68.1本の矢(2)
アデルが怪我をした。
矢が、肩に。
集中が乱れて、防護障壁が歪む。
どうしよう、どうしたら。
脳裏を、ニコが刺された時の光景が過った。
「落ち着け、大した傷じゃない!」
アデルは私の肩を掴んで、強く揺すった。その衝撃で現実に引き戻された。
「お前の仕事は何だ、俺を守ることじゃねえだろ!」
手が震える。障壁にできた亀裂から降ってきた矢を、フォルカーさんとコニーとディーが弾いた。
「同じ過ちを繰り返すな」
「……っ」
アデルの手が私の手を包むように握った。その温かさに、いくらか平静を取り戻す。視線を上げると、アデルと目が合った。
「今のお前なら大丈夫だ。そうだろ」
その言葉で、真っ直ぐこちらを見つめる青い瞳の強さで、乱れていた感情が徐々に落ち着く。
そうだ、私は、大隊を守らなくちゃいけないんだから。
どうにか集中を取り戻し、防護障壁を持ち直して、亀裂を全て塞ぐ。歪な形の防護障壁は、再び全ての矢を弾き、大隊の上空からの攻撃を阻んだ。
そしてそれから数分の後、矢の雨は止んだ。
怪我人は数えるほどだろう。疲労で今にも倒れそうだった。へたり込んだ姿勢のまま深呼吸をしていると、フォルカーさんが私の体を支えて助け起こしてくれた。
「サヤさんがいて助かりました。本当にありがとうございます」
フォルカーさんはそう言った。
「しかし、貴方はここにいるべきではありません。誰かが我々になりすまして貴方をここに呼んだ、というのが問題です。魔力がある程度回復したら戻ってください。いいですね」
でも、また同じように攻撃されたら。
「コルネリウスさんとディーデリックさんもいます。今回サヤさんのおかげで殆ど消耗もありませんから、お気になさらず」
彼はそう言って、安心させるように小さな笑みを返した。
「じゃあそれで決まりだな。俺はちょっと休む」
アデルはそう言って立ち上がって、天蓋に戻って行った。いつもは何があってもまっすぐ歩いていた彼が、どことなくふらついているような。その足取りに違和感を感じて、彼の背をふらふらと追いかける。
「…?」
天蓋の入り口の布を捲ると、アデルが肩を押さえて蹲っていた。
「…!!」
慌てて彼に駆け寄り、体に触れて、鎧越しでもその体が熱を持っているのに気がついた。
急いでフォルカーさんを呼んで、戻った時には、アデルは意識を失ってその場に倒れ込んでいた。
「これは…!」
フォルカーさんも焦った表情で、アデルの体に触れた。
「酷い熱です。鎧を脱がせましょう」
フォルカーさんと協力して簡易寝台に彼を横たえさせて、鎧を全て脱がせると、中に着ているインナーも汗で湿っていた。フォルカーさんに言われるがままそれを脱がせ、私たちは固まった。
肩の傷はもう出血は止まっていたが、その周囲が黒く染まっている。注視していると、その範囲が徐々に徐々に拡がっていることに気がついた。血管から徐々に侵食しているのか、腕の血管の色まで僅かに黒ずんでいる。
「…毒ではありませんね。何かの呪いのようです。衛生兵では手に余るでしょう。コルネリウスさんとディーデリックさんなら、もしかしたら知識もあるかもしれません。2人を呼んできますので、サヤさんは彼をお願いします」
頷いて、アデルの傷口の消毒と止血を行う。血流に乗って拡がっているのかと思い腕の血管を締め付けても、それは一向に止まる気配がなかった。
止まれ、止まれ、止まれ。
どんなに念じても魔術を使っても止まらない。
それならせめてと、タオルを探してきて冷水を含ませ、アデルの額に乗せる。
彼は苦しげな表情で荒く息を吐いている。ひゅうひゅうと喉の奥が音を立てていた。体に触れても反応が返ってこず、意識が戻ることはない。
私のせいだ。
私がちゃんと、あの矢を止められるだけの防護障壁を作れなかったから。
それに、防護障壁を貫通したあの矢は、きっと私を狙っていた。
何で私なんか庇ったんだ。何で、何で。
背筋を冷たい汗が流れる。手の震えが止まらない。
何の魔術なのかわからない。
お願い、止まって、助けさせて。お願いだから。
お願いだから死なないで。
アデルの手を握って、神に祈るように額に当てて目を閉じる。
「サヤさん」
フォルカーさんが、コニーとディーを連れて天蓋の中に入ってきた。彼らは険しい顔でアデルの方を見下ろす。
「アデルの意識は戻りそうですか」
「……」
首を振る。
「コルネリウスさん、ディーデリックさん、彼の症状を見て、何か分かることはありませんか」
「…見たことはありますが、対処法までは…」
「…!」
ふらつきながら立ち上がり、コニーの腕を掴む。これは何だ、どんな魔術なんだ。
「呪い、に近い何かだと思います。昔、【蝙蝠】の魔術師にちょっかいを出した兵士が、こうなって…誰も術を解除できませんでした」
