36.遠征
翌日からは、フォルカーさんの指導の元、作戦のための訓練が始められた。みっちり2週間訓練したが、具体的にどんな作戦が組まれたのかはまだ知らされていない。
現地の状況に合わせて作戦は変える可能性がある、とだけフォルカーさんは言っていた。
◇ ◇ ◇
「衛生兵は、ちゃんと組織に組み込まれてるもんだ。第15大隊だと、1部隊ごとに20人ほどいる。お前はそこから外れてるし、おそらく今回は…というか、今後組織に組み込まれることはないだろう」
遠征の前日。師匠に呼び出されて、そんなことを言われた。
「お前、大隊内ではかなりの嫌われ者だろう。急にお前が入ったところで、現場は混乱するだけだ。そういう意味でも「全部一人でできるようになれ」だがな。まあ、一人前になるまではまだ暫くかかるだろうが。大隊内で心象が悪いってことは、備品を使わせてもらえない可能性がある。だからこれを渡す」
ぽん、と師匠の手が、机の上に置かれていた鞄を叩いた。角張った茶色い皮の鞄で、ぱっと見は小さめの旅行鞄のような感じだ。中にはぎっしり医療器具や薬品が詰まっている。
「一通り必要なものは入れてある。入る分は押し込んだが、足りないものは出てくるだろう。その時は頑張れよ」
師匠はぶっきらぼうに言って、がしがしと頭を撫でてくる。師匠は最近よく頭を撫でてくれるようになった。
ありがとうございます、と鞄を手に持つ。思ったより凄く重たい。これは魔術で運ばないと。
師匠がいない場所で、1人で治療にあたるのは不安が大きい。
「そういう経験が必要だ。いつまでも俺の隣にくっついていても得られるものは少ないぞ」
それは分かってはいるが。
「俺に早く追いつけ。それまでお前は弟子2号だ」
…それって何年かかるんだろう。
そして、遠征出発の当日。師匠から渡された鞄と、何かあった時のための杖を手に、私は隊舎敷地内の大きなグラウンドのような場所に立っていた。遠征中は顔を隠すための布を顔にかけて、表情が気取られないようにする。
周囲を沢山の兵士が動き回る。事前にこの遠征については聞かされていたが、緊張感が身を包む。
今回向かうのは、ここから東。私がいた砦から東方にある砦を落とし、更にその先の首都を落とす戦いだ。これは国を征服するための戦いになる。
我々第15大隊と、第3大隊、第12大隊の3つの大隊が東へ向かう。帰還する時のようなゆっくりした進みではなく、移動はかなり速い。その後ろから更に2つの大隊が合流するのだという。
今度は1週間かけての移動になる。前回とは別のルートで、なるべく平地を進むようだ。
充てがわれた荷馬車は、半分が食材で埋まっていた。食材といっても新鮮なものではなく、多くが干物、保存食だ。荷馬車は私が乗るものの他に4台あり、それぞれに物資を乗せている。
そして、私が乗る荷馬車は、フォルカーさんが引いてくれるらしい。
「アデルの指示ですし、これが一番平和に事が進むので」
申し訳ないというと、フォルカーさんは平然とそう言う。確かに喧嘩騒ぎを起こした手前、他の誰かに頼んで、問題を起こしてしまうよりかは…。
荷馬車は幌付きで、外からは中の様子が見えないし、中からも外の様子は見えない。
かなり気が楽でいられる。乗馬に失敗して良かったかもしれない。
行軍が始まる。
荷馬車の中でじっと待機していると、ゆっくりと車輪が動き出した。厚手のローブを座布団代わりにしているので、そこまで体は辛く無い。
今日はアデルと殆ど顔を合わせていない。アデルはアデルで忙しそうだったし、私も私で準備でバタついていた。何も心配することなどないのだが、大丈夫かな、とついつい考えてしまう。
作戦については、シュナイダー副長に現地で話すと言われた。それまで英気を養え、と。
つまり、荷馬車の中から出るな、動くな、何もするな、という訳である。
帰還時は動物を狩ったりもしていたが、今回の行軍はそれも無いのだそうだ。暇を持て余して、フォルカーさんに以前渡された魔術書を読み込むことにした。この1週間でできることはこれくらいだから。
最初のうちは読書も良かったのだが、あっさり酔い、気持ち悪くなって横になった。そして横になっていれば眠くなる。
ローブが殆ど毛布になっているので、気持ちよく眠れてしまって、肩を軽く揺すられるまで起きなかった。
「サヤさん、起きてください」
フォルカーさんだ。慌てて身を起こす。
「休憩です。食事を摂りましょう」
手渡されたのは、小さな干し肉と大きな乾パンのような塊だ。
「魔術書を読まれていたのですね」
読んではいたのだが、酔った。
「揺れますからね」
フォルカーさんは小さく苦笑した。
アデルは今、どの辺にいるんだろう。
「近くに居ますよ。しかし、行軍中はこちらには来ないかもしれません」
じゃあ暫く会えないのか。少し残念だ。
「士気を上げるのも彼の仕事ですから」
…当たり前か。私は嫌われ者だから、アデルが私に会いに来れば、皆不快に感じるだろう。仕方のないことだとは分かっている。
