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26.乗馬訓練

 パーティーの翌朝、急いで隊舎に帰ってから、ずっと頭がぼうっとしていた。

「おい、弟子2号」

 師匠は私のことをそう呼ぶ。名前で呼んでくれないのは、まだ私が半人前だからなのか、実は名前を覚えていないのか。

「今日はどうした、注意力散漫だぞ」

「……」

 今は縫合の練習をしている。練習台の切られた肉を使って、魔術を使って針を動かす訓練だ。昨晩のことが思い起こされるたび、針を動かす手が止まってしまっていた。

「体調が悪いのか」

 いえ、と首を振る。

「じゃあ何だ。練習とはいえ医療現場だぞ。集中できないなら帰れ」

 彼の言葉は厳しいが、まったくもってその通りだ。

 すみません、と返して、再び練習台の肉に向き直る。


 病気に関する知識をつけるより、怪我をしたときにどう対処するか学ぶのが先だと、今はひたすら外傷の治療のための知識と技術の習得に努めている。針は小さくてカーブのかかった形をしていて、医療ドラマでも見たことがあるのと同じ形をしていた。


 やっと等間隔で縫えるようにはなったが、かなりの集中が必要だ。まだ実践には程遠い。

 あと1ヶ月くらいで最初の遠征の筈だから、否が応でも焦りは出る。

「もしなにか原因があるならさっさと解決させろ。魔術師は心を乱してはならんし、医療魔術師は特にそうだ」

 はい、と頷く。頷いたところで、解決方法はわからないのだが。


 昨晩はアデルと色々ありすぎたが、今朝の彼はいつも通りだった。

 いつも通り私を起こして、いつも通り私を馬に乗せて、隊舎に戻ったらいつも通り一緒に朝食を食べて。気にしているのは私ばかりで、気にしても仕方ないと思っているのに、気になって仕方がない。

 耳の下の赤い跡はまだ残っていて、事あるごとに手で触れてしまう。普段は髪を全部纏めて三つ編みにしているのだが、そうするとよりよく見えてしまって、どうにも頭の隅にずっと引っかかる。


 アデルは私のことをどう思っているのだろう。そんな問いが頭の中をぐるぐる回って、答えのない迷宮の中を彷徨っているのだ。


 ◇ ◇ ◇


「魔術訓練が順調ですし、明日から魔硝石の追加をしましょう。それから、乗馬も学んでもらいましょうかね」

 その日の夜、私の部屋に魔硝石を運び入れたフォルカーさんが、そんなことを言った。

「乗馬訓練は私はできませんので、アデルに任せます。まあ、うまく行かなかったらその時は方法を考えますから、気負わずとも結構ですよ」

 と言う訳で、翌日の午前中は乗馬訓練になった訳だが。


 翌朝、アデルに馬に乗せられて、街の外に出た。当たり前だがふたりきりで、なんとなく緊張してしまう。

 二人乗りしている時の背後の温かい熱や、馬の手綱を握る逞しい腕や、色々気になって仕方ない。前はこんなこと気にならなかったのに。アデルはいつも通りの態度で、それもあって何となく悔しい。


 アデルは外壁の外、だだっ広い草原まで来ると、馬の足を止めた。

「そういえば、お前の国に馬はいたのか?」

 いたはいたけど、移動手段としてはもう使われていないし、乗ったことはなかった。だから大きさが同じかどうかも分からないし、見た目も全く同じかと言われるとよくわからないのだ。

「なるほど、それなら改めてざっと説明しておくか」

 アデルは馬から降りると、私も地面に降ろした。馬と向き合うと、じっとこちらを黒い瞳が見下ろしてくる。馬はぶるる、と唇を震わせて、私の頭の匂いを嗅いできた。鼻息で髪が巻き上げられる。やはり、頭の中で思い描く馬の姿からすると、少し大きい体をしているような気がした。


「馬は頭が良い。人間が喋ってる言葉をある程度理解してるし、大体こっちがやって欲しいことを汲み取って動いてくれる。だが頭が良いせいか、嫌いな奴を乗せたがらねえし、場合によっちゃ振り落とそうとしてくる」

