35.兄弟仲
買い物が終わってからはそのまま病院に行き(購入品はアデルが持ち帰ってくれた)、通常通りの仕事に戻った。
院内は今日は静かで、緊急を要するような手術が入ることもなく、緩やかに時間が進む。回診の時には、よく話してくれる患者さんが「良く似合う」と服を褒めてくれたので嬉しかった。アデルは険しい顔をしたから、何かが気に障ったのかもしれないが。…でも別に何も言われなかったし、何が気に入らなかったのかもよく分からない。ただ機嫌が悪かっただけなのかもしれないし。もう慣れたが、普段からちょっと怖い顔をしているので、その思考を読むのは難しい。
夕方頃、最後に手術室の清掃を任された。
「ついでにコンラートにやり方を教えてやってくれ」
医師の1人、コンラート君が師事している先生にそう頼まれたので、本日の清掃は2人組である。
今日はなかなか彼と話す機会がなかった。手術室で清掃用具を出しながら、昨日は悪かったと謝罪する。一緒に食事ができたらよかったのかもしれない、と。
「いえ!大隊長と食事なんて、俺みたいな若輩者が…畏れ多いですよ」
コンラート君はぶんぶんと首を横に振った。
「あの、もしかして、いつも大隊長と帰っていたんですか?」
やっぱり知らなかったのか。こくりと頷くと、コンラート君は少しばかり青い顔で「凄いですね…」と呟いた。
「俺は大隊長の正面に立っただけで、足が竦んじゃって…」
実際動けなくなっていたので、その言葉は真実だろう。
そんなに怖いだろうか…いや、勿論慣れはあるのだが。思い返してみると、私の場合は恐怖だのという事よりも先にやらなければならないことや考えることが多すぎて、怖がっている余裕が無かった、という方が正しいかもしれない。
「俺にとっては雲の上の人ですから。話をしたのも初めてでしたし」
大隊は、約12000人で構成されているという。大隊長はその一番上に立つのだから、いち兵士からすれば確かに「雲の上の人」だろう。会話をすることなんて、そうそう無いのが普通か。
「グラハム大隊長は現職についてからまだ5年程ですが、実績の多い方です。大隊長にも色々な方が居ますが、グラハム大隊長は常に先陣を切るタイプで。ついた通り名が『アーベントロート・エンデの獅子』ですよ!剣術も槍術も大隊長になる以前から相当な腕前で、元々は小隊長だった所からの異例の昇進でした。現宰相であるお父上の威光だとか、七光がどうとか言われていたそうですが、第15大隊が戦闘力の高い隊になったのは、グラハム大隊長になってからです。皆グラハム大隊長の背中を見て強くなっていったんです」
コンラート君は途端に饒舌になった。言葉尻からアデルへの憧れの強さが滲み出ている。
ふと、彼の体を思い出す。傷痕の多さが、これまでの戦闘の壮絶さを物語っていた。
「まだお若いのに、威厳というか気迫というか、大隊長としての風格があって…」
羨望の眼差しが、今度はこちらに向けられた。
「その大隊長が自ら迎えに来るなんて、サヤさんはやっぱり凄いですね。それだけ期待されているってことですよね」
…いや、それは多分違う。理由は一つ、問題が起こるからだ。
それを自ら証明してしまったから何も言えない。
大多数の兵士が、私のことを嫌っている。それは事実だ。
「俺は交友関係が限られてて、あんまりそういう情報が入ってこなかったんで、実感としては無かったんですが…」
コンラート君は眉を顰めた。
「ここまでだとは思いませんでした。あんなに堂々と陰口を言ったり、手を上げたりするなんて。あんな奴らが仲間だとは思いたくない」
…コンラート君は本当に優しいな。
「あの、そういえば、足は大丈夫でした?あの時、捻ったりは…?」
あれは靴が壊れただけで、元々足は動かない。歩けないのを靴と魔術でどうにかしていただけで。
「えっ…?」
目を見開いて固まる彼を見て、あ、と慌てる。
