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61.病院にて

 アデルに避けられている、気がする。

 いや、避けられているというか、…関わらないように気を遣わせているのか。

 食事は一緒に摂っているが、それ以外の時間は彼は直ぐに執務室へ行ってしまうし、夜一緒に寝るなんてこともない。会話をする機会も減って、彼が休憩をしに部屋を訪れることも無くなった。


 拒絶したかった訳ではなかったのに、弁明しようと思ってもどう言ったらいいのかわからない。


 でも、これで良かったのかもしれない。

 距離が近すぎたんだ。アデルの優しさにつけ入っていた。

 そんなことは、してはいけなかったのに。


 モヤモヤした気持ちのまま部屋で一人の時間を過ごすことが苦痛で、アデルに「病院で仕事をさせてほしい」と頼み込んだ。彼は嫌そうな顔はしつつも、「わかった」と頷いてくれたので、結局帰還してから3日目には元の生活に戻る形になった。


 送り迎えはアデルのままだが、移動中殆ど会話もなく、どうしたら前みたいに接することができるのかも分からず、彼と言葉を交わすことが難しくて仕方ない。

 ちゃんと話をしなきゃ、…でも、何を話せばいいんだろう。


 ◇ ◇ ◇


 ほんの1、2ヶ月ほどしか離れていなかったのに、体感では1年ぶりくらいに感じる。師匠の顔を見ると安心してしまった。

 病院には、帰還してきた第12大隊の負傷兵が運び込まれているようだ。重傷者自体は少ないので、特に混雑している様子はない。帰還する行軍中は負傷者の看護を手伝っていたので、見知った顔もちらほらと見えた。


 師匠は丁度受付係と何事か話をしていたようだ。彼は院内に入ってきた私の方に気が付いて、驚いた顔でこちらに走り寄ってきた。

「何だ、もう来たのか。遠征から戻ったばかりだろう、顔色が悪いぞ」

「……」

「体調が悪い人間にこの仕事が務まるか。帰れ」

 いや、体調は悪くないんだ。慌てて弁明して、頼むから働かせてほしいと頭を下げる。…というか、師匠だっていつも目の下に濃い隈があるし、顔色だってそんなに良くはないのに。

「ちょっと来い」

 師匠はそう言って、ずんずんと廊下を歩き出した。一体どこへ向かうのだろうかと追いかけると、彼は自身にあてがわれている小部屋の扉を開け、こちらを振り向く。

「入れ」

「………」

 室内に入ると、書類や薬品で散らかった部屋の奥にあるソファに座るよう促された。…師匠に逆らう勇気はない。素直にソファに座ると、師匠はその前に置かれたローテーブルに腰を下ろして、腕を組んでこちらを見下ろした。

「顔色が悪い自覚はあるか」

 …ある。

「それに心当たりはあるか」

 あまり眠れていないから。

「他に、調子が悪い所はあるか。頭痛や吐き気は」

 そういうものはない。

「一応熱を測れ」

 渡されたのは、青い色をした薄い板だ。熱が加わると色が変わるもの。それを口に咥えて、追加で出されていく質問に答える。

「ふらつきや目眩はあるか」

「不眠はいつからだ」

「その時に、何か強いストレスを感じることはあったか」

 矢継ぎ早に訊かれ、誤魔化すことも難しい。しどろもどろになりながらも正直に答えていると、師匠は私の口から金属板を引き抜き、ふむ、と唸る。

「熱はないな。お前は確か、昔【蝙蝠】にいたんだったか」

 フォルカーさんから聞いていたらしい。私が正直に「記憶が戻った」と伝えたことで、彼は私が眠れない原因に察しがついたようだ。

「どんな悪夢を見る」

 眼鏡越しにこちらを見下ろす彼の目はとても静かだ。難しい手術をしている時も、私を叱っている時も、視線が持つ空気感に差がない。動じない、強い人。こういう人からしたら、私の悩みなど些末なものなのだろうか。

 つらつらと悪夢の内容について語ると、師匠はほんの少しだけ眉根を寄せて、小さく息を吐いた。

「記憶が戻ってからは毎日その状態か?」

 こくりと頷く。

「その顔色になる訳だ。フォルカーにも言っていないのか?」

 そもそも、眠れていない、という話は誰にもしないようにしていた。同じ部屋のアデルには気付かれたが、彼もおそらく誰にも言っていないから、フォルカーさんは知らないだろう。悪夢の内容まで話したのもこれが初めてだ。

「早く相談しておけば、魔術で意識を落とせただろうに。…まああの方法は体への負担も大きいし、長期的に見るとあまり良い手ではないが。お前がその顔色でうろちょろしていて気付かんとは、あいつもまだまだだな」

 いや、…特に今日は、アデルのことで悩み、眠りにつくのにも時間がかかったから、余計に顔色も悪かったかもしれない。ぼんやりしていて、鏡を注視することもなかったから、自分が今どんな状態に見えているのか良くわかっていない。

