67.1本の矢(1)
それから1週間ほど経っても、手紙の返事はなかった。
しかしその代わりに、北方から大急ぎで負傷兵が運ばれてきた。
病院内は騒然となり、医師たちがそこかしこで指示を飛ばす怒号のような声が響いた。消毒液の匂いでも誤魔化されないほどの血の匂いと、白い床に散らばる土や泥、誰かの吐瀉物、体液。
幸い運び込まれた兵士たちの中に、第15大隊の兵士はいなかった。
北方に展開する軍隊の西の一角で衝突があり、そこから一気に火がついたと、手当てした兵士がうわ言を言った。彼は第8大隊の兵士で、最前線にいたという。
前線から2日かけて帰還した彼らは、生きているのが不思議なほどの酷い怪我を負っていて、それが戦闘の凄まじさを物語っていた。
「空から黒い矢が降ってきた。魔術師が壁を作ったが、長く持たなくて……」
「……」
ハオランはよく、火と闇の魔術を使った。広範囲に長時間矢を降らせるなど造作もないことだろう。
きっと彼だ。彼がいる。
アデルは、みんなは大丈夫だろうか。血の気が引いた。
しかし目の前の患者を放っておくことなどできない。私も今日は本格稼働して、師匠に指示されるがまま、兵士たちの治療と世話の対応に追われた。
「おい弟子2号、こっちの処置が終わったから縫合しろ」
「あっちの複雑骨折の処置を頼む」
「倉庫から消毒液の大瓶持ってこい」
歩き回っている余裕もなく、体を浮かせたままあちこち動き回り、全て終わった頃にはもう日も暮れていた。
「今日は遅かったな」
いつもの場所で待っていたレナート達がそう言って出迎えた。待たせてしまった謝罪をしながら、負傷兵が数多く運び込まれたことを伝える。
「うちの大隊か?」
いや、主に第8と、第4、第6の兵士たちだった。
「そうか」
皆、安堵の息を漏らした。しかし直後、彼らは不安そうに視線を交差させる。
「開戦したか…」
「第15大隊はまだ接敵してないのか?」
「………」
まだ状況は分かっていない。
アデルからの手紙が欲しい。状況を知らせて欲しい。
頼むから、無事でいて。
私たちは暗い表情で隊舎へ戻った。
◇ ◇ ◇
食事を済ませて自室に戻ると、ベッドの上に手紙が落ちていた。
「!」
迅る気持ちを抑え切れず、荒々しく封を切り、中の紙を取り出す。
殆ど走り書きに近いアデルの字で、「開戦した」ということについて綴られていた。
西側から敵と接触し始めた。俺たちがいるのは東側だが、そのうち接敵するだろう。
敵軍に強い魔術師がいる。苦戦を強いられそうだが、こちらも魔術師が3人いる、戦力としては十分だからお前は心配しなくていい。これまでも魔術師1人でやってきた大隊だ、こういう戦いにも慣れている。実際お前が守っていた砦を落としたのは俺の大隊だ。
これからは手紙のやり取りをしてる余裕がない。すまないが、少しの間は手紙を送るのも控えろ。状況が落ち着いたらこちらから手紙を送る。
それから、レナートとベタベタするな。他のやつともベタベタするな。
…手紙の内容はそれだけだった。たったそれだけ。
心配するなと言われても、こんな内容だけでは否が応でも心配になるじゃないか。
ベッドに横になって、手紙をじっと見つめる。
アデルが書いたものというだけで、宝物のように感じてしまうのが不思議だ。
こちらからはもう連絡ができない。それを示すように、手紙の中に入っているのは私の魔硝石だけで、返信用のものは入っていなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、顔の上に何かが落ちてくる感覚で目が覚めた。
疲労のお陰で久々に深く眠れていたらしい。寝ぼけつつ体を起こすと、膝の上に白い封筒が落ちていた。
「…?」
私に手紙を送れる人なんて限られているのに。一体どういうことだろう。不思議に思って封を開けると、そこにはこう書かれていた。
敵の魔術師からの激しい攻撃でアデルが負傷し、第15大隊が壊滅状態になりました。
サヤさんの助けが必要です、すぐこちらに向かってください。
「……!」
寝ぼけていた頭が急速に醒める。
この手紙はきっとフォルカーさんだ。アデルが負傷したって、そんな、大丈夫なのか。
慌てて体を起こして、医療鞄の中身を整理し、着替えを別の鞄に詰めて部屋から飛び出す。
廊下を駆け降りると、食堂前でたむろしていた数人の兵士がこちらを見た。
「ん?どうしたんだこんな時間に」
「…、…っ」
フォルカーさんから手紙が来たこと、大隊が大変なことになっていることを伝える。
「…!」
緩んでいた表情が引き締まる。
「援軍に行くのか?」
来て欲しいと言われたから。
「場所はちゃんとわかるのか?」
地図を見ていたから大体は。あとは、フォルカーさんの魔力が篭った魔硝石も送られてきている。手紙の原理と同じだ、これを元におおよその位置は分かる。
「食糧は」
「…」
忘れていた。
「携帯食糧持ってきてやる。あと朝飯は食ってけ。今コック叩き起こしてくるから」
そう言って、彼は厨房の奥へと駆けて行った。
「暫く会えなくなるな」
「頑張れよ」
口々に励ます言葉をかけられて、優しさが身に染みた。鼻の奥がツンとして、我慢し切れなくてぼろっと涙がこぼれてしまう。
「いっ」
「うわ」
「なんで泣くんだよ!」
皆を焦らせてしまった。ローブの裾でゴシゴシ顔を拭って、急いで涙を収める。
優しくしてくれたのが嬉しかったから。そんなことを伝えると、彼らは困ったように笑った。
朝食を食べ終える頃には、隊舎内の皆は起きてきてくれて、私の見送りをしてくれた。また泣きそうになったが、それを見透かしたように先程の兵士に「そろそろ行けよ、泣かれると困るんだよ!」と言われてしまった。
彼らに別れを告げ、街の外に向かって移動する。
空は今にも雨が降りそうな曇り空だ。今から全力で飛ばせば…どれくらいで着くかわからないけど、2日はかからないはず。
体が濡れないように魔術を使いながら、私は北に向けて真っ直ぐ移動を始めた。
◇ ◇ ◇
遠目に大隊が見え始めたのは、出発した日の夜だった。休憩も食事も取らずに移動していたので、正直かなり疲れ切っている。
「…?」
見える限りでは、まだ隊列は乱れていないし、敵陣との間にはかなり距離がある。西側は土地が荒れ、所々火の手が上がっている様子だった。
不思議に思いながらも地面に降り立つ。急いで近くの第15大隊の兵士を捕まえ、大隊長は無事かと訊ねた。
「え?いや、まだ何も起きてねえよ」
え?