気にしないで欲しい、今は特に不便はないのだ。魔術師なのだから、それくらい何とかなる。そう伝えると、コンラート君は困ったように眉根を寄せた。
「そう、だったんですね…」
彼は少しばかり目を伏せて、呟いた。
「…あ、すみません!話し込んじゃって。掃除しないと、ですよね」
コンラート君は消毒液の入ったボトルを手に、小さく笑う。
そうだった、私も、掃除について教えないといけないのだったと思い出した。私も笑い返して、掃除道具をカートから取り出した。
メスやら鉗子やら、手術で使う器具類を消毒液に浸けていく。消毒液はアルコールとは違う香りがするが、何でできているのかは私は知らない。
手袋を嵌めてそれらを扱うコンラート君を横目に、こちらは手術台の清掃をする。
「魔術が扱えるって良いですね。こういう時は手袋が無くても良いのでしょう?」
こくりと頷く。手で直接触れる必要がないから、確かに楽で良い。
「俺も魔術が使えたらなぁ」
コンラート君はそう呟いた。
「修行をしてみたこともあったんですが、才能が無くて。俺が魔術師になってたら、もうちょっと兄さんにも認められたかもしれないな、なんて、たまに考えてしまうんです」
アデルから聞いたことを思い出す。コンラート君とシュナイダー副長は不仲だ、という話。
シュナイダー副長とは、仲が悪いのか。直接聞いてみることにした。
「仲が悪いって程じゃ無い…と思うんですが、好かれてはいないと思います。もう何年もちゃんと話をしていないし…」
コンラート君は、消毒液の中からメスを取り上げて、トレーに移す。静かな手術室に、かちゃん、と音が響いた。
「歳が18も離れているので、元々あまり話をすることもなかったんです。物心ついた時にはもう兄は従軍していて、家に帰ることも少なかった。だから遊んだ記憶は全くありません」
18ということは…シュナイダー副長は今37歳、か。
「兄は優秀な人なので、俺みたいな落ちこぼれは嫌いなんだと思います」
彼はそれを口にしていても、別段暗い表情はしていなかった。
「サヤさん、消毒終わりました。次は何をしたら良いですか?」
それなら、床の拭き掃除をしてもらおう。モップを出して、端から拭いていくようにお願いする。こちらの方は掃除が終わったので、消毒の終わった器具類を魔術で手早く整頓していくと、コンラート君が小さく息を漏らした。
「俺、今からでも、魔術使えるようにならないでしょうか」
どうだろう、その辺りは良く知らないし。無理やり使えるようにされたから、正道ではどう勉強して、どうやって使えるようになっていくのかよく分からない。
私では教えられないと思う、と答える。
「サヤさん、器用そうですよね」
初めてそんなこと言われた。びっくりしてコンラート君の顔をじっと凝視してしまう。
「……えっと…?」
コンラート君はきょとんとした顔になる。固まるコンラート君に詰め寄り、ローブの裾を指差した。
私のことを器用そうだと言ってくれるコンラート君ならもしや。もしや、これが何かわかってくれるのでは。
これ、何に見える?と聞いてみる。コンラート君は眉をぴくっと動かして、たっぷり20秒ほど黙り込んだ。
「………鳥の頭ですか?」
アデルと同じ答えだった。
◇ ◇ ◇
コンラート君と2人並んで、病院から出る。
服を変えたお陰で昨日よりいくらか暖かいが、夜になると流石に寒い。帰ったら真っ先に新しいローブの裾上げをしよう。
「……?」
あれ、いつもの場所に立っているのがアデルではない。アデルよりもう少し背が低くて細身だ。誰だろう。
その人影はこちらに気づいたようで、大きな歩幅でこちらに近付いてきた。ふと街灯の灯りがその人物の顔を照らして、隣に立つコンラート君の体に緊張が走る。
シュナイダー副長だ。彼の前にいると、緊張感で自然と背筋が伸びる。厳しい教師の前に立たされているような気分になるのだ。
眼鏡越しの冷たい金の瞳が、真っ直ぐこちらを見下ろした。
