83.再会と首輪
身支度を済ませた後、私たちは【蝙蝠】の拠点だった場所を出発した。
まだ空は明るいが、しんしんと雪が降り始め、気温が下がり始めていた。
拠点から離れた場所には、移動用の荷馬車…荷馬車というべきか、ただの荷台というべきか。馬ではなく魔術で動かすためものが置かれていた。皆でこれに乗り込み、ゆっくりと下山を始めた。
山を降りた後は、夜の闇に紛れ、前線にいる第15大隊と合流する予定だった。もう通信具はゴンドラの魔術師に返したので、前線側と直接連絡を取り合うことはできないが、アーベントロート・エンデはエレイズの防衛線を突破し、拠点を押さえたと聞いた。
エレイズの兵士たちは敗走したが、長期戦でこちら側の消耗も激しく、そこからエレイズに攻め入る程の余力は無い。おそらくこのまま撤退するだろう、と伝えられた。
結果としては、国境の形がほんの少し変わっただけだった。国境警備には第5・第6大隊が残る。もう少し様子を見たら、残りの大隊は帰還だ。
今回の作戦でのゴンドラ側の負傷者は全体で5人だけ。誰も欠けなかったのは本当に幸運だった。シュナイダー副長の作戦と、アデルの攻撃と、フォルカーさんの防御で、我々は勝利を掴んだといえる。
ゆらゆら揺れる荷台の中、凄まじい眠気に耐えきれず、数時間眠ってしまった。昨晩は一睡もできなかったのだ。
緊張の糸が完全に切れた。荷台で隣に座っていたフォルカーさんも「気にせず休んでください」と言ってくれたから、お言葉に甘えることにした。
大きな振動で何度か意識が浮上することがあったが、それもだんだん無くなり、私はやっと落ち着いて深い眠りにつけた。
◇ ◇ ◇
「サヤ殿」
肩を揺すられ、目を覚ます。顔を上げると、こちらを見つめるコニーと目が合った。座って眠っていたはずなのに、気づけばしっかり横になって、更には肩に毛布もかけられていた。荷台には既に誰もおらず、幌の外から差し込んでいた日差しは無くなっている。
「……?」
もう夜なのか?驚いて目を擦る。
「そろそろ大隊に合流します。第15大隊は東の森の中に拠点を構えたので、これから森の中を通って移動します。ここからは徒歩だそうで」
慌てて体を起こして、コニーと一緒に荷台から出る。薄らと月明かりは届いているが、木々に阻まれ周囲は暗い。私が荷台から出たのに合わせて、周囲の人影はゆっくり移動を始めた。
「明かりをつけるわけにはいきませんから、注意しながら進んでくださいね」
私の横に立っていた人がそう声をかけてきた。声を聞くまで、それがフォルカーさんだとも気付かなかった。文字を出してしまうと目立ってしまう、頷きだけ返して視線を前に向ける。
ぞろぞろと移動するシルエットの中には、誰かをおぶさっている影がある。多分、背負われているそれがハオランだ。
ありったけの錠…腕に5つ、足首には6つの錠をかけた。彼とはあれから話をしていないが、流石の彼もここまでされればどうにもならないようだ。抵抗する素振りも無い。
30分ほど歩いた頃、遠くの木々の隙間から、ちらちらと明るい光が見え出した。前線基地だ、あそこにみんながいる。
あそこに、アデルが。
これまでいっぱいいっぱいで、考えないようにしてきたが、やっと彼に再会できるのだと思うと高揚した。徐々に感情が昂ってきて、走り出しそうなのを堪えるのに必死だった。
拠点の明かりがよく見えるようになってくると、ついきょろきょろと視線を彷徨わせてしまう。まずこちらに向かってきたのは、ローブを着た魔術師たち——ゴンドラの魔術師だ。彼らはこちらの魔術師たちと合流すると、森の奥の方へと去っていった。
彼らの拠点はここから離れた場所に別で用意しているのだと聞いた。アーベントロート・エンデの人間に、このことが露呈したらまずいことになる。それは我々も、彼らもよくわかっていた。
彼らが近くから居なくなると、こちらに駆け寄ってくる2つの影が見えた。
アデルと、シュナイダー副長だった。シュナイダー副長は、彼らしからぬ焦った様子で我々の前に来て、コンラート君を強く抱きしめる。コンラート君の細い体が折れてしまいそうな力強い抱擁だった。
「に、兄さ…」
何より驚いているのはコンラート君本人だった。シュナイダー副長はそれには答えず、暫くそのままの姿勢で動かなかった。
「…心配した。無事で良かった」
