33.コンラート君とアデル
どうやら私は、酒に強い体だったらしい。
謹慎が明けた朝、特に体調が悪いということもなく、いつも通りに目を覚ました。いや、何ならいつもよりも寝覚めがよかった。一方のアデルは、何となく顔色が悪い。
もしかして二日酔いだろうか。
「うるせえよ」
痛い、デコピンされた。1人だけ二日酔いなのが恥ずかしかったのだろうか。ふふん、ざまあみろ。私を揶揄った罰だ。
◇ ◇ ◇
「喧嘩して謹慎処分食らってたって?」
師匠には開口一番そう言われた。
「ちゃんと手加減はしたか?」
そりゃあもちろん。
「それならいい。叩きのめしたいなら、バレないようにやれ」
なんというか、とても師匠らしい。叩きのめすこと自体は止めないんだな。
「3日の遅れを取り戻すぞ、気合いを入れろ。遠征も近い」
そうだ、あともう…2週間くらいか。緊張感が身を包む。
「お前が謹慎してるうちに、シュナイダー副長が来た。お前の仕事ぶりについてあれこれ聞いていったぞ」
ひっ、血の気が引く。あれだろうか、信用に足る人間かどうか確認していった、とか。コンラート君があんなこと言うから…。
一体何を聞いてきたんだろう。
「ああ…ちゃんと仕事しているのかとか、信用して仕事は任せられるかとか。正直に、不器用だがよくやってると言っておいた。患者にも何か聞いてたが、それは知らん」
頭を抱えてしまう。大丈夫だろうか…。
「お前はいつも通りにやっていれば良い。このままで問題はない」
師匠がそう言うなら、このままいつも通り頑張ろう。
病室に向かって歩く師匠の後ろをついて歩いていると、時々同僚の先生達が手を振ってくれるので、手を振り返す。私が話せないから気を遣ってくれている。良い職場だ。遠くからコンラート君が手を振ってくれているのが見える。良かった、彼も問題なく職場復帰できたみたいで。
「サヤさん、大丈夫だった?」
回診していると、患者の一人が声を掛けてきた。私が謹慎処分になっていたことを知っているようだ。頷くと、彼はほっとした表情になった。
「みんな心配してたんだ。喧嘩したって…怪我はない?」
私が手を出してしまっただけだから、怪我は一切ない。
「そっか。嫌なやつは多いだろうけど、ここのみんなはサヤさんの味方だよ」
ここの患者さんは優しい。最初は不審そうな目を向けられることも多かったが、流石にこれだけ長く働いていれば、皆私の存在に慣れる。
こちらに向けて手を振ってくれる彼らに手を振り返して、にっこり笑うと、笑みが返ってきた。うん、ここは好きだ。
◇ ◇ ◇
夜、いつもの時間に病院を出る。
3日間一切外出していなかったが、その間に一気に気温が下がったんじゃないだろうか。
吐く息が真っ白だ。そのうち雪が降り始めるのでは無いかと思う。
服の上からコートを着て、さらにその上からローブのスタイルだが、それでもめちゃくちゃ寒い。
「サヤさん!」
後ろから呼び止められた。ひょろっとしたシルエット、コンラート君だ。私が立ち止まると、彼は私の横に並んだ。軽く屈んで、こちらを覗き込む。
「今日は冷えますね。…寒そうですが、大丈夫ですか?」
私が小刻みに震えているのに気付いたらしい。さっきから奥歯がガタガタ鳴っている。大丈夫だ、と頷くと、コンラート君は困ったように笑った。
「あの、俺のマフラー使いますか?」
わざわざマフラーを外してくれる。いやいや、そこまでしてもらうのは申し訳ない。首を振ると、彼は何となく残念そうに、マフラーを元の位置に戻した。
「謹慎中はいかがお過ごしでしたか?」
久しぶりにゆっくりできた、と返す。なんだかアデルによく揶揄われていたような気もするが…。
