を歌うことはできないが。無理矢理アデルの手を掴み、小指を絡めて軽く揺すり、すぐに離した。
「何だそれ」
我が祖国に古くからある、約束を誓う風習のひとつである。約束を破ったら指を切り、1万回拳で殴り、千本の針を飲ませるぞ、という。そう答えると、アデルはなんだかゾッとしたような、青い顔をした。
「お前の国、おっかねえな」
その顔が面白くて、思わず笑ってしまった。実際にはそうそうそんなことはしないのだが…、というのは、面白いので黙っておくことにした。




