79.戦闘開始:拠点にて
全ては、ほぼ同時に行われる。
夜を選ばなかったのは、私の魔力が万全な状態で戦闘に入る必要があるから。
定刻、合図を受け取って、私は体を起こした。
昨晩から予兆の演技をした。胸を押さえて、何度か咳をする。
体調が悪いふりをして、誘き出す。
それがベアトリスか、支部長かで作戦が変わる。さて、どちらが来るか。
体を丸めて、肩で息をする。そのまま床に横たわった。
これだけでは弱いか——体内で魔術の刃を作り、内臓を傷つけた。体の内側は魔力が充足している空間だ。ここで魔術を使うのはバレない筈。
口の中に鉄の味が広がる。それをそのまま咳とともに外に吐き出すと、赤黒い血が石畳の床に飛び散った。
微かな振動を感じる。こちらに歩いてくる足音が聞こえた。この足音は初めて聞く…おそらく。
「…どうしたの」
扉を開けて私を見下ろしたのは、30代半ばほどに見える女性。長い金髪の向こうから、感情の薄い、青の瞳がこちらを見下ろしていた。
ベアトリス・ルヴィエ。この拠点を守る魔術師。
これは好都合だ。外に展開されている味方に連絡を入れる。
ベアトリスは私の横に膝をつき、私の体に触れた。
「…何で血を吐いてるの…?病気?」
覇気の無い声がそう呟いた。声からは戸惑いが伝わってくる。
今だ。
彼女に向けて、魔力の塊を飛ばす。当たっても当たらなくても、これが開戦の合図だ。口の中の通信機で信号を送る。
ベアトリスと支部長の間に、我々のような遠隔の通信手段は無いと見ている。これまでにそういった素振りを見たことは一度もなかったから。彼女をここから出さず、時間を稼ぐのが私の最初の仕事だ。
この部屋を監視していたのはベアトリスだけだ。彼女が直接支部長に話さない限り、あの男にこの部屋で起きていることはバレない。
案の定、ベアトリスは私の初手の攻撃を防いだ。彼女が外へ出られないよう、室内を防護障壁で覆い、外から状況が見えないよう空間を魔力で満たした。
驚いた顔が私の顔を凝視する。私に注意が向いているこの隙に、コンラート君の救出に向けて兵士が動き出す。
この場の戦力は、18人のゴンドラの魔術師と、フォルカーさん、コニーとディー、それから師匠。…師匠が来てくれるなどとは露ほども思っていなかったので驚きを隠せなかった。現場の指揮を取るのはフォルカーさんらしい。
それに加えて、魔術師では無い兵士を15人。その中には、私がアーベントロート・エンデに居残っていた際世話になったレナートや、ミュラー部隊長とその部下達がいる。
ミュラー部隊長率いる第8部隊は、速度を重視する部隊だ。迅速に拠点内に踏み入り、地下のコンラート君を外に連れ出し、火を放つ。
これだけの戦力をこちらに向けてくれたのだ。必ずコンラート君を無事に逃し、この拠点を破壊せねばならない。
「あなた…」
ベアトリスは困惑した表情で私を見つめた。直後、はっと何かに気づいたように背後を振り返る。おそらく今、兵士たちはベアトリスが張っている外の防護障壁を踏み越えた。
彼女に考える時間を与えてはならない。
ありったけの知識と術式で、彼女に攻撃を仕掛ける。
生け捕りにしようなどと考えてはならない。そんな余裕は無い。その覚悟も決めている。
彼女は戸惑った様子だったが、私の攻撃を難なく全て弾いた。そして、私が室内に張った障壁を壊そうと魔術を放つ。
この部屋の魔術障壁は、一か八か、ゴンドラで知識を得た「文字を組み込んだ魔術」を使っている。ハオランがやっていたように、室内の壁に文字を書いておいたのだ。
このおかげでいくらか強力になったのか、ベアトリスは私の防護障壁を破壊できずにいる。
「………」
彼女の冷たい眼差しがこちらを向いた。
防護障壁が壊せないなら、魔術師本人を叩く——それは定石だ。
室内の気温が一気に下がったような気がする。いや、気のせいでは無い。
ベアトリスは無数の氷の刃を生み出し、私の方へ飛ばした。練度の高い、鋭い刃だ。集中が乱れれば、ひとたまりもない。
「……っ」
炎で溶かせるようなものではない。防護障壁と風の魔術でそれを後方にいなして飛ばし、風の刃をベアトリスに向けて飛ばす。彼女は微動だにせず、それを弾いた。
