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03.痛みと記憶※

 そう、確かに、私はあの日、友達と肝試しに心霊スポットに行った。何も起こらず拍子抜けして帰ることになったのも確かだ。


「何も出ないじゃん、工場長の幽霊出るんでしょ?」

「ただの廃墟で危ないだけだったなぁ」

「この後どうする?」

「沙耶んちで飲み直そうよ、明日から夏休みじゃん!」

 溌剌とその場で飛び跳ねて、その友人は笑った。短い髪がぴょんと跳ねて可愛らしい。

 私の部屋はここにいる4人の中で一番広くて——広いと言ってもワンルームだし狭いことには変わりはないのだが——音大が近いためか、防音がしっかりしていた。その上角部屋で、唯一壁がつながっている隣は空き部屋。自然と溜まり場になり、宅飲みする時は私の家に集まることが多かった。

「いいよ、でも散らかってるわ〜、レポートでいっぱいいっぱいだったんだもん」

「誰も気にしないって、みんなあんたの部屋より汚いわ」

 はは、と皆声を上げて笑う。女だけの4人組。同じサークルで趣味も合い、比較的一緒に遊ぶことが多かった。ベタベタした付き合いを好まず、遊びたい時に何となく集まって遊ぶ。そんなさっぱりとした関係性が、性に合っていて。

「…あれ」

 時間を確認しようと、スマホを探してポケットを弄るが、空っぽだった。鞄は持ち歩いていなかったから、どこかで落としてしまったのだろう。

「スマホない、落としちゃったみたい」

「えっ嘘、探さなきゃじゃん。一緒に戻るよ」

「ううん、大丈夫、心当たりあるわ」

 なんとなく、あの時落としたんだろうなという心当たりはあった。工場の中に入って少ししたところで、廃材の形が人影に見えて、皆でパニックになった時。あれから一度もスマホを確認していないし、中に入ってから激しく動いたのはあの一度きりだ。

「懐中電灯貸して、取ってくる。先に車に戻ってていいよ」

「おっけ」

 今思えば、この時誰かについていてもらえたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 結果から言えば、1人で工場の中に入り、スマホを見つけたあたりで、私はこの世界から外に摘み出された。


 ◇ ◇ ◇


「お前、やはり【蝙蝠】の魔術師か」

 低い声で現実に引き戻される。何となく言葉の意味はわかった。

 思い出した内容と、体に残る傷の跡は一致している。それは実際に自分の身に起こったことだという何よりの証拠だった。


 逃げられないようにと足の腱を斬られたのも、ミスをすると鞭で打たれたのも——魔術が使えるよう、左腕から無理矢理、回路の開通術をかけられたのも。かなり飛び飛びの記憶で、それが一体何年分のものかも分からない。その多くは痛みを与えられた記憶で、左手に痺れが残るのは、あの開通術の後遺症だ。【蝙蝠】は、あの組織だか団体だか、あれらの名前だった。


 剣の切っ先が頬に触れる。ああ、質問されていたのだった。どこか冷めた頭で、相手の質問に対して頷きを返す。

「名は」

「……」

 声を失ったのは、それが力を底上げするのに必要だったから。自ら捧げたわけではない。必要なことだと言われて無理矢理奪われた。唸り声すら出せないのは、きっとそのせいだ。

 私がぼうっとしていると、男の後ろで黙って立っていたフードの人物が、私の前に膝をついた。

「声が出せませんか」

「……」

 女性かと思ったが、男性の声だ。フードの隙間から見えるのは、落ち着いた黒い瞳。目から下を隠すように布を掛けていて、顔立ちはわからない。大学の教授を思い起こさせるような、冷静な学者然とした雰囲気の男だった。

 問いに対して頷きを返すと、そうですか、と彼は呟いた。

「文字は書けますか」

 文字は、どうだろう。まだ記憶が曖昧なままで、文字が書けるよう勉強したかも怪しい。言葉も、ゆっくり話してもらわないとわからないだろう。今こちらに問いを投げかけている男は、一定のスピードでゆっくり話すから、とても聞き取りやすい。

 首を振って見せると、「それでは、「はい」か「いいえ」で答えられる質問にしますね」と言って、質問を続けた。

「あなたは、【蝙蝠】という組織の人間ですか」

 おそらくそうだ。はい、と頷く。

「この砦に、【蝙蝠】から派遣されましたか」

 それは記憶がない。曖昧に首を傾げる。

「捕まった時、あなたなら逃げることもできたでしょう。逃げない理由があったのですか」

 理由があった訳ではないが、強いて言うなら、記憶が全くなかったのだから仕方がない。それに今も、おそらく使えるだろう「魔術」とやらの使い方をあまり思い出せない。

 はいともいいえとも答えづらい質問に、また首を捻る。

「今も、逃げられるのではありませんか?」

 これもよくわからない。逃げられるんだろうか。また首を捻る。

 男はそこで、一度口をつぐんだ。

「…もしや、記憶がありませんか?」

 ああ、そう、それだ。何でわかったんだろう。こくりと頷くと、男はため息をついて立ち上がった。彼は甲冑の方に視線を向けて、小声で話しかける。

「【蝙蝠】の術でしょう。以前にも似たような症状の者がいました。そちらの方は廃人のようになっていたので、それよりは効きが甘かったのかもしれませんが…」

「術は解けねえのか」

「私にはできません。彼女はもっと強い魔術師でしょうから、彼女自身にその気があるならあるいは。自力で術封じの鎖を破ったくらいですから。ただ見たところ、魔術に関する知識もあやふやなようです。彼女が本気になれば、私もあなたも命はありません。鎖が割れた瞬間、正直、死を覚悟しましたよ」

