モーリス
カフェを見つけ、僕は足を止めた。 この町は人族である僕の他に、魔族、土人、木人、獣人が闊歩している。僕が生まれるはるか昔、“りゅう”という現象が発生し、竜族を始祖に僕らは誕生した。もし、”りゅう”という現象が発生しなかったら、人族が支配する世界になっていただろう、と偉い人が言っている。
僕が歩いている場所は、人族が好む衣類店と装飾品を購入できる雑貨店、人族の味覚に合わせた飲食店が並んでいる通りだ。
「こんなところにカフェが……」
ここ一帯にあるカフェはほぼ巡った、と思っていたのに。
見逃してしまったのは店の並びのせいだろう。
このカフェは十字路の角にあり、女性ものの衣類店と宝飾店に挟まれている。その手のものに興味のない僕は、今まで素通りしていたかもしれない。そんな僕が足を止め、このカフェを見つけたのは、向かい側から来た通行人とぶつかりそうになったからだ。通行人を避けた際に、カフェの看板が偶然目に入った。霧が濃いせいで、視界が開けないから人とぶつかりそうになるのはよくある事だ。
僕の手は自然と扉の手すりへ伸びた。
手すりを引き、カランカランという来店を知らせる音と共に、僕はカフェに入った。マスクを外し、店内の空気を吸う。
「いらっしゃいませ、ニャ!」
店に入ると、僕と同い年くらいの少女が声を掛けてきた。
猫耳……? いや、ショートボブを猫耳のようにヘアアレンジしているのだ。彼女は黒のひざ下ワンピースとフリルのついた白いエプロンを身に着けており、ここの給仕のようだ。
「……ここは人族向けのカフェですか?」
「そうニャ」
「えっと、一人です」
「お好きな席に座ってくださいニャ」
語尾に『ニャ』と付けるものだから、僕はここが人族向けのカフェなのか確認をした。獣人が経営していると、僕の味覚と違った飲み物が出されたりするからだ。
僕は給仕に人数を告げると、好きに座って良いと言われた。
そこで、僕は店内に目を向けた。
店内はこげ茶の丸テーブルとチェアが四組、カウンター席が五席ある。
白一色の壁紙が貼られており、狭い空間でも広く感じられる工夫がされている。シックな雰囲気も感じられ、女性が好みそうな内装になっているのだが……。
客が僕以外誰もいない。貸し切り状態になっている。
僕は給仕の言う通り、空いている席に座った。
「……」
このカフェに客が来ない理由が分かった気がする。
コーヒーとバターケーキを食べた。
僕は胸ポケットからメモ帳を取り出し、店の評価を書き記す。
店の外装・内装、コーヒーの水色はどうか、試用した豆の特徴を生かした焙煎が出来ているか、店自慢のスイーツの味など、僕の基準でこのカフェの評価をしてゆく。
僕は色んな町のカフェを巡り、独自の評価をつけることが趣味なのだ。
この評価を広めることはない。このノートに記すだけだ。僕は情報を書き記す瞬間が好きなだけだから。
気に入ったカフェがあれば、飽きるまでその店に通い続ける。今日もその店に向かう予定だった。偶然見つけたから、来店したというのに。
「この店は――」
最低だ!
