プロローグ-1
欧州にある一つの料理店。昼のランチと夜のディナーの二形態で繁盛している。
昼はサラダ、メイン料理、デザート、飲み物のプレートを定額で、夜は肉料理主体で麦酒やワインと共に提供している。
そんな店には料理の他にもう一つ評判があった――。
「いらっしゃいませ!」
昼のランチ時、黒と白の給仕服を身に着けた黒髪の少女は、来店客の注文を聞き、出来上がった料理を註文卓に運ぶ仕事をしていた。
新たな来店客が店内に入ったら、一旦仕事の手を止めその人に声をかける。
「スミレちゃん、いつものお願い」
「“店長の気まぐれAランチ”ですね!」
その人は顔見知りの常連客で、彼を空いている席に通し、水を渡してすぐに注文を受けた。彼はメイン料理が毎日変わる一日二十食限定のメニューを注文した。Aは一番安く、他に少し高いBランチがある。
「ちなみに今日のメインはなんだい?」
「“ロコモコ”という料理です」
「ふーん。今日も店長はよく分からない料理を作るね。ま、気まぐれランチはそれが楽しみなんだけど」
「店長は創作料理が大好きですから。今回の料理も、外国の古い本に書かれていたメニューを再現してみたようです」
常連の人と軽く談笑をした後、仕事へと戻る。
“ロコモコ”という料理は、ハンバーグに肉料理を調理した際に出る肉汁と調味料を混ぜて作ったソースをかけ、目玉焼きを添えた料理だという。それらをご飯と一緒に食べるのが昔の人の間で流行ったとか。店長の創作料理の中では“美味しい”部類であり、今日のAランチは当たりだ。時にまずいものが提供されたりするが、あの常連客は当たりはずれの波をも楽しんでいる様なので、私は“きまぐれさん”と心の中で読んでいる。
しばらくして、気まぐれAランチが完成した。私はそれを受け取り、きまぐれさんにサラダとロコモコを置いた。
「ちなみに、今日のデザートは何だい?」
「季節の果物を乗せたタルトです」
「スミレちゃんが焼いたやつ?」
「はい! 今日も自信作ですよ」
すべてのランチにはサラダとデザートがついてくる。
デザートは店長が作ることもあれば、私が担当していることもある。
私はケーキやタルト、クッキーなどの焼き菓子を担当し、店長はそれ以外だ。
「スミレちゃんのデザート、いつも美味しいから楽しみだな」
「ありがとうございます!」
「この間、町であったお菓子のコンテストでもいい成績だっただろ。いっそ給仕をやめて、ケーキ屋を開いてみたらどうだい?」
「自分の店をもってみたいですけど……、家にお金を入れないと生活が成り立たなくて」
「いやいや、スミレちゃんの腕なら人気店にだってなれるさ! それならお金もじゃんじゃんはいってくるって」
「そう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます」
たとえ、お世辞でも自分が作ったお菓子の出来栄えを褒められると嬉しくなる。それにきまぐれさんは、私が町で行われた、貴族に提供するお菓子のメニューを考案するコンテストに入賞したことも知っていた。その賞金はすべて生活に回してしまったけれど、自分が考えたお菓子が他の人に認められたと自信がついた。
(自分の店かあ……)
私は給仕の仕事をしながら、ケーキ屋を始める自分の姿を想像する。自分が考えた商品を並べて、お客さんがそれを「美味しい」と言ってくれる場所を作ってみたいと考えたことはある。けれど、それを両親が賛同するとは思えない。
私の家は、弟の学費を工面することに注力している。
弟は勉学の才能があり、町一番の学校に通っている。だけど、そこは貴族が通うような場所で、学費が高い。推薦ということもあって、制服やバック、靴は学校が工面してくれたが、学費は毎月支払わないといけない。月々の学費は両親が働いただけでは工面できず、私が働いた賃金を足すことで生活が出来ている。だから、私が自営業をやりたいと告げても、実現するのは弟が学校を卒業する二年後だろう。
「スミレちゃん」
「は、はいっ」
自分の夢と現実を考えていたら、突然名前を呼ばれた。
私は肩をびくっと震わせ、声の主のほうへ体を向ける。
私に声をかけたのは店長だった。
「今日、体調悪い?」
「い、いえ! 元気ですよ」
「気のせいか。ぼーっとしてたように見えたから、風邪かなと思ったんだよ」
「考え事をしていました。すみません」
「えっ、まさかお店を辞めるとかそういう……」
「ち、違います! 家のことでちょっと――」
