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80.戦闘開始:前線にて〈side:アデル〉

 総勢、55人。ゴンドラの魔術師を加えた、我々の戦力となる魔術師の人数だ。ここまでの魔術師を投下した大規模な戦線は、それなりに長く戦場に身を置いてきた俺も初めてだ。


 勝てる算段がついたと分かった途端、総指揮を取る第4大隊の大隊長が食い付いた。

 これまで奔走してきたのが馬鹿馬鹿しくなったが、結果論で言えば良い方向に向かったといえる。

 だが今回先陣を切るのは、俺の大隊とその管轄下の魔術師だ。結局のところ、総大将は自らの身を危険に晒すのは嫌らしい。

 防護障壁を破壊し、突破口を作るのが俺たちの仕事になる。


「解析は済んだか」

「はい」

 ゴンドラの魔術師は顔を上げ、頷いた。

 天蓋の中には、連絡役の魔術師がいる。

 ハオランが構築している防護障壁は、奴の祖国の言語を組み込んだものだ。幸いその言語体系の一部を、フォルカーが把握していた。

「以前、サヤさんに少し教えていただきました。これが鍵であろう、という文字も。言語を組み込む魔術に関してはゴンドラに利もあります」

 フォルカーはそう言っていたが、果たして成功するかどうか。こればかりは試すことはできない、一発勝負だ。

「言語を組み込む魔術は、強力なものではありますが——その言語の意味が分かってしまえば、通常の防護障壁より脆いものです」

 ゴンドラの魔術師はそう言う。褐色の肌に黒い髪…アーベントロート・エンデでは珍しい風貌だ。

「我々にお任せください。契約は果たしましょう」

 サヤと彼らとの間にどんな密約があったのかは知らない。それ自体に懸念はあるものの、今は目の前のことを片付けなければ先に進めない。

「それから、もしもの時のために」

「…?」

 魔術師は俺に、茶色い布に包まれた、細長い何かを手渡した。不思議にも思いつつ受け取ると、ずしりとした重みがある。

「何だ、これは」

「魔硝石の短剣です。おそらく一度使えば壊れると思いますが、魔術を破壊することができます。ある程度強度のある防護障壁でも壊せるでしょうが…正直なところ、今回の相手に使えるかどうかは分かりません。ゴンドラの秘術を使い、ここにくるまでの間に魔術師達で拵えました」

「……」

 布を捲ると、言われた通り白い刀身の短剣が覗いた。僅かに光るそれは、確かに魔硝石でできている。

「何故俺に渡した?」

「我々は武器の扱いに慣れておりません。この場で最もこれを効率よく扱えるのは貴方だと判断しました。元来魔術師は、非魔術師の攻撃を軽んじる傾向にあります。我々の生存確率を上げるために必要な策です」

「…随分用心深いな。化け物退治か何かみてぇだ」

 軽口を叩くと、魔術師は無表情のまま目を細めた。

「話を聞いた限り、件の魔女とは比較にならないほど強いとか。であるならば、アレはまさに化け物ですよ」

「……」

 思わず押し黙る。軽口を叩いたことを後悔した。


 ◇ ◇ ◇


 サヤに伝えた時間よりも少し前に、こちらは動き始める。


 明け方。

 ヴェナの上で槍を握り、前方に広がる砦と兵士たちを前に、一度だけ深呼吸をする。

 防護障壁は変わらずそこにある。見たことのない言語で作られたそれが、サヤには少しは分かるというから不思議なものだ。

 以前少しだけ、サヤの生まれ育った場所の話をした。世界地図だという図形を魔術で形作り、故郷の景色を映し、懐かしむように笑っていた。

「……」

 こんな瞬間にさえ、彼女のことを考えている。


 不測の事態を考え、【蝙蝠】の拠点側へは多めの戦力を送った。速度重視で、ミュラーを含めた第8部隊も送り込んでいる。

 目に見えない、手の届かない範囲で起こる事態ほど恐ろしいものは無い。


 隣に立つ魔術師に合図を送る。フォルカーの影武者をしている男が魔術師達に指示を出し、防護障壁の破壊に向けて術式の構築を始めた。

 膨れ上がる魔力の気配に、ヴェナが嫌がるように身動ぎした。多少のことでは動じない馬だが、10人超の魔術師が協力して魔術を使っているのだ——生み出される魔力は膨大だ。

