28.喧嘩騒動
アデルに恥ずかしいところを見せてしまった。
あんなに泣いたのは久しぶり…なのか久しぶりじゃないのかわからないが、記憶の中では久しぶりだった。
【蝙蝠】の中にいた時は、わんわん泣いた日もあったけども。
しかし沢山泣いたら、だいぶ気持ちも落ち着いた。
翌日からまたいつも通り、午前中には魔硝石を作り、午後には病院で訓練をする生活に戻った。
時々急患が運ばれてくることはあって、師匠の指示のもと、実際に治療することも増えた。未だに怖くはあるのだが、やっている間はそんなことも言ってられない。
そんな生活に慣れてきたある日。手術室の清掃を任され、清掃用具が詰まったカートを押しながら移動していた時、廊下の角から飛び出してきた人に思い切りぶつかってしまった。
「わぁっ」
大きな声と衝撃と共に、床に書類が広がった。ぶつかったのはカートだったので、こちらの方は無傷なのだが、相手は床に尻餅をついて「いった…」と小さく呟いている。慌てて書類を魔術でまとめ、彼に手を差し伸べた。
黒髪の隙間から珍しい金の瞳がこちらを見て、一瞬見開かれる。
「あっ、す、すみません!」
彼は私の手を取らずに、慌てた様子で立ち上がった。ひょろっとした、あまり筋肉質な感じのしない青年だ。羨ましくなるくらいサラサラの髪は少し長く、毛先が目にかかる。まだ若い…20歳前後くらいだろう。少し幼さの残る顔立ちをしていた。
「あの、………」
何か話しかけようとしている様子は感じるのだが、それ以上の言葉は出てこない。視線を泳がせながら、何か迷う様子で胸の前で指を組む。なんだろう。
少し待ってみたが、それ以上の返事がなかったので、集めておいた書類を手渡した。
「あっ、ありがとうございます…」
ぶつかってしまってすみません、と頭を下げて、再びカートを押し始めた時、「あの!」とまた声をかけられた。
「あの、第15大隊の、砦の魔女殿ですよね」
そう呼ばれるのも慣れはしたものの、違和感はある。砦を守っているわけではないし。頷くと、相手はほっとしたように笑みをこぼした。
「俺も、同じ大隊なんです。最近衛生兵として配属されて。まだ勉強中なんですが」
なるほど、じゃあ同僚になるのかな。こくこくと頷く。
「昨日からここで研修しているんです。魔女殿もこちらで研修中ですよね」
こくりと頷くと、彼ははにかむように笑って手を差し伸べてきた。毒のない、人懐っこい笑みだった。アデルとは大違いだ。
「あの、俺の方が後輩なので、是非医術のこと教えてください」
私が教えられることは何もないんだが、と思いつつ、彼の手を握り返す。ひょろっとしている割に力強い握手だった。
それではまた、と深く頭を下げで去っていく彼の後ろ姿をなんとなく眺めて、兵士にもああいう子はいるんだな、と少し感慨に耽ってしまった。
◇ ◇ ◇
こちらの医療技術は、そう進んでいるわけではない。
治せない病気も多いし、病院での治療のほとんどは外科的な処置のものだ。検査できることに限りがあるから、体の調子が悪い、と言うときに処方される薬は大抵同じものだし、病名がはっきりするのも稀だ。
移植技術なども無いし、失われた臓器をどうこうすることもできない。
魔術でも補うことはできない…今はまだ。
この病院で、一番執刀の回数が多いのは師匠だ。
腕が良いのもあるが、スピードが段違いなのだ。緊急性の高いものは師匠が担当することが多く、必然的に私も補佐に入ることが多い。
戦時下ということもあり、兵士の手術やアフターケアをすることが多いものの、外で事故にあった市民が運ばれてくることもある。
今日の手術は、馬車に轢かれた女性の手術だった。馬に蹴られてしまったせいで腕を複雑骨折しており、骨の除去や縫合が大変だった。出血も多かったので、清掃は入念にしなければならない。使い捨てにするものは殆ど無いから。
雑巾は何枚も使って、二度拭き三度拭きした上から消毒液をかけて拭きとり、床もモップで何度も拭く。使った道具も消毒して、綺麗に並べ直して…魔術を使って同時進行した方がやはり圧倒的に早いので、自然とこういう仕事を受け持つことが増えてきた。
手早く掃除を終えたら、あとは患者の身の回りのお世話と、勉強と訓練に戻る。実際に施術した後の様子を見ながら、こういう時はどういう薬を使うとか、痛み止めの量はどれくらいにするとか、そういう話を師匠から教えてもらうのだ。
