62.埋まらない隙間
◆ ◆ ◆で視点変更です。→アデル
目を覚ました時間は、私がいつも病院から出る18時より少し前だった。
「起きたか」
師匠は散らかった机の向こうから、私に声をかけた。
「取り敢えず茶でも飲め」
あたたかい緑茶が目の前に出された。私が目を覚ます時間に合わせて用意してくれたんだろうか。ありがとうございます、と返してそれをゆっくりと飲む。
師匠は黙ったまま、私がお茶を飲み切る5分ほどの間、書類に視線を落としていた。
「…気持ちの整理はついたか?」
私の手の中のカップが空になった頃、彼はまた口を開いた。
「……」
正直な言葉を、師匠に向けて語る。
皆の平穏のために戦う覚悟はできているのに、自分がそうなりたいと思うにはあまりにも多くの非道な行為に手を染めてきてしまったと、そう思う気持ちは変わらない。
「…ああ」
それでも、幸せを夢見る。
別にアデルに好きになってもらわなくてもいい。それはやはり変わらない。…もし好きになってくれたら、と思わないわけではないけど、アデルの幸せの方が大切だから。
だから、恋人になりたいとか、そういうわけではなく、ただ側で、一緒に笑い合える関係でいたい。
「お前らしい答えだな」
医学にも打ち込みたい。私のやったことは帳消しにはできないし、それは重々承知しているが、そうすることで自分の心の一部を守れるような気がするから。…結局のところ全部自分のためだが。
「全く悪いことじゃない。自分のために生きられない方が不健全だ」
師匠はそう言って立ち上がった。
「玄関まで送ってやる」
私の方もソファから立ち上がって、師匠の前に進む。師匠は腕を組んで私の顔を見下ろし、ふんと鼻で笑った。
「お前は小心者だからな。まだ時間はかかるだろう。まあ頑張れ」
師匠はあまり「頑張れ」とは口にしないのだが、そう言って私の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。
◇ ◇ ◇
「…顔色が良くなったな」
迎えにきたアデルは私の顔をちらりと見下ろしてそう言った。
夕方までの数時間眠ったおかげで、頭も体もすっきりしていた。魔術で無理矢理脳を眠りにつかせる場合、夢を見ることもない。
アデルはふらりとそのまま歩き出してしまって、慌ててそれを追いかける。
彼のゆっくりとした歩みについていきながら、その後頭部をぼんやりと見上げた。
ちゃんと言わなきゃ。嫌じゃないって、言わなきゃ。
師匠には「さっさと告白すればいい」と言われたが、なかなかその勇気は湧いてこない。でも曖昧にしちゃいけない、ちゃんとしなきゃ。せめて、嫌じゃなかったのだということは伝えないと。
「………」
なんて切り出そうかと悶々としているうちに、気付けば隊舎の前についている。今日は晩御飯は隊舎の食事のようだ。
「部屋で待ってろ、運んでやるから」
自室に戻って食事をして、お風呂に入り、着替えるまで、我々の間に殆ど会話は無かった。アデルは「じゃあな、おやすみ」と言って自室に戻っていってしまう。
それを追いかけて、アデルの服の裾を掴む。
「…?何だ?」
「………」
ええと、ええと。
「用が無いなら戻れ」
違う、用が無いんじゃなくて。
「…?」
アデルは眉間に皺を寄せて、怪訝そうにこちらを見下ろした。
すき、という言葉はすぐそこまで出かかっているのに、どうしても出てこない。
一緒に寝るのは、嫌じゃないんだ、と伝える。
…結局怖くて逃げた。彼に拒絶されないと分かっているところだけ、正直に言う。小心者め、と頭のどこかで師匠の声がした。
「嫌じゃねえなら、何で嫌そうにしてんだよ」
違う、嫌なんじゃなくて、遠慮しただけで。
「遠慮?しなくていいだろそんなもん」
だから、また一緒に寝たい。…嫌だというのが違う、とちゃんと伝わるように、迷いながらそう言った。
「………」
アデルは少しの間沈黙して、私を見下ろす。
「…何でそうしてえんだ」
そう返されると思っていなかった。だってアデルが言い出したことだから。
「……」
ええと、ええと。一緒だと良く眠れるし、あたたかくて、心地良いから。
「ふうん。じゃあ別に俺じゃなくてもいいだろ」
「…っ」
慌てて首を振る。アデルがいい。
「何でだよ」
「………」
アデルのことが、好きだから。…なんてすんなり言えたらいいが、結局言葉にできず黙ることしかできない。
「…それに、一人でもうなされないんだろ」
「……」
大丈夫だと言ったのは私自身だ。
言葉に詰まって黙ると、アデルは「じゃあな、おやすみ」と言って、灯りを消してベッドに向かっていってしまった。
◇ ◇ ◇
翌朝になっても、私たちの間に流れる微妙な空気は変わらない。
悪夢は見なかったと思うが、悩むことが多くて深い眠りにはつけなかった。
アデルは必要最低限しか私に触れないし、会話も少ない。
どうしよう。私があんなこと言ったから。
嫌われているかもしれない。いや、あんな態度を取ったんだから嫌われて当たり前だ。
どうしたら前みたいに普通に話ができるんだろう。
どうしたら前みたいに触れ合えるだろう。
関係が壊れるのが嫌だった筈なのに、結果的に今、以前のような関係は壊れてしまっている。
「…お前……」
