63.出陣に向けて
第15大隊は、北方への出陣に向けて動き出していた。
4日後には全隊が首都に戻り、慌ただしく準備が進む。フォルカーさんは戻ったその日のうちに私の元を訪れ、数冊の本を渡した。
「申し訳ありませんが、魔術を教える時間がありません。戦闘に関する魔術はこちらを参考に、これは防衛術に特化した魔術書で…」
矢継ぎ早に一気に説明して、フォルカーさんは疲れた顔で息を吐いた。
「…すみません、こうなるとは思っていませんでしたから、大した用意もできず」
フォルカーさんが謝るようなことではないのに。
今回私は出陣しない。
エレイズに【蝙蝠】が介入した。何が起きるかわからないから残れと。
こんな時こそ行くべきではないかと、どんなに頼み込んでも、許可がもらえなかった。
「本来であれば、きちんと訓練もするつもりでしたが…」
フォルカーさんはこれから忙しくなるだろう。副長という立場もあるのだから。
「私は時間が作れませんが、コルネリウスさんとディーデリックさんに訓練を手伝っていただくことは可能でしょう。話は通しておきます」
ありがとうございます、と返すと、フォルカーさんは「それでは」と一礼して部屋から出て行った。
ため息を漏らしながら、椅子に座って本の表紙を開く。
アデルと全く話ができていない。食事すら一緒に摂れていない。
アデルは私の分の食事を部屋に運んではくれるが、「悪いが時間が取れない」とすぐに部屋から出て行ってしまう。彼も仕事で忙しいことは重々承知しているから、引き止めるわけにもいかない。
帰還してからしか話をする時間は取れないだろう。…第15大隊もアデルも強いというから大丈夫だろうと思いたいが、心配にはなる。
本来なら私も出陣した方がいいのに、守られているというのは落ち着かなかった。
◇ ◇ ◇
「失礼します」
出発の前日の夕方頃、双子が部屋に訪れた。2人ともローブが土埃で汚れている。日中は出陣準備で忙しかったはずなのに、こうして時間を作ってくれたことには感謝しかない。
彼らは私の部屋に入ると、不思議そうに視線を巡らせた。
「サヤ殿の部屋はもっと豪華で広いものだと思っていました」
…私をどこぞの王族とでも思っていたのだろうか。
室内には椅子が2脚しかない。2人はそちらに座らせて、私の方はベッドに腰掛けた。
お茶を淹れて出すと、2人は同時に頭を下げて、こくりとひと口飲み下す。
忙しいだろうに、来てもらって申し訳ない。
「お気になさらず。我々もやりたくてやっていることです」
「サヤ殿が魔術を使う姿をもっと見てみたかったので、我々としてもこの提案は渡りに船と言いますか。全く迷惑ではありません」
彼らはそう言って、顔を見合わせて小さく笑った。
「戦闘に関する魔術の習得訓練、でしたね。対人を想定した訓練を、とモーガン副長から言いつかっております」
「……」
フォルカーさんが既に全て伝えてくれているようだ。
「サヤ殿は、魔術師との戦闘経験はどの程度ございますか?」
殆ど無い…というか、コニーとディーとの戦闘しか経験がない。それまではただ一方的に扱うだけだった。
「ある意味光栄なことですね」
「そもそもサヤ殿に匹敵するほどの魔術師はそうそういないでしょうが」
「……」
「魔術師同士で戦闘になった場合、何よりも重視するのは魔力の節約と効率化です。必要以上に魔力を使わないことが重要です」
「魔力差が大きくなければ、時に格上の相手でも押し勝つことも可能です」
…ハオラン相手であれば、必須の技術だろうか。
「しかし、防御の際、相手の魔力量を見誤れば死ぬこともあります」
「…………」
彼と戦闘になった場合、大きな魔力のぶつかり合いになるだろう。見極めに失敗すれば確実に死が待っている。
その見極めの方法を教えてほしい、と2人に頭を下げると、彼らは慌てた様子で手を振った。
「頭を下げないでください」
「もとよりそのつもりで来ています」
「早速始めましょう。まずは魔力量の見極めから」
そう言って立ち上がった彼らに合わせて、私も腰を上げた。
その後は外の練武場で彼らから魔力量を測る方法を教わり、一通り基礎となる防御術について学んだ。
防衛魔術は大まかに、障壁による防御と、解除による防御、中和による防御の3つの方法がある。普段使われる初歩的魔術…というより、魔術で攻撃をされる前に準備段階としても出すのが防護障壁だ。私もこれは使う機会が多く、属性も組み込んで使うこともできる。
解除や中和というものは難易度が高い。相手から向けられた魔術が何かを読み取り、解除にあたる魔術を使うか、魔術そのものを中和させるように、同量の魔力を込めて魔術を返すか。これを使うためには相手の魔術と魔力量を正しく測らなければならない。
