46.過保護
入院時から若干気になっていたのだが、アデルがとてつもなく過保護になっている気がする。
退院した翌日、図書館で禁書の目録を確認しながら、私の前に座って書類仕事をしているアデルを前に、そう考えていた。
思い返すと、まずは昨日の夜だ。
ファウストは比較的温暖な国とはいえ、冬に差し掛かっている今、夜は冷える。
久しぶりの湯船でじっくり温まった後、長い髪を乾かしている間に、すっかり湯冷めしてしまっていた。そうこうしているうちに私の後にお風呂に入ったアデルもお風呂から上がってきて、椅子に座ってのんびり髪を梳っている私を見て怒り出した。
「体が冷えるだろうが」
そう言って私の手を掴み、その手が冷たいことに更に怒り出す。
布団の中に押し込まれて、その上から毛布と布団をどかどか乗せられ、更にその上から自分の分の毛布まで乗せてしまう。いやいや、それではアデルが寒いじゃないかと言っても、「寒くねえ」と言って衝立の向こうに姿を消してしまった。
更に深夜のこと。
普段の私は一度眠ったら朝まで起きないのだが、その時は人の気配を感じて目を覚ましてしまった。
「……?」
仰向けに寝ている、その顔の前に、手のひらがある。意味不明な状況に混乱しつつ視線を動かすと、ベッドの横に立つアデルと目があって、心臓が飛び上がるほど驚いた。いや、好きだからとかときめいたからとかそういうものでは一切なくて、これは単純な恐怖と驚愕と衝撃である。
本気で、何してんだこいつ、と思ったし、そういう視線でアデルの顔を凝視してしまった。
「…息してんのか不安になっただけだ」
何だそりゃ、何の不安だそれは。何言ってんだ?という視線を向けると、アデルは手を離して隣のベッドの方へ消えていく。もしや夢だったんじゃないかと思うが、そんな夢を見ていたとしたら私の精神状態の方が心配になってくる。
息はしてるに決まってるだろ。
そして極め付けは朝。
ご存知の通り、私は朝が弱い。かなり弱い。
元々目覚ましは最大音量で耳の横に置いておかないと起きられないし、そんな便利なものが無いここではアデルに起こされているが、それもなかなか起きられない。
意識が不明瞭でぼーっとしていると、アデルにそのまま抱き抱えられて、隣室のソファに座らされた。流石にそれは一瞬で覚醒した。惚れた男の顔が至近距離にあって密着までしていれば、そりゃあ目は覚める。
何をするんだと抗議すると、
「病み上がりなんだから、あんまり動き回らねえ方が良いだろ」
などと言う。いや、寝室からリビングまでの距離は「動き回る」には絶対入らない。
そしててきぱきと並べられるあたたかい食事に、同じくあたたかいお茶。執事でもできた気分になるくらい、全てアデルがやってくれる。
何だこれは。
しかし、何でこんなことをするんだ、と訊いたところで、返ってくる返答は想像がつく。
やりたいようにやってるだけだ、だ。
こういうところが、誰かを勘違いさせているんじゃ無いかと心底思う。親が決めた結婚相手だったあの令嬢も、昔こういうことをされて勘違いしたんじゃないか。あのパーティーでアデルが人気だったのも、顔だけじゃなくて、本当は優しいのが全部バレてたからなんじゃないか。
こんなことされたら勘違いしてしまう。いけない、落ち着け、魔術師だろうと、自制するための呪文を唱えて生活を送る羽目になる。
流石に外では抱き抱えないよな、と戦々恐々としていたが、一応人の目は気にするようで、外に出てからは普通ではある。宿にはうちの大隊の兵士の一部が宿泊しているのだ、部屋から出てからでも何かしようものなら、一瞬で最悪の噂が広がるだろう。
そして今に至る。
国立図書館は白い石造りの建物で、都の中心部に建造されていた。宿からは徒歩で10分ほどの距離の場所にある。かなり巨大で荘厳な建物で、全容を把握するだけで数日かかりそうな規模だった。内部はかなり入り組んでいて、これらを把握している司書さんが同じ人間だとは思えない。壁の全面に本がみっしりと詰められているが、一応は区分けされているのだという。
禁書を保管している場所は、この図書館の一番奥まった場所で、移動するだけで疲れるほどの距離だ。
