64.和解
出発する大隊を、隊舎の屋上から見下ろす。
約1万人で構成される長い列が、敷地を出て、北方に向けて進軍している。早朝、アデルは私に声をかけることなく出発してしまった。
誰もいない。フォルカーさんも、シュナイダー副長も、コンラート君も、コニーもディーも。ここにはもう誰もいないのだ。
いつまで会えないのだろう。それを考えるのは怖くて、無理矢理思考を切り替える。
「……」
朝食の時間だ。食事をもらいに行かないと。
◇ ◇ ◇
隊舎に残っているのは、事情があって出陣しなかった人や、負傷兵だけだ。私は「負傷兵」扱いで居残りということにされている。
閑散とした食堂は、昨日に比べると人の目が少なく、居心地はそこまで悪いということはなかった。嫌がらせされるのも覚悟していたが、食器には通常通りの分量の食事が載せられたし、食事中も誰かに話しかけられるということも無かった。
アデル達が不在の間でも、病院での勤務だけは許可が貰えた。何もやることがないと気が狂いそうだったし、師匠もそれがよくわかっているのか、私の顔色が悪くても清掃などの簡単な仕事はやらせてくれた。
朝起きて食事を摂り、自室で魔術の勉強をして、昼食後は病院で勤務し、帰ったら夕食を摂り、再び魔術の勉強をし、眠る。それだけのルーティンの、変化の少ない日々。
病院の外では誰にも話しかけられない。夜道であっても魔術師を襲おうとする者もおらず、特に問題のない平和な日常ではあった。
大隊が北方の防衛線まで到達するのは、1週間後。それまでの間に手紙を送るのは良くないだろう。そう思って、連絡をするのも我慢した。
どちらかといえば、アデルたちが無事かどうかが知りたいのだ。手紙を送りたいというより、手紙が欲しい。
魔術師が使う連絡手段として、折り畳んだ手紙に魔力を込めて、対象者に向けて飛ばすというものがある。私はまだ使ったことはないが、フォルカーさんはよくこの方法で方々と連絡を取り合っているようだった。
長い距離を飛ばすには魔力の消費が大きいので、長距離の場合中継地点を何度か経由し、その街の郵便係が最後に届ける…ということをするのだと聞いた。
しかし私なら、どんなに遠くに居ても届けられる。
「……」
毎日、ついため息をこぼしてしまった。
アデルにも言われたように、私はどうも寂しいのが苦手だ。昔からそれは変わらず、一人の時間はそこまで苦ではないものの、長時間は耐えられない。
3日ほど経ち、いっそ師匠と一緒に病院で寝泊まりさせてもらえないだろうか、などと考えていた頃、妙なことが起き始めた。
昼食を食堂で摂っていた時、ふと正面の椅子がガラガラと音を立てて引かれ、驚いて顔を上げた。目の前にいるのは、腕を負傷した屈強な兵士だ。その顔は見覚えがある。
帰還中に世話をしたことがある。日に焼けた浅黒い肌、鋭い緑の目、短く切られた黒い髪。背は高く筋肉質で、おそらく30歳前後だろうと思われる。
彼は私の前に座り、自分の分の食事を摂り始めた。
「……?」
食堂内は閑散としていて、私の周りに座っているのは彼だけだ。何故、私の前に座るのだ。
彼は座った癖に、私に話しかけるわけでもない。何なんだ、一体。
不思議には思うが、席を移動するのは流石に心象が悪すぎるだろう。そう思い、こちらもその場から動かず、自身の食事に 再び手をつけた。
私の方が食べるのが圧倒的に遅いので、私の後に食事を始めた彼の方が先に食べ終わった。
彼は食べ終えても私の前から動かず、じっと私の食事風景を見ている。流石にここまでくると居心地が悪すぎて、「何か用か」と訊ねてみた。
「……」
彼は眉間に皺を寄せて、何事か語ろうとするように口を開いては閉じる。
「……?」
そのまま少しして、やっと彼は声を発した。
「その、……怪我の手当てを、してくれただろう」
「……」
「礼を言っていなかったから」
彼はそこまで言って、また少しの間黙り込んだ。
「…大隊のために、魔術を限界まで使って、倒れたってのも聞いた」
「………」
だから何だ。
「悪かった。これまでの非礼を詫びる」
頭を深く下げられた。食事の手を止めて、その頭の天辺を茫然と眺める。
「………」
どう返答するか迷った。視線を上げると、周囲の視線がこちらに向けられているのが見えた。…それでやっと、その目にかつての嫌悪感が含まれていないことに気付いた。
目の前に座る男の肩を叩いて、顔を上げさせる。
頭は下げなくていい。元々、嫌われるのは仕方のないことだと思っていたし、困っていたわけでもない。そう伝えると、彼は複雑そうに顔を歪めた。
彼の方には、私に対して負い目を感じるような何かをした記憶でもあるんだろうか。私の方からすれば皆似たようなものだったし、態度が悪いからという理由で、特定の誰かの顔を覚えているわけでもない。近くを歩けば舌打ちされることなどザラだったが、暴力を振るわれないだけマシだと思っていた。
「……」
どんな言葉をかければ、彼は納得するのだろう。
「…出陣しなかったのは、まだ体調が悪いからなのか」
そんなことはないのだが、頷くしかない。
「それなのに、病院で働いてるのか」
「……」
ああ、ええと…この辺りの整合性は取れていない。しかし頷くしかない。
「…健気だな。何でそこまでするんだ」
働ける程度には体力があるのに出陣しなかった奴、ではなく、出陣できないほど体力を消耗しているのに無理に働く奴、という方に解釈されたらしい。実際のところは、眠りが浅いだけで体力も魔力も有り余っているのだが。
