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76.ゴンドラにて(4)

 しかしその後、図書室からは追い出された。

「仮にも王室の図書室だぞ。部外者は出て行け、このあと結界も張るからな」

 …そこまでされたら、もうバレないように入るのは難しいか。

「許すのはこの1回のみだ。次は無い」

 男はそう言って、威を込めた目で私を見下ろした。

 国の主を敵には回せない。いかに強い魔術師でも、決して数には勝てないのだから。

 図書室でも使えそうな情報は一つ手に入ったから、十分いい収穫になったと言える。大人しく頷きを返しておいた。

「食事の用意をさせよう。補佐役はどうした」

 眠っている。おそらく明日の朝まで。

「…眠らせたのか」

 手を出そうとしてきたから。

 正直にそう伝えると、相手は声を出して笑った。


 部屋に戻ってから用意された食事を摂り、その後は暗号についての話し合いが続いた。男と、男の補佐官だという人物との3人で話を詰め、最後に改良したという小型の通信具を借りた。

 連絡先になる通信具は補佐官が常に持っているという。密に連絡を取り合うことはできないが、私からの連絡は常に確認できるようにしておいてくれるそうだ。

 連絡を取りたい時は、振動を2回。返事ができる時はそれに振動を2回返す。

「こちらの都合ですまんが、1ヶ月は身動きが取れん。魔術師が何人か内乱に加わっているのもある。場合によっては貸し出せる人数が変わるからな、ここはお前次第だ」

 こくりと頷きを返す。彼に最初に依頼されたことだが、怪我をさせずに捕らえないといけない、か。

「今、アーベントロート・エンデとエレイズが衝突しているだろう。お前が連絡を取りたい相手というのがそこにいるんだったか」

 そうだ。第15大隊の大隊長と、副長の2人。

「こちらからも接触を試みよう。あちらはあちらで動いている可能性が高い、連携を取らんと思わぬ事故が起きるぞ」

「……」


 あの状況で私がいなくなったのだから、アデルにかけられた魔術の解除に私が関わっていることくらい気付いただろう。

 更に言えば、私と親しかったコンラート君まで消えたのだ。何かあると思わない方がおかしい。


 あの時は頭も働かなかった。書き置きでもしておけばよかった。治療法が見つかったから対処した、自分はもう帰る、とか…嘘でも良いから、責任感や罪悪感を感じさせないようなことを。

 自分のことでいっぱいいっぱいで、周りが見えていなかった。あんなことがあって、アデル達が何も動かないはずがない。その事実にやっと思い至った。


 これまでだって、ずっと私を切り捨てないでいてくれたのだから。

 例えそこに打算があったとしても、それだけではなかったことくらい私にだって分かる。

 そんな優しいところが好きになったのだから。


「どうした」

 考え込んでしまっていた。私が視線を落としたまま動かなかったので不審に思われたのか、男に声をかけられた。

「複雑そうな顔をしているが」

 何でもない、と首を振って、暗号の書かれた紙を受け取る。

 頭に叩き込まなければ…と思うが、そう簡単に覚えられるものでもない。だが、紙媒体で持っているのはかなり危険だ。後でローブの裏地の隅にでも、わからないように糸で暗号を縫い付けておくか。


 まずは、ゴンドラ側の準備が整うまでの1ヶ月、耐えなければならない。

 あの拠点を本気で落とすなら、内部構造についての知識も必要だし、コンラート君の身を守るための方法を見つけることも必要だ。まず言語を組み込んだ防壁の組み上げ方を考えて、それから——。

「また考え事か?」

「……」

 呆れた視線が向けられているのに気付いて、慌てて視線を男に戻し、居住まいを正す。誰かと会話する機会が極端に減ったので、つい会話相手のことを忘れてしまう。

「他に用がないなら話は終わりだ。お前には明日存分に働いて貰うからな」

「……」

 そう、まずは今回の仕事をこなさなければ、その先は無い。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、目を覚ました補佐役の男は訝しむような表情をしつつも、私に対して何か言うことはなかった。記憶を弄る魔術が正しく作用したかどうかは不明だが、男から何のアクションもない以上、確認する手立てはない。…私は読心術は使えないのだ。本を読んだところで習得ができなかった。事実、私に魔術の才はあまり無いのだろう。


 通信具は念のため、すでに口の中に入れていた。舌の裏に隠したそれは硬く、なかなかその違和感には慣れない。

 男が魔術を扱える可能性は捨てきれないので、常に対策は必要だ。ニコだって扱えることを隠していたのだから。


 王の部下であると言う兵のもと、我々は王城の外へと連れ出された。

 城門は固く閉ざされ、周囲は防護障壁が張り巡らされている。守りは堅固で、綻びは無い。その壁の向こうの至る所で上がる爆炎、怒号と悲鳴。魔力の込もった風が吹き荒れている。

