菓子は美味い
翌日、僕はカフェに仕事道具を持ち込んだ。
僕の職業は作家でカフェが登場する物語を書いている。原稿を期限内に出版社に出せるなら、執筆する場所は何処でもいいのだ。
「いらっしゃ、あ、モーリスだニャ」
「今日も……、いないか。好きな所座っていいですか?」
「どうぞ」
カフェに入ると、スミレが対応してくれた。
店を出る時とは違って、また語尾に『ニャ』と付いている。
僕はスミレの態度に首をかしげつつも、窓際の席に座った。
(少しは改善されたみたいだ)
僕は席に着くなり、シュガーポッドに目をやる。汚れはきちんと拭き取られており、これで、コーヒーに砂糖を入れたいと思える。
メニュー表を見るとケーキは五種類あるようだ。仕事が一段落したら昨日と違うものを注文してみよう。
「はいニャ」
「まだ、注文してないけど」
「味見してほしいから持って来たニャ」
「ああ、そういうこと……」
続きを執筆してゆく。執筆途中の紙とペンとインクをテーブルの上に置き、仕事の準備が出来た。さて、コーヒーを注文するか、と思った丁度良いタイミングでテーブルにコーヒーが置かれた。持って来たのはスミレである。
注文していないのにコーヒーが置かれたことに戸惑ったが、これは試飲用のものらしい。
見た目は変わりないが、昨日飲んだものよりは香りがする。淹れ方を変えたみたいだ。
僕はスミレにじっと見つめられたまま、コーヒーを飲む。やはり、味も美味しくなっている。
「昨日のものよりは良くなっているよ」
「古い豆から新しいものに変えたニャ」
「古い豆って、どれくらいのやつ?」
「えっと、一か月前のものだったかニャ? この間補充したのがそれくらいだったニャ」
「……」
あの豆は鮮度が悪かったのか。問題は淹れ方よりも、コーヒー豆の鮮度だったようだ。スミレの発言から、管理のほうもずさんだったことが分かった。
僕は深いため息をつき、スミレに問う。
「コーヒー豆の保存方法は?」
「保存方法? 買ったままにしてたニャ」
「嘘だろ……、この店、コーヒーの知識無さすぎだろ」
僕はスミレの回答に絶望した。カフェの顔でもあるコーヒーの原料を粗末に扱っているとは。本音が自然と出てしまった。
「そこは反省してるニャ」
「そこも改善してくださいね」
「はいニャ」
用事を終えたスミレは、仕事へ戻った。僕も仕事を始める。
順当に筆が進み、一つの話を書き終えたところで疲れを吐き出した。
作業が一区切りついたので、先ほどのコーヒーを飲む。冷めていても美味しい。この味が安定して出せれば、固定客も出て来るだろう。
ただし、評価を取り戻したのはコーヒーの味”だけ”。メニュー覧にはエスプレッソやカフェオレ、カフェラテが載っている。コーヒー豆の保管もろくに出来ていないスミレが他の飲み物をまともに作れるとは思えない。僕がこのカフェから解放される日はまだまだのようだ。
仕事をしつつ、僕はスミレが淹れてくれたコーヒーを飲む。コーヒーを飲み終えた頃には、十二時になっていた。
「モーリス、なにか食べるニャ?」
昼食時、スミレが話しかけてきた。
「バッテンバーグケーキが食べたい」
「わかったニャ」
僕はケーキを注文する。
このカフェの軽食はケーキしかない。ここに出来ればサンドウィッチが欲しいな。カフェに欲しいメニューを想像すること十五分、僕が座っているテーブルの上にバッテンバーグケーキが置かれた。ピンクと黄色のスポンジをチェッカー柄にジャムで成形し、外側をマジパンで包んだケーキだ。
「ケーキは上手く作れるんですね」
「それはスミレがお菓子作りが好きだからニャ」
「……昨日から気になっていたんですけど、スミレさんの人格が変わるのはどうしてなんですか?」
「あー、それはニャ……」
会って間もないが、スミレは自身のことを他人事の様に話す時があることに僕は気づいた。それに昨日とは性格の他に口癖も変わっている。
僕が問うと、スミレは言葉に詰まっていた。
僕はスミレの答えを待つ。
スミレは、暫くして僕の質問に答えた。
「みゃーがスミレの身体を乗っ取っているからニャ」
「えっ!?」
僕はスミレの発言に驚いた。平静に戻ったところで僕はスミレと向き合う。
「色んな種族を目にしていますが、まさか化け猫と出会うとは思いませんでした」
「これは秘密にしてほしいニャ。モーリスには明かしていい、ってスミレが言ってるから教えたんだニャ」
「黙っておきますよ。広めても奇異な目で見られるだけですしね」
人格が二つあるのは、化け猫がスミレの身体を乗っ取っているからだ。
化け猫は生体に憑依して自我を得る。彼らは憑依した人物の経験を活かした仕事をし、生計を立てているらしい。憑依元の人格が表に出るのは稀だと聞くから、打ち明けない限りは見分けられないのだとか。
人族は多種族に対して、比較的友好な関係を築く人種だが、目に見えない霊的な存在は嫌がる傾向にある。スミレの正体が明るみに出れば、余計このカフェに客が来なくなってしまうだろう。僕たちの目的と反することなので、スミレの秘密は僕の胸の内に秘めておこう。
「スミレさんのご家族は心配してないんですか? 最悪、お祓いされちゃうんじゃ……」
「ああ、それは心配ないニャ」
「そうですか」
僕はバッテンバーグケーキを一口大に切り、口に入れる。マジパンのサクッとした食感に、二種類のパウンドケーキのふわっとした食感。最後にベリーのジャムが合わさって美味しい。このカフェのケーキについては僕が文句をいうことはない。
バッテンバーグケーキを食べている間、僕は憑依元の家族が除霊師に相談して、祓われるのではないかとスミレに指摘したが、その件に関して彼女は気にしていなかった。この話題を深掘りしてはいけない気がしたので、化け猫の話は一旦終わらせることにした。
「スイーツの見た目と味は問題ないと思う」
「ありがとニャ」
「あとは、コーヒー以外の淹れ方と店内を清潔に保つことかな」
「あの紙、剥しちゃだめかニャ?」
「まだだね。一か月維持できたら剥す」
「ぶー、モーリスはケチだニャ」
スミレは僕に文句を言ったあと、背を向けてカウンター内へ戻った。
(最低一か月は様子を見ないといけないのか)
自分で言ったものの、この店に一か月通い詰めないといけないのか。今のところ、僕にデメリットはないからいいかと思っている。壁に貼られている紙がすべて剥されない限り、料金を徴収されることはないし、僕としては無料のワーキングスペースを提供して貰っている感覚なので、ありがたいことではある。この関係を続けている間に、ぽつぽつと客が来店してくれるといいな。
店内の清潔感とコーヒー類の味が改善されれば、立地が良い場所なので客が自然と訪れてくれるだろう。
あとの目を惹く看板やメニューデザインの方は――。
「それは――」
一か月様子を見てみよう。