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06.行軍開始

 行軍は思ったよりもゆっくりとしていた。馬での移動だし走るのかと思っていたのだが、歩兵の速度に合わせて、一定のペースで進む。私は先頭から少し後ろあたりで、フォルカーさんの馬にずるずると引き摺られていた。舗装されているわけでは無い道は時々大きな石があり、ソリが乗り上げ、大きく揺れることがある。毛布を敷いていてもその衝撃が腰にくるし、尻も痛い。膝を抱えて座ったり、正座してみたり、横座りしてみたり、色々試してみたがどの姿勢でも痛い。結局膝を抱えて座る姿勢に落ち着いた。


 最初は周りの兵士からじろじろと物珍しそうに見られていたが、次第に興味を失ったようで、視線を送られることも無くなってきた。この部隊の半数以上はおそらく徒歩だ。自分だけ楽させてもらっているようで、少し気まずさのようなものがある。

 大隊、というのが一体何人で構成されているのか分からないが、想像していたよりもずっと多く、長い長い列ができている。隊を2つに分けて移動しているらしいのだが、半分でもざっと5000人くらいはいるのでは無いだろうか。そのうちの一部が騎兵隊のようで、馬に乗って移動している。騎兵は甲冑を脱いだ軽装だが、歩兵は鎖帷子とサーコートを身につけていた。サーコートの色は赤、その中に白で何かの紋様が描かれている。葦のような植物と鳥、のように見える。

 頭を覆う兜は、付けたままの人もいれば、外して腰に下げている人もいる。これから何処かを攻めるための行軍では無いからか、少しだけ気の抜けた雰囲気だ。


 やることもないので、抱えた膝に額をつけて目を閉じていた。こんな振動で眠れるわけもなく、というか、ぐっすり眠った後なので眠気も来ない。

 これまで、おそらく嫌な思いをしていた期間が長かったのではないかと思う。何年そうだったか分からないが、じっとしていると嫌なことばかり思い出しそうで、恐怖を感じる。

 不思議と、あちらの…自分の家に帰りたいという気持ちが起きない。帰りたくないわけではない、ただ、諦めている。それにこれだけ時間が経って帰ったところで、どう生活して良いのかも分からない。あの頃の友達は、きっともう大学を卒業して、就職しただろう。今の髪の長さからして、少なくとも3年は経っているに違いない。もしかしたら、もっと、かも。あまり考えたくはない。


 こんな状態で2週間も過ごさないといけないのか。誰か話し相手になってくれたら良いのに。一方的に話してもらうことしかできないが、そんな人がいてくれたら。フォルカーさんにずっと魔術理論の説明をして欲しいくらいだ。

 合図の声が聞こえ、行軍がゆっくり止まる。馬から降りたフォルカーさんが、休憩です、と教えてくれた。兵たちは道から少し外れて、思い思いの格好で体を休め始める。

「食事です。昼は保存食を食べつつ、食糧も探します」

 彼はそういって、ブロック状の塊を私に渡した。カロリーメイトをもっと茶色くして、硬くしたような感じだった。ずっしりとした重みがある。一体何でできているのだろう…。無臭だ。

「私は食糧を探します。こういったことは、魔術師が対応することが多いのです。弓を射るよりも手っ取り早いので。あなたはここにいてください」

 彼は一人で森の中へ入っていく。動物や植物を取ってくるのだろうか。どうやって捕まえるのか、とても興味がある。

 普通に歩けたらよかったのに。魔術とやらで、歩けるようにならないものだろうか。


 30分ほどで、フォルカーさんは10羽ほどの鳥と、4匹の兎を持って帰ってきた。鳥はアヒルくらいの大きさの、翼の大きな種類だった。羽の色は茶色い。兎の方は私が知るものより一回り大きかった。彼はそれを何人かの兵士に渡して、こちらに戻ってくる。