考え事をしながら仕事をしていたため、傍からは、体調が悪いのではないかと心配されていたようだ。私はそれをすぐに否定し、悩み事を店長に打ち明けた。
「あー、弟さんのことだね。勉強が出来てすごいじゃないか」
ランチタイムも終わり、客足もまばらなため、私と店長は軽い雑談に入った。
私の弟の事は、平民の間では話が広まっている。町一番の学校に平民が推薦入学を果たしたという偉業で。無事卒業が出来れば、貴族の元で働くことができ、高収入を得られる職場に就けることが約束されているからだ。だから家族総出で弟のために学費を工面しようと努力しているのだ。
頭では協力しないといけないと理解しているのだが、なぜ弟優先の生活に私も巻き込まれるのだろうと思うことがある。
「自慢の弟だと誇ってはいるのですが、学費が……」
「そうだよなあ。スミレちゃんは頑張ってくれてるし、デザートも作って貰ってるから、来月の賃金は上乗せしてあげるよ」
「ほんとですか⁉ ありがとうございます」
来月から賃金が多くもらえるようになり、私は店長に感謝した。少し増えれば自分の事にお金が回せる。来月は洋服を新調しようなどと楽しみもでき、仕事の活力にもなる。
「もっとお金を稼ぎたいんだったら、会計横にスミレちゃんのお菓子を販売してみる?」
「会計横にお菓子……、ですか?」
「最近流行ってるやり方で、この店もやりたいと考えてたんだけど、僕では難しいと思ってたところなんだよ」
「持ち帰りが出来るものでしたら……、クッキーでしょうか?」
「そうそう! お菓子はスミレちゃんのほうが得意でしょ? 売り上げの一部はスミレちゃんに渡すから、やってみないかい?」
「はい! やってみたいです。試作したいので少しお時間を頂けますか?」
「うん。お願いね」
店長はそう言って私と別れ、仕事へと戻った。
一人になった私は、店長の提案に浮かれていた。会計横に自分の焼き菓子を売る。それは自分の売り場を持たせてくれるということだ。自分の店を持つ、という夢に少し近づけたような気がして、仕事が終わったらすぐに販売するクッキーの試作案を考えようと意欲が湧いてきた。
カランカラン。
嬉しいことが起こり、張り切っているところで来客を伝える鐘が鳴った。
私は弾んだ足取りで来客を迎える。
「いらっしゃいませ」
「……ほう、お前がスミレか」
来客者は貴族だった。
平民が通う食事処に貴族が現れるのは珍しい。しかも、面識がないのに向こうは私の名前を憶えている。
私は浮かれている感情を殺し、来客した貴族を観察した。
来店した貴族は、見るからに高そうな服に身を包んだ青年だった。年齢は私より少し上といったところか。痩せた体系で顔立ちは整っており、一目見たら忘れない外見をしている。私と明らかに違う華やかな生活を送っている彼が、何故この店を訪れ、私に声をかけてきたのか、考えても答えは見つからなかった。
一つだけ確かなのは、彼が来客者で、私が給仕だということだ。
「空いているお席にご案内いたします」
「うむ」
貴族相手でも、いつも通りの対応をしていれば問題ない。そう判断した私は、空いている席に彼を案内した。
彼が注文したのは、私が焼いたタルトと紅茶だった。
「え、貴族様が来店してるだって⁉」
私は注文を店長に伝える際、貴族が来店していることも話した。
店長は現状に驚いていた。その様子から、貴族が来店する情報はなかったようだ。
「私のタルトと紅茶を註文されているのですが――」
「高価な茶葉はあるにはあるけど、特別視してもいいものか悩むよなあ」
「どうしましょう」
「うーん、スミレちゃんを知ってこの店に訪ねて来てるのだから、一般客と同じ対応でもいいかもね。うんうん、普通の茶葉で淹れてくるから、スミレちゃんはタルトのほうお願いね」
「はい」
店長は独り言を呟き、自身で納得すると私に指示を出した。
私は指示の通り、開店前にまとめて焼いたタルトを皿に置き、その皿にナッツと果実のソースで飾り付けをしたものを用意した。私の作業が終わる頃に、店長は紅茶を淹れ終えていた。
「落ち着いて、失礼のないように」
「はい」
そう言われると余計緊張する。
私は注文されたものをトレーに置き、貴族の元へ向かった。その際に緊張で手が震え、トレーの上のものがカタカタと揺れていた。慎重に歩を進め、商品を落とすことなく、貴族が座っている席の前へ運ぶことが出来た。
「お、お待たせしました……、季節のタルトと紅茶でございます」