正面玄関の受付に立つ司書さんは、フォルカーさんの名前を出したら、その場所を教えてくれた。
「北区画、右端の部屋が禁書の部屋で、鍵が掛かっています。禁書は持ち出し厳禁です。退館する時に鍵は返却してください」
館内の簡易的な地図は額縁に収められて壁に掛けられていて、それを指差しながら、司書の男性は私に鍵を渡した。頷いて鍵を受け取り、迷路のような館内を進む。どこもかしこも似たような見た目の廊下を抜け、アデルと私は禁書が保管された一室に足を踏み入れた。
約10畳ほどの広さの室内は、壁全面が本棚になっており、更に狭い間隔で大きな本棚が複数設置されている。全ての本棚が埋まっている程ではないものの、かなりの量だ。
「すげえな」
しんと静まり返る静謐な室内に、アデルが呟く低い声が響いた。アデルは図書館自体初めてだったようで(想像通りだけど)、物珍しそうな視線を周囲に向けていた。
革とインクと紙の匂いがする。この匂いは嫌いじゃない。
室内には読書用の机と椅子が置かれていた。そこに向かい合って座って、アデルの方は持ち込んできた書類を広げ、私の方はフォルカーさんに託された禁書の目録と、記録用のインクと大量の紙を置く。
記録を取って欲しいと言われたのは、全部で20冊。まずはこれらの本を探さないといけない。
禁書指定の本は古いものが多く、背表紙に記載されていたはずの題名が経年劣化で読めないものもある。
目録の一番上に記載されている本を探して、室内を歩き回る。背表紙が読めないものならお手上げだ、古い本を片っ端から確認することになる。
一体この場に何冊の本があるのかわからないが、タイトル順に並んでいるわけでも、作者順に並んでいるわけでもなさそうなのだ。高いところにある本は読みづらいから体を浮かさないといけないし、これはこれで骨が折れる。
「何て本探してんだ」
背後から声をかけられた。アデルは私の後ろに立って、私の手元の紙を見下ろしている。こうして近くに立たれると、身長差が大きくて首が痛い。
「『東方魔術史』?」
アデルは目録の一番上の書籍の名前を確認して、本棚に視線を戻す。
「お前の頭の上にあるぞ」
そう言って、アデルは私の背後から目の前の本棚に手を伸ばした。私の視線の遥か上、アデルの頭の位置よりも少し上の棚から、彼は一冊の本を抜き出す。
「ほら」
確かにそれは、目的の本だ。お礼を言って受け取る。
パラパラとページを捲ると、細かな字で、ファウストの歴史から、魔術がどう広まったかについて書かれているようだった。これが何で禁書指定になっているのだろう。立ったまま軽く読み流していると、体が急に浮いて驚く。
「椅子に座れ」
また抱き上げられた。座って欲しいなら座れと指示するだけでいいのに、何で持ち上げるんだ!抗議してもどこ吹く風で、アデルは私を椅子の上に戻した。
あまりに過保護が過ぎる。私を子供だとでも思ってるのか。
向かいに腰を下ろしたアデルにそう怒るが、アデルは平然と自分の仕事に戻って、「別にガキ扱いはしてねえ」とだけ言う。過保護が過ぎる、という指摘はスルーされた。
納得いかない。こんなに過保護にされちゃ、色んな意味で心臓に悪い。抗議すると、アデルはむっとした顔で私の顔を見下ろした。
「こないだまで寝たきりだっただろうが。あんま動き回ってんの見ると怖えんだよ」
「………」
そんなに心配しなくても大丈夫なのに。また倒れるとでも思っているのか。
「……熱出して倒れてんの見た時は本当にビビったんだよ」
アデルは小さく呟いて、書類を視線に戻した。それきり、彼は視線を上げることはしなかった。うんともすんとも言わなくなってしまった彼に話しかけるのは諦めて、こちらも任された仕事を進めることにする。
これから行うのは、本の転写だ。手っ取り早い方法をフォルカーさんに教えてもらった。
魔術で光るプレートを作り、転写したいページの裏に差し込む。転写したいページの上に紙を載せ、上から文字をなぞる。こういう動作は頭を使う必要がないから、複数のペンを同時に動かせば、直ぐに1ページ書き終わる。
「そんなこともできたのか」