 えっ、なんだそれ、怖い。

「世話する人間のことは好きになるし、自分のことを尊重する奴の言うことはよく聞く。まずは気に入られるのが先だな」

 アデルはそう言って、馬の体を撫でた。

「こいつは俺の馬だ。ヴェナ、という。少々気性は荒いが、脚が速くて力が強い馬だ」

 アデルに倣って、馬の背を軽く撫でてみる。焦げ茶の、つやつやとした綺麗な毛並みの体だ。長いまつ毛の奥から、理知的な瞳がこちらを見下ろしている。


「乗って、少し歩いてみろ」

 アデルに馬の上に乗せられた。手綱をそっと手に持って、ここからどうしたらいいのだ、と首を傾げてアデルを見る。

「足で軽く馬の腹を蹴ればいい」

 痛くないかな、と気にしつつ、軽くお腹を蹴ってみる。しかしヴェナは動かない。あれ、と思ったら、ヴェナは前足を大きく振り上げた。バランスを崩した、振り落とされる。

「おっと」

 地面に落ちる前に、アデルに抱きとめられた。…こうなるのはそういえば2度目だ。

「怯えてると馬に伝わる。嫌がられるぞ」

 アデルは私を地面に下ろして、ヴェナの背を宥めるように撫でた。

「何がそんなに怖えんだ」

「……」

 多分、高いのと、不安定なのが怖いんだ。

「それなら馬上にいることに慣れるのが先かもな。ま、1ヶ月もあれば慣れるだろ」

 アデルはそう言うと、再び私を馬上に戻し、その後ろに乗り込んだ。

「最悪荷運び用の馬車に乗せるから気にすんな。お前が儲けた金で用意した荷馬車だし、お前もそれなら気にならねえだろ。他の荷物と一緒に押し込むことにはなるが」

 確かにそれならいい…いっそその方が良いような。

「だが、うちの隊なら、って話だ。別の隊でできるかはわからねえ。一応乗れるようにはなっとけよ」

 頷いて、正面に視線を戻す。目の前にある馬の首はとても太く、筋肉質で綺麗だ。それをよしよしと撫でていると、背後から不思議そうに問われた。

「さっきより全然平気そうじゃねえか。高くて不安定なままだろ」

 言われてみれば。今は二人乗りだからだろうか。アデルが後ろにいると安心するのだ。


 アデルは不意にヴェナの腹を蹴った。馬は嘶いて、草原の中を駆け出す。わ、速い。体が緊張する。

 1分ほど走らせた後で、アデルは手綱を引き、馬の足を止めさせた。

「視点の高さには慣れたか?」

 いや、まだだ。ふるふると首を振ると、アデルに両肩を掴まれた。軽く後ろに逸らされて、背筋が伸びる。

「まず馬上では背筋を伸ばせ。普段猫背気味だろ、良い機会だから治しとけ」

 確かに、杖をついているからか普段は猫背だが。怖いものは怖いし、怖ければ怖いほど背筋は曲がる。


「手綱も持てば体が安定しやすくなる。ほら、持ってみろ」

 アデルに手綱を渡されて、おっかなびっくり握りしめる。持つところがあるとなんとなく安心感があるのは不思議だ。

「これが正しい姿勢だ」

 アデルはそのままの姿勢で、軽く馬の腹を蹴った。そのまま前に進むかと思ったが、ヴェナは思い切り前足を振り上げた。

「うわっ」

 姿勢を崩して、アデルごと地面に落ちる。私はアデルのお腹の上に落ちたのでダメージは小さかったが、一方のアデルは地面に背中から落ちた上に私が落ちてきたので、低く唸って動かなくなった。慌ててアデルの上から降りて、怪我をしていないか確認する。

