6:銀の花
小説をチェックしてみると、空楽から新しい反応があった。
『ありがとう。こっちも、なんとかできないか探ってみるよ。もしかしたら今いるこの場所とは違う、遠い土地には文明が存在しているかもしれないし……』
逃げることがメインになっているため、意図的にどこかを目指すということはしづらいはずだ。それなら偶然に頼ったり、幸運を信じることになるけれど……それでもどうか、空楽のいる世界に安全地帯がありますように、と祈るほかない。
俺が小説内の描写を読み込みながら道標の役割を担うとしても、お互いの状況がリアルタイムで反映されない限り、ほとんど意味のない行為になってしまう。
……ところで空楽は、どうやって俺のコメントを認識しているんだろう。スキルや魔法のようなものを使っているとか? 空楽の状況が小説としてこの世界に流れているのも不可思議な現象だし、考えるだけ無駄な気はするけれど……。
こちらは特に進展もないし、解決のヒントになる可能性もあるから聞いてしまおうか。おそらく返信は明日――しかし、それまでに出来そうなことが何も浮かばない。
――そんな風に考えていると、自身が光明すら見えない闇の中で虚無に蝕まれていく。俺は何のために生きていて、何のために空楽の小説を確認できるんだ?
この小説も、実際にデータが書き換わっているのではなく、俺にしか見えない――あるいは、一部の者しか見られないものだ。たとえば、霊感があるとか。俺にはそんなものないのに変化を感じ取れているのは、空楽と近いところにいたからなのか?
あるいは、空楽が助けを求めていた「誰か」というのは、俺のことを指していたのか?
だから霊とは無縁だった俺が関わりを持てている……?
考えても仕方のないことだと分かっていても、解決案の草稿すら浮かんでいない俺の脳は、勝手にぐるぐると無駄な考えを巡らせていた。
そのせいで寝るという行為も忘れ、朝になっていたことを自覚したのは、母さんが俺の部屋のドアをノックしてからだった。
全く寝ていないせいでふらつく身体のバランスをとりながら、そのことを悟られないように対応する。幸い寝起きだと解釈してくれたのか、特に何も言われなかった。
まあ、眠っているふりをして出ないという手もあったけれど。朝だけは、俺が起きているかどうかにかかわらず、こうして訪問してくるようになっている。
なかなか睡眠がとれなかったころは、支障が出てしまうから俺の様子を伺いながらになっていたらしい。今はなるべく規則正しい生活を心がけるため、俺からお願いしていることだ。
それでも気を遣われているのか、いつもノックは控えめになっており、眠っているときに気付くことはない。
朝食を飲み物だけで済ませて、すぐに部屋へ戻る。
小説を読み進めてみたところ、俺への反応はないものの、空楽は比較的安全といえそうな場所で眠っているようで、安堵した。とはいえ、いつこの場所がダメになってしまうか分からない。
仮に空楽が襲われて怪我を負ってしまっても、俺はその光景をただ眺めていることしかできない。直接ではなく、文章だけというのがまだ救いなのだろうか……。しかしあくまで俺自身がどう捉えるかという話なので、いずれにせよ空楽本人はたまったものではない。
早急に解決策を見出さなければ。そういった焦りばかりが募れど、やはり俺の頭は何も浮かばない。
ベッドで横になりながら、窓から差し込む赤い夕日を眺めていた。……あの事故のときも、こんな風に世界が赤く染まるほどの濃い夕焼けだったな、と思い出す。この赤い世界で横たわっていると、あの日の事故を追体験しているようだ。
――いっそ、同じような方法をとってしまえば、空楽と同じ異世界に俺が向かうこともできるんじゃないか?
そのほうが、この世界から何らかの手段を探すよりも、助けになれるような気がする。それなら当時の状況をなるべく再現するべきだと思い、恐らく事故当日ぶりの――事故現場へ向かった。
思い出せる限りで、あのときどういった行動をとって、どういう風になったのかを自らの足で辿ってみる。昨日のように途中で立ち止まってしまうかと思いきや、不思議と歩みは止まらなかった。
あらゆる恐怖よりも先に、もしかしたら空楽と再会できるかもしれない、という期待が上回っているのだろうか?
