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49.海

 翌日、久しぶりに会ったシュナイダー副長は、眉間に特大の皺を寄せて書類の束を握りしめていた。

「式典の1週間前だぞ…、やるべきことがひとつも終わっていない…」

 地の底から響くような低い声で、彼はアデルにそう言った。彼は普段アデルに対しては慇懃な態度をとっているのに、最早それをする精神的余裕も失われたとみえる。

「工事関連の人員管理で手一杯だったんだよ。俺に書類仕事任せた時点でこうなることはわかってただろ。後は任せた」

 アデルは激怒しているシュナイダー副長に対して平然とそう言い放った。

「………」

 シュナイダー副長は何か言いかけたものの黙り込み、額に血管を浮かせながら部屋から出て行った。罵倒の言葉でも出かかったのかもしれない。同じ状況だったら私も怒鳴っていたかもしれないが、理性の強さでシュナイダー副長は言葉を飲み込んだようだ。流石シュナイダー副長、理性の人。


 アデルは、ふう、とため息をついて、煙草に火をつけた。

「だから言っただろうが、俺は向いてねえって」

 シュナイダー副長の鬼のような顔に私の方はビビり散らかしていたのだが、彼の方は全く気にしていないようだ。

「後は副長2人で何とか回るだろ。あー、やっと肩の荷が降りた」

 アデルはぐぐっと伸びをして、はあ、と口から煙を吐いた。

「お前、今日は暇か?」

「……」

 フォルカーさんからはまだ指示がない。彼も彼で忙しくしているのだろうと思う。暇かどうかは彼次第だ。

「それなら暇ってことにしとけ」

 なぜそうなる。

「外に出ねえか。部屋ん中篭りっきりで頭がおかしくなりそうだったんだよ」

 彼はそう言って立ち上がった。私はまだ行くとは言っていないのに、コート掛けに引っ掛けていたローブをこちらに投げて寄越す。拒否権は無いようだ…だが、私も一緒にいられて嬉しいので、お言葉に甘えることにした。


 ◇ ◇ ◇


 街は徐々に活気を取り戻しているように見えた。

 案外立ち直りは早いのか、最初から負け戦だと思っていたのか。彼らの真意はわからない。

 式典が開かれることは既に知らされているので、街もそれに合わせて準備が進められているようだ。至る所に国の象徴色である真紅の布がかけられ、大通りは念入りに清掃されていた。新たな国の主となる人物が来訪するのであれば、失礼があってはならない…という考えもあるだろう。


 アデルと2人並んで街道を歩く。彼はポケットに手を突っ込んで、咥え煙草でぼんやり歩いているだけだった。朝食を食べてからそう時間も経っておらず、お腹も空いていない。


 公園らしき場所で彼は一度足を止め、私の方を振り向いた。

「お前、なんかやりたいことはねえのか」

 ええと、…特に無いな。

「俺も特にねえんだよな」

 そう呟いて、煙を吐く。本当にただ外に出たかっただけのようだ。

「海にでも行くか」

 海。驚いて顔を上げる。それはめちゃくちゃ心躍る!

「アーベントロート・エンデの首都は海に面してなかったからな。…なんだ、そんなに楽しみなのか」

 ふとこちらを振り返ったアデルが、私の顔を見て吹き出した。

「じゃあ行くか」

 アデルは東の方角に向かって歩き出す。…デートみたいだ。そう考えると、どうしようもなく気分が高揚した。


 街の中には微かに潮の香りが漂っている。アデルは私に合わせて歩調を緩めているからか、随分とのんびり歩いているように見えた。

 ファウスト人は黒髪が多いらしく、その中で金髪はいくらか目立つ。その上背も高いから、道ゆく人々がちらりとアデルに視線を向けることは多かった。

 アデルはそういう視線に慣れているのか、気にした風もなく堂々と歩く。その後ろを小走りで追いかけること30分ほどだろうか、家々の隙間から海が見えるようになってきた。


 強い潮風が吹いて、フードが脱げる。帰る頃には髪がベタベタになりそうだ。

 白い砂浜と青い海、いわゆるビーチを想像していたのだが、そこにあるのは防波堤と紺色の海。その濃い色で、海がかなり深いことがわかる。確実に足がつかない深さ。防波堤の上からそれを見下ろしていると、怖気が走った。落ちたら大変だ。