沈黙の後、シュナイダー副長の口から漏れた声は震えていた。コンラート君はポカンとした顔で固まっていたが、息を詰まらせて、シュナイダー副長の肩口に顔を埋めた。微かな嗚咽の音で、彼が泣いているのがわかる。
その姿にこちらまで涙腺が緩んでしまった。…良かった、彼を救えて本当に。
「サヤ」
…数時間前に一度聞いた、ずっと求めていた低い声。視線を正面に戻して、そこにいる大柄な影を視界に収めた。
アデルは以前と変わらぬ姿で、そこに立っていた。
そうだ、たった3ヶ月しか離れていないんだから、見た目が然程変わることなんてないのに。だけどそれに違和感を感じてしまいそうなほど、私にとってのこの3ヶ月は余りに長かった。
アデル。声は出ないが、口が動いた。
ずっと会いたかった。
まずはお礼をして、それから謝って、それから——伝えたいことがいっぱいあるんだ。
一歩足を前に踏み出すと、止まらなかった。雪の上を駆け、アデルに向かって進む。…が。
「待て」
ローブを掴まれ、その場にたたらを踏んだ。アデルの方もこちらに数歩歩き出していたのに、その言葉に出鼻を挫かれたように固まる。
誰だ、何故止めるのだ。背後を振り向くと、厳しい顔をした師匠がアデルに視線を向けていた。
「こいつは今肋骨が折れてる。処置はされているが、お前みたいな力が強い奴が抱き締めてみろ、折れた肋骨が肺に刺さる」
「………」
「…………」
忘れていた。
アデルは苦虫を噛み潰したような顔で数秒沈黙した後、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
「その、怪我は酷いのか」
「大したことはない。全治1ヶ月程度だ。無茶なことをしなければな」
師匠はそう返して、私のローブから手を離した。アデルは数秒黙ったのち、大きくため息を吐く。
「……取り敢えず、まずは合流だ。拠点の端の方に天蓋を用意してる、各々そこで休んでくれ。そいつは——」
アデルの手が、レナートが背負っているハオランを指差した。
「荷馬車の荷台に乗せる。俺の天蓋の横に置いてあるから、そこに繋いでおけ。…サヤ、お前の口から改めて報告を聞いておきたい、一度俺の天蓋に来い」
全員頷きを返し、各自言われた通りに移動を始めた。
◇ ◇ ◇
「まずは、無事で良かった。本当に」
天蓋の中に入ると、アデルは私に向き直り、静かな口調で言った。しかしその後は何度か口を開閉させると黙り込み、眉間を指で押さえて唸る。
「…言いたいことが山のようにあってまとまらねえ」
「……」
それは、私もそうだ。
蝋燭の灯りが一つだけ灯された薄暗い空間で、2人ともただ立ち尽くしたまま動けずにいた。
「……取り敢えず、座るか」
天蓋の中には丸椅子が4脚ほど置かれている。それに向かい合って座って、先に私から会話を始めた。
まず、沢山迷惑をかけてしまって申し訳なかった。コンラート君のことでシュナイダー副長にはかなり心労をかけてしまった。
「いや…それはお前のせいじゃねえだろう。別にそれは責めてねえし、謝るな。そもそもは俺があの矢に当たったのが発端だった」
アデルはそう返して、深く頭を下げた。
「俺の命を救う代わりに、あの取引に応じたんだろう。すまなかった」
違う、あの矢は最初からアデルを狙っていて、私の防護障壁で防げなかったものだった。だからアデルのせいじゃない。
「ハオランの件も…取り逃したのは俺の責任だ。フォルカーがいなけりゃどうなってたかわからねえ、本当に申し訳ない。俺の一手はあいつの命に届かなかった」
いや、確かに彼に届いていた。我々の前に現れた彼は消耗していて、だからこそこうして捕らえることができたのだから。
…こうして話を始めると、どうしても謝罪ばかりになってしまう。
「今後は、どうするつもりだ。ハオランを生け捕りにしたのは、何か理由があるのか」
「……」
ゴンドラの魔術師を借りる代わりに、取引をした。
5年の契約で、私自身がゴンドラに身を置くこと。
「なっ…」
だが、ハオランを捕らえられれば、彼を引き渡すことでこの契約は成立する。
「……」
アデルは一瞬険しい顔をしたが、口をつぐんで考え込むように間を置いた。
「殺すつもりだったが、結果的に殺さずに済んで幸運だったか。だが…人の命令を聞くような奴には見えねえが」
そう、だから、一つ頼みがある。
私の首輪を外してはもらえないだろうか。
彼に、【従属の首輪】をつけたい。私の手で。
「……」
彼の存在は、この世界にとっての脅威である。だからこそ、同じように「外」から来た私の手で、彼を抑えるべきではないか。そう思っていた。
