表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/87

68.1本の矢(2)

 アデルが怪我をした。

 矢が、肩に。

 集中が乱れて、防護障壁が歪む。


 どうしよう、どうしたら。

 脳裏を、ニコが刺された時の光景が過った。


「落ち着け、大した傷じゃない!」

 アデルは私の肩を掴んで、強く揺すった。その衝撃で現実に引き戻された。

「お前の仕事は何だ、俺を守ることじゃねえだろ!」

 手が震える。障壁にできた亀裂から降ってきた矢を、フォルカーさんとコニーとディーが弾いた。

「同じ過ちを繰り返すな」

「……っ」

 アデルの手が私の手を包むように握った。その温かさに、いくらか平静を取り戻す。視線を上げると、アデルと目が合った。

「今のお前なら大丈夫だ。そうだろ」

 その言葉で、真っ直ぐこちらを見つめる青い瞳の強さで、乱れていた感情が徐々に落ち着く。

 そうだ、私は、大隊を守らなくちゃいけないんだから。


 どうにか集中を取り戻し、防護障壁を持ち直して、亀裂を全て塞ぐ。歪な形の防護障壁は、再び全ての矢を弾き、大隊の上空からの攻撃を阻んだ。


 そしてそれから数分の後、矢の雨は止んだ。

 怪我人は数えるほどだろう。疲労で今にも倒れそうだった。へたり込んだ姿勢のまま深呼吸をしていると、フォルカーさんが私の体を支えて助け起こしてくれた。

「サヤさんがいて助かりました。本当にありがとうございます」

 フォルカーさんはそう言った。

「しかし、貴方はここにいるべきではありません。誰かが我々になりすまして貴方をここに呼んだ、というのが問題です。魔力がある程度回復したら戻ってください。いいですね」

 でも、また同じように攻撃されたら。

「コルネリウスさんとディーデリックさんもいます。今回サヤさんのおかげで殆ど消耗もありませんから、お気になさらず」

 彼はそう言って、安心させるように小さな笑みを返した。

「じゃあそれで決まりだな。俺はちょっと休む」

 アデルはそう言って立ち上がって、天蓋に戻って行った。いつもは何があってもまっすぐ歩いていた彼が、どことなくふらついているような。その足取りに違和感を感じて、彼の背をふらふらと追いかける。


「…?」

 天蓋の入り口の布を捲ると、アデルが肩を押さえて蹲っていた。

「…!!」

 慌てて彼に駆け寄り、体に触れて、鎧越しでもその体が熱を持っているのに気がついた。


 急いでフォルカーさんを呼んで、戻った時には、アデルは意識を失ってその場に倒れ込んでいた。

「これは…!」

 フォルカーさんも焦った表情で、アデルの体に触れた。

「酷い熱です。鎧を脱がせましょう」

 フォルカーさんと協力して簡易寝台に彼を横たえさせて、鎧を全て脱がせると、中に着ているインナーも汗で湿っていた。フォルカーさんに言われるがままそれを脱がせ、私たちは固まった。


 肩の傷はもう出血は止まっていたが、その周囲が黒く染まっている。注視していると、その範囲が徐々に徐々に拡がっていることに気がついた。血管から徐々に侵食しているのか、腕の血管の色まで僅かに黒ずんでいる。

「…毒ではありませんね。何かの呪いのようです。衛生兵では手に余るでしょう。コルネリウスさんとディーデリックさんなら、もしかしたら知識もあるかもしれません。2人を呼んできますので、サヤさんは彼をお願いします」

