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37.作戦開始

 幻を作るのは、少しばかりの気合と、とんでもなく高い集中力が求められる。幻とは言っても、実態なき物質が「そこにある」のが魔術だ。

「夕方から取り掛かりましょう。それまでは休んでいてください」

 ああ、それなら、体を流したい。魔術で水もお湯も作れるし、タオルと石鹸もあるから、桶があればそれで。

「わかりました、持ってきます。ああ、よく分かっていると思いますが、絶対幌は開けないでくださいね」

 そんなの当たり前だ、なんなら防護障壁もしっかり張る。

 フォルカーさんはくすりと笑って、荷馬車の外に出て行った。


 なかなか行軍中は体を流せないから辛い。今度から桶も持ち歩こうかな。荷馬車の中はほぼ個室みたいなものだから。

 桶を2つ借りて、その中にお湯を溜め、体をゴシゴシ擦る。髪は長いと大変だから、もう少し切っても良いのかもしれない。先日のパーティーの時に毛先を揃えてもらったものの、今でも腰のあたりまである。


 ささっと終わらせ、髪も乾かし、荷馬車の幌を上げる。

 空は徐々に夕方に差し掛かってきた。

 靴を履いて外に出ると、ひんやりとした風が髪を揺らした。

「サヤさん」

 声をかけられて顔を上げる。

「そろそろ始めましょう」

 フォルカーさんは私の顔を見て、小さく笑った。

「緊張していますか」

 そりゃあそうだ。

「大丈夫、貴方なら問題ありません」

 フォルカーさんは私の横に並んだ。すらりと細くて長い指が、遠くの山々を指差す。

「あの辺りに雲の幻を作りましょう。先程、上空の風向きを確認しました。あそこに雨雲があれば、砦の方向に流れます。まず最初は小さく、薄いものから」

 小さく深呼吸する。

 薄く小さな雲を、山の端に作る。まずはこのまま、維持し続ける。

「15分ほどそのまま。徐々に増やしていきます」

 呼吸を乱してはいけない。フォルカーさんに教わった通りに、呼吸を整えていく。

 ゆっくり鼻から息を吸い、口から吐く。頭の中で数字を数えて、一定の速度で呼吸を維持する。

 寒いはずなのに、じんわりと汗をかく。瞬きを忘れる。

「落ち着いて。ちゃんとできていますから」

 フォルカーさんの励ます声が、どこか遠くに聞こえる。


 徐々に、ゆっくり、4時間ほどかけて雲を増やした。辺りはすっかり暗くなる。そこから更に3時間ほど、兵士たちが完全に眠りにつく時間になるまで、じっと耐える。

 山の上に雲の塊ができている。風に揺れて流れていくように形を変えながら、常にそこに雲があるのだと思わせる。

 ここまで何かに集中したのは、記憶の中では初めてだった。

 ただ、今は「この状態を保持する」ので精一杯だ。折角体を流したのに汗だくで、左腕は先程から震えている。

 深夜、一体何時だろう。

「移動しましょう。私が貴方を運びますから、貴方は魔術に集中してください」

 フォルカーさんの言葉に頷く余裕もない。

 遠くの方で、誰かと話している声がする。野営地の火はすでに消され、真っ暗になっている。

「誰にも見つからないよう遠回りします。その上で、砦から死角の位置で魔術を使います。今から貴方の体を持ち上げますので、慌てないでくださいね」

 背後から持ち上げられる。横抱きの形になった。とはいえ私は全く動くことはできない。

「移動してから崖を降ります。少し揺れますよ」

 フォルカーさんの小さな声が聞こえる。視界に雲を捉えたまま、振動を感じている。

 少ししてから、体がゆっくりと下へと降下した。そのまま森の中を抜け、山の麓と思しきところに着いた。

「今から空を移動して、山の上に向かいます」

 体がふわりと浮く。程なくして目的地に着いたようで、ゆっくりと地面に下ろされた。


「一時的にでしたら、私が幻を出せます。私が合図したら、魔術を解いてください。そうしたら、大きな水の塊を出して蒸発させてください」

 フォルカーさんの手が、私の右手を握った。

「大丈夫そうでしたら、握り返してください」

 震える手で、軽く力を込める。

「では、10数えます。私が幻を出せるのはほんの5分ほどです。その間に、可能な限り大量の水蒸気を作ってください」

 手を握り返すと、フォルカーさんの声が数を数える。合図に合わせて、雲の幻を消す。フォルカーさんが隙間なく間を繋いだ。

 一気に集中が切れて、ふらつく背中を誰かの腕が支えた。しかしそれに気を回す時間などない。

 水を生み出す呪文を唱える。大量の水を作り、それを一気に気化させる。

 火を使えば砦から見えてしまう。熱を生み出す魔術は、単純な火を使う魔術に比べて、魔力の消費が大きい。魔力を限界まで使うと倒れてしまって、3日ほど使い物にならなくなってしまう。それだけは避けなければならない。

 湿度が急激に上がるのが肌でわかる。霧のような白い熱風で周囲が包まれる。じっとりと髪が顔に張り付いた。

「…雨だ」

 小さな呟きが聞こえる。ぱらぱらと小雨が降り出した。更に熱を加え、上昇気流を作る。徐々に雨脚が強くなる。

「上出来です」

 フォルカーさんがこちらを向いて、小さく微笑んだ。

 魔術を止め、大きく息を吐く。疲れた。本当に、疲れた。

 雨がフードを叩く。ずっとここにいたらびしょ濡れになってしまう。しかし、動く気力が湧かない。

 ちゃんとやり遂げた。フォルカーさんの華奢な手が、私の頭を撫でる。

「よく頑張りましたね。疲れたでしょう」

 なんだか、目頭が熱くなる。ずずっと鼻をすすると、フォルカーさんは苦笑した。

「今晩はひとまずこれで良いでしょう。しかし雨を降らし続ける必要がありますから、我々はここで野営です」

 こくり、と頷く。

「簡単に小屋を作りますから、そこで休みましょう。一旦アデルを野営地に戻しますので、少々お待ちください」

 アデル?

