51.ドレスルーム
薄く赤く色づいた透明な液体…おそらくお酒の入ったグラスを手に取り、ホールを見渡す。この場には女性は皆無だ、場違い感が強い。これから国主へ謁見を求める貴族の中には女性もいるだろうけど。
「驚きましたね、名指しされるとは」
フォルカーさんが私の近くに来て呟いた。本当に私も驚いた、とこくこく頷きを返す。
「沈黙の魔女、ですか。なにやら通り名がころころ変わりますね」
フォルカーさんはそう言って苦笑する。
「国主がそう言ったので、これからはそう呼ばれるようになるでしょうね」
そういうものなのか…とため息を吐く。ああ、それから自分の肩書が気になっていたのだが、あれは何なのだろう。その問いに答えたのはシュナイダー副長の方だった。
「褒賞の授与式に合わせて、役職を振った。一兵卒をここには出せないからな。しかし今は魔術師も増えたし、モーガンの負担を減らすためにも、今後は魔術師の管理もできるようになれ」
もののついでに振られた役職のようだが、仕事は振られてしまうようだ。魔術師の管理って何すれば良いんだ…と首を傾げつつ、頷きを返しておく。フォルカーさんの負担を減らしたいのは私も同じだ。
「サヤ」
背後からアデルに声をかけられた。
「一旦俺は部屋に戻るが、お前どうする。ここにいても面白いことなんざねえと思うが」
あれ、私、もう戻っても良いのか。
「ええ、ちょっと。俺たちももうちょっと話したいんだけど」
そう声を上げたのはミュラー部隊長だった。
「俺たち、に我々も入れているのではあるまいな」
そう返すのはギュンター部隊長。えっ、とわざとらしく驚いた顔をするミュラー部隊長に、ふ、と吹き出してしまった。
「…それで、どうする?」
アデルに再び訊かれた。確かにここにいてもやることといえばお酒を飲むことくらい…それもあまり飲まない方がいいし、抜けても良いならさっさと抜けて休みたい。今晩は私は警備にも入っていないから、ここ最近の激務から抜け出してゆっくり休める貴重な夜なのだ。
自分も部屋に戻りたい、と伝えると、アデルは頷いて、先導して歩き出した。皆にぺこりと頭を下げてから、アデルの後を追いかける。折角着飾ったのに、ものの数十分で終わってしまったな。
◇ ◇ ◇
受け取った箱の中には、実はただの紙が入っているだけなのだという。
「つっても、国主から受け取った箱を片手に酒飲むわけにはいかねえだろ」
だから箱を置きに、一度部屋に戻るのだそうだ。本来なら副官に預けるそうだが、アデルもアデルであの場から少しの間でも抜け出したかったらしい。
今回の式典出席に合わせ、我々は臨時的に王城の一室を使うことを許された。部屋は1階部分にある、本来は使用人が使う部屋で、今回は全員個室を充てがわれている。今日のパーティーが終わればもう使わない予定だ。アデルは一度その部屋に行き、すぐホールへと戻るらしい。立場上挨拶回りをするだろうし、されるだろう。
ホールから出てすぐ、私の方は着替えるからドレスルームに行きたい、と伝えると、アデルは変な顔で頷いた。
本来その部屋は王族しか使わないわけで、室内はしんと静まり返っている。灯りも消してあるから薄暗い。
中に入って数歩歩いたところで、長い毛足のカーペットに足を取られた。
「…!」
転びそうになったものの、後ろから伸びた手が私の腕を掴み、事なきを得た。…今考えると、式典の時転ばなくて本当によかった。
「危ねえな」
アデルは嘆息して呟く。
「正直言うと、式典中お前が転ばないかヒヤヒヤしてた」
失礼な。しかし同じことを考えていた手前、怒るに怒れない。
私が転びかけたことで心配させたのか、アデルもドレスルームに入って扉を閉めた。やっぱり過保護だ。
室内の灯りは、魔硝石を活用した光の魔術で補われている。スイッチを入れると、大きな部屋全体に灯りがついた。急な眩しい光に目が眩む。
流石は王室専用と言うべきか、ここまですると魔硝石の消費も早いだろうに。
「すげえな、こんなに用意されてたのか」
ふうん、と感嘆の声を漏らして、アデルは室内を見渡した。色とりどり、様々なサイズに様々なデザインの衣装が、室内所狭しと並べられている。準備する時は慌てていたから、まじまじと見るのは私も初めてだ。
「建国記念パーティーの時は、こういうのだったか」
アデルの手が、黄色いドレスの裾を引っ張った。よく似たデザインの服だが、よく覚えていたな、と驚く。
「こういうのも似合うが、魔術師の正装も似合ってる。今後はそっちを着る機会の方が多いか」
同じように褒賞が与えられる式典では、正装しか着ないだろう。そしてきっと、それ以外にパーティーに出ることなどもそうそう無いだろう。
「見慣れてるからかもしれねえが、黒が似合うな」
アデルはそう言って小さく笑った。そんなこと言われると、黒ばっかり着ちゃうぞ。彼に似合うと言われるのが嬉しくて。
アデルはパーティーの時と同じような色合いだ。白ばかり身につけるのは何か理由があるんだろうか。
「黒は威圧感が強すぎるからやめろって言われんだよ」
確かに怖いかもしれない。誰が言ったのか知らないが、同意できてしまうので吹き出して笑った。
「お前はあんま白って感じしねえな」