 普段はもうちょっとマシなんだ、と言い訳をすると、師匠はふんと鼻を鳴らした。

「じゃあ何だ、今日のその顔色には、他に要因があるのか」

「…」

「俺に誤魔化しが効くと思うほど、お前は馬鹿じゃないと思っているが」

「…………」

 それは重々承知している。しかし、それでもあまり口にしたくないというか。

「自白剤という存在を知っているか」

「……っ?」

「ふむ、知っていそうな顔だ。お前がそのまま黙秘するなら使おうと思うが」

「……」

 本当に誤魔化しが効かない相手だった。


 …師匠は、誰かを好きになったことがあるんだろうか。

「無い訳じゃない」

 恋愛的な意味で。

「ああ、そういう意味で、無い訳じゃない」

「………」

「何だその顔は」

 師匠は40代くらいの男性だが、正直彼はそういうものと無縁だろうと思っていた。仕事をすることが最優先で、それ以外が二の次、という感じの人だから。

 しかし、「無い訳じゃない」という捻くれた返答なのは…過去に何かあったのか。

「それで、それがどうした。恋に悩んで眠れなかった、ということか?」

 まあざっくばらんに言ってしまえばそう。

「相手はグラハム大隊長か?」

 嘘、何でバレてるんだ。思わず驚いた顔で師匠を見てしまった。

「やはりそうか。見ていれば察しはつく」

 なんで、どうして。

「いつも迎えに来る大隊長に向かって、嬉しそうに駆け寄っていただろう」

「…………」

 あの頃は、まだ無自覚だった筈なのだが。他人に興味が無さそうな師匠に気付かれていたなんて。

「何を悩むことがある。好いているならさっさと言えばいいだろうに。立場など気にする必要はないだろう」

「………」

 師匠はかつて、さっさと言ったんだろうか。

「悩む時間が無駄だ」

 師匠らしい返答が返ってきた。確かに彼はそういう無駄を嫌うだろう。

「何をそんなに尻込みしているんだ」

「………」

「傷付くのが怖いか」

 理由の一つはそう。

「それ以外に理由があるのか」

「……」

 迷いつつ、正直に今の気持ちを伝える。


 これまで沢山酷いことをしてきて、誰かを好きになって、幸せになりたいと願うなんて、おこがましくないか。


「くだらない」

 師匠は私の言葉を一蹴した。

「くだらない悩みだ。誰もそこまで気にして生きてない。随分生温い環境で育ったようだな」

「……」

「人が人を好きになるのは自然なことだし、不幸になりたい奴なんていない。幸せになりたい、と思うのが普通で、人間として健全な状態だ。それでもそれが気になるなら、別のことで挽回すればいい。医学に打ち込むのも手段の一つだ。奪った以上の命を救えばいい」

「……」

 ただ自分が楽になりたいから、という理由で、人を助けるのか。

「それの何が悪い。結果的に誰かの命が助かるなら、過程にある理由や感情に意味は無い。俺が医師をしているのも、別に高尚な理由がある訳じゃない」

「………」

 膝の上で握っていた手を見下ろす。…そんなことでいいんだろうか。でも、もしかしたら…そうやって生きていたら、折り合いがつけられるかもしれない。

「問題は解決したか?」

 なんとなく、幾分かは。

「それなら、さっさと告白しろ。悩んで眠れないのは不健康だ」

 それはちょっと性急すぎやしないか。

「何故しない。大隊長と何かあったのか?」

「……」

 色々あった、思い出してみると色々と。


 酔ったアデルには襲われかけたし、記憶が戻って辛かった時は助けられた。抱き締めて、撫でて、優しくしてくれた。うなされて睡眠が浅いことを心配して、先日の夜には抱きしめて眠ってくれた。


 …というのを全て語るのは流石にまずいような気がして、先日の夜のことだけ言うことにした。うなされるのを心配して、一緒に眠ってくれたのだと。

「良かったじゃないか。相手もお前のことを嫌ってる訳じゃ無さそうだが?」

 嫌われている訳ではない…というのは、自分でも感じている。その先の感情が分からないだけで。

「今日は一緒には寝てないのか」

 眠ったのは1日だけで、この曖昧な関係で一緒に寝るのはどうかと思って断ってしまった。

「そんな理由で断ったのか?気にすることはなかっただろうに。それで、二人では良く眠れたのか?」

 とても良く眠れた。

「だったら一緒に寝ればいいだろう。薬や魔術に頼るよりよっぽど健康的だ」

 しかし、こんな曖昧な状態でそれを続けていいものか。

「曖昧にするかを決めるのはお前だろう。曖昧が嫌ならちゃんと伝えればいい。お前の顔色が悪いうちは、俺はお前に仕事は振らんぞ」

 ぐ、と言葉に詰まる。

「医者として言うなら、薬や魔術に頼らず、良く眠れる方法があるのであれば、当たり前だがそっちを薦める」

 …それはそうだろう、医者じゃなくてもそう思うに決まってる。

「今日のところはここで寝てろ。仕方無いから魔術で意識を落としてやる。今日だけだぞ」

 師匠に促されて、そのままソファに横になる。


 アデルに何をどう言えば、と考えることは沢山あるのに、強制的に意識が落とされては考える時間はない。

 意識を落とされる前に、「師匠は実は恋の師匠でもあったんですね」と軽口を叩いたら、額を小突かれた。

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