その日、病院に行くと、また師匠に呆れた目を向けられた。顔色が悪いから魔術を使って顔色を良く見せていたのだが、彼はそれを見抜いてしまったらしい。
「その顔色を解決させるまで仕事はやらんと言った。帰れ」
「…っ」
そして言葉通り問答無用で叩き出された。
「あ?何で出てきてんだ」
まだ病院の敷地内を歩いていたアデルのところに慌てて戻ると、彼はきょとんとした顔でそう言った。
「なんか忘れもんか」
首を振って、「今日は働かせてもらえなかった」と返す。
「は?何でだよ」
「………」
どう返したものか。一瞬迷って、師匠が忙しいから、と返答した。
「忙しいんなら手伝って欲しいもんじゃねえのか?」
…手伝えない仕事だから。
「ふうん」
アデルは興味の薄そうな返事を返して、視線を通りの方に向けた。
「じゃあお前、今日はどうすんだ」
「………」
どうしよう。
アデルは仕事だろうか。
「ああ。昨日シュナイダーの隊が戻ったからな。そっちの仕事がある」
「……」
手伝えることはないだろうか。
「現場の手伝いくらいはあるんじゃねえか」
そうじゃなくて、アデルの仕事の方で。
「特にねえな」
アデルはそう言って歩き出した。その後ろをついて歩きながら、彼の表情を窺う。
感情の読めない無表情。結局会話らしい会話もなく隊舎に帰り着いてしまった。
「じゃあ俺は仕事に戻る」
アデルは私の部屋の前でそう言って、執務室の方へと歩き出そうとした。慌てて袖を掴んでそれを止める。
アデルは私の顔をちらりと見下ろして、「何だ」と返した。
言わなきゃ。もう、自分がどうなりたいか決めたんだから。
「……」
体の奥から絞り出すように言葉を紡ぐ。
ちゃんと伝わらないと意味がない。もう逃げちゃいけない。
前みたいに、もっと沢山話がしたいし、もっと沢山触れ合いたい。
嫌なことなんてひとつもなかった。アデルと一緒にいるのは楽しくて、幸せだから。素直な言葉で、そう伝える。
「……」
アデルは何も言わなかった。
ゆっくりと息を吐いた。喋っているわけではないのに、緊張で口の中が乾く。
ちゃんと、言うんだ。
アデルのことが、——。
「大隊長」
ノックの音と共に、焦った表情のシュナイダー副長が部屋に入ってきた。
「本部から連絡が入りました。北部が動き出しています」
「…何だと」
「執務室へお願いします」
「わかった、すぐ行く」
アデルはシュナイダー副長に頷きを返してから、こちらに向き直った。
「それで、何だ?」
「………」
何でもない。首を振った。
「…?わかった。取り敢えず部屋で休んでろ」
「……」
頷いて彼を見送る。…多分、彼は今それどころじゃないだろうから。だから今は言うべきじゃないだろう。そう思った。
◆ ◆ ◆
「北のエレイズが動き出したそうです。今動ける第4・第8・第11大隊が出ました。我々も全隊が合流したら3日以内には出陣せよ、とのことです」
「第7は」
「第7は今南方ロマノフとの国境警備です。第1はここから動けませんから…」
「…うちしかないか。帰還してすぐとは、全員に負担を強いることになるな」
「…断ることはできません。今回は防衛戦になります。エレイズも数で攻めてきたので、大きな戦争になるでしょう。そして…どうやら【蝙蝠】も介入しているようだと、本部の人間が漏らしていました」
「……」
思わずため息が漏れる。
「サヤはここに残すしかないな」
「それは、彼女に離反の可能性があると?」
「そうじゃねえ。【蝙蝠】にはあいつより強い魔術師がいる。自分から離れることはねえだろうが、【蝙蝠】からしてもサヤの存在は大きかった筈だ。もし相手がその気になれば、簡単に連れて行かれるだろうな」
「それは確かに、我々の大隊にとって大きな損失ですが…彼女無しでは、犠牲も伴うでしょう。ファウスト侵攻のように簡単にはいきません」
「…少し考えさせてくれ」
そう返答して、一旦シュナイダーを帰した。
フォルカーとギュンターの隊には連絡を送るが、彼らが合流するまで、急いだとしても最低で4日はかかるだろう。それまでには決めなければならない。
サヤは何か話をしたそうにはしていたが、暫くそれも難しそうだ。地図を取り出し、シュナイダーから渡された書類に目を通していく。
エレイズが【蝙蝠】の手を借りたのは今回が初めてだ。隣国であるヴェネヴェとの小競り合いでそんな余裕もないだろうと思っていたが、ここに来てこちらに向かって動くとは思わなかった。
サヤを動かしたくはない。相手が【蝙蝠】を介入させているなら尚更だ。
サヤを失いたくはないし、【蝙蝠】に戻された時、サヤがどう扱われるか考えたくもない。
これは彼女を守るための戦いでもあるのだ。
…サヤは何を言いかけたのだろう。
以前のように、もっと話をしたり、触れ合ったりしたいのだと言っていた。その先の言葉は邪魔が入って聞き出せなかった。
無理に一緒に寝るよう仕向けた。彼女に触れたくて、うなされてもすぐに気付けるように、などとこじつけて。拒絶されて当たり前だ、性急過ぎた。気を遣って「嫌だ」という言葉を口にしないようにしているように見えた。
自制しなければと、なるべく近寄らないようにした。
エレイズからの侵攻を止める防衛戦までは、なかなか彼女との時間を作るのも難しい。
「ままならないな」
漏れた言葉に返事をする人間はいない。再び漏れたため息が、白く濁って空気に溶けた。