「それほどか」

「この砦に防護障壁を1年張り続けていた人ですよ。捕縛した統制官から彼女の話を聞き出した時は耳を疑いました。考えられない、おそらく魔力の保有量が尋常ではない、規格外です。この一帯を一瞬で消し炭にできるほどの力はあるでしょう」

 やはり、飛び飛びでしか意味はわからないが、自分は本気を出せばここから逃げられると言う。しかし何をすればいいのか分からない。——違う、少し思い出した。言われた通りのことしかできないのだ。私は。


 うっすら記憶にあるのは、隣に立つ何者かの姿だ。言われた通りの呪文を使い、記憶してはいけませんと。長ったらしい文章が書かれたものを渡され、それを読まされていただけだ。渡される文章は至って普通の論説文、時には小説で、その中に魔術を起動させるきっかけのいくつかの単語が、分からないように盛り込まれている。

 文字は読めるのかもしれないとふと思う。ああ、読めそう。書けと言われると、形を正確に表せるかわからない。


 ああ、いけない、またぼうっとしていた。

 男たちは顔を突き合わせて何やら揉めている。その横で、老人は途方に暮れたように、血のついた針を持ったまま固まっていた。そんなものどこかにやってくれたらいいのに。そう考えていたら、針がばきんと真ん中から捩じ切れて落ちた。

「うわっ」

 老人が狼狽えて声を上げる。…今の、私がやったのだろうか。金属が石の床を叩く音で、話し込んでいた2人がこちらを振り向いた。小声で話し合いは続く。早口で交わされる言葉は、うまく聞き取れなかった。

「制御できないものは、持っていても仕方ありません。分かっているでしょう」

「だが、使わないにはあまりに惜しい。こいつを使えば、戦が一瞬で終わる」

「生かしておいて、他国の手にでも渡ろうものなら、取り返しがつきません」

「あれがあるだろう、秘せられた遺物が。従属の——」

「あんなものをつけるくらいなら、殺してあげたほうがまだ」

「うるせぇな、俺が上官だ。命令に従え」

「……」

 フードの男は口をつぐんだ。


 殺すだとかは聞き取れたので、全身の血の気が引く。逃げようと思えば逃げられる、と言う言葉を信じて何かしようと意識を巡らせるが、ここにいる人間全員を気絶させたい、と強く望んでも、何も起きない。さっき金属が折れたのはまぐれだったのか。

 フードの男がこちらに近付く。座り込んだまま後退りするが、すぐに何かに背中が当たって動きを止めた。背後にあるのは何かの拷問具だ。

 フードの男が、小さく何かをつぶやくと、何も持っていなかったはずの男の手に、黒いチョーカーのようなものが現れた。金属のような光沢があり、紋様…楔形文字のようなものが細かく刻まれている。中央に留金がついていて、真ん中から割れるようだ。一見ただのアクセサリーにしか見えないが、妙に嫌な感じがする。

「命を奪うものではありません、落ち着いて」

 その静かな声で、少し落ち着いた。男の手が丁寧に私の髪をかき分け、そのチョーカーを首に嵌めた。冷たい温度に、びくりと体が震えてしまう。

 チョーカーが首に嵌まったことを確認すると、甲冑の男がこちらに一歩近付き、高い位置から私を見下ろした。

「お前、俺の隊に入れ。命令を聞けば殺さねえが、命令に背けば罰を与える。その首輪は【従属の首輪】だ。その首輪をつけてる限り、俺はお前の位置を捕捉できる。俺の合図で電撃の罰も与えられる。お前が殺意を持って俺を攻撃すれば、首輪はお前の首を絞める。そいつはお前でも外せねえもんだ」

 内容を理解するまでの間を開けて、首輪に触れる。確かに留金があったはずなのに、繋ぎ目が見つからない。困惑していると、唐突に首から全身に衝撃が走る。感電してしまった時のような、全身を硬直させる衝撃と痛みだ。1秒に満たないほんの一瞬のことだったのに、体が震え、息が上がった。肩で息をしている私を見下ろして、甲冑の男は片目を眇めた。

「分かったな」

「……」

 震えながら頷きを返すと、男はちらりとフードの男に目配せして、部屋から出て行った。


 意外と、ショックは少なかった。支配される場所が変わっただけのことだ。前よりマシだ——記憶は無いはずなのに、本能でそう感じていた。

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