「30分休憩したら、移動再開です」
フォルカーさんは荷馬車から出ていく。
顔から布を外して、渡された食事を小さく噛みちぎって食べつつ、幌の隙間から外を覗き見てみた。兵士たちは道から外れて、思い思いの体勢で休憩している。もう少し視線を巡らせると、程近い場所でアデルが休憩しているのが見えた。
木の幹に背をもたれて立ち、干し肉を噛んでいる。近くにはシュナイダー副長が立っていて、何事か話し合っているようだった。
忙しそうだ。
真剣な表情で何事か話をする様子に、かっこいいな、なんてことを考える。そういえば年齢は聞いたことが無いが、いくつなんだろう。
顔は怖いけど笑うと少しだけ子供っぽい空気になったり、荒っぽいけどたまに優しく励ましてくれたり。一緒にいると楽しい。
いつもアデルと食事をしていたから、1人では寂しく感じる。
早く終わらせて帰れたら良い。そうしたらいつもみたいに一緒にご飯が食べられるし、たまに冗談を言い合ったりしながら、話ができるのに。
こんなに力が有り余っているなら、誤魔化したり嘘をついたりなんてしないで、全部解決できたら良いのに。
誰からも利用されないくらい、誰からも力を狙われないくらい、圧倒的な力があれば、みんな私を放っておいてくれるのだろうか。
◇ ◇ ◇
日中寝てばかりだったので、夜は逆に目が冴えてしまって眠れない。横になっていても全く睡魔がやってこないので、小さな光の球を作って、本を読み進めることにした。
完全に昼夜逆転したまま、案外1週間はあっという間だった。…まあ、私はただ馬車に揺られているだけだったから、そう感じただけだろうけど。
目的地についてからも、馬車が止まって暫くはそのまま待機するよう言われた。
膝を抱えてじっと待っていると、不意に幌が捲られる。
「サヤ」
アデルだ。久しぶりに見る涼やかな青い眼差しに、嬉しさが込み上げる。
「出てこい。作戦について話す」
こくりと頷いて、荷馬車から降りる。
久しぶりの外だ。
場所はどうやら崖の上、疎に生えた木々に囲まれた場所だ。天気が良く、暖かい陽気に気分も高揚する。
一番高い場所に、大きな天蓋が用意されていた。アデルは入り口の幕を開き、私の方を振り向く。入れということだろう。
中に入ると、既にフォルカーさんとシュナイダー副長がいた。椅子と大きな机が用意されていて、その上には地図が置かれている。
アデルは中に入ると、奥の椅子に腰を下ろした。
「人払いをしておきたい。天蓋から半径5メートル内に人が入れないよう、防護障壁を張ってくれ」
まず最初に、シュナイダー副長にそう言われた。ええと、これくらいか。大体の感覚で壁を作る。できました、と答えると、シュナイダー副長は立ち上がった。
「まず、お前にも全体の話をしておく。今回3つの大隊がファウスト征圧に駆り出されている。ファウストとアーベントロート・エンデとの間にある砦は3つ。それぞれが砦を落とし、その後は足並みを揃えてファウストの首都へと攻め込む」
「……」
「既に第3・12大隊は、それぞれが落としにかかる砦の前に陣を張っている。開戦している場所もあるだろう。我々が落とすのはここだ」
シュナイダー副長の手が、地図の一点を指差す。
「周囲を崖と大河で囲まれた砦、アロイス。一番厄介な砦だ。通常攻め込もうとする場合、大河を越える道と、谷を越える道の2つしか道が無い。防御を切り崩すためには、かなりの犠牲が出る」
なるほど、と頷く。天然の要塞、というやつだろうか。地図の東側には河が、西側には細い谷がある。今我々は、それを南側から見下ろしている形だ。上から矢を射ることはできても、これではただ矢を消費するだけになりそう。
「大河には橋もねえから、越えるには船がいる。その上、水深が浅いせいで、でかい船を作ると船底が川底にぶつかる。逆方向の谷を越える道は道幅が狭い。どちらを使っても良い的になる」
アデルが静かに言葉を続けた。
「今回は水攻めをやる」
水攻め。私が固まっていると、シュナイダー副長が地図を指でとんとんと叩いた。
「河を増水させて、堤を築き、一気に砦へ流し込む。お前の魔術ならできる、と算段をつけた」
「……」
ちらりとフォルカーさんに視線を向ける。フォルカーさんが頷いたので、それならば可能だろうと私も頷いた。
「具体的にやってもらうことだが——」
その言葉を続けて、今度はフォルカーさんが口を開いた。
「まず、そもそもの話をしておきますが、砦を落とすほどの水を用意するとなると、通常の魔術師では不可能です。貴方なら可能ですが、それを堂々とやるわけにはいきません。あなたの技量を偽るために、「天を味方につけた」というような、運を演出する必要があります」
それはつまり、…何をすれば良いんだろう。
「そのための無茶をしてもらうことになる。河を増水させるために、雨を降らすんだ」
雨って魔術で降らせられるのか…?