普段は白いシャツを着ていることも多いのだが、結局ローブを着るので常に黒で上書きされているのかもしれない。そうかなあ、と首を傾げると、アデルは一着の白いドレスを引っ張り出した。
「試しに着てみろよ」
面白がるような口調で、彼はそれをこちらに差し出して見せる。細かな透明の宝石が縫い付けられた、真っ白なドレスだ。肩から背中、胸元には布地がないストラップドレスで、腰から下はすとんと落ちるシンプルなデザイン。ええ、めんどくさい、と嫌な顔をしてみるが、「こういう機会でもねえと着ねえだろ」と押しつけられてしまった。ていうか、早くパーティーに戻らなくて良いのだろうか、彼は。
渋々それを受け取って、試着室に籠る。今着ている衣装を脱ぎ、サラシを解くと、開放感に思わず気が緩んだ。さて、渡されたドレスはちゃんと入るだろうか。
背中にホックが付いているだけで、特に着脱が難しいような服では無いらしい。かつてあちらにいた時に見た映画では、コルセットを複数人がかりでぎゅうぎゅうに締めて、絶対に一人では着脱できないような複雑な衣装を複数人がかりで着せて、というものだったから、王族の衣装とはそういうもの、というイメージがあったのだが。こちらの衣装はあそこまで複雑ではないように思う。
腰には後ろで絞るリボンがついていて、ウエストの調整は簡単にできるようだ。以前着た黄色いドレスもそうなっていたし、これが基本の形なのかもしれない。確かにこれなら体型が変化しても着れるだろうし。
案外普通に着れてしまったから、もしかしたらこれを着ていた人と体型が似ていたのかもしれない。ちょっと恥ずかしいな、ドレスって着飾って自分で見る分には楽しいのだが、人に見せるというのはいつもハードルを感じてしまう。特にそれが男性相手なら。女友達相手なら気にしないのに。
おずおずとカーテンをめくって試着室の外に出ると、行儀悪くテーブルの上に軽く腰掛けていたアデルと目が合う。彼は私の格好をまじまじと見て、こちらに近付いてきた。
な、な、なんだ。思わず後退りしながら試着室に戻ってカーテンを閉める。
「なんで逃げんだよ」
カーテンが開けられた。いや、だってこっちに来るから。
「案外似合うなって思っただけだ。折角だから近くで見てみようかと」
じろじろ見るんじゃない、見ても楽しくないだろ!
私が逃げたせいもあるが、狭い試着室で2人向き合う形になり、猛烈な照れで狼狽する。三面を鏡に囲まれた場所で、自分の顔がみるみるうちに赤くなっていくのが分かった。追い出さねば、と思うが、彼に触れる勇気は無いし魔術がちゃんと使える精神状態でも無い。本能的に後退るが、背後の鏡に踵が当たってしまった。
「別に何もしてねえだろ。赤くなってんじゃねえよ」
アデルはそう言ってニヤリと笑った。こいつ、面白がってるな!
もしやまた酔っ払ってるんじゃ無いかと一瞬思考を巡らせたが、パーティー中彼は何も口にしていなかったし、完全な素面のはずである。
「色は似合うが、その格好でパーティーに出ようものなら、本格的に「兵士を誘惑してる」とか言われそうだな」
確かに露出は多いドレスだ。しかし私だって元々肌を見せるのは好きでは無いわけで、こんな格好で人前に出ることなど絶対無いだろう。
もう良いだろ、もう脱ぐ、と主張する。だから早く離れてほしい、心臓に悪い。
今日のアデルだってかっこいいのだ。近くで見るともう。
「…そうか。勿体ねえな」
アデルはそんなことを言って、私の腰を抱き寄せた。なに、なんで、と完全に思考が止まって固まる。
「ダンスをするなら、こういう感じか」
い、今それをする必要はないだろう!鏡には先程よりも真っ赤になった自分の横顔が映っている。アデルはそんな私を見下ろしてくつくつと喉の奥で笑った。
「こういう機会がないとも限らねえだろ」
「……っ」
「まあ、こういう式典じゃ踊らねえけど」
えっ、じゃあ踊らないといけない機会なんてそうそう無いじゃないか!
「面白くてつい」
アデルはそう言って私から離れる。やっぱり揶揄ってただけか!
「赤くなりすぎだろ。もっと男に慣れといた方がいいぞ」
腹立たしい限りだが、おっしゃる通りだ。
…心臓の音が相手に聞こえてしまうんじゃないかと思った。
「着替えろ、そろそろ戻るぞ」
アデルが着ろって言ったくせに。カーテンを閉じて、むかむかしながらドレスを脱いた。
◇ ◇ ◇
「門までは送ってやる。ちょっと待ってろ」
1階、充てがわれた部屋のある廊下の前で一度別れて、私の方は廊下の端、窓の近くでぼんやりと外を眺めていた。
今夜は風が冷たい。ひゅう、と強く吹いた風のせいでフードが脱げた。
今日の警備はホール周辺に集中していて、この辺りは閑散としている。元々ここで働いている人も居るし、国民の出入りの一切を禁止しているわけではない。式典で出される飲み物や食べ物の搬入も続いている。
「サヤ」
名前が呼ばれた。アデルの声じゃない。もっと柔らかくて高めの声。
知っているような、知らないような。
振り返ると、茶髪の青年が立っていた。人の良さそうな、薄い茶色の目がじっとこちらを見下ろしている。特徴があまりない、印象に残りにくい顔立ち。
…知っている。どこかで見たことがある。どこかで聞いたことがある。
それなのに何も思い出せない。
彼は私の目をじっと見つめて、柔和な笑みを浮かべた。




