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7:侵食する錆

「……長居しすぎた」

 ぽつりとつぶやく彼女の言葉と共に、大鎌の刃は容赦なく俺を斬りつける。俺がすでに死んでいるのなら、今は霊体で――痛覚なんてないはずなのに、斬られた箇所から身体が裏返っていくような、奇妙な感覚が全身を襲う。

 平衡感覚がなくなってしまったかのように世界は回り、そのせいで吐き気を催しているというのに、それだけにとどまらず、熱湯を浴びせられているような痛みさえ感じられた。

 叫び声を上げていたつもりでも、自分の口からは何も発せられていない――そう思った直後に世界が一変し、苛まれていた感覚からもすべて解放された。

 まだ生前の認識が残っているのか、霊体なのに汗にまみれ息を切らし、力なく地面に崩れ落ち――そうなところを、少女の手が俺の腕をつかんで引き留めた。

 朦朧とした意識が徐々にはっきりとしていく中で、今いる場所が地上ではなく、街中を俯瞰で見渡せる空中だと認識する。天高く遠くまで見渡せるような高度までいかないものの、十分な高さがあった。

「え……?」

 少女が手を放す。が、俺は宙に浮いたままで落ちる気配はない。

「見て」

 指さした先を素直にたどると、そこには――俺と空楽が歩道を歩いていく姿があった。

「どういうことだよ、これ……」

 状況が呑み込めず困惑する俺をよそに、少女は静かに告げる。

「あなたを助けようと思ったわけじゃない。時間を引き延ばしただけ。――ここは、菜種空楽が事故死する前の世界」

 少女はこちらをまっすぐ見つめながら、続きを述べた。

「あなたの魂が死へ近づくたびに、世界から色が失われていく。完全に失われる前に、菜種空楽を助けられたらあなたの勝ち。ただし――助けられたとしても、あなたが死んだことに変わりはない。その瞬間、私はあなたの魂に相応の処遇を与える」

 俺の死は揺るがないとはいえ、空楽を助けられるか否かという、本来は存在しなかった選択肢は与えられたわけだ。

「世界の色が失われていく中でも、ヒトではない私とあなたの外見だけは色がそのままだから」

 その色差をタイムリミットの参考にしてね、と言いたいらしい。とはいえ、少女の髪は白く、服装も白が基調となっているため、あまり参考にはならなさそうだ。

「お前は一体なんなんだ。何か目的があるのか?」

「私は死神」

 己の正体にだけ言及すると、それきり黙り込んでしまった。あとは勝手に頑張ってくれ、ということなのだろうか。

「……俺はこれからどうすれば……」

「どう動くかは、自分で考えたら? 私が『やってもいい』と思えるのはここまでよ」

「…………」

 ひとまず、先ほど見かけた自分たちを追うことにした。空楽の命日を把握していない以上、猶予すらも分からない。

「言い忘れてたけど」

 地上まで近づこうと動き始めた中で、唐突に死神が口を開いた。

「元の世界のあなたは、行方不明ってことになってるから」

 だから俺が目覚めたとき、周辺には何の痕跡もなかったのか。時間経過で消えてしまった可能性も捨てきれないとはいえ、直感でこの死神の言っていることは正しいと思える。

「なんでわざわざそんなことを?」

「あら、それも理解できない? あなたもその身をもって体験したことなのに」

 せせら笑いながら、そう口にする。

「まあ、いずれにせよあなたが死んだことに変わりはないのだから、事故死だろうと行方不明だろうと、あなたの家族がどう受け止めるかは、結果的には変わらないけど。でも、加害者となる人物がなかったことになるのだから、いいでしょ?」

「! …………」

 俺の反応を見た死神は、暗くよどんだ笑みを見せたあと、何事もなかったかのように、元通りの感情を読み取れない表情に戻っていた。

 世にあふれる異世界転生の話を、特に深く考えずに今まで受け入れていたけれど。どういった死因であれ、天涯孤独でもなければ、主人公には家族や友人がいて。事故死がきっかけならば、本来は罪に問われなかったであろう人がいて。

 異世界で新たな人生を歩み始める本人とは裏腹に、元の世界では様々な人たちの心に傷を負わせて、狂わせている。

 もちろん、それらが作られた話であると分かっていても、一度そう捉えてしまったら、考えずにはいられない。

『遺された人たちはどうなっているんだろう?』

 通り過ぎるショーウィンドウにふと目を向ける。俺の姿は一切映っていない。当たり前だ、死んでいるのだから。

 前に向き直ると、何も知らずに生きている俺と空楽がいた。また同じことが起こる前に、事故のことを二人に知らせなければ……。

 無駄だと分かりつつも、二人の目の前に出てみる。こちらに気づく気配もなく素通りされてしまった上に、生身であれば接触していたであろうすれ違い方をしていても、俺の身体はなんなく通り抜けていた。

 しかも、向こうは一切合切感知していないというのに、自分の身体に生暖かい肉が侵食してくるような、奇妙な感覚が残ってしまうようで、生きている人間と重なることに生理的な嫌悪感を覚えた。

 これが生命のない物体だったらどうなるのだろう、と思い立って手近な街灯に触れてみる。……やっぱり、生前と同じように障害物を避けて、道なりに動いたほうがよさそうだ。このなんともいえない気色悪い感覚も、回数を重ねれば慣れるかもしれないけれど……積極的に慣れておこうとは思えない。

 しかし、物体に触れられないのであれば、どう伝えればいいのかという問題が浮上する。なにか念力のようなものでも使えれば、ホラーにありがちな方法で書き置きでもできるだろうに、俺にはそれさえもできないらしい。

 滑稽にも物へ向かってうなるだけの俺を、死神は一瞥するだけだった。

「なあ、……死神って呼ぶのも変だし、名前があるなら教えてくれ」

 ずっと俺のあとをついてくるのか確認しようと思って切り出したところで、新たに浮かんだ疑問を口にした。

「………………銀花」

 不愉快そうに顔を歪めながらも、自身の名前を告げる。聞いておいてなんだが、「教える義理はない」などと断られると思っていたので、これは予想外だった。

「言っておくけど、あなたが余計なことをしないように監視してるから」

「あ、そう……」

 気が散るからできればどこかへ行ってほしかったけれど、そうもいかないようだ。この状態の俺がやりそうな「余計なこと」というのも分からないが、まあ、人の魂に携わる死神という種族ならではの懸念もあるんだろう。

 何かないかと、制服のポケットを探ってみたところ、自分のスマホが入ったままになっていた。よく分からないが、そういうこともあるのかもしれないと思い、手に取ってしばし眺めてみる。

 ……いや、よく見てみると、少し違う……?

 何がどう違うのかと問われれば返事に窮してしまうが、生前の自分が使っていたスマホとも違う気がするし、そもそもスマホかどうかという点においても怪しく思える。

 電源は落ちているようだ。サイドのボタンを探ってオンにしてみると、画面が点灯する。

 見知らぬアプリアイコンがいくつか並んでいるなかで、無意識のうちに惹かれたものをタップしていた。アプリが立ち上がり、表示されたものを認識して愕然とする。

 空楽の小説だ。

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