「これも、貴方なら可能でしょう。とんでもない量の魔力を消費しますが、最も誤魔化しが効きやすい方法です」
確かに雨ならば「天を味方につけた」と言える。
「目安として2日間、雨を降らし続けてほしいが。可能か?」
フォルカーさんは頷いた。きっとこれまでやってきた訓練は、これを可能にするためのもののはずだ。
「河の水が増水したら、こちらの合図で一気に堤を作ってもらう。巨大な堤を作る程度なら、優秀な魔術師なら可能な範囲だ」
「砦の門は2方向、さっき言った河がある方向と、谷がある方向にしか無い。河を堰き止めたら、門に向かって一気に流してもらう。砦の内部は混乱するだろう、おそらく自ら反対側の門を開ける。そうしないと水が外に流れねえからな。水がある程度引いたら、俺たちも中へ乗り込む」
みんな、乗り込むのか。
戦うということは、犠牲も出るということだ。私たち魔術師は前に出ないけど、アデルやシュナイダー副長はそうじゃないだろう。急に不安になってしまう。
「どうだ。やれるか」
「……」
アデルの真っ直ぐな視線に、一瞬尻込みした。
私が一瞬固まったのを見て、アデルは僅かに目を細める。
…失望されたくない。こくりと頷くと、アデルも頷きを返した。
「作戦は以上だ。もう防護障壁は解除して良い。夜に向けて準備を進めてくれ」
「それでは、私はこれで。サヤさん、外に出ましょう」
フォルカーさんに促されて、天蓋から出る。
◇ ◇ ◇
この一帯で野営することになるので、そこかしこに天蓋が建てられていく。しかし兵士全員が天蓋に入れるわけではない。こんな中で雨を降らすのは少々気が咎める。
フォルカーさんは先程作戦会議をしていた天蓋のすぐそばに、私が乗っていた荷馬車を移動させ、その中に入った。崖の向こう、砦とその周辺を視界に入れることができる位置だ。
「2つの方法があります」
フォルカーさんは暗い幌の中で、小声で話しかけてきた。
「1つは物理的に雨を降らす方法、もう1つは幻を見せながら河に水を流し込む方法です。もし貴方が砦を守っていた時のように、ずっと魔術を使い続けられるのであれば、後者の方法も可能です」
それは自信が無い。首を振ると、フォルカーさんは「そうですよね」と頷いた。
となれば、前者の方法しかない。
フォルカーさんは幌を捲って、遠くの山を指差した。
「あの大河は、周辺の山々から流れてきています。あの一帯に雨雲を作りましょう」
まず前提として、雨の降らし方を知らないのだが。
「大量の水を用意して、それを一気に蒸発させます。ちょっとした大魔術です。しかし一度作ってしまえば、ずっと起きている必要はありません。夜間こっそり山の上まで移動して魔術を使いましょう。そこから徐々に雨雲を増やします。最終手段で、河の水が足りないようなら、最後に魔術で増やしてもいいでしょう、雨が降ったという事実さえあればいいので」
なるほど、確かにそうか。同じ国の人間に疑われなければそれでいいのだから。
「ただ1点、少々大変なお願いがあります。夜までの間、幻を作って貰いたいのです。徐々に空が曇り始めているという演出をします。こればかりは、私の魔力量ではどうにもできません」
これまでずっと、幻を長時間出すための訓練も続けていた。かなり大変そうだが、やるしかない。こくりと頷くと、フォルカーさんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。




