29.謹慎1日目
翌朝、いつものようにアデルに起こされた…のだが、彼は顰めっ面でこちらを見下ろしていた。寝ぼけ切っていた頭が一瞬で醒める。
「喧嘩騒ぎを起こしたそうだな」
そうだった、シュナイダー副長が「報告する」とか言っていた。すっかり私の行動がアデルにバレている。
慌てて起き上がって、その場に正座して、ごめんなさい、と深く頭を下げる。
一晩経って、冷静になった。…後悔はしていないが、他にやりようはあったと思う。
アデルは頭の上でため息を漏らして、椅子に腰を下ろした。
「シュナイダーに一通り絞られた後だろうから、俺からは何も言わねえが、次からは気をつけろ。反感を買いすぎると動きにくくなるのはお前だ」
はい、と深く頷く。
「まあいい、謹慎も妥当な処分だ。暫くは部屋で頭冷やしてろ。ついでにゆっくり休めばいい。働きすぎだっただろ」
そんなに働いていないけど、…疲れが溜まっているのは事実かもしれない。
「取り敢えず朝飯だ。ほら、顔洗ってこい」
もう怒った顔じゃなくなったアデルに安心しながら、追い立てられるように洗面所の方に移動した。
◇ ◇ ◇
暇だ。
暇で暇で仕方ない。
訓練禁止を言い渡されてしまったのでやることがない。読書でお茶を濁しながら、長い髪をなんとなくおさげにしたり、掃除をしたり…縫合の練習くらいなら許されないだろうか。
こんこん、とノックの音がする。聞こえたのは廊下に面している方だ。
扉を開けると、フォルカーさんが立っていた。いつもこの時間に魔硝石を持ってくるのだが、今日は本だけ持っている。
「靴の補助板が壊れてしまったと聞きましたので、修理に来ました」
淡々とした声音に、何となく安心感を感じてしまう。よかった、フォルカーさんには怒られなくて。室内に招き入れて、椅子に座ってもらい、お茶を淹れる。こうしていつも授業を受けていたのだが。
「訓練禁止だそうですから、今日から3日間は魔硝石を作るのも、授業も無しです」
やっぱり、授業も無しなのか。暇すぎる…。
「…というのも暇でしょうから、本を持ってきました」
彼は手に持っていた2冊の本をデスクに置いた。1冊は「アーベントロート・エンデの歴史」、もう1冊は「諸国風習覚書」と書かれた分厚い本だ。うわあ、…かつて日本でのほほんと学生をしていた時には、絶対買おうとしなかった類の本だ。
「流石に3日で全て読めとは言いませんのでご安心ください。暇潰し程度に目を通しておくといいでしょう。こちらの「諸国風習覚書」は、世界各国の風習について書かれている本ですので、この国…アーベントロート・エンデと、貴方の出身国ということになっているゼーラについては読んでおいてください。歴史書の方は、この国の成り立ちについて記載されています。今の政情に関わる部分もありますから、この国に長くいるのであれば知っておいた方が良いでしょう」
頷いて、本を受け取る。さながら百科事典のような重さだ。一旦それを本棚にしまっている間に、フォルカーさんは私の軍靴を手に取って、中に入れていた仕掛けを確認してくれる。
「ふむ、なるほど…これを機に、壊れにくいよう強化しておきましょうか。ついでにもう2足ほど、もしもの時のために予備を作りましょう」
そうしてくれるとありがたい。宙に浮いて移動もできるし、杖があれば歩けはするのだが、やはりこのままだと色々不便だし目を引いてしまうし。
「2日ほどください、用意しますから。今回は勝手に本を持ってきましたが、何か他に欲しいものはありますか?」
差し入れの本がとんでもなく分厚いので、これだけで3日間潰れそうだし、特にはないのだが。…いや、そうだ、やってみたかったことがあった。
料理をしてみたい、と伝えると、フォルカーさんの表情が明るくなった。
「いよいよですか」
どうやら彼も楽しみにしていたらしい。私もこの1ヶ月超忙しくしていたから、そこまで手が回っていなかったし。