「門を突破し、城内に踏み入ろうとしている者たちです。総力戦を仕掛けてきたので、敵勢力の魔術師はほぼ全員あの場に集まっているかと。こちら側の魔術師は、防護障壁の強化に回っています」

 部下の男は淡々とそう言う。…この状況で一切焦りが見えないのは、豪胆なのか、初めから興味が無いのか。覇気のない眼差しがこちらを見下ろした。

「まとめて叩く好機でしょう。陛下からの命の通り、魔術師は殺さぬよう。意識さえ奪っていただければ、あとはこちらで対処します」

「………」

 分かった、と頷きを返す。

 周囲に魔力を漂わせ、城門の向こうの状況の把握から入る。相手の魔術師の数、使っている魔術の種類とその魔力量、門の周りで攻め入ろうとする兵士たちの数、その動き…見えない範囲であっても、魔力を拡げた範囲内であればそれらの把握はできる。敏感な魔術師は私の魔力に気付くかもしれないが、支障は無い。

 全て、あの拠点内で監視の目を掻い潜り、内部を把握するために身につけた技術だ。


 ふと、口内に収めていた通信具が小さく震えた。

「!」

 驚いて体が跳ねた。…今後は気をつけなければ。振動は一度だけで、信号にはなっていなかった。

 視線を周囲に巡らせる。遥か頭上、王城の最上階からこちらを見下ろす人物に気が付いた。

 黒髪のその男は、私と目が合うと小さく笑った。


 やってみせろ、と言われているような気がした。


 男から視線を外し、振り返って城門の方に歩き出す。

 吹き荒れる風でフードが脱げ、髪が暴れる。それを軽く手で押さえながら、城門の上へと上がった。

 血と砂塵を含んだ風が吹いている。嗅ぎ慣れた匂いだと一秒でも思ってしまったことに、嫌悪感を覚えた。


 こちらに気付いた魔術師と、一瞬視線が交錯する。


 直後、魔術師はその場に膝をついた。魔力の塊を全ての魔術師と兵士に向けて飛ばした。丸一日は起きないだろう、それだけの力をかけた。糸の切れた人形のように、ばたばたと敵兵は倒れていく。

 あと、半分。半分の魔術師は私の魔術に気付いて防護障壁を張った。

 残りの19人の魔術師は、臨戦態勢でこちらを見据えている。その防護障壁を力任せに握り潰しながら、片っ端から意識を奪う…もしも全員で協力されていたら壊せなかったかもしれない。特にこういった戦いは迅速さがものを言う。


 ものの2分ほどで制圧自体は終わった。喧騒に包まれていた城下が、今は静まり返っている。総勢134人の魔術師と兵士が、そこに横たわっていた。

「…見事です」

 私の後ろに立っていた兵が、呟くように言った。

 初めて、一人も殺さずに戦いを終わらせられた。これからも同じように魔術を扱えれば、そして監視の目を誤魔化せれば、人を殺さずに済むかもしれない。

 もっとちゃんと魔術を扱えていれば——初めから、もっと戦っていれば。私はずっと逃げてきたから。


 息を吐いて、城門の上から降りる。

「……っ」

 地面に足をついた瞬間、力が抜けて倒れ込んでしまった。慌てて体を起こして、今度は魔術を使って立ち上がる。

 魔力の方もだいぶ使ってしまったが、神経を擦り減らした疲労が大きい。

「大丈夫ですか」

 私にそう声を掛けたのは先程の兵士で、補佐役の男は終始無言だった。問題ないと返して、視線を上に向ける。そこから私を見下ろしていた男は、先程と同じ姿勢のままそこにいた。

 男は笑っていなかった。視線は城門の向こうに向けられている。…何を考えているのだろう。

「…では、我々はこれで失礼します。代金は規定の通りに」

 補佐役の男はそう言って、私に目配せした。

 こんなに疲れているのに、まだ魔術を使わせようというのか。感覚的にも、このまま帰還するために魔術を使ったら、拠点に到着した後で魔力が切れて倒れかねない。

 しかし私がそう主張しても、補佐役は眉を顰めて不快そうにするだけで、決定が覆ることは無かった。


 ◇ ◇ ◇


 拠点に着いたのは、翌日の夜だった。

 もう魔力もギリギリで、維持しっぱなしだったコンラート君の位置を捕捉する魔術も終盤は使えなかった。確認できた間は、彼の位置はずっと変わらなかったが——無事だろうか。何かされていないだろうか。

