39.混乱
◆ ◆ ◆で視点変更です。アデル→サヤ
頭が痛い。
唸りながら体を起こし、頭を押さえる。
酒を飲むこと自体は好きなのだが、ここまで翌日に響くのは困り物だ。
ため息を漏らしながらベッドから降り、顔を洗う。棚の上に置かれた水差しに気付いて、気が利く奴だな、と思わず口に出して呟いてしまった。当然、フォルカーがやってくれたに違いない。
部屋に戻った記憶も無いが、おそらくこれもあいつのお陰だろう。
時計を見ると、朝の7時過ぎだった。サヤはまだ寝ているだろうか。出陣の時間も踏まえると、そろそろ起こした方が良いだろう。
◇ ◇ ◇
サヤの部屋の扉をノックし、ドアノブを回す。…珍しい、鍵がかかっている。朝は一人では起きられない彼女は、いつも夜間から朝にかけては鍵をかけないのだが。
「サヤ、起きてんのか」
声をかけると、室内からガタンと大きな物音が聞こえた。数秒して、扉が開かれる。恐る恐るといった感じで、少しだけできた隙間から、サヤはじっとこちらを見上げた。
「…?」
「………」
「…何だよ」
サヤは何も言わず、こちらの顔色を窺うように見つめてくる。そうじろじろ見られると居心地が悪い。
「だから、何だって」
「………」
「…入るぞ」
居心地の悪さに耐えかねて、彼女を押し退けて部屋に入る。朝食のスープと乾パンを手渡すと、サヤは変な顔でそれを受け取った。
頬が妙に赤い。睫毛の向こうの大きな黒い瞳が、訝しがるようにこちらを見ていた。
「顔が赤いぞ。熱でもあんのか?」
額に触れようとしたら、サヤは大きく後ろに後ずさった。
「…?」
表情が固い。しかも先程より顔が赤い。
「どうした」
「……」
サヤはぶんぶん首を横に振った。なんでもない、ということだろう。空を切った手をそのままに、サヤの顔をじっと見つめる。さっきまではこっちの顔を凝視していた癖に、今度は目を合わせようとしない。
耳も赤いし首まで赤い。風邪でも引いたのではないか。
「お前、大丈夫か?体調でも悪いのか?」
「……」
サヤはまた首を振った。何なんだ、一体。
「じゃあ何だよ」
サヤは盛大に目を泳がせながら、宙に文字を書いていく。集中力が乱れているのか、少々字が汚い。
——あの、昨日のことなんですが。
「昨日?作戦の話か?」
——いえ、それではなくて。
「…?」
——アデルは、その、お酒を飲んだ後のこと、覚えていますか?
「酒を飲んだ後?…覚えてねえけど」
「……」
サヤはぽかんとした顔で俺の顔を見つめた。昨日は部屋に戻った記憶すら無いのだが。
突然、後ろから体を押された。背後には誰もいない、魔術だ。
「おい、サヤ?」
サヤは無言で俺の背中を押し、部屋の外に追い出した。背後で鍵が閉まる音がする。
「…なんなんだよ」
…俺が何かしたのか?
◇ ◇ ◇
「アデル、サヤさんに何かしました?」
出陣の準備を進めていると、フォルカーにそんな問いを投げられた。
「いや、…心当たりねえけど」
「そうですか」
フォルカーは軽く首を傾げて、来た道を戻ろうとする。ちょっと待て、と慌ててその肩を掴んで、歩みを止めさせた。
俺にそれを訊くってことは、こいつにも心当たりがあるんじゃねえのか。
「サヤがなんかおかしいのか」
「ええ、まあ。少々様子が」
「何でそれで、俺に訊いたんだ」
「ああ…」
フォルカーは視線を巡らせた。
「昨晩、酔い潰れた貴方を部屋に運んだ後、水差しを取りに離席したんですが。帰ってきたらサヤさんが貴方の部屋から飛び出して行きまして」
「…何?」
「それで、何かしたのか、と」
「………」
記憶が全く無い。手で顔を覆って唸っていると、フォルカーは小さく咳払いをした。
「貴方、女癖悪い方でしたっけ?」
「…何でそれを訊くんだ」
「いえ、もしや…と」
「………」
別に、女癖は…悪くは無い、おそらく。というか、ベタベタされんのが嫌いだから、女が嫌いだ。社交界で懲りた。それ以前は少々…アレだったかもしれないが。以降は適当に娼館に通っている。
「まあ…何をやらかしたかは知りませんが」
やめろ、やらかした前提で話すな。
「記憶に無いのなら仕方ないでしょう。彼女本人から、何があったか聞き出して、謝罪するしか無いのではありませんか」
フォルカーは淡々とそう言うと、荷馬車の方へ戻って行った。その幌の中には既にサヤが居るはずだ。
何て切り出したらいいんだ…。俺は一体何をしたんだ。
数時間前のサヤの様子を思い出す。真っ赤になってめちゃくちゃに目を泳がせていた。くそ、何で俺は記憶がないんだ!
◆ ◆ ◆
頭が働かない。働く訳がない。
昨日から一睡もしていない。全快など程遠い。
特に意味も無く、医療セットの中を開いて整理して閉じて、また開けては整理して閉じてを繰り返している。
どうやらアデルは、昨夜のことを全く覚えていないようだ。
あっ、あ、あ、あんなことをしておいて。
思い出して頭を抱える。あああ〜!と心の中で意味のない叫び声を出しながら、荷馬車の中をごろごろ転がる。
そもそも覚えてないって何だ!