 砂浜は無いのか、と聞いてみると、アデルは小さく唸った。

「確か地図では南の方がそうなってたと思うが、ここからだと遠いぞ。外壁の外に出ることになるな」

「……」

 残念だ、というのが顔に出ていただろうか。アデルは「時間はあるから、行っても良いが」と言ってくれた。

 ふと思い出した。私、魔術師じゃないか。飛んでも良いならすぐ行ける、とアデルに言うと、彼はどことなく渋い顔をした。何だ、高いところが怖いのか、と揶揄ってみると、「怖くねえよ、んな訳ねえだろうが」と返事が返ってきた。

 それなら遠慮はいらないだろう。体を浮かせると、アデルは小さく呻いた。抗議される前に移動してしまおうと、海岸沿いに南へ移動することにした。


 10分ほどそのまま移動していると、やっと砂浜…というか、黒っぽい小石が転がる浜が見えてきた。冬だからか海は水色というより燻んだ青といった感じだが、私の思い描く海である。アデルを浜に下ろして、自分の方はローブと靴を脱いで浅瀬に足をつける。冷たい、夏に来たかった。

「お前、海が好きだったのか」

 こくりと頷きを返す。水着があって、今が夏だったら泳ぎたかったくらい。

「みずぎ?なんだそれ」

 こういうの、と図解する。

「下着じゃねえか。お前……」

 アデルはドン引きした顔で私の顔を凝視して、一瞬視線を泳がせた。

「…ちょっと待て、お前、あっちじゃその格好で海に入ってたのか?」

 当たり前だ、みんなそうしてるし。学校の授業でも水泳はある。

「……」

 アデルは凄まじい量の皺を眉間に刻んだ。

「男もいるだろ」

 そりゃあいるさ。まあ、高校は女子校だったけど。頷きを返すと、アデルは絶句して動かなくなった。

 なるほど、こちらではそういう露出の高い格好をする習慣がないらしい。痴女だと思われるのは勘弁願いたいので、あちらではそれが普通なのだと弁明するが、アデルは険しい顔を崩さなかった。

「絶対こっちではやるなよ」

 当たり前だ!こちらでそれが習慣では無いならやらない。それこそ本当に痴女扱いを受けそうだ。

 アデルはやっとほっとしたのか、表情から険しさが抜けた。


 そのまま暫く水と戯れていると、足元を小魚が泳ぎ去っていった。よたよたとそれを追いかけたり、貝殻を拾ってみたり。見たことがないキラキラした貝殻を見つけたかと思ったらヤドカリだったようで、追いつけない速度で逃げられてしまった。

 こうして1人で動き回るだけでも楽しい。夏だったら、もっと長い時間遊びまわるのに。

 そうして数分過ごしていたが、流石に寒くなってきたので陸に逃げ帰る。アデルは丸石が転がる浜に座って、煙草を燻らせていた。彼の方は別に海が好きとかは無さそうである。


 隣に腰を下ろして、足を魔術の水で洗い流し、ローブの裾で拭う。砂浜で遊びたかったが、砂浜じゃない方が汚れないから都合が良かったかも。

 今日はよく晴れていて、暖かな陽気が心地良い。ローブを脱いでいてもそこまで寒さを感じない。どうせローブを着て隠れるだろうと思って、特に気にせず選んだ服は花柄のワンピース。普段は選ばない服は、こういう天気の日にはよく合う。


 ざあざあと音を立てて寄せては返す波を眺めていると、精神が落ち着いてくる。遠くの海には小舟が浮かんでいて、漁をしている最中なのであろう、網を引き上げているのが見えた。