緊張で声が震えながらも、私は商品を貴族に提供した。商品をテーブルの上に置き、やっとその場から離れられると安堵した。早くこの場から離れたいと思った私は、素早く頭を下げ、彼に背を向けた。
「おい」
「ひっ」
声をかけられると思っていなかった私は、小さな悲鳴をあげた。
「これは誰が作った」
「わ、私でございます」
「そうか」
貴族は私の回答を聞いたのち、タルトを口にした。ゆっくりとそれを味わっている中、私はこの場から早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。けれど、引き留められてしまったせいで、その機会を失ってしまい、その場に立ち尽くしていた。
「よい出来だな」
「ありがとうございます……」
味の感想を告げられ、私はほっと胸をなでおろした。不味いと言われるよりはましである。貴族社会であるこの町は、貴族の一言で物事が左右される。不味い料理を提供する店だと彼が判断すれば、閉店させられるかもしれないのだ。
「コンテストで入賞した菓子はここで食べられるのか?」
「申し訳ございません、提供しておりません……」
この質問で、彼が私の事をどうやって知ったのかは分かった。お菓子コンテストである。彼は私が考案した菓子を食べ、興味を持ってこの店へ来たのだ。
「そうか……」
彼は突然席を立った。そして、私に近づいてくる。
私は彼の唐突な行動に身構えた。食べたい料理を提供できなくて文句を言いたいのか、それとも紅茶の味が気に入らなかったのか。
彼が私に接近する理由をいくつか考えている間に、私は彼に抱きしめられ、身動きが取れなくなっていた。
「スミレーー」
彼が私の耳元で名を呼ぶ。
「余の愛人にならぬか」
そして私に思いもよらぬ告白をしてきた。
(なんで? どうして⁉)
私は突然現れた貴族の告白に動揺していた。
お菓子のコンテストに入賞しただけなのに、彼に好意を持たれたのだろう。接点と言えばお菓子しかないというのに。
その場では「考えさせてください」と伝え、乗り切ったが、次会う時には答えを出さなければいけないだろう。
仕事を終えた帰路で、私は答えに悩んでいた。通行人が私に声をかけてきた気がするが、内容が耳に入ってこず素通りするくらいに、真剣に。
(愛人って、もう奥さんがいるってことだよね)
彼は“恋人”ではなく“愛人”とはっきり言っていた。ということは、相手はもういるか決まっているのである。貴族は自由恋愛が許されておらず、同等の相手と見合いをして結婚するのだと聞いたことがある。他に気になる相手を手中に置きたいのであれば“愛人”という形になるだろう。
(貴族と関係が持てれば、弟の問題は解決するはず――)
彼の提案を受けるメリットとしては、私の家庭の問題である“弟の学費問題”が解消されることである。私を愛人に迎えるということは、金銭も援助してくれるはずだ。それを弟の学費に当てれば、両親も楽できるはず。
(でも――、初めて会った殿方の提案を受けてもいいのかしら?)
私にとって良い提案であるのは確かだが、相手は初めて会ったばかりの男性である。外見が良いことは分かったが、性格がどうかは分からない。残虐な性格で、私の事を傷つけることがあるかもしれない。
色々考えている内に、家へ帰ってきた。
私の家は、木と石壁で作られた二階建てで、一階は居間、台所、両親の寝室。二階は私と弟の部屋がそれぞれある。
私は家に入り、両親に顔を出した。
「スミレ、お帰り」
「ただいま、お父さん、お母さん」
私は居間にいた両親に声をかけた。
「仕事、お疲れ様、少し休憩したら夕食の準備をするわね」
母親はそう言って、淹れたばかりのお茶を飲んでいた。ふう、と疲れを吐き出していた。母が休憩するのも無理はない。早朝は牛乳の配達から始まり、日中から夕方にかけて服飾の仕事をし、それが終われば今度は母親として家事をこなすなど忙しいからだ。
「夕食摂ったら、仕事に行ってくる」
「ええ。気を付けてね」
父親は早朝に配達の仕事をし、昼間に仮眠をとり、夜間に警備の仕事へ出掛ける。
二人がここまで仕事をしているのは、弟の学費のためである。二人が身を削って働いたとしても、学費しか工面できず、私の給与で生活しているようなものだ。家族総出で働いてやっと生活できる。
「スミレ、手伝ってくれる?」
「うん」
私は給仕の仕事から帰ると、母の手伝いをする。
野菜を洗い、皮を剥き、一口サイズに切る。母親はかまどに火をつけ、鍋に水を入れそこに私が切ったものを入れていた。
