Ⅰ.Devil's Princess
――そこは、まるで絵画のように美しかった。
漆黒の夜闇、浮かぶ赤い三日月。巨大な城の外、見事な庭園の中で金の長い髪を持った少女が花々を眺めている。
――余りにも美しい少女だった。黒に映える人間界の月の光のような金の髪は腰以上の長さに伸び、草花の上に散らばっている。一度も日に焼けたことのないような白の肌を包むのは、豪奢だがシックな黒のドレスだ。
魔界の月と同じ色の紅の瞳は、今は静かに閉じられていた。
背中から生えている4対の立派な翼は空の色と同じ漆黒。
――ツェツィーリア・アタナシア・ルシフェル。
魔界の主ルシファーの娘――お姫様。
そしてそのすぐ後ろに侍るのは、黒髪を一つに纏め黒の燕尾服を着た青年だった。
ツェツィーリア程ではないが彼女の横に立ちうる美貌に、緋色の瞳。ツェツィーリアのお付きを務める悪魔。
――クロード・エレロ・アガリアレプト。
ルシファーの配下であるアガリアレプト公爵家の次男であった。
――魔界に朝も昼もない。永遠の夜が包む微睡みの中、お姫様が静かに口を開く――
「――暇だわ」
■
「……さようでございますか」
「――つまらないの。魔道の研鑽も飽きちゃったし。お兄様は忙しいし。もう100年よ?いい加減、そろそろ新しい刺激がほしいわ」
「人間との契約についてはどうなったのですか?」
「お父様が許可してくださらないのよ。面白そうなのに。まぁお兄様も契約してないのだけど」
口を尖らせて、ツェツィーリアが呟く。
ルシファーが割と子煩悩……愛娘であるツェツィーリアに弱いことはルシファーの側近たる悪魔たちには知られた話であった。息子……長男に対してはそれほどではないのだが。
天使との戦争で亡くなった妻にそっくりだからというのも大きいかもしれない。……因みに欲望に溺れる悪魔にしては珍しくルシファーには後妻がいない。まぁいなくても問題はないので放置されているが。
悪魔に倫理観などまったくもってないので、近親婚だって普通にある。娘と父親が結婚するのだって普通なので、それでいいかとも思われているのかもしれない。詳細は定かではない。
「――だから、人間界に行くわ」
「――ルシファー様の許可は?」
「出るわけないじゃない。人間との契約だって拒否するのよ?だから極秘よ。内緒で行くの」
「バレると思いますが」
「お父様は今忙しいから。天使との戦争で忙しいのに、そんな簡単に人間界なんて降りられないわ。それにわたくしは人間界には昔から興味があったのよ」
楽しそうに、ツェツィーリアはクロードに語る。
現在魔界は天使との戦争中で、主たるルシファーとその息子も参戦しているため今この城にはツェツィーリアとクロード、その他召使いの悪魔達しかいない。
「アイリスやエルフェルティ達が言ってたのよ、人間界の小説は面白いって。私も読ませてもらったのだけど、とっても面白かったの。人間の恋愛ってとても甘酸っぱくて、読んでるだけでドキドキするのよ」
「アグレアス公爵家のお嬢様とシトリー公爵家のお嬢様ですね。人間界の小説が流行っているのですか」
「ええ。アイリスのお兄様は人間と契約していらっしゃるから。そこから入手したらしいわ」
アイリス――アイリス・アルマ・アグレアス、アグレアス公爵家の長女とエルフェルティ・ラクテウス・シトリー、シトリー公爵家の次女……どちらも魔界の錚々たる悪魔、貴族のお嬢様である。
魔界のお姫様たるツェツィーリアのお友達としては何も可笑しくはないのだが……話題が人間界の小説とは。アグレアス公爵家もシトリー公爵家も人間には友好的な方なので問題はないのだろうが……。
「――しかし人間界に行くにしても、どうやって行くのですか。魔界の門は閉じられている筈ですが」
「クロードはわたくしを何だと思ってるのかしら。時空転移くらい使えるわよ。門なんてなくても人間界には行けるわ。羽も魔法で隠せるし、問題ないわよ」
自慢気に胸を張ってドヤ顔のツェツィーリアに、クロードは溜息をついた。
「……人間界に降りてから、その後はどうするのですか。天使にバレたら面倒なことになりますよ」
「どこかの子供のいない貴族の家を洗脳する予定よ。魔法でなんとかなるでしょ、冒険者ってのも面白いとも思ったのだけど」
「……人間が使うのは魔術で、我々の使う魔法とは違います。洗脳ですか」
「記憶やらの書き換えもする予定よ。大丈夫、わたくしそれなりに精神系の魔法は使えるから。クロードは執事かしら」
――用意周到である。
ツェツィーリアは魔界の主ルシファーの一人娘、お姫様であるはずなので妙にちゃんと考えている。
クロードはツェツィーリアについていくだけなので特に人間には興味がないが、やっぱり彼も悪魔なので楽をできるに越したことはない。それに人間だ。魔界では人間との契約はそれなりに重視されている――人間は悪魔にとって重要な栄養素なので、人間には興味があるのだ。なおそれで天使と戦争になるのだが。
「書き置きも前もって作っておいたし、荷物も空間魔法で呼び寄せればいいわ。クロード、貴方もついてくるのよ」
「――ええ。私はツェツィーリア様のお供ですので」
ツェツィーリアの言葉に同意したクロードに、満足に微笑んでツェツィーリアは立ち上がった。
「――行きましょうか、クロード」