69.行方、不明〈side:アデル〉
急速に意識が浮上した。
「…!」
すぐに体を起こして、視線を周囲に向ける。
矢を受け、天蓋に戻ったところまではどうにか体を動かせたが、そこからはどう足掻いても体が動かなかった。
ずっとサヤが看病をしてくれていたのも、このままだと自分が死ぬことも、会話も全て聞こえていた。
サヤは。
サヤはどこだ。
天蓋から外に飛び出すと、その場に立っていたフォルカーとぶつかった。俺より遥かに体幹の弱い男は弾き飛ばされて地面に転がり、低く呻く。
「サヤはどこだ」
フォルカーが起き上がるよりも前に、襟首を掴んで詰め寄る。
「えっ、いや、中にいませんでした?…いやそういう問題ではなく、起きられたんですか!?」
驚きと喜びがないまぜになったような変な顔で、フォルカーは声を上げた。
「いなかったから聞いてんだよ。あいつがどこにいるのか知らねえのか!」
「ずっと見ていませんが…てっきり、貴方のいる天蓋の中にいると思っていました」
既に陽は昇り、周囲は明るい。兵士たちは鎧を身につけたまま朝食の準備をしている。
夢であってくれと願った。だが、彼女はここにはいない。
「………っ」
「本当によかった、死んでしまうかと…」
「うるせえ、そんなことはどうでもいい!シュナイダーを呼んでこい!」
目に涙を浮かべるフォルカーの襟首から手を離して、天蓋に戻る。
やはり、サヤは。
すぐに天蓋に入ってきたシュナイダーとフォルカーは、複雑そうな顔をしていた。…理解はできるし、俺のことを気遣っていたのも分かっている。分かっているが、今は精神的余裕がなかった。
「サヤが【蝙蝠】の魔術師に連れて行かれた」
「…っ」
2人は表情を強ばらせた。
「それは、確信があって言っているのですか」
シュナイダーが眉間に皺を寄せてこちらに一歩詰め寄る。
「ああ。…あいつが連れて行かれる時、意識があった。止められなかった。体が全く動かなかった」
歯を食い縛る。きっとあの男は、俺の意識があることにも気付いていただろう。
「俺にかけられた術の解除を条件に、サヤは【蝙蝠】に戻った」
「なっ…」
フォルカーが珍しく動揺した声を漏らした。
「最初からあの矢は俺を狙ってた。俺が庇うのを見越してやがった。…俺を、サヤを連れ戻すための餌にしやがったんだ」
「……なるほど。例の手紙というのも、初めからこうするつもりで送られたものでしょう。しかし…彼女を連れ戻すことは、もう…」
シュナイダーは眉間に手を当てて、低く唸る。
「うるせえ、何か手がある筈だろ!考えろよ!お前ならなんか思いつくだろ…!」
「……」
シュナイダーは数秒、口を閉ざした。目を眇めて、静かに息を吐く。
「現状は打てる手がありません。それよりも眼前の敵の方が問題です」
「お前…っ」
思わず胸ぐらを掴む。だが眼鏡越しの金の鋭い瞳は、冷静な色のまま真っ直ぐにこちらを見返した。
「この戦を終わらせなくては我々は身動きが取れません。彼女を助けたいなら尚更でしょう」
「……っ」
「彼女を連れ戻したいというなら、【蝙蝠】を相手取ることになる。あなた一人の力でどうにかなることではない。そして、第15大隊だけでもどうすることもできない。意味がわかりますか」
「………」
わかっている。国を巻き込まないと相手取れない。そんなことはわかってんだ。
「わかってんだよ、そんなことは…っ」
これがただの八つ当たりなのも。
「それなら、貴方も落ち着きなさい。今何をすべきか見誤らないでください」
「……」
シュナイダーの胸ぐらを掴んでいた手から力を抜く。拳を握って、必死に感情を抑えた。
覚えている。ちゃんと、覚えているんだ。
彼女が、俺の体にしがみついて泣いていたことも。
彼女が、俺を助けるために、自分が苦しむ道を選択したことも。
彼女が、最後に何をしたかも。
左手の手のひらの上をなぞった、弱々しい指の感覚を覚えている。
「…落ち着きましたか」
「全然落ち着いてねえよ」
シュナイダーは少しの間沈黙した。視線は相変わらず静かで、どこまでも冷静な眼差しだった。
「貴方がそうまでして彼女を連れ戻したいのは、彼女の戦力が欲しいからですか?」
「…ちげえよ」
好きだからだ。愛おしいからだ。
ずっと近くに置いておきたいからだ。
何でこんなことをしたんだと、文句を言わなければ気が済まない。
シュナイダーは俺の顔を見て察したのか、小さくため息をついた。
「…貴方の感情を否定するつもりはありません。なればこそ、冷静であるべきでしょう」
「………」
「今はまだ手出しできない状況ですが、彼女が【蝙蝠】の魔術師となって、どのような行動をするか…彼女自身から、彼女の過去を直接聞いた貴方がたの方が想像しやすいでしょう」