それより、巻き込んでしまって申し訳なかった。私があそこで手を出したりしていなければ、コンラート君が謹慎処分になることもなかっただろうに。
「気にしないでください。俺も勝手にやったことですから」
コンラート君はにっこりと笑ってくれた。
「それに、俺も落ち着いて勉強できましたから。良い機会でした」
真面目だな。見た目の印象を裏切らない。
勉強とは、医学の、だろうか。
「はい、医学書を読んでいました。お恥ずかしい話なんですが、まだ人体の骨や筋肉の名前を覚えられてもいなくて」
私もまだ全部は覚えきれていない。そう返すと、コンラート君は意外そうに目を瞬かせた。言葉が違うと、より難易度が上がるような気がする。関連付けた漢字で覚えられないから。
「それを聞いて、なんだかほっとしました。…あの、よかったら今日も一緒に帰りませんか」
ああ、いや、今日は。
「サヤ」
名前を呼ばれて、顔をそちらに向ける。いつも待ち合わせをしている方向から、アデルがこちらに歩いて来るのが見えた。
黒い厚手のコートのポケットに手を突っ込んで、咥え煙草でやってくる姿は、なんというか。柄が悪いし輩っぽい。
「…お前は?」
静かな目がコンラート君に向けられる。冷気に当てられて薄く赤く染まっていたコンラート君の顔が、みるみるうちに青くなっていく。
「だっ、大隊長…!」
彼は慌てた様子で、拳で胸を叩いた。兵士の礼だ。
「名前と所属は」
アデルが静かな声音で訊ねる。部下と接する時のアデルは、いつも威圧感を身に纏っているように感じる。話しかけづらい空気というか、畏怖させるような空気。2人でいる時には感じないのは、いくらか気を許してくれていることだとは思いたい。
「コンラート・シュナイダーです!15大隊第8部隊所属、衛生兵見習いです!」
「コンラート…?ああ、お前がシュナイダー副長の弟か」
アデルはなるほど、と小さく頷いた。
「ここで研修中か?」
「はっ、はい!」
「精進しろよ」
「はい!!」
コンラート君の足がプルプル震えている。生まれたての小鹿みたいだ。アデルはこちらに視線を戻して、いつもの台詞を言う。
「サヤ。飯食いに行くぞ」
「……」
コンラート君はこのまま放置か。どうすべきか一瞬迷って固まっていると、アデルの手が私の手首を掴んだ。軽く引っ張られて、よろよろと歩き出す。
彼も一緒に、と言おうかと思ったが、ここまで緊張しているコンラート君を食事に誘うのは拷問だろう。振り返ると、コンラート君は胸に拳を当てたまま、緊張した表情でこちらに頭を下げていた。
結局何も言い出せないまま、アデルと一緒に飲食店の立ち並ぶ通りの方へと歩みを進めるしかなかった。
◇ ◇ ◇
「あいつ、確かお前と一緒に謹慎処分食らった奴だな」
定食屋で料理を口に運びながら、アデルが呟いた。
「仲が良さそうだが、普段は、あいつと研修を受けてんのか?」
いや、院内でもあまり顔を合わせない。それぞれ師事している医師が違うから。
「…ふうん」
アデルは呟いて、焼き魚を口に運び、咀嚼する。
どことなく、いつもより険しい顔をしているように見える。仕事が忙しいのだろうか。昨日までは割と暇そうにしていたけど。
「喧嘩のきっかけは、兵士の一人がお前に突っかかってきたから、だったな?」
ああ、そうだ。私を突き飛ばした後に、コンラート君の襟首を掴んで投げたから。
私一人なら我慢もするが、庇ってくれた彼に手を出したのが我慢ならなかった。
「…」
コンラート君は良い奴だ。私を助けてくれた。
「ふうん」
自分から聞いておいて、興味なさそうな返事が返ってくる。彼のことが気になってたんじゃないのか。