 不可視の魔術の塊が前方に向かって放たれる。

(ほど)けますよ」

 魔術師はそう呟いて、小さな笑みを漏らした。

 解ける。耳慣れない表現だと思ったが、成程実際に見てみれば納得がいった。

「良くやった」

 ニヤリと笑って槍を構える。


 眼前の防護障壁は、解除魔術によって崩壊していた。光の線が四方八方に放射状に拡がる様は、こんな局面でなければ幻想的だっただろうが。

 見えなくとも、崩壊する光の壁の向こうで慌てふためく敵兵たちの姿が手に取るようにわかる。

「行くぞ!俺に続け!!」

 鬨の声を上げ、ヴェナの腹を蹴る。ここでハオランを止められなければ、拠点側に累が及ぶ。


 号令に合わせて、敵陣に魔術の矢と弩が雨のように降り注いだ。敵陣からこちらにも飛んでくるそれらを弾き、避けつつ、真っ直ぐに正面に突っ込む。槍を一振りして歩兵を薙ぎ倒し、腰の剣も抜いて首を切り、とどめを刺す——返り血でヴェナの体と鎧が赤く染まる。

 俺の髪の色と戦績を指して「アーベントロート・エンデの獅子」などとあだ名を付けた者がいたが、俺の戦い方はそんな大層な名前を付けられるようなものではない。

 元々泥臭く、いかに早く敵を排除するか、ということしか考えていないのだ。


 ゴンドラの魔術師は戦い慣れている。こちらに飛んできた魔術の矢が、防護障壁で弾き飛んだ。

 戦場に出るということは、即ち命を危険に晒すということに他ならない。契約があるとはいえ、こうして他国に与し、前線に立つというのはどういう心境になるものだろうか。戦闘の最中、ふとそんなことが脳裏を過った。


 ◇ ◇ ◇


 エレイズの砦の中を馬で駆け回る。既に敵兵は敗走の動きを見せていた。国境の防衛拠点として元から建造されていた砦は半壊し、所々で火の手が上がっている。

「ノイマン、ギーゼンは東側を探せ。ギュンター、グローマン、お前らは西だ」

 部隊長に指示を出しながら、ハオランを探すために奔走する。魔術師達にも「気配がわからない」らしく、地道に捜索するしか無い状況になっていた。数人のエレイズ兵を捕まえて尋問したが、返ってくるのは「知らない」という言葉のみ。

「……クソが」

 つい悪態が漏れた。

 腰抜けどもめ、情報を持っていそうな指揮官の敗走が早すぎる。あちらから攻めておいてこの様とは。

「大隊長!」

 こちらに向かって駆けてくる馬から、グローマンが叫んだ。

「西棟最上階です!」

 その言葉を半分聞いて、直ぐに馬を走らせる。階段も廊下も馬で駆け抜け、ただ真っ直ぐに目的地を目指した。


 目的の男は、最上階の一室に佇んでいた。

 こうして顔を合わせるのは、俺としては初めてだ。声音しか知らなかったその男は、サヤにどこか似た顔立ちをしていた。

 相対している誰もが、その場から動けずにいる。攻撃することができない…防御に集中せねば命が危ういと、本能で理解している。立ち尽くしている魔術師達は青い顔でハオランを注視していた。