僕はこのカフェの評価を心の中で呟いた。勿論、次に来店することはない。
「はあ……」
僕は肩を落とし、ため息をつきながら席を立った。
コーヒーとバターケーキの代金は先に払っているため、後は店を出ればいい。
「あ、あの!」
扉の前に給仕の少女が立ちはだかった。必然的に僕は歩を止める。扉へ伸ばしていた手もひっこめた。
少女は僕の顔をじっと見つめている。
「えっと、僕の顔に何か付いてましたか?」
「いえ、違います」
真摯な顔で僕の顔を見つめるものだから、僕の頬に付いているのかと話題を作ってみるも、少女が僕を呼び止めた理由はそんなものではないらしい。
僕に見惚れた? いや、それはもっとないだろう。
妄想を吹き飛ばし、僕は少女に用件を聞いた。
「僕に何か……?」
「はい、えっと、その……」
歯切れが悪い返事が返って来た。
僕はそこで、少女の様子がおかしいことに気付いた。来店した時の彼女は人見知りをしない溌剌とした性格だった。それなのに、今は僕の質問に答えるのにもじもじしている。
女性が態度を急変させるときは、異性に一目惚れしたと――、いやいや、希望を持つな。そんな偶然あるわけないだろ。
「このお店、いかがでしたか?」
「お店の評価ですか……」
「はい! お客様がなかなか来ないし、来てもリピートしてくださる方がいなくて……。売り上げが悪いと、店長に怒られてしまうんです!」
店長に怒られるだけで済むんだ。
僕は少女の悩みを聞き、僕の身体は前方へずっこけた。
「どうして僕に……?」
「お客様、メモ張に何か書き込んでいたでしょう? コーヒーを飲む際も一口、二口と慎重に飲んでいらしたので、調査員の方かと思いまして」
「近しいことはしていますが……」
「正体を隠していらっしゃったんでしょう? でしたら――」
「僕が宣伝記事を書くとしても、正直な事しか書きませんよ。お願いされたらやりますけどね、本当にこの店の評価を書いてもいいんですか?」
「……とても悪いんですね」
「ええ!」
少女が僕を引き留めたのは、店の評価をしている素振りが見えたから、店を評価する調査員だと間違えたからのようだ。彼女の推理は半分正解で半分間違い。評価は趣味であり、率先して宣伝することはない。僕の一言で、来店客が増えたり、店の売り上げが下がったりする可能性があり、言葉に気を付けて書き込まなくてはいけないからだ。
勿論、誰かにお願いされれば素直に宣伝記事を書くだろう。でも、少女は遠まわしに”良い評価を書き込んでくれないか”と僕にお願いしている。僕は嘘が嫌いだ。嘘を書くのは絶対に嫌だ。
僕がお願いを拒否すると、少女がうなだれた。彼女が落ち込んでいる姿を見て、僕は頭を掻き強く言い過ぎてしまった、と反省する。
「でしたら、お客様の評価を私に教えていただけませんか?」
「……わかりました。でも、悪いひょう――」
「悪い点があることはもう分かっています。どこが悪いのか私に教えてください!」
僕の両手を包み込むように握り、少女は懇願する。瞳は僕の顔を捉えている。彼女はなんとしてでも、カフェの経営回復を図りたいのだろう。
僕は彼女の熱意に負け、握手を解いた後、胸ポケットから様々なカフェの評価が書かれたノートを取り出した。ついさっき記入した評価を彼女の前で読み上げる。
「まず――」
悪い点は山ほどある。
まずは、店内が汚いこと。掃除が行き届いていない。テーブルの上、チェア、その周りの床掃除は出来ているが、シュガーポッドには糖の塊があったり、べたついたりしていて使おうと思えなかった。元々コーヒーは砂糖を入れないで飲むから関係ないけど。細かいことを言えば、飾りとして置いてある観葉植物が枯れていることが気になった。
次に、コーヒーの淹れ方が悪いこと。カフェで、それは致命的だ。多分、この給仕は自分が仕入れているコーヒー豆の特徴さえ理解していないのではないだろうか。これは、僕よりも恥ずかしい気持ちをぐっと堪えて、仕入れている業者に教わった方がいいと思う。
最後にメニューが分かり辛く、店のロゴが地味だということ。人気店はメニュー表のデザインやロゴにも力を入れている。メニュー表を一新したり、店外に置かれている黒板に目立つチョークアートを施したら、来店客が増えるのではないだろうか。
「――というわけで、僕はこの店の評価を悪く付けました」
「教えて頂きありがとうございます」
給仕は僕の文句の内容を注文票に書き殴っていた。彼女は三つの注文票を壁に貼り付けた。
「メモをした項目が改善されたら、剥して頂けませんか」
「え?」
「全て剥がれるまで、お代は頂きません」
「えっと……」
「お願いします! お客様が頼りなのです」
「……仕方ないなあ。お手伝いしますよ。スミレさん」
「よろしくお願いします。あの、お名前をお伺いしても……?」
「モーリスです」
「明日からよろしくお願いします。モーリス様」
スミレのお願いを聞き入れたことで、僕は店の外へ出られた。
僕は暫く通うことになるカフェの扉をじっと見つめる。
「厄介なことに巻き込まれたなあ……」
僕は深いため息をつき、カフェから離れた。