 頷いて、アデルの傷口の消毒と止血を行う。血流に乗って拡がっているのかと思い腕の血管を締め付けても、それは一向に止まる気配がなかった。

 止まれ、止まれ、止まれ。

 どんなに念じても魔術を使っても止まらない。

 それならせめてと、タオルを探してきて冷水を含ませ、アデルの額に乗せる。

 彼は苦しげな表情で荒く息を吐いている。ひゅうひゅうと喉の奥が音を立てていた。体に触れても反応が返ってこず、意識が戻ることはない。


 私のせいだ。

 私がちゃんと、あの矢を止められるだけの防護障壁を作れなかったから。

 それに、防護障壁を貫通したあの矢は、きっと私を狙っていた。

 何で私なんか庇ったんだ。何で、何で。


 背筋を冷たい汗が流れる。手の震えが止まらない。

 何の魔術なのかわからない。

 お願い、止まって、助けさせて。お願いだから。

 お願いだから死なないで。


 アデルの手を握って、神に祈るように額に当てて目を閉じる。

「サヤさん」

 フォルカーさんが、コニーとディーを連れて天蓋の中に入ってきた。彼らは険しい顔でアデルの方を見下ろす。

「アデルの意識は戻りそうですか」

「……」

 首を振る。

「コルネリウスさん、ディーデリックさん、彼の症状を見て、何か分かることはありませんか」

「…見たことはありますが、対処法までは…」

「…!」

 ふらつきながら立ち上がり、コニーの腕を掴む。これは何だ、どんな魔術なんだ。

「呪い、に近い何かだと思います。昔、【蝙蝠】の魔術師にちょっかいを出した兵士が、こうなって…誰も術を解除できませんでした」

「……っ」

 それで、どうなったんだ、治るのか。

「…彼は、1日で息を引き取りました」

 ディーが低く呟いた。

 天蓋の中に沈黙が流れる。


 コニーの腕を掴む手から、力が抜けた。そのままその場にへたり込む。

 待て、それなら破壊はどうだ。私の魔力なら、壊せるかもしれないだろう。

「アデルへ魔力が跳ね返りますから、そんなことしたらひとたまりもありません」

 フォルカーさんは唇を噛んだ。

「術の解除ができるのも、「彼」だけでしょう」

「…………」

 そんな、じゃあどうしたら。

 フォルカーさんは険しい顔で、「シュナイダー副長と話をしてきますので、氷嚢で体温を下げていてください」とだけ指示して、2人を連れて天蓋から出ていった。


 ◇ ◇ ◇


 そのまま、ただ時間だけが過ぎていく。

 アデルの命を救うためには、もう敵と交渉せざるを得ない状況だった。しかしそれを総司令官が許可する筈もない。

 あちこちへと奔走するフォルカーさんとシュナイダー副長を横目に、私は黙ってアデルの看病だけをしていた。


 ずっと考えていた。

 彼を助けるために何をすればいいのか。


 夜が更けていく。深夜、皆が寝静まる時間に、私は一度アデルの元を離れて、森の中へ足を踏み入れた。


 私なら彼と交渉できるんじゃないか。そう思っていたし、それを彼に求められていることを理解していた。


 …もしかして、あの矢が狙っていたのは、最初から。

「沙耶」

 雪が僅かに降り積もり、月明かりも殆ど届かない深い森の中で、背後から呼び止められた。

 覚悟を決めて振り返る。そこにいるのは、黒いローブを身に纏った、黒髪の男。フードは被っておらず、その風貌は記憶にあるものと同じだ。

 肩の辺りまでで綺麗に切り揃えられた真っ直ぐな黒髪、感情の読めない、一重の黒い瞳。彼の姿は初めて会った時から変わらない。


 私が一人になれば、きっと接触してくるだろうと思っていた。

「沙耶が考えていることはわかる」

 彼は目を細めて私の顔をじっと見た。

「助けて欲しいんだろう」

「……」

 そうだ。

「その対価も、よく分かっているようだ」

「………」

 ハオランはゆっくりと歩き始めた。


 彼の後ろを歩きながら、ふと空を見上げる。黒い木々の隙間から、遠くに星空が見えた。


 暫く外に出してもらえないかもなぁ。これも見納めかもしれない。

 あの部屋には窓がなかったから。


 程なくすると、大隊の拠点へと辿り着く。ハオランが魔術を使ったのだろう、見張りに立っていた筈の兵士も、その場に倒れて眠っていた。

 彼は迷いのない足取りでアデルの天蓋に入ると、私の方を振り向いた。


「愚かだね」

「……」

 …そうだな、彼からすればそうだろう。

「自分を犠牲にしたいと思えるほど、彼のことが好きなのか」

 そうだ。

「よく分からない」

 彼はそう呟いて、アデルの方に視線を戻した。


 ハオランはアデルの肩に触れて、何かの呪文をぼそぼそと呟いた。

 彼の肩からどろりと黒い液体が流れ、それがハオランの手の中に吸い寄せられるように集まり、消えた。それと同時に、荒かったアデルの息が徐々に落ち着き、表情からも険しさが抜けていく。

「……」

 安堵の息が漏れた。良かった。本当に、良かった。これで彼の命は助かった。よろよろとアデルの近くに近付き、その場に膝をつく。

 手首に触れて脈を取る。速かった脈動は、いつもの速度に落ち着いていた。


 私に関わらなければ、アデルはきっと、ここで命の危険に晒されることなんてなかった筈だった。


「沙耶の考えていることは正しい」

 ハオランはそう言って、ほんの少し首を傾げた。

「こうすれば、沙耶が逃げられないことは分かっていた」

 手紙でここに呼んだのも、ハオランか。

「そう」

 ハオランは頷く。

「少し前に、会った時。沙耶が彼に思いを寄せていることは気付いた。支部長にその話をしたら、利用して連れ戻せと言われた」

「……」

「沙耶に呪いを打ち込んでも、沙耶は自分で死を受け入れるだけだから。人間は大事なものを失う時の方が逃げられない」

 その通りだ。逃げられなかった。助けない、なんて考えられなかった。

「さあ、帰ろう。もう用は終わっただろう」

 …私にとって、あの場所は「帰る」場所なんかじゃないのに。


 もう一度、アデルを見下ろす。

 アデルはまた険しい顔に戻っていた。…そんなに険しい顔をしていたら、眉間の皺がずっと取れない。頬に触れて、優しく撫でる。どうか早く回復しますように。

 もう会えないかも。そう考えると泣きそうになった。…でも、彼との最後の時間に、泣くのは嫌だった。


 伝えたいことがあったけど、もう伝えることはできない。

 でもこれが最後のチャンスだ。


 アデルの手を取って、強張った手のひらに「好き」と線を引く。そして軽く彼の手を握って、離した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