 気もそぞろに拠点内に入ると、「おかえりなさい」と声が掛けられた。

「早かったですね。いかがでしたか?久々の仕事は」

 穏やかな声。こちらに向かってゆっくりと歩み寄って、男は柔らかに笑った。

「………」

 私が何も答えられずにいると、その視線は私の斜め後ろの補佐役に向けられた。補佐役が慌てた様子で姿勢を正す。…この男も、支部長にはこういう態度を取るのか。

「首尾良く進みまして、問題無く任務終了しました」

「そうですか。詳しく報告をお願いします…サヤ、あなたは地下で休んでください」

「……」

 ふらつく足を動かして、階下に向かって歩みを進める。壁を支えに階段を駆け降りて、コンラート君が居るはずの牢の前へと進んだ。


「…」

 良かった、無事だ。コンラート君はベッドに横になって、静かに寝息を立てていた。腰が抜けてその場に膝をついて、は、と息を吐き出す。

「……ん」

 小さく身じろぎをして、彼が目を開けた。起こすつもりはなかったのに、物音を立ててしまっただろうか。

「…!サヤさん」

 コンラート君はこちらに気付いて飛び起きた。起き上がらなくていい、と返したかったが、文字を作る元気も無かった。彼はそのまま牢から出て、私に肩を貸して起こしてくれた。

「大丈夫ですか、顔が真っ青です」

 大丈夫、と頷きを返して、彼の肩に有り難く寄り掛かる。本当に疲れた、もう何もできない…とても眠い。


 コンラート君は私をベッドの上に座らせて、その横に腰を下ろした。

「何か、必要なものはありますか。俺、貰ってきますから」

 いや、大丈夫、寝たら元気になるから。力の抜けた手で文字を作って首を振った。コンラート君は困ったような顔をこちらに向けたが、不意に顔を上げた。視線は廊下の先、階段がある方向に向けられている。

「…?」

 何だろう——しかし数秒後には私も気付いた。足音が近付いている、あの男の足音が。


 緊張しながらその場で待っていると、悠然とこちらに歩いてくる男の姿が見えた。

「サヤ。いくつか質問があるのですが」

 私の前に立った男は、いつもの笑みを崩さないままそう声を掛けてきた。

「補佐役に聞きましたが。随分な活躍だったそうですね」

「…………」

「私も鼻が高いです。初めからこれくらいやる気を出していてもらえたら有り難かったのですがね」

「………」

 ふと、魔術の発動の気配。その場で視線を男に向けたまま固まる。知らない魔術。薄く光る線が足下に広がり、精緻な模様を作り出した。

「ハオランのように読心術を使うのは魔力消費が大きくて無駄が多いですから。これは【開疆の陣】といいます」

 カイキョウの陣、聞き覚えのない単語だ。意味がよく分からない。

「簡単に言うと、嘘を見抜く魔術ですよ」

 一気に血の気が引く。そんな魔術知らない、今そんな魔術を使われたら。隣でコンラート君も固まる気配を感じた。

「おやおや、顔色が悪いですね。見抜かれると困ることでもありましたか?」

 男の手が私の頬を撫でた。笑みは変わらないまま、男は言葉を続けた。

「さて、質問ですが…補佐役からの報告を聞いて、違和感を感じました。あなた、本当はある程度正確に魔力が扱えるのではありませんか?」

「………」

 男と目を合わせられない。視線を落として固まっていると、男の笑う声が聞こえた。

「術を使った甲斐がありませんね、そんな態度では」

 殺さなくていい、殺したくない、そういう感情が先行した。冷静に考えてみれば、ゴンドラで使った魔術は、私がこの拠点で見せていた魔術の実力を超えている。そこまで頭が回っていなかった。

「それでは、次の質問です。補佐役の脳に魔術の残滓が見て取れました。記憶を弄りましたね?」

 …そんなことまで分かるとは思わなかった。

「何故、魔術を使いましたか?」

「………」

 襲われそうになったから、魔術で眠らせた。これは嘘じゃない。

「なるほど、そうですか」

 私の説明で、男が納得したかどうかは分からない。

「補佐役を眠らせている間に、何をしましたか?」

「………」

 答えないといけない。嘘にならないことを。

 王室の図書館に行った。そう答える。

「何故、そうしたのですか?」

 …ここから逃げ出すための、手がかりになる魔術の情報が無いか、調べるために。

「そこで何を得られましたか?」

 魔術に、特定の言語を組み込む方法。

「それ以外に、情報は得られましたか?」

 得られなかった。

 これは、嘘じゃない。

「ここから脱出する算段はついていますか?」

「………」

 額を汗が伝った。首を振って、相手の出方を待つ。これは嘘でも真実でもない、今の私にとっては曖昧な質問だった。

「そうですか」

 男の返答はそれだけだった。

「…これまで、あなたの態度は徹底されていましたが、外に出て気が緩んだようですね」

「…………」

 事実、そうだったかもしれない。

 彼は笑みを崩さないまま、魔術の陣を解いた。

「悪い子には罰を与えなくてはなりません」

「…っ」

 背筋を冷や汗が伝った。かつての鞭の感覚を思い出し、痛みの記憶で体が震える。

「勘違いしてはいけませんよ、サヤ。罰を受けるのはあなたではありません」

 その言葉に、はっと顔を上げる。——まさか。


「四肢のうち、一本失うならどれがいいですか?選んでください」

 男の視線は、コンラート君に向けられていた。

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