とは言っても、師匠の方がかなり忙しいので、一人でいる時間も多い。できることは対応しつつ、できないことは他の医師に聞きながら対応していく。
メモ帳にそれらを忘れないよう書き込んでいるが、毎日何ページも消費してしまう。すぐにまた次を買わないといけないだろう。アデルは付き合ってくれるかな。
最後に清掃を手伝って、気付けばいつも夕方になっている。今日もいつも通り帰ろうと外に出て、ふと朝のことを思い出した。
今日は会合だから迎えに行けない、とアデルが言っていた。いつも待ち合わせしている場所に無意識に足が向いてしまっていたが、慌てて方向転換する。
今日は一人で帰るのか、晩御飯どうしよう。フォルカーさんに頼んで運んでもらうしかないかな。
「あっ」
背後から小さく声が聞こえた。振り返ると、見覚えのあるシルエットがそこにある。今日廊下でぶつかった、あの青年だ。
「魔女殿も、今からお帰りですか?」
彼は柔和な笑みを浮かべて話しかけてきた。そうだ、と頷くと、笑みを深める。
「あの、良かったら一緒に帰りませんか」
渡りに船だ。ひとりで帰るのは寂しいと思っていた。
頷きを返すと、相手は安堵の息を漏らした。
2人で並んで暗くなった街中を歩く。コートの上からローブを着ているが、さすがに寒くなってきた。
「魔女殿は、いつもこの時間にお帰りになられるんですか?」
そうだ、と頷く。
…もっと砕けた言い方でいいのに。
「いえ、俺は下っ端なので」
軍隊だから、上下関係に厳しいのだろうか。しかし私は立場が上なのか下なのか、よくわからない位置にいる気がする。だから気にしなくていい、と言ったのだが、彼は断固として首を縦に振らなかった。
そういえば名前を聞いていない。
「俺ですか?コンラートといいます。…あの、魔女殿のお名前も伺ってよろしいですか」
あれ、知らなかったのか。名乗ると、彼は「サヤ様…」と反芻する。様はやめろ、せめて「さん」にしてくれ、と頼み込んだら、「サヤさん、ですね」と言い直してくれた。
年齢はどれくらいだろう。
「19です。去年第15大隊に配属されて、…初めは前線に出ていたんですが、剣を振り回すには力が弱くて。体質なのか鍛えてもどうにもならなくて、衛生兵になる道を選びました」
確かに彼の腕は細い。アデルと比べちゃ悪いが、あの筋肉質な太い腕と比べると、半分もないかもしれない。色も白くて、もやしっ子、と言う感じ。
「魔女殿は、…サヤさんは、いつから魔術を?」
3年か4年くらい前から。
「それであんなに使えるなんて、凄いですね」
誰かと比べたことがないからよくわからない。フォルカーさんの方がもっと良く扱えるし、師匠には才能はないとよく言われる。
「モーガン副長は別格ですよ!学院を首席で卒業してますし、研究者として新たな魔術を5つも編み出して、その後魔術具開発院に入って3年で主任になったのにあっさり辞めて、第15大隊の副長になった方です。元々は50年に1人の逸材だと言われていた方ですから」
フォルカーさん、実はすごい人だったのか。
「それでも、短期間でこんなに扱えるサヤさんも凄いです。砦では手も足も出ませんでしたから」
一応、我々は元々敵同士だった訳で。しかし、彼からはあまり嫌な感情みたいなものは見えない。
当たり障りのない会話をしながら、気付けば隊舎に辿り着いていた。
コンラート君は穏やかというか、人の良さそうな感じの青年で、とても話しやすい。院内に話し相手は殆どいないし、仲良くなれたらいい。
隊舎は1階部分に食堂がある。
2階以上に上がる階段は廊下の奥にあるので、必然的に食堂の前を通るのだが、いつもはこちらに視線が向けられることすらなかった。皆私の存在にもある程度慣れたんだろうと思ったし、フードを目深にかぶっているのもあって、気味が悪いとでも思われているんだろうと思っていた。
しかし今日は、じろじろこちらを見つめる視線を感じる。…いつもこちらに視線が向けられなったのは、アデルが横にいたからなんだろう。大隊長をじろじろ見るのは失礼だろうから。
「……っ!」
兵士とすれ違いざま、足が何かに引っかかった。盛大に転んで、床に手を強かに打つ。擦り剥くことはなかったが、膝と手のひらが痛んだ。
足をかけられた。気づいた時には、当の本人は歩き去ってどこかに消えていた。
「サヤさん、大丈夫ですか!」