彼の制圧権を、国が持っていてはいけない。
「…確かにそうだな。俺も、お前の判断が正しいと思う」
アデルは頷いて、私の首に両手を伸ばした。
これまで外そうとしたことはなかったが、境目すらよくわからないその金属の首輪は、アデルの手によって呆気なく外れた。
幾分か呼吸は楽になったが、もはや体の一部のように感じていたそれが無くなると、少しだけ寂しさもある。久しぶりに触れる地肌を撫でながら、アデルの手の中に収まっている精緻な装飾が施された金属の輪を眺めた。
殆ど鏡越しにしか見たことがなかったが、こうして見るととても美しい品だ。今の時代では、これと同じものは作れないのだという。全く同じ形になるよう鋳造しても、同じ効果は得られないのだと。
「首輪をつけるなら俺も同席する。これは契約者以外の第三者がつける必要がある」
そういえば、この首輪はフォルカーさんの手によってつけられた。それを懐かしみながら頷きを返す。
ハオランとは、きちんと話をしなければならない。
彼からの納得が得られるなどとは思っていない。彼は支部長に心酔し、私はあの男を拒絶した。相入れることなど無いだろう。
そのための【首輪】だ。
◇ ◇ ◇
視線を上げ、眼前にいる青年の顔を見る。
彼を繋いでいる荷台の上、幌の中で向かい合って座っている。私の後ろにはアデルが立って、彼のことを見下ろしていた。
彼は今、手枷足枷に加え体の上からは鎖を巻かれ、身動きなど取れるような体勢ではない。応急処置は済ませてあるが、顔色はまだ悪く、それが出血の多さを物語っていた。そんな状態だが、彼は意識を保ったまま私の顔を見つめ返している。
その表情からは、考えていることは分からない。
体の調子はどうだろうか。
「体調が良さそうに見えるのか」
見えないから聞いた。
「吐きそうだ。胸は痛いし、意識は朦朧としてるし、最悪の気分。分かりきっているのに聞かないで欲しい」
「……」
ハオランは苛つきを隠さず、私から視線を外した。
「…支部長を、殺したのか」
「……」
今後のことを考えると、彼に隠せることなど殆ど無いだろう。対策していても、いつか読心術を使われてしまうかもしれない。
だから正直に答えた。殺しはしていない。ベアトリスが連れて逃げてしまったから。
そう返すと、ハオランは安堵したように息を吐いた。
ただ——彼から記憶を奪った。
「…記憶?」
全ての記憶。魔術も、禁術も、これまで生きてきて身に付けた全ての経験と知識を。言葉すら失った彼は、一言も発することが無かった。
私も禁術を使った。もう二度と、彼の記憶は戻らない。私が失った声と同じように。
「……」
ハオランは愕然とした表情で私を見つめた。
「何故、どうやって」
答えるつもりはない。
「…初めから、計画していたのか?」
いや、1ヶ月前、縁があってゴンドラと手を結んだ。計画を立て始めたのはその頃だ。そしてその対価を、私は支払わなければならない。
「…対価?」
「………」
これは私の我儘だ。私は今、私の幸せのために、彼を利用しようとしている。
ゴンドラに行って、王の下で働いてほしい。
ハオランは理解できないといった様子で、顔を歪めた。
「何故、僕が」
そういう密約を交わしたから。ゴンドラから魔術師を借りる代わりに、【蝙蝠】の魔術師を差し出すと。
「僕が素直にそれに従うとでも思っているのか?一対一なら、僕の方が君よりも強い。僕が逃げ出さないとでも?」
「……」
思ってはいない。だから、首輪をつける。
振り向いてアデルに合図をすると、彼は首輪を手に、ハオランの前に膝をついた。ハオランはアデルの手の中にある金属の輪を見つめて、不快そうに目を細めた。
「【従属の首輪】か、…下らない」
「……」
だが、これは彼にだってこれは壊せず、外せないものだ。
これから先、常に私はハオランを監視している。
この首輪は、対象者の命を即時奪う力を持っているのだ。
「……いつか、後悔することになる」
ハオランは、憎悪の篭った目を私に向けた。
それで構わない。憎まれることをした。
だが、私にとってのきっかけは、この首輪だった。
これが、ハオランにとっての「きっかけ」になる事を願う。
そう伝えると、ハオランは眉根を寄せて、困惑した表情で私を見た。
ゴンドラが、彼にとっての居場所になりますように。
彼が彼として生きられるよう、祈っている。