返答に迷い、曖昧に笑って誤魔化すと、彼は口をつぐんで再び黙ってしまった。
謝らなくていいのに。
しかし、謝りたいという気持ちがわからないでもない。そうすることで自分が楽になれるから。
私も、謝れるものなら謝りたい人が沢山いる。
黙りこくる男を前に、食事に戻る。皿に残る料理が残り僅かになった頃、男は再び口を開いた。
「…何か、困ってることはないか」
「…?」
別にない。
「病院への送迎はいつも大隊長か副長がやってただろう。必要なんじゃないのか」
いや、別に…というかその原因の一端が目の前にいるのだけど、というのは黙っておく。立場がある人間が近くにいないと何が起きるかわからないから、というのが一番の理由だったのだから。ただ、今に限って言えば、以前よりまともに魔術が扱えるようにもなり、何か起きたとしても相手を傷付けずに制圧することができるようになった、という理由で不要だ。
…アデルにはそれは言わなかったし、アデルも「もう不要じゃないか」とは言わなかったから、送迎はしてもらっていたけど。少しでも繋がりは残しておきたかったから。
「今日から俺が送ってやる。これまでの非礼の詫びに」
「……」
どうしよう。何か恩返しをしないと気がおさまらない、という空気を感じる。
しかし私と一緒にいると、この人も良い目では見られないのではないか。そう返してみると、彼は首を振った。
「今は、…少なくともここにいる奴らは、お前に世話になったから」
隊舎に残っているのは、負傷兵が殆どだ。
少し考える。
ここで断ることもできるが、兵士たちと友好な関係を築くきっかけを潰すことになりそうだ。
頼むことにしよう。お願いする、と返すと、彼はほっとした表情で息を吐いた。
◇ ◇ ◇
男の名前はレナート、生まれも育ちもこの国で、生粋のアーベントロート・エンデ人なのだという。彼はファウスト侵攻の際、鎖骨と利き腕を骨折し、今はまだ武器を持てない。
「俺は、グラハム大隊長がまだ部隊長だった頃、あいつの直属の部下だった」
病院への道すがら、彼はそう語った。
年齢は近そうなのに、と思って訊いてみると「2歳しか違わない。俺は29で、大隊長は31だ」と教えてくれた。そういえば、アデルの年齢は聞いたことがなかった。31歳だったのか。大隊長になって5年ほど、と聞いたし、つまりは26くらいで現職についたということになる。苦労は多かっただろう。
「出身はどこだ」
「病院ではどういう仕事をしているんだ」
「病院に行く以外は外に出ないが、部屋で何をしているんだ」
「ファウストの砦を落とした時はどんな魔術を使ったんだ」
基本的に、一方的に質問を投げかけられるだけの会話だ。答えられる範囲で答えていると、ふとレナートは足を止めた。
「…?」
「…俺たちは、お前に色々と、嫌な態度をとっていただろう。それなのに、何で倒れるまで戦ったんだ?」
「……」
良くしてくれる人がいたから、その恩に報いようと思った。
「それだけで?」
それ以外に理由がいるだろうか。…その意味の重さは、人によって違うかもしれないが。
私は、【蝙蝠】にいた間、ずっと苦痛を感じていたから。アデルにだって利用する目的もあっただろうが、気遣ってくれる存在は私にとっては重かった。
「てっきり、グラハム大隊長とできてんのかと思ってた」
一瞬思考が止まった。慌てて首を振る。
「違うのか?大隊長が妙に近寄らせなかったから、何かあるのかと思ったんだが」
その理由はよく分からない。
「別に、できてたところで今更何とも思わないが。もしそうだったとしても、そのお陰で命が助かるなら御の字だ。ファウスト侵攻も、本来ならもっと人死が出てただろうしな」
「……」
それは事実だろうと思う。
シュナイダー副長は参謀として優秀な人だろうと思うし、フォルカーさんもとても有能な魔術師だ。第15大隊はアデルを筆頭に戦闘力の高い大隊だというが、それでも限界はある。魔力量の多い魔術師が組み込まれるだけで、戦術の幅も広がる。
…しかし、こういうことに関してはもっと反感を持たれるだろうと思っていたのだが。今「魔術師長」という役職を与えられているのも、アデルに取り入ったからだと思われるのではないかと。この国の女性は立場も低いから。
「ああして眼前で凄まじい魔術を使われたら、反感もクソも無いだろう。妥当な評価だ」
「……」
案外この国の人は現実的というか、変わり身が早いのかもしれない。生きていくためには必要か。
「大体のやつはそう思ってるんじゃないか。それでも気に入らねえ、って奴はいるだろうが」
再び歩き出したレナートの横を歩く。彼は初めから私の歩みに歩調を合わせてくれた。
病院の前に着き、つい安堵の息を漏らしてしまった。まだ然程知らない相手と長く会話するのは少々疲れる。
レナートは私に向き直り、じっと視線を向けてくる。この、何を考えているのかよく分からない視線が怖い。
「病院勤務が終わるのは何時だ?」
だいたい18時くらい。
「じゃあその時間になったら入り口で待ってる」
「……」
迷いつつも頷いて、彼と別れる。
彼らと距離を縮めるためにこういう時間も必要かと思っていたのだが、既に後悔しはじめていた。やはり気疲れする。
更にその上、病院での勤務を終えた後、外で待つ人影が2人に増えているのが見えた時、心が折れそうになった。