「ヴェナ……」

 アデルが怒った声音でヴェナを呼ぶ。ヴェナは完全にそれを無視して草原を数歩進むと、地面の草を食べだした。めちゃくちゃマイペースだ。

 本当に頭が良いのか疑わしいが、私が手綱を持ってからこの有様なわけで、確かに周りの状況がよくわかっている。


 怪我はありませんか、と確認すると、アデルは唸りながら上体を起こした。

「…体を打っただけだ、大したことねえよ」

 ため息をついて、アデルは地面に胡座をかいたまま天を仰いだ。

「今日の訓練は中止だな。ヴェナを連れてきたのが間違いだった」

 ヴェナはフラフラと近くをうろつきながら、むしゃむしゃと草を食む。

 こんなに馬とは言うことを聞かないものか。

「確かにこいつはあんまり言うことを聞かねえ方だが、それにしてもお前が馬に嫌われすぎてる」

 私は何もしていないのに…。

「何を感じてんのか、魔術師は動物全般に嫌われやすい。そもそも魔術を扱うのは人間だけだし、気味が悪いのかもしれねえな」

 フォルカーさんは普通に乗馬できているのに。…器用だと言っていたし、それもあるのかもしれない。


 ふとアデルの手がこちらに伸びて、髪に触れた。

「頭が草まみれだぞ」

 その手が何本か髪の中から草を抜き取る。面倒見が良い奴だ。

「お前用の荷馬車を常に用意して、中に入れるしかねえか…」

 アデルは仰向けに倒れて、大きくため息をついた。そして疲れた顔でそのまま動かなくなってしまう。大丈夫だろうか。


 顔を覗き込んで、疲れているのかと訊いてみると、そうだな、と返事が返ってくる。私が想像つかないような仕事をたくさんしているのだろうなと思う。

「午前中はもう休憩にしよう、天気も良いし」

 普段アデルからはあんまり隙を感じないのだが、今日は少し気が抜けた顔をしている。

 何となく横に並んで寝転がり、空を見上げてみる。確かに天気がとても良い。空気が澄んでいて気持ちが良かった。


 こんなに天気がいいと、眠ってしまいそうだ。そう言うと、隣から小さく笑い声が聞こえた。

「…お前めちゃくちゃ寝相悪かったぞ」

 えっ!?

 思わずガバッと体を起こしてしまった。アデルは顔の上に腕を乗せて、くつくつと笑っている。

「記憶にある限りで3回蹴られた」

 嘘!恥ずかしい!!

「あと気付いたら腹を枕にされてた」

 嘘だ!!!!顔を覆ってゴロゴロ転がる。

「お前よくあれでいつも普通に寝れてんな。起こすときはいつも普通の姿勢になってるが、あれは朝になれば元の体勢に戻ってるってことか?」

 知らない!!これまで家族以外の誰かと寝たこともないし、そんなこと言われたのも初めてだ。

「お前、家族以外と寝たことが無かったのか」

 友達が泊まりにきたことも無いのだ。家は溜まり場だったが、友人たちの家も近くにあったので、夜遅い時間には皆帰って行ったし。

「…ふうん。家族が言ったことねえってことは、全員寝相が悪かったのかもしれねえぞ」

 アデルは笑いながら体を起こした。

「せっかく取ってやったのに、また草まみれだ」

 体を起こすと、ぱらぱらと葉っぱが落ちる。またアデルが髪の毛に引っかかった葉っぱを取ってくれた。


「そういや買い物に行きたいとか言ってただろ。結局午前中訓練もできねえし、行くか?」

 えっ、いいのか。実は最近寒くなってきて、暖かい服が欲しいと思っていたのだ。

「そういやお前、ずっとそれだな」

 いつも薄手のシャツにスカート。その上からローブを着ているが、最近かなり寒い。

「その服じゃ冬は越せねえな。3ヶ月もすれば雪も積もるし、吹雪の日もあるぞ」

 アデルはゆっくり立ち上がると、ヴェナを近くに呼んだ。ヴェナはアデルの言うことはよく聞くのに…二人乗りでも、アデルが手綱を持っている限りは指示に従ってくれるのだ。

 疲れてるなら、このままここで休憩してもいい、と伝えるが、アデルは首を振った。

「気にすんな、たまには良い。普段俺もあんま街にも行かねえしな。用事済ませたら昼飯食って帰るか」

 ひょいっと馬上に戻されて、またいつもの二人乗りに戻る。一緒に買い物に行くのは暫くぶりで、楽しみで心が躍った。

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