母がスープを作っている間、私は発酵させたパン生地を四等分にし、それを焼く準備をしていた。
(パンを買うお金もない)
私はこの作業をする度、虚しくなる。
我が家はパンを買うお金も惜しい。自分で焼いたほうが安上がりになるからと、私が出かける前に生地を練り、発酵させておくのだ。それを夜に焼き、夕食と朝食に食べる。
「スミレ、どうしたの?」
母が不安げに私に声をかけてきた。きっと、作業をせず、四等分にしたパン生地をじっと見つめていたからだろう。
「……何もないよ」
私は無理に笑みを作り、そう母に答えた。
母の顔には疲労が見える。
両親が無茶をして仕事をしているのに、私が弱音を吐くのは許されない。
「お母さんは、二つ仕事を掛け持ちして大変じゃない?」
「大変だけれど、あと二年の辛抱だから」
「そっか」
弟が学校を卒業すれば、仕事を掛け持ちする必要がない。パン屋でパンを買う日常に戻れる。終わりが見えているから両親は身を削ることが出来るのだ。でも、目の前にいる母親の顔には疲労が張り付いていている。父親だってそうだ。前まではおしゃべりだったのに、仕事を掛け持ちするようになってから口数が減ってきた。二人とも過労で倒れてもおかしくない。
(私は何を悩んでいたんだろう)
疲れ切っている両親を労働地獄から解放する手段を私は持っている。
家へ帰る間は相手の本性が分からないなどと悩んでいたが、内面なんてどうだっていい。学費の問題を解消させてくれるのであれば、私は悪魔にだって魂を売ってやる。
「あのね――」
パンが焼きあがるのを待つ間にすべて話そう、と私は母に声をかけた。
そして仕事中、貴族に求愛されたことを打ち明けたのだった。
翌日。
貴族は再び私が働く飲食店にやってきた。彼は昨日と同じく、私が焼いたケーキと紅茶を注文した。
私が注文したものをテーブルの上へ置くと、貴族は口を開いた。
「答えは出たか?」
「はい」
私は堂々と答えた。
「私は、あなたの愛人になります」
「……そうか」
「ですが、一つ条件があります」
「ほう、条件とは?」
「私の弟の二年分の学費を工面してもらいたいのです」
「平民が貴族に取引とは……、面白い女だな」
私の申し出に、貴族はふっと口元を緩めた。彼はケーキを一口食べ、紅茶を口に含み、それらを飲み込んだ後で答えを出した。
「よかろう」
「あ、ありがとうございます!」
「明日、君の家に伺う。それまでの間に身支度を済ませておけ」
「はい。あ、あの……」
「なんだ」
「名前をまだ伺っておりませんでした」
「そうだな」
貴族は私が提示した条件を受け入れてくれた。
私がこの人のものになることで、両親を過労から救ってあげられる。弟は学費の心配をせずに卒業が出来る。そのことで喜んでいたのもつかの間、相手となる貴族の名を知らなかった。
「余はシュルツ・ラクディング。この町を治めるラクディング家の長男である」
「領主様のご子息――」
名を聞き、私は一瞬言葉を失った。
ラクディング家。それは、この町タフトを治める領主の家名だからだ。それと同時に私は次期領主となるお方に求愛されたのかと二つの意味で驚いていた。
驚きで崩れた表情をすぐに平静へ戻し、私はシュルツに頭を下げた。
「では、明日。私は仕事に戻ります」
そして、最後の仕事へと戻った。
「これでよし!」
約束の日。
私は家族に別れを告げていた。
これが嫁入りであれば、家族全員喜んだだろうが、はっきり言って私がやろうとしていることは身売りである。両親と弟は悲しげな表情を浮かべていた。
「……スミレ、ごめんなさい」
涙を堪えていた母が遂に泣きだしてしまった。そんな母の肩を父はそっと抱きしめた。
「姉ちゃん、俺……、絶対、学校卒業して、この町の役人になるから!」
「父さんと母さんをよろしくね」
「役人になって、金稼いで、父ちゃんと母ちゃんを楽させるよ」
弟が私にそう宣言した時、訪問を知らせる呼び鈴が鳴った。
シュルツがやって来たのだ。
私は玄関の扉を開け、シュルツを迎い入れた。彼は出会った時と同じで高価な服を身に着けている。
「スミレ、挨拶は済んだか?」
「はい。行きましょう」
シュルツは私の家族に我関せずといった態度だった。私が返事をすると、私の手を引き、家族に何も声をかけずに背を向けた。
「……スミレは余が頂いてゆく」
シュルツはそういって、私と共に家を出た。
こうして、私は料理店の給仕から貴族の愛人になったのだった。