「……っ」
それで、どうなったんだ、治るのか。
「…彼は、1日で息を引き取りました」
ディーが低く呟いた。
天蓋の中に沈黙が流れる。
コニーの腕を掴む手から、力が抜けた。そのままその場にへたり込む。
待て、それなら破壊はどうだ。私の魔力なら、壊せるかもしれないだろう。
「アデルへ魔力が跳ね返りますから、そんなことしたらひとたまりもありません」
フォルカーさんは唇を噛んだ。
「術の解除ができるのも、「彼」だけでしょう」
「…………」
そんな、じゃあどうしたら。
フォルカーさんは険しい顔で、「シュナイダー副長と話をしてきますので、氷嚢で体温を下げていてください」とだけ指示して、2人を連れて天蓋から出ていった。
◇ ◇ ◇
そのまま、ただ時間だけが過ぎていく。
アデルの命を救うためには、もう敵と交渉せざるを得ない状況だった。しかしそれを総司令官が許可する筈もない。
あちこちへと奔走するフォルカーさんとシュナイダー副長を横目に、私は黙ってアデルの看病だけをしていた。
ずっと考えていた。
彼を助けるために何をすればいいのか。
夜が更けていく。深夜、皆が寝静まる時間に、私は一度アデルの元を離れて、森の中へ足を踏み入れた。
私なら彼と交渉できるんじゃないか。そう思っていたし、それを彼に求められていることを理解していた。
…もしかして、あの矢が狙っていたのは、最初から。
「沙耶」
雪が僅かに降り積もり、月明かりも殆ど届かない深い森の中で、背後から呼び止められた。
覚悟を決めて振り返る。そこにいるのは、黒いローブを身に纏った、黒髪の男。フードは被っておらず、その風貌は記憶にあるものと同じだ。
肩の辺りまでで綺麗に切り揃えられた真っ直ぐな黒髪、感情の読めない、一重の黒い瞳。彼の姿は初めて会った時から変わらない。
私が一人になれば、きっと接触してくるだろうと思っていた。
「沙耶が考えていることはわかる」
彼は目を細めて私の顔をじっと見た。
「助けて欲しいんだろう」
「……」
そうだ。
「その対価も、よく分かっているようだ」
「………」
ハオランはゆっくりと歩き始めた。
彼の後ろを歩きながら、ふと空を見上げる。黒い木々の隙間から、遠くに星空が見えた。
暫く外に出してもらえないかもなぁ。これも見納めかもしれない。
あの部屋には窓がなかったから。
程なくすると、大隊の拠点へと辿り着く。ハオランが魔術を使ったのだろう、見張りに立っていた筈の兵士も、その場に倒れて眠っていた。
彼は迷いのない足取りでアデルの天蓋に入ると、私の方を振り向いた。
「愚かだね」
「……」
…そうだな、彼からすればそうだろう。
「自分を犠牲にしたいと思えるほど、彼のことが好きなのか」
そうだ。
「よく分からない」
彼はそう呟いて、アデルの方に視線を戻した。
ハオランはアデルの肩に触れて、何かの呪文をぼそぼそと呟いた。
彼の肩からどろりと黒い液体が流れ、それがハオランの手の中に吸い寄せられるように集まり、消えた。それと同時に、荒かったアデルの息が徐々に落ち着き、表情からも険しさが抜けていく。
「……」
安堵の息が漏れた。良かった。本当に、良かった。これで彼の命は助かった。よろよろとアデルの近くに近付き、その場に膝をつく。
手首に触れて脈を取る。速かった脈動は、いつもの速度に落ち着いていた。
私に関わらなければ、アデルはきっと、ここで命の危険に晒されることなんてなかった筈だった。
「沙耶の考えていることは正しい」
ハオランはそう言って、ほんの少し首を傾げた。
「こうすれば、沙耶が逃げられないことは分かっていた」
手紙でここに呼んだのも、ハオランか。
「そう」
ハオランは頷く。
「少し前に、会った時。沙耶が彼に思いを寄せていることは気付いた。支部長にその話をしたら、利用して連れ戻せと言われた」
「……」
「沙耶に呪いを打ち込んでも、沙耶は自分で死を受け入れるだけだから。人間は大事なものを失う時の方が逃げられない」
その通りだ。逃げられなかった。助けない、なんて考えられなかった。
「さあ、帰ろう。もう用は終わっただろう」
…私にとって、あの場所は「帰る」場所なんかじゃないのに。
もう一度、アデルを見下ろす。
アデルはまた険しい顔に戻っていた。…そんなに険しい顔をしていたら、眉間の皺がずっと取れない。頬に触れて、優しく撫でる。どうか早く回復しますように。
もう会えないかも。そう考えると泣きそうになった。…でも、彼との最後の時間に、泣くのは嫌だった。
伝えたいことがあったけど、もう伝えることはできない。
でもこれが最後のチャンスだ。
アデルの手を取って、強張った手のひらに「好き」と線を引く。そして軽く彼の手を握って、離した。