「因みにですが、こちらで手に入る食材は、あなたの国のものと同じでしょうか?」
いや、これまで食べてきた料理から推察するに、全く違う色形をしている。こういう味だろうと予想をつけて口に入れると想像と違うなんてことはザラで、混乱することも多かった。
「それではまず、いろいろな種類の野菜を少しずつ持ってきますね。卵と肉も少し持ってきます」
珍しくフォルカーさんは微笑んで、颯爽と部屋から出て行った。…フォルカーさんを満足させられる料理が出せるかどうか。これはもしや、暇だとか言っていられない状況になるのでは、と戦々恐々としてしまった。
◇ ◇ ◇
さて。
…さて、どうしよう。
目の前に並ぶ食材は、どれも見慣れない形をしている。そりゃあ料理として切られて出てきたものしか見ていないので、元の形を見たのは初めてなのだが。
一応、「生で食べて良いのか」という問いに対しては「毒は無いから大丈夫」という返答だった。卵と肉には火を通せと言われたけど。
取り敢えず本日手に入った食材は、以下の通りである。
真っ赤な根菜(白い皮がついている)、緑の葉っぱ(めちゃくちゃ濃い色のサニーレタスみたいな感じ)、洋梨みたいな形をした黄色い木の実のようなもの、丸い形で中が空洞になっている拳大の緑の塊、などなど。
卵は思ったより少し大きい、鶏卵のLサイズより一回り大きいくらい。肉は既に切られた塊で持ってこられたので、元の形は謎。いや、元の形がわかる状態で持ってこられたら泣いていたかもしれない。
まずは切って、少し口に入れてみようと思う。包丁は全く手に馴染まないし重い。料理に関しては少なくとも3年から4年くらいのブランクがあるわけで、それ以前もあまりまともにしていなかったわけで。
取り敢えず、まずは赤い根菜を切ってみよう。赤いと言っても紫に近い赤で、ちょっと毒々しい。
端をほんの少し切り落として、白い皮を剥がし、口に含んでみる。…玉ねぎみたいな、ツンとくる感じ。少し苦いかも。加熱したら甘くなるのか、ならないのか。全部少しずつ切って口に入れると、予想外の味はするものの、「野菜だな」という味ではある。
油を敷いたフライパンに、小さく切った野菜のかけらを入れてみる。シュールな図だが、致し方ない。
焼き目がついたらひっくり返し、口に放り込んでみる。加熱するとやはり甘みが出るようだ。あとは調味料の味を見てみなきゃ。
「…何してんだ?」
声をかけられて、びっくりして箸を取り落としてしまった。
はっとして振り向くと、アデルが扉を開けて不思議そうにこっちを見ている。なんでいるんだ。
「茶でも飲もうかと思ったんだが」
「………」
「それで、何してんだ…?」
「…………」
料理をしようと思って、と答えると、彼はこちらに来て、フライパンの中を覗き込んだ。
「それが…?」
愕然とした声音でそんなことを言われた。違うこれは料理じゃなくて、試しに少しずつ焼いて味を見ていただけなのだと弁明する。
「…そりゃよかった。これがお前の国の料理なのかと思った」
本当にめちゃくちゃホッとした様子にならないでほしい、私のことを何だと思っているのだ。
「一応聞いとくが、ちゃんと料理はできんだな?」
以前「料理は得意そうじゃねえな」と笑っていた癖に、毒見役を買って出たから恐怖しているらしい。
多分大丈夫、問題ない、と返すと、「多分…?」と神妙な顔で聞き返された。
野菜炒めくらいならできるもん、多分。でも卵もあるならオムレツの方がいいのかな。
包丁を手に取って、野菜を両断する。びくっと横のアデルの体が跳ねた。なんなんだ。
「危なっかしい」
大丈夫だって言ってるじゃないか。
「俺は料理はできねえが、お前の手つきが怪しいのはわかる」
そんなことない、ちゃんと切れてるし。
「魔術で切ればいいだろ、怪我しそうで見てて怖えんだよ」
そこまでいうなら仕方ない。
包丁から手を離すと、アデルは安心したように息を吐いた。…そんなに危なっかしいのか?