 ちらりと横に座るアデルを見上げる。ここ最近の激務からやっと解放されて、彼も幾分か穏やかな顔をしていた。ふう、と吐いた煙が風に飛ばされていく。

 まつ毛長いなあ、まつ毛も金色なんだ。当たり前か。

「何だよ」

 ついその顔をまじまじと見つめてしまっていた。じろりと見下ろしてくる視線は、睨んでいるようで怖い。しかしこの視線の強さにも慣れた。何だかこうしている時間すら楽しくて、ふふ、と笑いが漏れた。アデルは私の顔を見て、きょとんとした顔になる。

「…何だよ」

 何でこんなに楽しいんだろう、ただ一緒にいるだけなのに。


 のどかな風景を楽しんでいると、遠くの方を鳥の群れが飛んでいた。あの鳥は見覚えがある。名前は何だっけ。

「クルだ。そういえば捕まえたことがあったな」

 フォルカーさんから魔術を教わり始めた時、初めて捕まえた動物はあの水鳥だった。そうそう、クルだったな、と頷いて、その後ろを飛んでいるひと回り小さな赤い鳥を指差す。あの鳥の名前は、と訊いてみると、トルド、という返事が返ってきた。物知りだなあと感嘆すると、「これくらい誰でも知ってる」と返事が返ってくる。

 私はここのことを全然知らないな。図鑑でも読もうかなあ。

「お前の国だと、海は何て言うんだ?」

 彼は呟くように訊ねてきた。

 うみ、という。漢字で書くと海。

「ウミ、か。なんかややこしい文字だな」

 漢字を見て、アデルはそんなことを言った。

 そういえば、あちらの言葉の話をしたのは初めてだった。

 あれは魚、あれは舟、あれは鳥、と指差して教えてみる。アデルは私の描く光の線を見ながら、へえ、と感嘆の声を漏らした。

「お前、実は頭良いのか」

 何だその言い方は。実は、ってことは、結構馬鹿にされていたのでは。少しむっとしつつも、鳥、と言う文字は私の名前にも使われているのだと伝える。

 鳥丸沙耶、とこちらで語ることはなかった名前を書いてみせた。

「トリマル、サヤ?サヤって苗字だったのか?」

 違う、私の国では苗字が先だ。

「ふうん。これでサヤって読むのか」

 アデルは不思議そうに私の書いた文字を見つめていた。

「模様みたいだ。これが文字か」


 そのまま何となくお互い沈黙して、ぼうっと海の向こうの水平線を眺める。温暖な気候とざあざあと不規則な波の音が相まって眠くなってくる。

 ふあ、とアデルが欠伸をした。つられて欠伸をして、ぐ、と伸びをする。

「なんか眠くなってきた」

 こくりと同意の頷きを返す。

「ちょっと昼寝するか。別に誰もいねえし」

 アデルはそう言って、その場に仰向けに倒れ込んだ。そのままの姿勢で煙草の火を消して、頭の後ろで腕を組む。

「お前も寝とけよ。眠いんだろ。昼飯時に起こしてやる」

「……」

 少し迷ったが、素直に彼の隣に横になった。…外で仰向けに寝転がるのって、どうしてこんなに気持ちいいんだろう。突き抜けるような青い空に、時折視界の端を横切る黒い鳥。空気が美味しくて、体の中が綺麗なもので置き換えられるような気持ちよさがある。

 本気で眠ろうと思っていたわけではないのに、数分も経つと自然と瞼が重くなった。


 目を閉じて、瞼越しに明るい日差しを感じていると、体の上にローブがかけられたのが分かった。アデルに感謝の言葉を伝えようと思ったのに、意識が落ちる前、使った魔術はちゃんと言葉を成していたかは分からない。


 その後は昼食を食べてから宿に戻ったものの、アデルは烈火の如く怒ったシュナイダー副長に捕まり、仕事を山のように振られ、私の方はフォルカーさんに仕事を積まれ、逃げたことを後悔することになるのだが——海の散歩は楽しかったから良しとしよう、と思うのだった。

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