慌てた様子で、コンラート君が私を助け起こしてくれた。その手を借りて立ち上がって、しかし踏ん張りが効かず、ふらついて壁に手をついてしまった。
足首を固定する金具が壊れてしまったようだ。これではまともに歩けない。
「足を怪我されたんですか?支えましょうか?」
そうしてくれるとありがたい。ああいや、空中浮遊すれば良いか。
「良いよなぁ魔術師は」
そんな声が聞こえる。顔を上げると、食堂の中からこちらを鋭く睨む人が、…一体何人いるだろう。数えたくないくらい沢山いる。その中のひとりがこちらに向かって歩いてきた。
体格のいい、若い男だった。茶色い短髪の、筋肉質な兵士。
彼はこちらを睨み下ろして、口の端を不快そうに捻じ曲げた。
「魔術師ってのは楽で良いよなぁ。俺らが朝から晩まで訓練してる間、毎日お出かけしててよぉ」
別に遊びに出てる訳じゃない。反論しようとしても、周りの兵士たちは彼の言葉に同調するように声を上げる。
「そうだよな」
「いっつも大隊長に付き添われてなぁ」
「たいした努力もしてねえ癖に」
「部屋だって個室だろ。俺らは大部屋なのにな」
「女の癖に、うちに入ってんのがまずおかしいんだよ」
「やっぱ誘惑したんじゃねえの」
「魔女だろ、それくらいするだろ」
違う、そんなことしてないし、私だってずっと訓練してるんだ。
首を振っても文字を出しても、皆それに対して何の反応もしない。
「俺たちが命削って前に出てる間、ぬくぬくと陣営で待ってりゃ良いって思ってんだろ?なぁ!」
肩を押され、床に倒れ込む。
「やっ、やめてください!」
私の前にコンラート君が立った。
「下っ端は引っ込んでろよ」
しかし相手は全く気にした様子はなく、コンラート君の襟首を掴んで放り投げる。細い体が飛んで、壁にぶつかった。
「…っ、ぐ…」
その場で唸って動かなくなる。強い衝撃だったし、呼吸がうまくできていないようだ。慌てて彼の方に這って、怪我を確認する。
「魔女殿は男に媚を売るのが上手いですねぇ」
…ここまで言われて、我慢する理由がない。
体を起こして、立ち上がる。足が動かなくても、浮いていることはできる。
「なんだ?その目は」
男はこちらを睥睨してそんなことを言う。
「俺に楯突いて良いと思ってんのか?あ?」
別に私はお前の部下じゃない。勘違いするな。
魔術で胸ぐらを掴んで、廊下の奥に向かって投げる。コンラート君にやった仕返しだ。想像の倍くらい吹っ飛んだ。は、思ったより体が軽かったようだ。相手は予想外だったのか、驚いた顔で床に倒れ込んだまま固まっている。
私がやり返さないと思ったのか。
お前たちは魔術師という存在を舐めすぎじゃないのか。
「なっ…!」
文字でしか伝えられないのが残念だ。腹立たしくて仕方がないのに。
「この…っ、クソ女が!」
随分口が悪い男だ。品が無い。語彙力も無い。
体を起こしてこちらに向かってきたので、魔術で足首を掴む。相手は転んで床にへばりついた。ざまあみろ。
いい気味だ。しかし、私の行動が周囲の兵士たちの怒りに火をつけてしまった。
声を上げてこちらに向かってくる男たちが何人か。思ったより数があるのは、それだけ私の存在が反感を買っていたということだ。
壁を作って止めても良いが、怪我をさせる可能性がある。胴を掴んでその場に押しとどめてやると、その場で皆もがく。
別に私は彼らが怪我をしようがどうでも良いが、大隊の一員として考えると、負傷させてしまうわけにもいかない。
手加減されていることは理解しているか、問うてみる。
彼らは悔しそうにこちらを見た。なんだ、それはわかっているのか。
まだ動けずにいるコンラート君を助け起こして、大丈夫かと確認する。骨折などはなさそうだが。
「…何をしている」
地の底から響くような声に、肩が跳ねた。聞き覚えのある声だ。苦手な人の声。すっと、熱が篭っていた空気が一気に冷める。全員、真っ青な顔で私の後ろに視線を向けていた。
「何の騒ぎだ、これは」
振り返ると、案の定そこにいたのはシュナイダー副長だ。いつものようにピンと糊のきいたシャツを着て、沈黙の流れる中をこちらに向かって歩いてきた。わたしたちの前で立ち止まり、眉間にきゅっと皺を寄せる。
「何があったか説明しろ」
彼は私の方を、…いや、コンラート君の方を睨むように見据えて言った。
「…兄さん、あの、これは…」
コンラート君は、か細い声で呟いた。兄さん…兄さん!?