シュナイダーはそう言って、フォルカーの方を見遣った。
「……」
フォルカーはずっと無言で黙りこくっていた。血の気の引いた顔で固まっている。
「フォルカー」
名前を呼ぶが、反応がない。
「おい、フォルカー!」
「…あ……」
フォルカーは小さく声を漏らして、視線を揺らした。
「…すみません。私が動揺していては意味がありませんね…」
目を閉じて、険しい顔で何度か深呼吸を繰り返した。
「戦地を転々としていたと言っていましたね。もし彼女が彼らに使われるとしたら、以前のように戦地に送られるようになるのでは…」
「一人でか?それは考えにくい」
「……そうですね、確かに彼女は…かつての「無知で従順」な彼女ではないのですから。サヤさんは今ではある程度魔術を使いこなせますし、逃げようと思えば逃げられるのでは…【蝙蝠】も同じ考えを持つでしょう」
「それを抑え込むなら、それ以上の魔術師か——…」
「……首輪」
今の今まで忘れていた。はっとして呟くと、フォルカーは目を見開いて顔を上げた。
「首輪の気配は辿れますか」
「辿れねえ。辿れねえから忘れてた」
「…その首輪、契約の上書きはできるのか」
「出来ないはず、なんですが…相手が相手ですから。サヤさんの話を聞く限りでも、未知の禁術を多く扱っていますし」
「………それは、最悪だな」
シュナイダーは口を歪めて呟いた。
「良くて『場所を捕捉されないよう、首輪の気配を遮断している』か、悪くて『首輪の契約を上書きしている』か。後者の場合、取り戻すのは絶望的だ」
何度目かわからない長いため息を漏らして、シュナイダーは俺の方に視線を戻す。
「念のため聞いておきますが、貴方の体の中には、もう呪いは無いのですよね?」
「無い…と思うが…」
曖昧に返答すると、フォルカーが手を伸ばし、俺の肩に触れた。
「…気配はありません。きちんと解呪されたようですね」
「随分あっさりしている…使わない手はないだろうに」
シュナイダーは低く呟いて、眼鏡を指先で持ち上げた。
「いよいよ、首輪の契約を上書きしている可能性が高くなってきました。我々は使いませんでしたが、あの首輪の本質的な性質は『本人の意思に関係なく、絶対的な命令に従わせる』力でしょう。首輪があれば、【蝙蝠】は彼女を好きに扱える」
「………」
「…いや、話が逸れました。今後彼女がどう扱われるか、ですが」
シュナイダーは視線を上げ、こちらを見た。
「あれだけの力を持つ魔術師なら、戦地に送られる可能性はあるでしょう。であるならば、奪還の機会はあるかもしれません。ただ、最悪…魔力のリソースとして使われる可能性もあるのでは。ただ閉じ込めて、魔硝石に魔力を込めさせ続ければ、莫大な資金源にもなりますし、強力な装置も扱えるでしょう」
「もうそうなってしまったら、打つ手が…」
フォルカーの顔色が更に青くなる。シュナイダーは軽く手を上げ、フォルカーの言葉を制した。
「今のところは様子を見るしかありませんね。まずは目の前の問題を片付けなければ」
「今すぐエレイズに侵攻するには、何が必要だ」
思わずそう問いを投げたが、シュナイダーは険しい顔で眼鏡を押し上げる。
「上層部への進言など無意味でしょう。この戦を早々に収束させれば、国主が「これを機にエレイズに侵攻できる」と考える可能性はありますが、現実的ではありません。…エレイズは強国です。そもそもこの戦自体長引くでしょうし、疲弊した状態ではエレイズの中核まで攻め入る力は無い、と判断される方が確率が高いでしょう」
「………っ」
絞り出すような息が漏れた。何でこんなことになった。どうしたら助け出せるんだ。
「…【蝙蝠】の拠点は確かエレイズの国内だろ。どうにかその拠点は叩けねえか」
「拠点の場所を正確に把握していますか?」
「…いや」
「であるならば、今のところは難しいでしょう。拠点の探索からとなれば大掛かりになる。それに、大隊を引き連れて行けば侵攻しに来たと思われて攻撃されます。逆に少数で落とせるようなものでもない…どう動くにしても、やはり今は様子を見るしか——」
「——お話中のところ失礼いたします、グラハム大隊長!シュナイダー副長はいらっしゃいますか!」
天蓋の外から、兵士の大きな声が響いた。
「…ああ、何だ」
シュナイダーは天蓋の外に出て、その場で兵士と小声でやりとりをしたようだったが、ほんの数秒ののち、直ぐに血相を変えて天蓋内に駆け込んできた。こんな焦った姿を見るのは初めてだ。
「どうした」
困惑して問いを投げると、シュナイダーは青い顔で唸るように呟いた。
「…コンラートが、消えた」