私が動揺して固まっていると、彼は不審そうに私を見た。
「あっちの方に大隊長と副長のテントがある。自分で確かめてみろよ」
「………」
どういうことだ。
ふらふらと歩いて、彼に示された方向へ進む。すれ違う兵士たちは、「何でここにいるんだ」と不思議そうに私を見つめていた。
兵士たちから少し離れた場所に用意されている天蓋からは、確かに魔硝石と同じフォルカーさんの気配を感じる。私がその中に入る前に、中からフォルカーさんが出てきた。
「……」
フォルカーさんは驚いた顔で私を見つめて数秒固まったが、直後慌てた様子で駆けてきた。
「どうしてここにいるんですか!誰も許可していないでしょう!」
私の前で立ち止まると、彼にしては珍しく語気荒く問い詰めるように言葉を投げかけてきた。
でも、手紙が届いたのだ、すぐに向かってくれって。
懐に入れっぱなしだった手紙を取り出すと、フォルカーさんは私の手からそれを取って、食い入るように中身に目を通した。
「…私の字ではありませんし、ここに書かれているようなことは何一つ起きていません」
じゃあ…じゃあこれは、誰が書いたものなんだ。フォルカーさんの魔硝石まで同封されていたのに。
「……」
フォルカーさんは少しの間沈黙していたが、すぐにアデルの名を呼んだ。
隣の天蓋から出てきたアデルの姿を見た瞬間、安心感で泣きそうになった。鎧は着たままで、腰には剣も刺したまま。臨戦態勢のままでいたようだ。
彼は私に気付くと目を見開いて固まる。
「おま…っ、何でいるんだ!」
アデルも慌てた顔でこちらに詰め寄ってきた。私が説明するよりも先に、フォルカーさんが手紙を示しながら説明をしてくれる。
「…どういうことだ、誰が——」
「…!」
不意に、大きな力の気配を感じて振り返る。それはフォルカーさんも同じだった。
北の方。普段魔力の気配なんて感じることは無いのに、異様な何かがそこにあるという感覚がある。
「——上です!」
フォルカーさんの声に反応して視線を上げる。上から降ってくるのは、無数の黒い矢。
「——!」
咄嗟に、大隊全員の上に防護障壁を作る。ずっと魔力を使いっぱなしだったから、それだけでかなり足にきた。膝から崩れ落ちそうになったのを、アデルの腕が受け止める。
「おい!」
大丈夫、まだこのままで維持できる。
黒い矢は光の障壁に当たって砕け散った。兵士たちの歓喜の声が聞こえる。
矢は雨のように降り続いた。私とハオランの魔力勝負…となると、こちらの方が分が悪い。私も消耗した状態でここにいるし、矢を作るのと広範囲の防護障壁を作るのとでは、後者の方が圧倒的に魔力消費が大きい。
矢が飛んでくる気配の方に向けて、こちらからも攻撃の矢を投げる。攻撃した方が有利に立てる戦いだ、これは。
「おい、無茶するな!」
アデルの声が遠くから聞こえるようだ。だからと言って手を止められるはずもない。
こちらに向かって走ってくる黒いローブがふたつ。ああ、そうだ——彼らもいた。2人とも魔力量が多いから、防護障壁を代わってもらって、フォルカーさんと一緒に攻撃すればそれで——。
不意に、妙な気配を感じて、思考が止まる。
どす黒い何か。それがこちらに向かって、這い寄るようにするりと飛んでくる。
「…?」
視線を上げる。何の変哲もない黒い矢の雨、その中に混じる何か。
黒い矢は問題なく防護障壁に阻まれている、筈だった。
1本の黒い矢が、防護障壁をぬるりと通過して落ちてくる。
目を見開いたまま動けなくなった私を、アデルの手が突き飛ばした。
「…!」
動揺して振り返ると、アデルの肩に矢が触れたところだった。その矢は鎧と肉体を通過して、すとんと地面に刺さり、霧散して消える。
なんだ、あれは。
知らない、あんな魔術。
アデルは低く呻いて肩を押さえた。
未知の魔術だ。なんだあれは。なんだったんだ。
ぞっとしてアデルに駆け寄り、彼の肩の鎧を無理矢理外す。そこからはどろりと血が流れて、冷水を頭から浴びせられたような怖気が走った。