驚いてコンラート君の顔を見つめるが、彼は気まずそうに床に視線を落とした。
◇ ◇ ◇
「騒ぎの原因は何だ」
私とコンラート君と、それから私に最初に突っかかってきた兵士と、殴りかかってきた兵士は全員副長室に連れて行かれた。シュナイダー副長は椅子に座ってこちらをじろりと睨み、全員縮こまって動けずにいる。
「答えろ。コンラート」
最初に名指しされたのは、コンラート君だ。兄弟とは思えないほど空気が違う。顔立ちは確かに少しは似ている…気がするのだが。
「…サヤさんが歩いていたら、足をかけてきた人が…」
「勝手に転んだだけです」
コンラート君の説明を遮ったのは、私に最初に突っかかってきた奴。
「こちらに対して難癖をつけてきましたので、それが騒ぎの原因です」
うわ、凄いな、こんなつらつら嘘がつけるとは。一周回って感心してしまう。
引くわ、と思って相手を見ていると、コンラート君が声を荒げた。
「違います!サヤさんは突き飛ばされて、それでやり返しただけです!」
「本当か?」
シュナイダー副長はこっちを見た。
…正直に言うと、どうでもいいのだ。
どう答えようと嫌われている事実は変わらないし、私は私のやったことを一ミリも後悔していない。
好きに判断してください、と答えることにした。
「は?」
シュナイダー副長は眉間に皺を寄せる。
私が彼らに手を出したのは事実だ。それに、彼には彼の立場もあるだろうから、それも踏まえて判断するだろう。
逆に聞くが、私がコンラート君が言ったことが正しいと言ったとして、この場にいる他の兵士たちは賛同しないし、私の言ったことを全てシュナイダー副長が信じるとも思えない。さらに言えば、コンラート君が身内なのであれば、こちらの言い分を全て信じれば身内贔屓したと思われるだろう。それがわかっているからここにいる兵士は皆平然と嘘をついているのでは無いか。そんなことを、オブラートに包みながら言ってやった。
「……」
シュナイダー副長は黙ったまま、険しい顔でこちらを睨む。眼鏡の向こうの金の瞳の色彩はコンラート君と同じなのに、こちらの方がずっと怖い。
まだ私は、腹の虫が治っていない。自分が訓練を頑張っているから、他の人間は頑張っていないと決めつける、そういう思考に嫌悪しかない。だから私の後ろに立っている兵士たちは全員嫌いだ。シュナイダー副長への恐怖が霞むほど、腹が立っている。
「…良いだろう。全員、3日間の謹慎処分に処す」
「副長!我々に非はありません!」
厚顔無恥とはこのことか。は、と思わず鼻で笑ってやると、燃えるような憎悪の籠った瞳がこちらを向いた。
「我々はただ——」
「お前、上官の俺に意見するのか?」
それに対して、シュナイダー副長の瞳はどこまでも冷たい。兵士はぐっと言葉を飲み込んだ。
「部隊長には俺から伝えておく。訓練も外出も禁止だ。分かったら部屋から出ていけ」
「………」
みな姿勢を正して礼を取り、部屋から出ていく。ざまあみろ。いや、私も私で謹慎なのだが。手を出した分は処罰を受けるべきだ。
「コンラートと魔女は残れ」
やだなぁと思いながら、コンラート君と顔を見合わせて、その場に残る。他の全員が部屋から出て行った後、シュナイダー副長はゆっくり口を開いた。
「何故、手を出した」
我慢ならなかったからだ。先に手を出したのはあっちだし、コンラート君をぶん投げて壁に叩きつけたから。
「それでも魔術師か。冷静になれ」
冷静だ。怪我をさせない程度にしか手を出していない。
「そう言う問題じゃ無い。そもそも手を出すなって話をしているんだ」
いつまでも黙ってると思われるのは癪だ。
「……」
はぁ、と彼はため息をついた。
「大隊長には報告を上げる。明日から3日間、外出禁止だ。病院での訓練や研修も一時中断とする。いいな」
「……」
悔しいが、命令を聞くしか無い。
「言っておくが、俺はまだお前のことを信用していない。多少は国のために貢献している話は聞いてはいるが、お前の人間性を理解できていないからだ」
「……」
そんなの、信用する気がなければ一生信用なんてできないんじゃ無いのか。
どんなに聖人みたいな良い人だって、期待したって、裏切られる時はあるんだから。
…昔からこんな思考してたっけ。
ふと疑問に思ったが、コンラート君の咳払いで意識が現実に戻る。
「あの、サヤさんは病院で、ちゃんと信頼されてますし、患者への対応も親切で、みんなから好かれてます」
そうなんだ、ちょっと照れ臭い。声が出せないから、代わりに凄く丁寧に接するようにはしていた。それがちゃんと実を結んでいたら嬉しい。
しかし、シュナイダー副長は、鋭い眼差しをコンラート君に向ける。彼は萎縮したようにびくりと体を震わせて、口を閉じた。兄弟と思えないような、嫌な空気だ。
「…2人とも部屋に戻れ」
シュナイダー副長はコンラート君の言葉をあっさり切り捨ててしまう。部屋から追い出されて、扉の前でため息をついてしまった。