ふと唇に触れた感触や、至近距離で細められた青い双眸を思い出す。
あああ、何で思い出すんだ!必要な過去の記憶は殆ど飛んでいる癖に!
思わず顔面を殴った。さっきから顔を殴り過ぎて、そろそろ鼻血出るかもしれない。
幌の隙間から外を窺うと、フォルカーさんとアデルが遠くの方で何事か話し合っていた。アデルの視線がこちらに向けられて、よもや目が合うなんてことは無いとは思うが、慌てて隠れる。
心臓がばくばくうるさい。口から出てきそう。
記憶にある限りではアレが初めて、つまりはファーストキス。それがあんな形になるとは思っていなかった。
初めてのキスは、お酒の苦い味だった。
しかしあれだけ酔っていたということは、アデルは相手が誰かわからない状態だったという可能性はないか。
だって、アデルって顔が良いし、背も高いし、女たらしっぽい香りがぷんぷんする。なんか手慣れてたし、下手くそとか言いやがったし。
相手は誰でも良かったってことじゃないか。
頭に上っていた血が一気に下がる。
もしそうだったとしたら、アデルは別に私のことが好きでやった訳じゃ無いんじゃないか。そもそもそういうことを言われたことなんて無いし、態度から感じたこともない。揶揄って遊ぶ対象くらいにしか思われていない気がする。
急激に落ちたテンションで、荷馬車の中で仰向けに寝転がる。
平常心を取り戻せ、沙耶。魔術師だろう。魔術師の癖に、心を乱すな。
いつも「魔術師の癖に」と言われる度腹立たしさを感じていたが、それを自分に対して使っている。この言葉はもしかしたら、魔術師が自分を奮起させるための言葉なのかもしれない。
「サヤさん」
フォルカーさんの声だ。体を起こして幌から顔を出す。
「そろそろ出ますが、大丈夫ですか?」
大丈夫、と頷く。色々考えて暴れて一周回って頭が正常値に戻った。フォルカーさんは頷きを返して、ゆっくりと馬を走らせる。
今回、シュナイダー副長は砦で待機だ。約半数の兵士はここに残り、捕虜たちの管理やら、砦内の備品管理やらを行うそうだ。また、この砦が取り返されないよう、守りを堅めなくてはならない。本来ならそのためにフォルカーさんも残った方がいいのだが…私には魔術師の付き添いが必要だ。
我々はこれから第12大隊と合流し、もう一つ砦を落としにかかる。そちらの砦は現在苦戦していると聞いた。
第12大隊といえば、イザークさんが大隊長だ。あまり良い印象は無いが、仕事として割り切るべきだろう。
◇ ◇ ◇
数時間の移動を終え、我々は2つ目の砦近くの野営地に合流した。幌の隙間から外を見てみると、馬を走らせ、一番大きな天蓋の方へ向かうアデルの姿が見えた。
移動中は殆ど寝ていたので、眠気覚ましに幌の外に出てみることにした。まだ太陽は空の天辺にある。ここまで雨が降ったのか、地面はところどころぬかるんでいた。
杖と鞄を手に、地面に降り立つ。今度は遠くに高い壁が見える…あれが砦か。昨日は高所から見下ろしていたが、今回は見上げる側だ。
「壁が高いですね」
隣に立ったフォルカーさんが呟いた。
「体調は如何ですか?」
大丈夫、と頷く。
「魔力の方はどうです。回復はしてきましたか?」
今は全快時の3分の1くらいかな、と思う。
「案外丁度良いかもしれません。全快では使い過ぎてしまうかもしれませんから」
確かに、と頷くと、フォルカーさんは苦笑した。
「ここでは貴方に無茶をさせることはないと思います。本来の技量の仕事は求められません」
それなら良かった。あまり眠れていないから、回復が遅いのだ。
「休めるうちは休んでいてください」
フォルカーさんは私に水筒を渡してくれた。有り難くそれを受け取って、一口飲んで喉を潤す。
「…答えたくなければ答えなくて構いませんが、アデルと何かありましたか?」
「…!!」
水が気管に入った。咳き込む背中を、フォルカーさんが摩ってくれる。
「失礼、タイミングが悪かったですね」
「……っ」
「私はあまり、こういうことには気が利かないものですから。婉曲的に訊ねるのもどうかと思いまして」
「……」
顔に熱が集まる。
「集中力に影響が出そうであれば、早めに話し合って解決した方が良いかと思いますが」
いや、それは…それは嫌だ、できない。
あれがただの事故だったと、そういう事実を突きつけられるのが、怖い。
だったら、無かったことにしてしまった方がずっといい。
ぶんぶん首を振ると、フォルカーさんは「…そうですか」と小さく呟いた。
「アデルが、後で話がある、と。その前にサヤさんは衛生兵の一員として、救護テントに向かってください。負傷者が多く、手を貸してほしいそうです」
アデルと話をするのは嫌だ…嫌だけど、その前に初めて衛生兵の一人として現場に行くことになる。気持ちを切り替えないといけない。
唇を引き結んでこくりと頷くと、フォルカーさんは頷きを返して、「頑張ってくださいね」と言ってくれた。