感嘆の声がする。ふふん、どうだ。病院で働くようになって、いくらか器用にはなったのである。
「それ、魔力の消費はどんなもんなんだ」
大したことはない。コントロールが面倒なだけで、本1冊分やったとしても、最大規格の魔硝石1個の半分にも満たないだろう。
「…ならいいが」
まだ心配してるんだろうか。これくらいで倒れたりしないのに。
◇ ◇ ◇
昼食時には一旦外に連れて行ってもらって、消化の良さそうな食事を出してもらった。
これはとても有り難かった。まだ重いものは食べられない。魚と野菜の煮物はどことなく醤油に似た風味がして、甘辛くて美味しかった。
祖国の料理の味に近い、と伝えると、アデルは小さく笑った。
「へえ、こういう味なのか」
できれば調味料を持って帰りたい。こういう味付けが恋しくなりそうだ。
「じゃあ後で手配しといてやるよ」
嬉しい、料理したい欲がじわじわ上がってくる。しかし国に帰るまではおあずけだ。
図書館に再び戻り、転写作業の続きを行う。
2冊目の本に取り掛かっていると、向かいに座るアデルが徐に口を開いた。
「…お前、祖国ではどんな生活してたんだ?」
急にどうしたんだろう。
「何となく気になっただけだ」
よく分からないが、答えたくないというわけでもない。
日本がどんな国だったのかを説明しつつ、自分の学生生活について語る。以前にも簡単に話したことはあったが、詳細に伝えるのは初めてだった。
転写する手を止めて、目の前に幻を作り出す。ジオラマのように作り出す、記憶の中の私の祖国。高いビルが立ち並ぶ都会、人々でごった返す駅、講義室での授業風景、大事な友達。アデルはそれらを不思議そうに見つめながら、時折質問を挟んだ。
「こんなに高い建物があんのか」
「随分人が多いな」
「街中に何でそんなにたくさん柱があるんだ?」
「道を走ってる塊は何だ」
そんな質問に一通り答え終えたところで、アデルは頬杖をついて私の顔をじっと見つめた。
「帰りたくねえのか」
そりゃ、帰れるものなら帰りたい。だが、3、4年行方不明になっていたことを考えると…帰ってももはや仕方ないのだろうな、という諦めの気持ちが強い。
「会いたい奴とかいるだろ」
親や友達には、今でも会いたいとは思う。
「…ふうん」
興味なさそうな返事が返ってくる。
そこから何となく2人とも仕事に戻って、また室内に静寂が戻った。
以前、恋人はいたことがないだろう、とからかい混じりに言われたことを思い出した。恋人がいたら、もっと帰りたくなっていたんだろうか。
アデルには、多分恋人はいない。もしいたら私に建国記念パーティーの出席を頼まなかっただろうし、それなりに長い期間一緒に過ごしてきたが、私用で外に出ることも殆ど無い様子だった。
「……」
パーティーの様子を思い起こすと、彼は本来女嫌いなのではないかと思う。
それでも一応私には普通に接してはくれているし、多分嫌われているわけではないだろう。一緒に住み始めた頃からすれば、態度も軟化している。今過保護になっているのは、…まあ、自分のような魔力量の多い魔術師を失うのは困るという理由だろうけど。
彼の近くにいることを許されているのは、純粋に嬉しい。
しかし欲張ってしまいそうだ。この、名前をつけづらい関係性に、名前をつけて欲しくなってしまう。
小さく息を吐いて、仕事に集中することにする。
転写が終われば、簡単に紐でまとめれば終了だ。1日に2冊できるから、単純計算では10日で転写作業は終わるだろう。慣れればもっと早く終わるか。
ふと、転写している本のページに気になることが書かれていて、手を止める。
…魔術師自身の感覚を代償に、魔力を高める禁術が存在する。
魔術の歴史に関する書籍の一文に、そう記されている。
失われた技術であり、現代にその手法は伝わっていない。かつてその禁術を用いて、一人の魔術師が村を一つ消した——そう書かれているだけで、それ以上の情報は無かった。
あの呪文だけは今でも覚えているが、やはり禁術に当たるものだったか。
もしかしたら、ここにある禁書には、もう少し情報があるかも知れない。代償にしたものを取り戻す方法も、もしかしたらどこかに。一縷の望みに欠けて、再び仕事に戻った。