「瞬時にこれらを正しく測るには修練が必要です。習得には、一般的には10年はかかると言われます」
コニーはそう言った。
「魔力を測る魔術というものがあります。視覚である程度分かるようになりますが、完璧に把握するには経験も必要です。相手の力量から、大きさと密度で、どの程度の魔術が使われるか見るのですが…これらを即時に判断するのは非常に難しい」
その魔術とやらを教わったが、目で魔力が見えるようなりはするものの、活用するには難しそうな印象を受けた。相手から飛んでくる魔力の塊は見えても、それがどの程度の強さのものか分からない。
「一朝一夕で身につくものではありませんから、防護障壁で身を守るのが現状の最善手かと思います。解除は相手の魔術の把握が必須なので知識が必要ですし、中和は相手の魔力と質、属性を把握する経験が必要です」
ディーもそう言って、防護障壁の組み方と種類について説明してくれた。防護障壁については必要な範囲でしか習得していなかったが、話を聞いてみると奥深い。強度が上がる組み方、効率的な属性の組み込み方。
話をしていると遅い時間になり、その日は初めて食堂で食事を摂ることになった。コニーとディーから、フォルカーさんにそう指示をされたと聞いて驚く。まだ嫌われているだろうに…いや、しかしそう指示されたということは、フォルカーさんの目から見ればマシになっていたんだろうか。
混雑する時間を少しばかり過ぎた食堂へと入ると、奇異の目でじろじろと見られた。フードを目深に被ったまま、コニーとディーの後ろを歩く。
2人は昼食でも利用したらしく、ここでの食事の受け取り方も知っていた。
「トレーの上に皿を乗せて、カウンターに渡せば料理を注いでくれますよ」
私の方がここでは先輩のはずなのに、2人の方がこの隊舎のことをよく知っているとは、お恥ずかしい。どうしたらいいのだろうかとまごついていると、2人が全て教えてくれた。
今日の夕飯は、野菜と豆のスープに、焼き魚と温野菜のサラダ、丸いパン。食堂の端の席に座り、3人で向き合って食事に手をつける。
1人だったらこの空気に気後れしていただろう。食事中も視線がこちらに向けられているのは落ち着かない。しかし以前のように突っかかってくる人影はない。流石に魔術師3人相手では分が悪いと踏んだのか、以前私が魔術で蹴散らしたから恐れているのか。
…そういえば、大隊が出陣したら、私はここで1人で食事を貰うしか手がなくなる。今のうちにこの環境に慣れておかないといけない。
◇ ◇ ◇
2人と別れて自室に戻り、少し経った頃、アデルが部屋を訪れた。彼から私に話しかけてくるのは久しぶりのように思う。顔を見られただけで、純粋な嬉しさで気分が高揚した。
しかしお茶を出そうと用意すると、「すぐ戻るからいらねえ」と言う。
「……」
高揚していた気分が急激に落ち込んだ。明日には出陣で、もう暫く彼と顔を合わせることもできないのに。
アデルは椅子に座らず、立ったままこちらを見下ろした。
「今回は長期戦になる可能性がある。下手したら年単位で戻れねえかもしれねえ」
「………っ」
そんなにかかるなんて思っていなかった。
じゃあ、ずっと会えないのか。そんなのは嫌だ。衝動的にアデルの服を掴んで縋る。
連れて行ってほしい。絶対に役に立つから。絶対に負けないから。
これまで何度も伝えた言葉を、再び伝える。きっともうこれが最後のチャンスだ。
「駄目だ」
アデルはそう言って私の腕を引き剥がした。
「俺たちはお前を守りきれない。お前しかお前を守れないんだ。だからここに残すんだよ」
「……」
そんなのもうどうでもいい。戦うと決めたのに。
「今回は駄目だ。【蝙蝠】が関与する以上、ハオランて奴も出てくるかもしれねえし、お前を連れ戻そうとするかもしれねえ。俺は…」
アデルは一瞬言葉を詰まらせるように黙り込んだ。
「…俺は、お前が居なくなる方が嫌なんだよ」
大きくて優しい手が、私の頬に一瞬触れて、すぐに離れていく。
「魔術を使った連絡手段は知ってるだろ。なんかあったら…何もなくても連絡していい。近況でも何でも。俺からはフォルカーに頼むしかねえし、あんま返事できねえと思うが」
アデルは小さく苦笑した。
「お前は寂しがり屋だからな。いつでも連絡しろ」
「………」
「じゃあ、な」
アデルは私の髪を軽く撫でて、部屋から出て行ってしまった。
「……」
嫌だ。どうして一緒にいられないんだ。
私がもっと強ければ良かったんだろうか。心配なんていらないくらい。心配なんてさせないくらい。
悔しくて仕方なかった。