――そう――このまま、この場所で――……。
無意識のうちの行動だったのか、はたまた偶然の結果だったのかは分からない。最期に聞こえてきたのは、周囲から聞こえてくる叫び声だった。
――……そうして、どれほど眠っていたのだろう。
とても長い眠りから覚めたような気だるさの中、俺は意識を取り戻す。目に入った青空へ手を伸ばすと、すぐそばから少女の声が聞こえてきた。
「やっと目が覚めたの?」
驚いて身を起こそうとしたところで、道路のど真ん中で寝ころんだ状態になっていたことに気が付いた。それなのに道を行き交う人々は俺に目もくれず、車もそばを素通りしていく。
「な……、え?」
道路は乾いており、血痕どころか事故の痕跡もないようだ。何かに轢かれて死んだのかと思っていたけれど……思い違いだったのか……?
それにしては、俺に対して反応しているのが少女ひとりの声だけというのが奇妙だ。
「うわ!」
声のしていたほうへ目を向けると、奇怪な格好をした少女が佇んでいた。上半身は袖口の広いブラウスに近いけれど、ワンピースのスカートといえる部分が、レオタードのようなものになっている。
正直、外へ出られるような姿ではない。それなのに彼女自身にも注目が一切集まっていないのが、人ならざる者の気味の悪さを際立てていた。
「柊鈴真。本来、あなたはここで死ぬべきではなかった」
「……やっぱり俺は死んだのか! それなら――」
空楽のところへ連れて行ってくれ。そう俺が言い出す前に、少女が遮って回答を述べる。
「バカなの? 少しでも異世界転移への望みを持ったものが、転移できるわけないじゃない」
「は……?」
少女の言葉で頭が真っ白になった俺をよそに、理由を語り始めた。
「第一、異世界転移目当てで死亡者が増えたらこの世界が成り立たなくなるでしょ。どういった理由であれ、その願いを聞き届けるわけにはいかないの。むしろ魂のまま、しばらく眠ってもらいたいくらいだわ」
感情を読み取れない表情ではあるものの、心底面倒そうなため息を吐かれる。
「それなのに、ありもしない幻想に囚われて、あなたみたいな行動を取る人間もいるし……そんなことでいちいち死なれちゃ困るの。何事にもバランスってものがあるのよ」
「そんなことって……、待てよ、じゃあ空楽は、異世界転移を全く望まないままあんな世界に放り込まれたっていうのか!?」
仮に望んでいたとしても、異世界では快適に過ごしたい者が大半だ。夢を持って転移したと思いきや、それらとは程遠い、死と隣り合わせの異世界だった……なんて話もありえてはいけない。
「……ああ、あの魂ね……。あれは特殊な例だから」
少女の正体は依然として分からないままだが、数か月前に死んだはずの空楽が分かるらしい。彼女の言う通り、それほど特殊な例というわけなのだろうか。
「さて、長居は無用よ。あなたの魂をどうしてやろうかしら」
どこからともなく現れた、少女の身長ほどはありそうな大鎌を手にする彼女の姿は、死神を彷彿とさせる。大鎌は刃の部分こそ刃物のきらめきを見せているが、それ以外の持ち手の部分などは、真っ黒な炎のようなものが渦巻いている。刃と持ち手のつなぎ目のあたりには、淡いながらも様々な色に染まった、大小いくつかの鉱石が埋め込まれていた。
「――俺は、何もできないまま……無駄死にしたってことなのか……?」
「そうね」
冷たく言い放たれた現実は、俺の胸をえぐった。
「……俺に異世界転移の資格がないことは分かった。でも、それでも……なんとか空楽を助けたいんだ! 何か方法はないのか!?」
少しの間が空いたあと、少女は大鎌を振りかぶる。「何の方法もない」「これで終わり」と暗に突きつけられているようで、絶望感が体中を巡った。