彼女の魔力を、今のうちに、可能な限り削らなければならない。
後どれくらい耐えればいいのか、1秒が酷く長く感じる。ベアトリスの攻撃は強力すぎる。私の方は精一杯だが、彼女の方にはまだ余裕が見て取れる。怒涛としか言いようがない攻撃は、防ぐのでやっとだった。
「…何のつもり」
ふと攻撃の手が止み、彼女が呟く。
もう、私は【蝙蝠】に手を貸したくない。ここに居たくない。
「あの人はあなたの力を必要としている。名誉なことよ」
違う。【蝙蝠】なんて無い方が良い。
「どうしてそう言えるの?これは世界を良くするために必要なこと、でしょう」
ああ、その言葉——ニコの口から幾度となく聞いた、同じ台詞。
私が首を振ると、ベアトリスは顔を歪めた。
「ここが私たちの居場所よ」
違う。ここは私の居場所じゃ無い。
私は私の居場所を自分で決めたい。
「あなた、自分がどんな存在か、自覚が足りないわ」
再び、鋭い刃が飛んでくる。今のはそう強い魔術じゃなかった。それを背後にいなすと、ベアトリスは小さく苦笑する。
「今のだって、普通は簡単に防げる魔術じゃ無いのよ」
「………」
「私たちは、誰の味方にもならない方が良いの」
それは——きっと、正しいのだろうと思う。
だけど、私は、外で生きることを選びたい。
「強情ね。…私に勝てると思っているの?」
勝てるなどとは思っていない。
「人質の命は捨てるのね」
そんなつもりも毛頭ない。
再び彼女に向けて刃を飛ばす。ベアトリスがそれを弾いたのと同時に、口の中の通信機が信号を受けた。
コンラート君は無事外へ連れ出された、と。
ここからは総力戦だ。
周囲を防護していた障壁を解除する。
「なっ——」
ベアトリスは驚きの声を上げたが、その一瞬の隙に彼女に向けて特大の魔力の塊を飛ばした。咄嗟に防護障壁を張ったようだが、それも巻き込んで魔術は壁を破壊し、彼女を雪原まで吹き飛ばす。
そこにいるのは、フォルカーさん率いる魔術師たちだ。
「く…っ」
ベアトリスが彼らに向けて魔術を飛ばす前に、彼らを守る防護障壁を組み上げる。氷は弾かれたが、防護障壁も砕けた。
「…っ、何なのよ」
今度は私の方に向けて、氷の刃が雨のように飛んできた。凄まじい速度と量。おそらく初めての、強い殺意の篭った攻撃だった。
体を捻って避けながら、防護障壁で身を守る。障壁はどうにか攻撃から私の体を守ったが、衝撃で後ろに弾き飛ばされた。
「!!」
石の壁に強かに体を打ち付け、呼吸が止まった。そのまま床に倒れ込み、蹲る。
「…っ」
呼吸が戻るまで、数秒かかった。肩で息をしながら、痛む体の中を魔術で探る。肋骨が3本折れている。
「………」
歯を食いしばり、それらを魔術で繋ぎ、維持魔法をかけた。幸い肺は傷付いていない。凄まじい痛みにふらつきながら、慌てて拠点の外、ベアトリスが落ちた付近が見える場所に移動する。
雪原には、赤い血の跡が散っていた。負傷している魔術師が数名、それらの治療にあたる師匠の姿が見える。どうやら、死者はいない。安堵して腰が抜けそうになった。
そしてベアトリスは、後ろ手に三重に手錠をかけられ、動けなくなっていた。
「……」
魔術師同士の戦闘では、戦力が拮抗しない限り、決着は早い。総勢22人の魔術師が、初めから力で抑え込もうと魔術を使った筈だ。私との戦闘でいくらか魔力を消耗した後だ、なす術は無かっただろう。
こちらを見上げるベアトリスと目が合った。服は所々焼け焦げ、左腕には火傷を負っている。
私よりもずっと長い間、彼女は【蝙蝠】の魔術師だった筈だ。
私が想像つかないような、辛い思いもしてきただろうと、今更ながらそう考えた。
これは私の我儘だ。恨まれようが憎まれようが受け入れなければならない。そう思ったが、ベアトリスの目にはそういった感情は見て取れなかった。ただ、凪のように静かな眼差しで、私の方を見据えている。
「……」
彼女から視線を外し、拠点内に魔力を走らせる。まだ戦いが始まってから数分しか経っていない。ベアトリスが外に出てからは僅か数十秒。
あの男はどこだ。まだ拠点内にいるはずだ。
◇ ◇ ◇
書物の置かれた部屋に火を放ちながら、廊下を進む。あんなに寒かった拠点が、こんなに暖かくなるなんて。ぼんやりとそんなくだらない事を考えながら、最上階への階段を上った。