 感情の薄い、切長の黒い瞳が、微かに揺れてこちらを見た。

「……君か」

「ほお、俺のことを覚えていたか」

 読心術の対策は常に行なっている。こちらの思考が読めないことへの苛立ちか、男は不快そうにこちらを睨んだ。

「予定外だ。何故防護障壁が破れた」

「お前が見下してる魔女の入れ知恵だ。残念だったな」

「…そうか、『日本人』だった。『漢字』も少しは読めるのか」

 知らない単語を交えながら、ハオランは呟く。

「裏切りには、制裁を加えなければ…支部長に叱られる…」

「お前をここから逃すと思ってんのか?」

 続々と集まった魔術師と兵士が男を取り囲む。錠をかけるタイミングを探りながら、じりじりと男に近付いていた。

「そういうのは、『映画』では逃げられる奴の台詞だ」

 また知らない単語を呟いて、ハオランは小さく笑みを溢した。


 俺には魔力の気配などよく分からないが、男が放つ空気が重くなったのは分かった。周囲の魔術師に緊張が走る。左の腰の剣の柄を軽く握ったまま、次の一手を読み合う。

「本気で僕に勝てるとは思っていないだろう?」

「さあ、どうだろうな」

 こいつがこの場から動かなかったのは、動く必要が無かったからか、動けなかったからか。それともそれ以外の理由があったのか。防護障壁を壊した分のダメージはある筈だが、この男の表情からは何も読み取れない。


 捕縛はできなくてもいい。取り逃すくらいなら殺す。


 背後にいる魔術師と兵士に手で指示を出す。この場にいる魔術師は32人、半数は防御に、半数で攻撃を仕掛ける。合図を出せば気取られる、判断は各々に任せるしかない。

「…随分な自信だが、さっきから何もしねえじゃねえか。口先だけか?」

「……」

 一瞬で、空気が張り詰める。


 こちらに飛んできた魔術の刃を、味方の魔術師の防護障壁が弾く。同時にゴンドラの魔術師達がハオランに向けて攻撃を仕掛けた。


 魔術師同士の争いに、魔術師ではない人間が介入するのはあまりに危険だ。魔術のみで作られた武器や呪いの類、崩壊した砦の石壁を飛ばすような物理的な攻撃も交えながら、味方の魔術師は怒涛のように攻撃し続ける。緩めたら殺される——それは魔術師でない俺でも分かった。ハオランは防護障壁を張ったまま、その場から動かない。

 ふと、ハオランはローブの懐に手を入れた。


「…!」

 本能で、それが何か、危険な一手であると感じ取る。

 考えるよりも先に足が動いた。


 ほんの数歩の距離だ。それで剣が届く。

 握りしめていた魔硝石の短剣を、男に向かって投擲した。それが防護障壁に届く前に、床を踏み締め、腰から剣を引き抜く。

 障壁が壊れようが壊れなかろうが、一か八かでも今やらねば後はない。


 男に向かって剣を振り抜いた。味方の魔術師が慌てて攻撃の手を緩めたが、背に数本の矢が当たる。


 風で視野は妨害されていたが、切っ先に手応えがあった。確実に肉と骨を裂いた感覚。しかしまだ殺せていない、経験でそれがわかる。返す刃で二撃目を狙ったが、それが届く前に魔術で跳ね飛ばされた。数人の兵士を巻き込んで床に倒れ込む。

「大隊長!」

「チッ、狼狽えるな!」

 舌打ち混じりに体を起こし、直ぐにハオランに視線を戻す。


「………」

 胸を押さえてこちらを睨む瞳と目が合う。床に飛び散った血の量で、それが深傷であることは分かるが、やはり致命傷には至っていない。

 こちらに向けられる殺気にゴンドラの魔術師達が素早く反応し、分厚い防護障壁を作った。

 ——だが、ハオランの攻撃はこちらに向いていなかった。


 風の塊がハオランの背後の壁を味方の防護障壁ごと吹き飛ばし、隙間から薄く淀んだ空が覗いた。


 逃げられる。

「絶対に逃すな!殺せ!」

 畜生、あともう一歩前に踏み込んでいれば、確実に息の根が止められたものを。

 ハオランは防護障壁で攻撃を防ぎながら、悠然と外に身を投じた。

「クソが、逃げんな!」

 抜き身の長剣をそのまま投げたが、防護障壁に弾かれた。味方の怒涛の攻撃も弾かれる。まだこんな力が残っていたとは。

 このまま逃したら拠点側が、サヤが危ない。何としてでも、ここで殺さなければならない。しかしもう切っ先が届くことはなかった。


「制裁、を…」

 騒音の中、不思議とそう呟く声はよく聞こえた。

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