73.ゴンドラにて(1)
あれからハオランは拠点に戻ることはなく、私はただひたすら言われた通りに魔硝石に魔力を補充し続けていた。これが莫大な資金を生み出すことも、それが何か「良くないこと」に使われているのだろうということも分かっていたが、逆らうことはできなかった。
毎日が地獄のようだった。白髪の男の気に触ることを絶対にしてはならない。神経を擦り減らし、男の一挙手一投足、言葉の隅々を観察した。
幸い2ヶ月の間は「平穏」だった。私は彼の機嫌を損ねることなく、コンラート君に危害を加えられることもなく。そうして必死に生活しながら、隙を見て魔術書を読み漁り、戦うための情報を集めた。
魔術書には知らない魔術知識が多く書かれていたが、いかんせん膨大過ぎて全ては覚えられなかった。しかし、読心術に関する本に早めにあたったのは幸運だった。対策については学んだが、ハオランと顔を合わせる機会もないので、実践して成功するかどうかはぶっつけ本番になりそうだ。
魔力が枯渇してくると、周囲からの魔術の気配を探りやすくなった。常に監視されている、コンラート君との会話も聴かれている。これはおそらく、あの白髪の男の魔術だった。だからいつも、当たり障りのない、体を気遣う台詞しか口にできなかった。
「…サヤさんこそ」
そうして会話をしていると、彼は困ったようにそう言って、私の頬に触れることがあった。
「そんな顔しないでください」
…どんな顔をしているんだろう、私は。誤魔化すように笑みを浮かべることしかできなくて、そうするとコンラート君もいつも苦笑した。
そして【蝙蝠】に戻って2ヶ月ほど経過した頃、以前のように「内戦に介入せよ」という指示が入った。
運が良い。外に出られる。一瞬そう思ったが、直後血の気が引いた。
ここから離れるなら、コンラート君を直接守れない。絶対失敗できない。
「おやおや、顔色が優れませんね」
男は私の頬を撫でた。
「そう難しい任務ではありませんよ。反乱分子を弾圧して終わりです。今のあなたには簡単すぎるのでは?」
「………」
「最初からこうしていれば、過去のあなたももっと仕事に集中できていたかもしれませんね。こうも必死に仕事をこなしてくれるとは」
「……」
視線を落として拳を握る。
「出発は明朝です」
柔らかい微笑を浮かべ、彼は牢から出ていった。
ベッドに崩れ落ちるように腰を下ろして、握った拳を額に当てる。
この2ヶ月、何も進まなかった。知識を得られただけで、コンラート君を外に逃す手段もなく。逃すともなれば、完全に彼の安全が保障されていなくては意味がない。
一番不気味なのは、支部長と呼ばれるあの男が、どれほどの魔術師なのか判然としないということ。魔力量も技量も謎に包まれている。ベアトリスはこの拠点内にいるのだろうが、表には出てこないし、顔を合わせたことすらなかった。彼女の魔力を感じることもないし、何をしているのかわからない。
戦うための情報があまりに足りない。
「サヤさん」
「……」
はっと顔を上げる。向かいの牢から、こちらを不安そうに見ていたコンラート君と目が合った。
「あの、俺のことは気にしないでください。大丈夫ですから」
「……」
大丈夫なんかじゃない。何をされるかわからないのに。コンラート君は私を安心させようとしているのか、いつもの人の良さそうな笑みを浮かべてみせるのだった。
◇ ◇ ◇
拠点から出てすぐ、一人の男が私のそばに着いた。以前ニコが付いていたのと同じように、「補佐役」として本部との連絡を行う人間だ。だが今回は、ただの監視役としてつけられただけで、現地での判断は任せる、と言われた。
やっと外に出られた。しかし全く気が晴れない。
…アデルに会いたい。ぼんやりとした頭で、ついそんなことを考えた。
元気にしているだろうか。戦況はここまで聞こえてこないが、ハオランが戻らないことを考えると、膠着しているのではないかと思う。外に出たら情報を得られるだろうか。
「移動しないのか」
男が私に声をかけた。早くしろということだろう。
男の体にも魔術をかけて、南西に向かって空を移動する。西の大国ゴンドラは砂漠地帯が広がる国で、国王が代替わりしたばかりだ。厳しい大地で育った彼らは屈強な肉体と精神を持ち、強い軍隊を持つ。しかし国内は荒れやすく、内乱も起こりやすい傾向にあった。
2日もすれば目的地に着いた。ほぼ空の移動だったが、補佐役の男は特に不満を口にすることも無かった。
ふと、アデルは空の移動を嫌がっていたことを思い出す。
こんなに時間が経っても、事あるごとに思い出すのは彼の姿だった。
大隊長として大隊の前に立つ時の堂々とした威厳のある姿、考え事をしながら煙草を燻らせる時の綺麗な横顔、私を揶揄う時の少し子供っぽい笑顔。思い出すと全てが恋しくて、つい苦笑を漏らしてしまう。
本当に本当に大好きだった。隣にいるだけで、顔を合わせているだけで、声が聞けるだけで舞い上がった。
視線を上げて、煙の上がる街中を見つめる。黄みがかった茶色い土壁の建物群、砂塵の舞う街中を歩くにはフードが必須で、人々は長いストールのような布を頭に巻く。この国の人々の姿は、不思議とあちらの砂漠地帯での人々の服装と似ていた。
現国王は穏健派だと、確かアデルが言っていた。軍部を縮小させようとしたことが反発を買い、大きな内乱に発展した。ここが首都だというが、至る所で火の手が上がり、人々は逃げ惑う。