男は逃げる素振りも見せず、焦りも見せず、私に相対した。
「…サヤ」
男は無表情のまま、私の顔を真っ直ぐ見た。
「ベアトリスも捕らえましたか。まさか貴方がここまでするとは思いませんでした」
「……」
「出来損ないが…」
不意に、こちらに向けられる殺意と黒い魔力。どんな魔術が飛んでくるか分からない。分厚い防護障壁を張って様子を見ると、妙な感覚があった。
魔術が解けた。まるで分解されるように、障壁が溶けて消えた。
慌てて横に飛び退き、物理的に魔術を避ける。…あれは何だ。触れたらまずい、本能が叫ぶ。
「その上、火を放つなど。貴方を上手く扱おうとしてきましたが、本当に失策だったようです。さっさと殺しておけば良かった」
再び黒い魔術が飛んでくる。すんでのところで避けたが、ローブの裾が切れた。
「………」
一度、深く深呼吸をする。
こちらに向かってきている魔術師に、今は来るなと信号を送る。こんな魔術に複数人で対抗するのはあまりに危険だろう。ただ的が増えるだけだ。
こちらからも風の刃を飛ばす。男はそれを防護障壁で防いだ。近くの火種から炎を取り出し、炎の刃にして更に飛ばす。
力で押し切れ。私にはそれしか取り柄がない。空間を魔力で満たし、相手の魔術が発動する瞬間で反応できるよう集中する。
フォルカーさんから教わった攻撃魔術も、本を読み漁って覚えた防御魔術も、全て使え。
男からの攻撃は、全てが致命傷になりうる。あの感覚——アデルの体を射抜いた黒い矢の感覚に似ている。時には自分の体に衝撃波を放って無理矢理避けながら、男に向かって魔術を使い続けた。
「サヤ、いい加減にしなさい」
男はふと攻撃をやめて、私の顔を見据えた。こちらも攻撃の手を緩め、男の顔を睨み返す。
「…今からでも遅くはありません。こちらに寝返るなら、辛い思いをせずに済みますよ」
「………」
「彼らの命が大切なのではありませんか?」
「……」
そうだ、大切だ。全員が私にとっての人質になる。
だから、今度はちゃんと守る。
強烈な光の魔術を男に向かって放った。
「——っ」
原始的だが、目眩しだ。一瞬でもいい、男の反応を遅らせれば。
懐から魔硝石を取り出し、男に向かって投げる。
魔硝石は魔力の塊だ。これを基点にして魔術を使う方法がある。加減ができない、危険な魔術。これは、この拠点にある書籍から得た知識だった。
一番特性が高い私の魔術は、風の魔術だ。その属性を、ここに来るまでの間で限界まで詰め込んでおいた。
——。
魔術に使われる呪文を、心の中で唱える。魔硝石は男の前で砕け、風の刃が竜巻のように回転しながら広がった。
「ぐっ——」
唸るような声が聞こえた。凄まじいまでの暴風で、男の姿が掻き消える。風は周囲の壁を巻き込んで、拠点を一部破壊した。
男の防護障壁が砕けた。
「………」
いつの間にか、無意識に止めていた呼吸を再開させる。
最上階の天井は吹き飛ばされ、曇天が覗いていた。静まり返った空間に、瓦礫が崩れる音と火が燃え広がる音が響いている。
石塊が転がる廊下を進み、倒れている男の前で立ち止まった。
「…………」
案外、弱かった。拍子抜けした。
ベアトリスの方が圧倒的に強かった。
攻撃に使われた魔術そのものは脅威だったが、その魔力量自体は大した事なかったのだ。
「……なんだ、その目は」
私の視線が持つ感情に気付いたのか、男は苦しげに呟き、私を睨み上げた。
倒れた男の体には、大きな裂傷がある。塞がなければ、失血死するだろう。
呆気ない。
私をここまで苦しめ続けた男は、私が思うより弱かったのだ。
何故、そんなに弱いのだ。
思わずそれを言葉にしていた。男の顔が怒りに歪む。
もう、どうでも良い。
だが、これだけは決めていた。
かつて私を二度苦しめた呪文を唱える。つい一月前に聞いたばかりの呪文は、記憶に整合性を持たせ、鮮烈に脳に焼き付いた。
代償を捧げるための呪文。
呪文を唱え終えたところで、自身の周囲の空気が重苦しく変わった事に焦りを覚える。この瞬間まで、私はこの呪文の本質を理解していなかった。
『おや——また呼んだのか』
囁くように聞こえた声は、空気を震わせる事なく、耳の奥に響いた。