「夜には川の近くを通ります。そこで水を汲むので、簡易的ですがスープが食べられますよ」

 それは楽しみだ。温かいものをずっと口にしていなかったから。こくりと頷きを返すと、彼は私の横に膝をついた。

「これを」

 渡されたのは、木で組まれた小さな箱だった。パズルのように、さまざまな形の木片が噛み合い、約10センチ四方の立方体を作っている。しっとりとした瑞々しい木片でできており、作りたて、というような印象を受けた。まるで寄せ木細工のようだ。

「先程急拵えで作りました。これを使って、移動中に簡単な訓練をしましょう。ソリを組み上げた時にもお伝えしましたが、物を動かすのは初歩的な魔術です。この木箱を、魔術だけでバラバラにしてみてください。気をつけていただきたいのですが、あなたの力は、あなたが思っているよりもずっと強いものです。可能な限り抑えた力で、力を操るように。失敗すれば周囲の兵士に迷惑をかけることになりますから。最悪、人が死ぬ可能性もあります。その場合、あなたには罰を与えなければなりませんし、規模によっては即時殺さなければなりません。わかりましたか」

 はい、と頷く。軽い気持ちで扱って良いものではなかった、と、少しばかり肝が冷えた。

「程なく出発です。それまでは休んでいてください」

 彼はそういって、先頭の方へ歩き去って行った。遠くの方で、アデルと何か話をしているのが見える。こちらに視線が向けられたような気がして、慌てて視線を外した。


 改めて、箱に向き直る。そもそもなのだが、力の使い方が全く分からない。水がいっぱいに入った瓶があったとして、蓋の開け方がわからない、みたいな感じ。投げれば瓶は割れるだろうが、投げてしまったら最後、何が起こるか分からない。

 箱をじっと見つめているうちに、行軍が再開され、ソリが動き出した。

 フォルカーさんは、正確にイメージすることが大事だと言った。考えただけでどうにかなるものか、それもよく分からない。

 半信半疑で、箱が宙に浮くイメージをする。パッと手を離したら、箱はそのまま膝に落ちた。慌ててキャッチして、もう一度。全力で一生懸命やると危ない。なんとなく軽い感じで、肩の力を抜いて、もう一度。何度試しても、箱はすとんと落下する。


 魔術の使い方は覚えていない。何となく覚えているのは、長い文章を読まされていたことや、声を奪われたこと、何かミスをした時に体罰を受けていたことや、言葉について教え込まれたこと。魔術を使ったことがあるのは記憶としてうっすらあるが、魔術の使い方について教え込まれた記憶は全く無い。元々無い訳ではなく、失われたのだろうとは思うのだが。


 何度試しても、箱は浮かなかった。一旦諦めて、目を閉じて気持ちを落ち着かせる。深呼吸を、ゆっくり30回。鼻から息を吸い、口から息を吐く。吐く時はなるべくゆっくり、時間をかけて。

 目を開けて、再び箱を手に取る。イメージはしっかりできた。

 ぱっと手を離すと、箱はまた呆気なく膝に落ちてきた。

 才能、無いかもしれない。少し落ち込みながら、何度も試しているうちに、日が落ちてきた。


 ◇ ◇ ◇


 残念ながら、初日では箱は浮くことすらなかった。

 兵士たちはそれぞれ夜を越すための準備をし始める。40人ほどで集まり、焚き火を囲みながら談笑しているのが見えた。…そうか、彼らは「勝った」側だ。空気は和やかで、大きな笑い声が聞こえることもあった。

 ソリから降りても良いのだろうが、降りたとしてどこに行けば良いのだろう。知り合いといえば2人だけ。声も出ないのに、見ず知らずの男性兵士諸君の輪に入れるほど、コミュニケーション能力は高く無い。

「おい」

 声をかけられた。私に話しかけてくるのは、アデルかフォルカーさんしかいない。そして、ぞんざいな声の掛け方をしてくるのは前者だ。なんとなく、この失礼な男に「さん」という敬称をつけたくなくて、心の中で呼び捨てにしてしまっている。