「城へ」
背後の男がそう言った。これは国からの依頼だから、まずはそこで話を通せという。
この男も口数が少ない。背は高くはなく、おそらく30代くらいの、浅黒い肌をした男だった。
過去にも王城を訪れたことはある。その時の王は先代の王で、その男を殺すのに私も手を貸した。現国王の男に依頼され、ニコと共に。それが結果的にこうなるとは。
城は街中とは違い、大理石のような白い石と金銀で飾り付けられた巨大な建物で、かつてはその豪華絢爛さに萎縮した。今でもそういう感覚が無いではないが、どちらかといえば「早く終わらせて帰らなければ、コンラート君に何をされるかわからない」という怯えが大きい。
一応、コンラート君の位置が捕捉できないかと、自分の魔力を込めたごく小さな魔硝石の破片を彼の靴底に忍ばせていた。手紙の原理と同じで、たどれやしないかと。
かなり神経を擦り減らしているが、彼の居場所はどうにか把握できている。やはり彼は一度も地下から出されていないようだ。
食事は出されていても、徐々に痩せ、肌も白くなっていく彼を見ているのは居た堪れなかった。私がもっと上手くやれていれば、と後悔し続けている。
この国は魔術師の軍隊を持っているし、王城内にも魔術師が多い。日差しが強いこの国でも、魔術師は皆黒いローブだ。本当に、何故魔術師は黒いローブしか着ないのだろう。暑くて気が狂いそうにならないのだろうか。
廊下を進み、国王への謁見を申し出る。礼儀など知らないが、我々には礼儀は求められていない。気にしたところでどうにもならないから気にするのを諦めた。
「世話になるのは二度目だな」
長い長い挨拶の口上が終わった後、顔を上げると、玉座に座った男がそう漏らした。
穏健派だという男の風貌は、どちらかといえば「武力で他者を圧倒してきた」ようにしか見えない、筋骨隆々とした30代くらいの若い男だ。肌には見える範囲でも多くの刀傷が残っているのが見える。長い黒髪を後ろで結えた、美丈夫、という言葉が似合う男。玉座に頬杖をつき、私の方を不機嫌そうに見下ろしている。
以前は王国軍の将軍として戦場を駆けた武神。だが、「もう戦はしたくない」と軍備縮小を押し進めた、この国にしては珍しい思考の王族だった。
「まさかこんな短期間に、再び【蝙蝠】を頼ることになるとは思わなかった」
それは私だってそうだ。
「一部の魔術師が反乱軍に加わった。こちらとしても魔術師は貴重だ。潰し合いをするのは避けたい」
「………」
「魔術師は殺すな。一人殺すごとに代金は引くぞ」
「………」
背後で礼をとっている補佐役の男を振り向いたが、何も言われなかった。構わないということか、ミスを許さないということか。どちらかわからないが頷く以外の選択肢が無さそうだった。
「【蝙蝠】の魔女殿は相変わらず無口だな」
不愉快そうに口を曲げて、男はそう言う。仕方ないだろう、話せないんだから。ああ、そういえば言っていなかったか。
「何だ、口がきけなかったのか」
「………」
「まあいい、それならばこれまでの不敬は許してやる。城内に部屋を用意した、動くのは明日からで良い」
この辺りも前回と同じか。頷きを返すと、彼は目を細めて顎を上げた。
「下がれ」
「……」
頭を下げて、玉座の間から外へと出る。
廊下に出ると、侍従らしき男が先導して廊下を歩き出した。
ゴンドラの王城は、ガラス窓がない。その代わり壁が少なく、庭に面した廊下には等間隔に並べられた柱のみ。砂塵を含んだ乾燥した風が吹くと、城内だというのにローブの裾が巻き上がった。
「…」
フードを目深に被り直し、顔にかかる砂の粒を払い落とす。
案内された場所は、なかなかに煌びやかな一室だった。本来賓客をもてなすための部屋なのだろうが、我々のような存在がこんな部屋を使っていいものか、甚だ疑問である。
そして当たり前のように、補佐役の男と同室だ。
男は無言で荷物を下ろし、平然と一つしかないベッドに腰を下ろした。
時刻はまだ夕方に差し掛かるかという頃。明日から動けと言われたが、暇で仕方がない。
「お前も寝たらいいだろう」
横に寝ろというのか。男は私の腕を掴んで、ベッドの中に引き摺り込んだ。驚いて男の顔を見上げると、品のない笑みを浮かべて胸に触れられた。
「…っ!」
襲われる。忘れていた、こういうこともある世界だと。咄嗟に男の脳に魔力の塊を当てて、意識を奪った。男は私の上にがくりと崩れ落ちる。
「………」
不快だ、掴まれた腕が気持ち悪い。ベッドから這い出て、魔術で出した水で腕を洗い流し、ふと気付く。
魔術による監視の目は感じない。監視役でもあるこの男の意識は無い…確実に10時間は眠るだろう。それくらいの魔力をぶつけた。不可抗力だし、この男もこんな事を報告するとは思えないし。
この自由な時間を生かさない手はない。
部屋から飛び出し、魔力を周囲に這わせる。目的地は図書室。ある筈だ、この国にも。
魔術の発展の仕方は国によって異なる。アーベントロート・エンデとファウストでも特性が違ったように、この国から得られる知識もあるに違いない。
巨大な城内の部屋全てに、片っ端から魔力を流し込み、本棚が沢山ある部屋を探す。気付かれないように糸のように細い魔力で走査させ、程なくして目的地らしき場所を見つけた。