そういえば、シュナイダー副長の弟なのに、アデルは面識が無かったのだな。ふと気になって聞いてみる。
「あ?ああ…弟がいるのは知ってたが、あいつは身内をわざわざ紹介するような奴じゃねえしな」
先に食べ終わってしまったアデルが、煙草に火をつける。
「それに、本人からは不仲だと聞いたが」
不仲?それはどうして。
「そこまでは知らねえよ」
思い返してみると、あまり兄弟らしくは無かったように思う。シュナイダー副長に対して、コンラート君はずっと緊張していた。
「…あいつのことが気になってんのか?」
アデルはそう口にして、煙草の煙を吐いた。
何を指して「気になってるのか」と訊かれているのかよく分からない。は?と首を傾げると、アデルは眉間に皺を寄せた。
「…何でもねえよ」
ため息をついて、コップの水を煽る。
何なんだ、いつもの歯切れの良さが感じられない。
「…遠征の件だが」
アデルは話題を変えた。なんとなくわざとらしい感じがしたが、突っ込むとデコピンが飛んできそうなので我慢する。
「シュナイダーが、お前を作戦に組み込むことを決めた」
それは、信用してくれた、ということだろうか。
「いや、これが試金石だ。多少無茶は言われるかもしれねえが」
多少の無茶、というのがちょっと怖い。
「そんな身構えるほどのことじゃねえ。フォルカーに可能かどうかは先に聞くだろ。無茶ってのはどっちかっつーと、技量をごまかすための嘘の方だ」
「……」
「詳細は後日話す」
アデルはそう言って、煙草の火を消した。
「食い終わったなら帰るぞ」
ふらりと立ち上がるアデルに合わせて、慌てて腰を上げる。
やっぱり外は寒い。細かい刃で肌を刺されているような、そういう寒さだ。歯の根が噛み合わず、がちがちと音が鳴った。ローブにはポケットが無いので、袖の中でぎゅっと拳を握る。
「寒いのか」
アデルは片方の眉を持ち上げて、そう訊いてきた。これくらいの寒さは余裕だと言わんばかりの表情で、ちょっとムカつく。
アデルはポケットから黒い布のようなものを出して、こっちに向かって放った。慌ててそれを掴む。革手袋だ。
「やる」
アデルのものじゃないのか。借りるだけで良いのに。
有り難く手に嵌めてみて、あれ、と違和感を感じる。手にぴったりだ。これではアデルの手には合わないだろう。…私のために用意してくれたのだろうか。手袋の中はふかふかとした柔らかい布地が縫い付けられていて、とても暖かい。
「行くぞ」
アデルはポケットに手を突っ込んだまま、隊舎に向かって歩き出した。慌てて隣に並んで、注意を引くためにコートの裾を引っ張る。
「何だよ」
ありがとうございます、と言うと、アデルは「ああ」と小さく呟いて、すぐに視線を前に戻してしまった。
「お前、寒さには相当弱そうだな。頬が真っ赤だ」
素直に頷く。寒さには弱い。もう辛い。
「明日にでも、防寒具を買いに行くか。お前がここまでとは思わなかった」
防寒仕様のローブがあれば、それも欲しい。そう伝えると、アデルは低く唸った。
「ローブはよく知らねえからな。フォルカーにも声をかけるか」
3人で買い物か。楽しそうだ。
「部屋着も買った方がいいんじゃねえか?」
確かにそうだ。窓が小さいから冷気は入ってこないのだが、徐々に徐々に布団から出られなくなってきている。
今朝もアデルに起こされたが、寒くて布団の中で丸まってしまって、布団から引き摺り出された。アデルの立ち回りが完全に母親になっている。お恥ずかしい限りである。
雪など積もろうものなら、本格的に外に出られないかもしれない。遠征の時はできればこの寒さが落ち着いていますように…。そう願うしか無かった。