「…こいつ、かなりフラフラだが、大丈夫か?」

 背後で私を支えているのは、アデルだったらしい。驚いて背後を振り向くと、険しい顔でこちらを見下ろす彼と目が合った。

「大丈夫じゃありませんよ、大丈夫な訳がないでしょう。こんな大掛かりな仕掛けのために、かなり無茶をさせたんですから。早く休ませたいので、早く帰りますよ」

 淡々とフォルカーさんに言われて、アデルは口を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 フォルカーさんが即席で作った簡易小屋で、ローブを敷いて横になる。かろうじて私が横になれるくらいのスペースしかないのだが、フォルカーさんは元々横になる気がないようだ。私の横に腰を下ろして、小窓から外をじっと見ている。

「朝まではお休みください。その後は引き続き魔術で雨雲を大きくしていきます。私が起こしますから、気にせずに眠って大丈夫ですよ」

 ありがとうございます、と文字を出す余裕もない。頷いて目を閉じると、一瞬で意識が飛んだ。


 眠ったからと言って、全快になる訳じゃない。

 あれだけ魔硝石に魔力を込めていれば、自分の魔力量の目安がわかる。

 前日の消費量はだいたい3分の2くらい。集中力の方が保たなかった、という感じだった。

「砦に雨が降っています」

 朝、フォルカーさんにそう言われて起こされた。倦怠感を感じつつも小屋から出て、砦が見える位置まで行くと、砦に雨雲がかかっていた。うまくいったようだ。

「更に雨脚を強くしましょう。2時間おきに雨雲を追加します。あちらの山にも雨雲を作りましょう」

 まだまだやることは多い。フォルカーさんも殆ど眠っておらず、2人してボロボロになりながら時に幻を出し、時には雨を降らせ。さながら戦友のような連帯感すら感じていた。

 丸2日そうして雨を降らせた後、我々は小屋を壊して証拠隠滅し、野営地へ戻った。雨はずっと降り続け、今は野営地もすっかり土砂降りだ。狙い通り河は増水し、水位がかなり上がっている。これなら水を追加する必要もない。

「……」

 野営地の荷馬車の中に一旦戻り、再び湯を浴びる。森の中で過ごしていたから木の枝に引っ掻かれて全身傷だらけだわ、雨の中動き回るから泥だらけになるわ、踏んだり蹴ったりだった。早くローブも洗濯したいが、その前にやることがある。

「良くやった。これなら自然に作戦を決行できる」

 荷馬車から出たところで、シュナイダー副長にそう言われた。

 もう2度とやりたくない。ただ水を増やして堤を作るだけなら、ここまで疲れなかった。

「かなり無茶をしました。早く終わらせてしまいたいところです」

 フォルカーさんが私の気持ちを代弁してくれている。フォルカーさんも泥だらけだ。

「1時間で隊を動かす。こちらの合図で堤を作ってくれ。混乱している隙に攻め込む」

 その言葉通り、程なくして大隊は動き始めた。


 雨の中、増水した河を見下ろして、合図を待つ。

 アデルはきっと最前線にいる。彼が無事に帰れるように、いや——この場にいる全員が、無事に帰れるように、手を尽くすのが私の仕事だ。

「教えた通りに対処していただければ問題ありません。あとはこちらで補強します」

「……」

 河を横断する堤を作り、その後ろの川底に土砂や木を敷き詰め、部隊が通れるようにする。この2日間じわじわすり減らした魔力量からするとギリギリかもしれない。

 またフォルカーさんと手を繋ぐ。魔術を使っている間、こうでもしないと意思疎通ができないのだ。

「合図です。一気にいきましょう」

 フォルカーさんの声に合わせて、空気の壁を作る。河を横断し、砦の門に繋げる壁だ。増水していた河の水が流れを変え、一気に砦の中に流れ込む。砦の内部は騒然となった。

 そして近くに用意していた土砂を積み上げ、人が通れる道を作る。フォルカーさんが地面をならし、補強していく。

 フォルカーさんの合図で、その道を兵士たちが駆け抜ける。全員が渡り切るまで、魔術を解くことはできない。

「サヤさん、まだ保ちますか?」

 まだ大丈夫。フォルカーさんの手を握り返す。

 あまり音が聞こえていないのだが、砦内部が阿鼻叫喚になっているのは分かる。砦の反対側の門が開かれ、大量の水が外に溢れた。

 程なくして、全員が橋を渡り終えた。

 大きな声と共に、兵士たちが内部へと流れ込む。堤にしていた空気の壁を消すと、河はごうごうと音を立てて、元の流れに戻った。

「後は私がやりますから、サヤさんは休んでいてください」

 フォルカーさんの手が離れた。

「…サヤさん?」

 声が遠くで聞こえる。酷い目眩で立っていられない。手の甲で鼻の下を拭うと、血がついた。ああ、またこれだ。前回よりは疲れてはいないと思ったのに。

 大丈夫です、と返して、荷馬車に戻る。靴を脱ぎ捨て、ローブを脱ぎ、床に倒れ込む。


 こうして限界が来た時は、いつも急激に暗闇が忍び寄る。

 かつて、【蝙蝠】にいた時も同じだった。そして、【蝙蝠】から出た時も。そうだ、あそこを出てからも、いくつかの場所で魔術を使って。


 いつも、隣に誰か居た気がする。

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