 顔を上げると、男は腕を組んでこちらを見下ろしていた。ほど近い周囲の兵士たちに緊張が走っているのが、肌で伝わってくる。ああ、ちゃんと隊長なんだな、と失礼な感想を抱いてしまった。

「使え」

 放り投げられたのは、厚手の毛布だった。

「夜は冷える。体調を崩されても困る」

「……」

 ぺこりと頭を下げる。ちょうど肌寒いと思っていたところだった。ローブの上から毛布を巻き付けて暖を取る。触り心地の良い素材では無いが、ずっしりと重くて暖かい。そのせいで体が少し傾いだ。

「魔術の方はどうだ」

「………」

 ダメだった。首を振ると、小さくため息が聞こえる。罰が与えられる、と身をすくめるが、特に何もされなかった。罰を与えられるのが当たり前だと思っていたのに。

「お前、本当に扱えんのか」

 そう訊かれてしまうと、どう反応したら良いのかわからない。首を傾げると、呆れた視線を向けられた。


 遠くの方から、微かに良い匂いが漂ってくる。大鍋が所々で用意されて、その中にたっぷりスープが入っているようだ。二人の兵士が、それをぐるぐるとかき混ぜている。

「食事の用意ができたな」

 アデルはそう言って、先頭へ戻って行く。それをぼうっと眺めていると、目の前に木のお椀を差し出された。

「どうぞ」

 フォルカーさんだ。受け取ると、続けて箸を渡される。ナイフフォークスプーンとかの文化じゃなかったのか。

 お椀の中には、少しだけ脂の浮いた透明のスープが入っていた。細かく切られた肉がほんの少しと、野草のような葉がほんの少し。大人数で分けるから、具は少なめだ。

 口元を隠す布を下げ、ふぅ、ふぅ、と息を吹きかけて冷まして、少しだけスープを啜る。薄めの塩味と、ほんの少しの肉と野草の風味がした。

 近くに腰を下ろして、フォルカーさんもスープを飲む。彼も顔を隠していた布を取っていて、やっと顔がはっきりとわかった。おそらく、30代後半から40くらいだろう、渋みのある顔立ちの、痩せた男性だった。高い鼻、切長の目つき、髭は無く、薄い唇。その唇が開いて、淡々とした声音で言葉を紡いだ。

「うまくいきませんか」

 魔術のことだろう。こくりと頷くと、彼はふむ、と唸った。

「力を抑える分、コントロールが難しいのでしょう。まあ、帰還してから追々やっていけば、何とかなるかと」

「……」

 毛布の中から文字盤を取り出して文字を指差し、今日の進捗を伝える。それを見て、彼はまた低く唸った。

「浮かすこともできませんでしたか」

 こくりと頷く。

「最も難関とされているのが、初めの魔術の起動です。これに数年かかる者もいます。魔術を使うための…血管と言いますか、回路のようなものを自分で通すのです。あなたは既にそれがあるのですから、おそらく想像力の問題でしょう」

 想像力…イメージする力、か。

「身に危険が迫ったりすると、ちょうど良い加減で力が扱えることもあるのですがね」

 少し怖いことを言いながら、フォルカーさんは箸でスープをかき混ぜた。

 スープは全員に行き渡ったようで、遠くの方で鍋を片付けているのが見えた。それから、兵士たちはぞろぞろとどこかに消えていく。それをぼんやり眺めていると、フォルカーさんが答えを教えてくれた。

「水浴びをするのでしょう。こういう場は貴重ですからね。あなたにはしばらく我慢してもらわなければなりませんが…」

 小さく頷きを返す。嫌だが仕方がない。こういうことも、魔術で解決できたらいいのに。


 その日の夜も、眠りに着くまでの間、木箱を触っていたが、やはり全く空中に浮く気配はなかった。

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