「お前本当に不器用だな。あえて突っ込まなかったけどな、そのローブの裾上げも下手くそだぞ」
えっ、…自信作なのに。端っこに猫の刺繍も入れてみたのだ。
「猫…?」
アデルは何とも言えない顔で、私のローブの裾を凝視する。
「…猫……?」
何でもう一回呟くのだ。しかも疑問符付きで。
いいから黙っていろ、ちゃんと料理はできるんだから。多分。
アデルをデスクの方に追いやって、改めて食材に向き合う。多分大丈夫、多分。
◇ ◇ ◇
あんまり大丈夫じゃなかった。
アデルは目の前の、ぐちゃっとして焦げた物体を、信じられないものを見る眼差しで見ている。…だってほら、フライパンはテフロン加工されてないし、あんなに油が必要だと思わなかったし、あんなに焦げ付くとは思わなかったし。
「一応聞いておくが、これは失敗作だよな?」
ええ、そうですとも。
一応、オムレツっぽいものにしようとは思ったのだ。肉と野菜を小さく切って炒めて、卵で閉じて。しかしこの卵が曲者で、想像の10倍くらいフライパンにくっつくし、すぐ焦げるし、中身が漏れて爆発するし、もう。なんでうまくいかないんだ。
食べなくていい、1人で食べるから。
そもそも、もともとアデルに食べさせる気はなかったのだ。たまたまアデルが来たから、多めに作っただけで。
「いや、食ってみてえ気持ちはある」
そう言って、アデルは箸を手に取った。
オムレツ(というよりもはや、卵入りの野菜炒め)の端を切って、アデルはそれを口に入れた。…作った本人が逃げるわけにはいかないし、私も覚悟を決めて口に入れる。
数秒の沈黙の後、アデルは小さく息を吐いた。
「焦げてはいるが、味は悪くないぞ」
確かに。思ったほど不味くない。
「これはこっちにもある料理だな。お前の国にもあるのか?」
一応ある。祖国の料理ではないけど。
「お前の国はどんな料理を作るんだ?」
説明が難しい。うーん、出汁文化、ってこっちの言葉だとどう言うんだろう。
ああ、そうだ、言葉じゃなくても伝える方法はある。
オムレツもどきを口に運ぶアデルを横目に、テーブルの上に手を置く。何かを生み出す時は、近くに手を置いた方が集中しやすい。
祖国の料理といえば、米と味噌汁と、あとはそれから…今食べたいのは、たっぷり大根おろしの乗った焼き魚や、だし巻き卵や、かぼちゃの煮付けや、ほうれん草のおひたし。天ぷらや刺身、寿司も好きだ。
映像を転写するように、その場に皿と料理を生み出していく。
集中が続く限りは出していられるが、長続きするものではない。これが私の国の料理です、と伝えると、アデルは「そんなこともできたのか」と驚いた声を上げながら、形作られた料理に触れる。幻のようなものだから、触れることはできない。
「米が主食だったのか」
米っぽい単語を初めて聞けた。こちらにもあるのか、と前のめりになって聞くと、アデルはちょっと驚いたように身を引いたが、頷きを返した。
「この国ではあまり出回らないからな。南の方では栽培が盛んだって聞いたことはあるが」
それって入手可能なのか。
「…俺はその辺詳しくねえからなぁ」
確かに詳しくなさそうというか、興味は無さそうだけど。
「料理好きそうな奴に適当に聞いといてやるよ」
アデルはそう言って、またオムレツもどきを口に入れた。
「お前の国の料理はなんつーか、素材の味を生かしてる感じか?」
そうそう、派手さはあんまりないかもしれないけど、優しい味で。
外国の料理だとこういうものもある、と別の料理も並べてみる。
ハンバーグやカレー、ハンバーガー、ピザ、パスタ、エトセトラ。
「外国の料理も詳しいのか。これも作れるのか?」
作れるものに限りはあるが、ある程度は。アデルはふうん、と呟いて、また一口オムレツもどきを口に運ぶ。…というか。
気付けば半分近くアデルの胃に吸い込まれていた。ちょっと食べ過ぎじゃないのか、と突っ込むと、アデルは「ああ」と小さく呟いて箸を止めた。
「いや、普通に腹減ってんだよ。これじゃ足りねえし、飯は持ってくるが」
それなら私も。これだけじゃ足りないし、パンだけでも欲しいかな。
「じゃあ持ってくる。茶でも淹れて待ってろ」
仕方ない、言われた通りに用意してやるか。