「今日は大隊長に予定が入ったから代わりに来た。帰るぞ」
シュナイダー副長はただそれだけ言って、隊舎への道を歩き出す。コンラート君は完全に固まったまま動かず、慌てて彼の手首を掴んでシュナイダー副長の後を追いかけた。
シュナイダー副長の歩みは速い。小走りになりながらその背中を追っていると、不意にコンラート君が歩みを止めた。
「あの、俺…」
コンラート君は戸惑う声を上げる。その声が聞こえたのか、シュナイダー副長も立ち止まった。
「何だ」
「………」
シュナイダー副長はこちらを振り向いて、低く呟く。コンラート君は萎縮した様子で黙り込んでしまった。
「…何もないなら行くぞ」
眼鏡の奥の瞳が細められた。シュナイダー副長は正面に視線を戻して、再び歩き出してしまう。
コンラート君は立ち止まったままだ。…どうしよう。
軽くコンラート君の服の裾を引っ張ると、彼は困った顔でこちらを見下ろした。
「…俺、ひとりで帰ります」
しかし、帰る道は同じだし、寄り道をする訳でもないだろうに。それに、シュナイダー副長はコンラート君の実の兄なのだから、一緒に帰れば良いじゃないか…と思ってしまうのは、安直過ぎるだろうか。本当にシュナイダー副長がコンラート君のことを嫌っているのかもよく分からないし。
「良いから来い!」
我々がまだ立ち止まっているのに気づいたのか、シュナイダー副長がこちらを振り向いて一喝した。2人してびくっと飛び上がって、急いでシュナイダー副長の後ろに並ぶ。
「……」
「……」
完全に沈黙だ。ただ黙々と隊舎への道を帰るだけになっている。何か、何か話しかけた方がいいんだろうか。話題は何かないか。何で誰も喋らないんだ。こんなに早く歩かれては、歩く方に集中力が持って行かれて、文字を出すのも一苦労なのに。
何か文字を出そうと指を動かした瞬間、足がもつれて転んでしまった。
「わっ、大丈夫ですか!」
コンラート君が助け起こしてくれた。…石畳の上をガッツリ滑るように転んだので、手のひらと膝を擦りむいた。服は丈夫なようで幸い穴が空いたりはしていないが、おそらくズボンの下は血が出ているだろう。この歳でこんな怪我をするとは…と自分でも少し落ち込んでしまう。
痛みを我慢しながら立ち上がると、すぐ近くにシュナイダー副長が立っていた。
「…魔術師とは思えんな」
この世界の魔術師はそんなに完璧なのか。世の中一人や二人くらい鈍臭い魔術師だっているだろう、と、これがアデルなら反論している。シュナイダー副長に反論などしようものなら、言葉が100倍になって返ってきそうだ。いや、アデルはデコピンが飛んでくるけど。
ぐ、と言葉を飲み込むと、シュナイダー副長はため息をついた。
「歩くのが速いなら速いと言えばいいだろう。俺は大隊長やモーガンほど気を遣って歩いていない」
「……」
そういう言葉をかけられるとは思っていなかったので、少しばかり驚いた。
今度は、シュナイダー副長の歩みが遅くなった。本当は優しい人なのか、それとも違うのかは、私にはよく分からなかった。
結局隊舎に戻るまでは会話は無く、食堂前でコンラート君とは別れて、シュナイダー副長には部屋の前まで送ってもらった。
ありがとうございます、と頭を下げると「頼まれたからやっただけだ」と無機質な返事が返ってくる。
「もう聞いているだろうが、次の作戦にはお前を組み込む。これから2週間、どう訓練するかはモーガンに任せた」
ちらりと顔を窺うと、金の瞳と目が合う。コンラート君と同じ色のはずなのに、彼の色よりも冷たく感じてしまう。
「…弟と親しいようだな」
そういうことを気にする人だと思わなかった。驚いて顔を見つめると、シュナイダー副長は目を逸らした。
「弟を誑かすなよ」
そう言って、彼は自室へと戻っていった。
嫌っていたら、そういう言葉は出ないものだろう。
なんだかんだ、コンラート君のことを心配しているんじゃないか。何だか少しほっこりしてしまった。




